P3-29 ゆめをねがう 3
彼は無魔である。神霊術も、創生術も使えない、知識としてもほとんど知らない人間である。
それら「事実」を確認するたび、ひどく不思議な感覚にピアは陥る。
「どうかした?」
「あ、ううん」
歩みが鈍ったピアを振り返ったのは、彼女に同道してくれているジュペスだ。
彼女は、患者アルティラレイザー・ロゥロットの施術に向かう途中だった。つい今しがた正式に、リョウ以外のカーゼットのメンバーにも、病室の立ち入りおよびヴォーネッタ・ベルパス病患者の診察許可が下りたのだ。
当初は「許可」を取りつけてきたリョウも、当然、一緒に行くと言った。
しかし彼は、誰からどう見ても、大変ひどい顔をしていた。それこそリョウのほうが患者だった。
少しは休め、倒れられたらそれこそ大問題だ。
満場一致でカーゼット総出で言いくるめ、それでもと足掻こうとする彼を、最後は半ば力ずくで寝室に押し込んだ。
ゆえに今のピアは、ジュペスとふたり、である。いつもであればリベルトが一緒になりそうな場面だが、現在の彼は、とある客人の対応にあたっている。
ピアは笑った。
「がんばらなくちゃって、思って」
「……そうだね」
どこで、誰が聞いているか分からない空間だ。曖昧に濁したピアの言葉に、そっとジュペスが応じる。
リョウは、滋養強壮の術式が使えない。魔力量を測定し、患者の状態をはかる方法を知らない。
だからアルティラレイザー・ロゥロットの「状態維持」は、今日このときからピアの役目になった。
完全に色を失くしたリョウの顔を思い返すと、今も少しピアの胸は痛む。どうしても忘れてしまう、彼は「ちがう」と、だからこそ、その背を追おうと思ったのだと、確かに知っているのに、それでも、どうしても。
あまりにも彼が、状況を不可思議に動かしていくゆえに。
なんでも、理由が「ある」のだと、――勝手に、こちら側で思いこんでしまいそうになる。
「でも、難しいね。あの人はそうなんだって、わかってる、つもりでも、それでもさ」
「リョウさまだものね」
「うん」
何が当たり前で、何がちがうのか。
ちがう視線は何を見て、どんな、ピアたちは当然とするようなことを見落としてしまうのか。
そもそも、これも滋養強壮の術式もなしに、どうやって難しい患者さんをみるのだろう、ピアは内心首をかしげる。患者のもとへと向かうピアの手には、一冊のノートがあった。
表紙には患者の名前「アルティラレイザー・ロゥロット」。これこそが、ピアたちにとって一般的な「診療記録」だった。
ちなみに一頁目の記載主はフェイオスである。昨日ぶんの滋養強壮の術式と魔力測定は、診察もかねて彼が行ってくれていた。基本の項目はもちろんのこと、外傷の有無や各探索術への反応など、詳細に、几帳面な細かい字で仔細にきっちり記録されている。
けれど彼は、そもそも診療記録の存在を知らなかった。また内容に関しても、すべて「読めない」という。文字を読むことはできても、内容を情報として読み解くことができない。
こんな「あたりまえ」までもが違う。
少しでも疑問があればすぐ聞いて。教えて。リョウが言う意味が、今更また身に沁みるような気がした。
「どうしようかな、僕は。……もう少し、本腰を入れて調べてみようかな」
「なにを?」
「今朝のことと、あとは「神隠し」のこと。僕にはピアさんたちのような助け方はできないから、攻めていくなら、そういう部分からだと思うんだ」
改めて見る先には、未来を先へ据えようとする青空の瞳があった。
神隠し。それは昨日、シュタインゼルテから投げ込まれたという情報だ。魔術師が倒れ、一人が消えた。そして街では複数人が、時間帯もばらばらに姿を消した、という。
関係があるかは、わからない。
分からない、とする以上、無関係と断言することもまた、できない。
「リョウさまはしばらくお休みだし?」
「うん。町の現状なんかはきっともう、ロウハが調べに行ってるんだろうから、そうだな。類似している過去の案件とか、そういうところからかな」
ピアの問いに頷くジュペス。さらりと口にしてはいるが、いざやろうとすれば、相応の労力が必要である。なにしろまずここは彼女らのエクストリーではなく、レニティアスなのだ。
類似事件。複数人の失踪。
ピアは首をひねった。
「わたしが知っている行方不明事件っていうと、「喰らい花」くらいしかないかなあ」
それは今から三年ほど前、エクストリーのとある海岸沿いの街で起きた、連続失踪事件の俗称だ。
今回エクストリー国王アノイの護衛として同道する第四魔術師団「シーラック」団長、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアの逸話のひとつとして、きっと今でも学院では語り継がれているだろう事例である。ピア自身は、人づての「過去の話」としてしか知らない。
しかし彼女の兄であるクレイは、準騎士として事件にかかわった。
決して口数の多くない彼が、あの後はぽつりぽつりと、ピアに顛末を語った。だからこそ、事件そのものの異常性も相まって、ピアの印象に残っていた。
ゆえに今も名前を口に出した、のだが。
「ジュペス?」
「……ああ、うん」
なぜかジュペスは、ひどく神妙な顔をしていた。
そのまま問われる。
「そのときって、ピアさんは学生だった?」
「え? うん。でも実際に巻き込まれたのはわたしより少し上の学年だったから、私が知ってるのは、皆の噂話と、兄様の話してくださったことだけ、だけど」
訝りつつ、ピアは問いに応じた。
あのあとしばらく、学院じゅうがものすごい騒ぎだった。話のうちでもクレイの語りの中でも、何より印象的に語られるのは、すべてを焼きつくした焔のくだりだった。
遍く祓い去るように、焔は地を呑んで二晩燃え盛ったという。
あとには骨どころかまともな燃え殻ひとつ、残らぬような有り様であったという。
想像を絶する光景だ。それほどに、ほかに手立てもないほどに、おぞましく、魔物にその地は侵されていたという。
改めて思い返そうとするピアに、一方のジュペスはまた不可解だった。
「今もまだ、ただ膝を折ることしかできないとは思いたくないな」
ひどく強く苦い「実感」をもって。
浅く苦笑したジュペスを、改めてまじまじとピアは見た。
その瞳のうちには、「なにもできなかった人」の忸怩があった。無力にさいなまれた後悔があった。己の愚を、顧みて改めて愚昧と断じる、そんな感覚が揺らいでいた。
それは、まるで、
まるで、あたかも過去、そのときに、ジュペス自身がそこにいたかのような。
「……あ」
少しだけ考えて、そしてピアは思い当たる。ジュペスはもともと、少し前に、地方から第八騎士団「リヒテル」に拾い上げられた人間だ。
少しだけ、ピアは踏み込んだ。
「ジュペス。もしかしてジュペスが「リヒテル」配属になったのって」
「うん、僕はあの事件の当事者だよ。トレンタム・セレン【夢蒔きの種】に騙された、ばかのやつらの、ひとりだった」
さらりと告げられた言葉に、ピアは目をひらいた。
視線の先、足は止めずに淡々と、静かにジュペスは語りだした。
「「喰らい花」事件。すべての原因は、海岸の洞窟に漂着したエセルタズム【揺天】級の亜種で、自分の「種」のうちがわに、さらった人間を閉じ込めて生餌としていたんだ」
「ひとをとらえるための餌は、」
「銀の種と、願いがひとつかなう夢。……今でも覚えてるよ。嘘みたいに綺麗な、透明な銀色だった。光にかざすと、きらきら虹色に光を返すんだ」
それを手に入れれば、願いが叶う。
いっそ、ただのかわいらしい、根も葉もない話であればよかったのだという。笑って冗談で済ませられる、おとぎ話の夢でよかったのだと。そうで、あるべきだったのだと。
しかし魔物に、人への慈悲があるはずもなかった。
より惨く人間を弄るべく派生したモノは、残酷で残虐で非道の限りなく、より人間の欲望に即物的に沿うものを生み出した。
あのとき、願いは刹那だけ現実になった。
強くなった男がいた。意中の相手を射止めた少年がいた。夫の手を、取り戻した妻がいた。妹の病気を治した兄がいた。
誰もそのときは知らなかった。
ねがいをかなえた「代償」として、災厄に呪詛される未来など、かけらも。
「この事件の性質が悪いのは、偶然、学院の生徒が臨海学校に訪れていた時期だったのと、願いがかなうのも、いなくなるのも間隔がばらばらだったこと。誰も本当に途中まで、二つの事実がつなげられなかったんだ」
「ジュペスは?」
「僕もみんなと同じだよ。必死で種を探し回って、あともう少し、ってところまで行った。でもそこで、本当のことを知った。真実が、僕にもちゃんとわかったころには、もう、あの場には、あれを祓えるのはあの方しかいなかった」
夢多き、野望も多き若者はこぞって種を探し求めた。
学院から課された題目よりも、そちらを優先する班が続出した。
そうして、次々にいなくなった。いなくなることを知らないまま、ジュペスは「そこ」へ、魔物、エセルタズム【揺天】級の根城へと足を踏み入れた。
踏破の先で彼が見たのは、精気のない、まともな意思を残すことすら許されない顔ばかり並んだ光景だった。
種のうちに攫い鎖され、ひとはすべてエセルタズム【揺天】級の生餌とされていた。
まさに文字通り、命を吸って、魔物は大輪の「花」を咲かせようとしていた。
「開花寸前のところで、ラピリシア閣下がすべてを討ち祓ったのよね」
「うん。開花が確実に壊滅的な被害をもたらすという理由で、あの方に「全力解放」の許可が下りたんだ」
「あとで、たくさん何度も話に聞いたわ。天まで貫くような、焔の柱がいくつも立ったって。一晩中、焔が消えることはなかったって」
ピアが知るのは、言葉少なに語ったクレイの言と、どこまで装飾がついたのか分からない学院の皆の噂だけである。
だが、静かに当事者が言葉に頷く。そうか、いまさらピアは納得した。かの事件は同時に、彼女の兄とジュペスが出会った場でもあったのだ。第八騎士団にジュペスが見習いとして拾い上げられるきっかけともなったのだ。
金と、銀の焔。
願いが叶うという幻想ごと、それはすべて焼き尽くした。
次から次へと湧いて出る魔物に、圧倒的なまでの物量差に、誰もが膝を折ろうとしたなかで、絶対のひかりは閃いた。
「あのときと同じように」。
次々ひとが倒れていった、もう他に誰も何もできない、どうしようもないと、そう思った、そのときに。
「――『天地を貫く、殲魔の光』」
「え?」
気づけばピアは口にしていた。それは今、アンブルトリアで流行りの歌の一節だった。
吟遊詩人が朗々と歌う、人々が喜んでそれを聞く、エクストリーの王が王たる絶対性をまたひとつ、確たるものとする逸話が生まれた瞬間の話だった。
かれが、はじめてあらわれたときの話だった。
顔をあげたジュペスの青と、ピアの碧色の瞳が交錯する。どくん、鼓動が胸のうちで不吉に騒いだ。
揺れそうな息を一つ吸って、ピアは、彼へと問いかけた。
「アイネミア病の、アンブルトリアを滅ぼそうとしたオルグヴァル【崩都】級の変種のこと、ジュペス、覚えてる?」
「忘れられるわけないよ。どうして?」
その一連の事件よりほんの少し前、ピアは、そして彼の兄クレイは、リョウ・ミナセというひとを知った。
あのとき、北で戦闘が激化するのと同時刻、城下では患者の急変が相次ぎ、少なくない数の人間が命を落とした。
ピアは北の前線で、祈道士として、傷ついた者たちの治癒に当たっていた。リョウは、アイネミア病の患者たちを救うべく、王都を東に西に駆けずり回っていたのだと、誰かから聞いた。
次から次に、患者が運び込まれる。一度は良くなった患者が、次にはまたすぐに悪化する。
そんなことの繰り返しだったのだという。何もかもが時間とともに疲弊していくしかない、「終わり」すら見えてしまうような状況であったという。
次々魔物の性質が変わり、繰り出される手が変わりえげつなさを増していく前線と重ねあわせるように。
「アイネミア病は、今でも原因がよく分かっていないの。あのオルグヴァル【崩都】級と密接に関係していたことはほぼ確実だと言われているけれど、でも、今となってはどうしても推測、憶測にしかならなくて」
改めてピアは思い返す。今はもう、ひとりも患者がいなくなった病を。その理由がもう追えない理由も、エクストリーの民はみな、知っている。
ジュペスが頷いた。
「アノイロクス陛下の「殲魔」は、その魔の引き起こす禍まで含めたすべてを断ち切る無二の御力だからね」
「そぉそ。んでもま、アイネミア病って結局のとこ、アンブルトリアの人間をあのオルグヴァル【崩都】級の餌とするための呪術、マギルカイトの波紋術式が病ってかたちであらわれたもんだったからな」
彼の言葉に、予想外の違う声が知らぬ内容を続けた。
あからさまに異常な内容に、二人は目をむいた。ほぼ反射的に向けた視線の先には、糸目で笑う少年が飄々と立っている。
「ロウハ。いつ戻ったんだ」
「マギル、カイト? 餌? 呪術?」
そう、戻ってきて早々、彼は明らかにとんでもない内容を口にした。さらりと自分たちと「外側」を隔てて、彼より「病」に近い場所にいたはずのピアすら知らない内容を。
おそらく相当に伏せられているはずの「真実」を。
ピアは愕然とした。
「どういうこと? ロウハ。わたし、そんなの全然知らない……」
「んん? そりゃぁそーよピアっち。なにしろこれを暴いたのは、何を隠そう我らが兄貴、ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】リョウ・ミナセ殿なんだぜ? 本来なら陛下の「殲魔」の絶対性ゆえにもうだぁれにも振り返ることなんざできなかったはずの事態を、起こす波紋のハの字も知らなかったあのお人が解明したんだ。誰にも明確に目に見える形でな」
ピアの動揺に対し、いっそ静かすぎるほどにゆるやかにロウハは告げる。
アイネミア病。非公式ながら、リョウ・ミナセという青年が初めて動いた事件に大きく関係した病だ。
あのときは結局、彼がおもてに出ることはなかった。けれど、ああ、そうか。そうなのか。あのときもリョウは、真摯に、懸命に、患者に、病に向き合っていた。そうして、確かな結果を、最後には出していたのだ。
誰にもできなかった呪術の証明として、無二の標として。
けれど思えば疑問が浮かぶ。ピアは眉を寄せた。
「どうして、公にならないの?」
「そりゃ地味だからなぁ功績。めちゃめちゃすげぇし絶対相手側暴かれるって想定してねぇし方法も確実にほかのやつには考えもつかない地道ぃなヤツだけど。ま、兄貴の立場が完っ全に誰にも何にも押しも押されぬ揺るがないモンになった暁には、きっと山ほどヒレついて美談になってくんじゃないかと俺は思ってるぜ!」
「余計な装飾をつけるのは君だろう。確実に」
「余計とはまた失礼なジュったん。喉も声も捧げた俺だぜ? ある程度はやらせてもらわないでどうするよ……ん、ピアっちどーした? 驚いちゃった?」
思考がうまく動かない。
ロウハはケラケラ笑うのに、それに応じることがピアにはできない。どくん、どくん。胸のうちで鳴る心臓が、ひどく不隠に、なんともうるさい。
ジュペスとロウハ、ふたりぶんの目線がピアへ向いた。
どうしてこんなに、胸騒ぎがする。
少しでも整理をつけたくて、ピアは凍りそうな口を開いた。
「三年前はエセルタズム【揺天】で、この間、アンブルトリアに現れたのがオルグヴァル【崩都】」
過去をふたつ、並列する。深まる昏迷と比例するように、魔物の階級も上昇する。
ロウハの笑顔が凍り付いた。ジュペスが青の目をひらいた。
考えたくない。けれど考えないわけにはいかない。
まだそれは、妄想と呼ぶ方がよほど近い空想でしかないのだけれど、――でも。
「それなら今度のこの奇病は、呪いは?」
深く深く、晴れぬ霧が。
どうしてかその瞬間、ゆらりと脳裏に揺らめいたような気がした。




