P3-28 ゆめをねがう 2
腰を据えて話をすれば、当然のように長くなった。
思わず吐いた息はため息じみて、なんだかなあ、と椋は思った。
「一番どうしようもないのは、状況を一言でまとめるならば「なにもわからない」に収束せざるを得ないことですね」
苦く笑いながらジュペスが言う。場の全員が頷かざるを得ない。
のどが渇いて、椋は淹れ直してもらったお茶に口をつける。ほんのりとやわらかく広がる甘みに、少し癒されるような心地がした。
「そもそも、なぜ患者が「年若い将来有望の魔術師」なのかがまずわかりませんものね」
「しかも、何というか個人を殺めるための呪いとしては「温い」のだよな。今朝の一件もかの病と関連した「症状」だというならまた話は別だが」
「……どういうこと?」
ピアに続いて、さらりとおどろおどろしいことをリーが口にした。
思わず椋は眉を寄せた。「神霊術で治らない」ことがほぼ絶望と同義であるこの世界で、「治せない」「徐々に悪くなっていく」「このままではいつか死ぬ」。そんな、常軌を逸した病気が、根本の呪いが「ぬるい」?
相当椋が変な顔をしたのか、くすりと小さくリーは笑った。
「ああ、リョウ君の感覚は無論、それでいい。だがなリョウ君、呪い、呪術とは、理を魔術で強制的に捻じる術だ。その結果として得られるものには、必ず代償がついて回る。長く、呪いを続けるほどに、それを拡げてゆくほどに、代償は次々姿が変わり、一つの命程度では、到底払い切れぬようなものになっていく」
「で、ンなもんの結果が、覚めねェ眠りに相手を閉じ込めて、じわじわ弱らせて殺してく、だ。そりゃ周りのヤツらが病むにゃァ良いかもしんねェけどよ、呪われてる張本人はどうだよ。なァリョウ、あいつら苦しいのか? 痛ェの? あれは、あの姿は、のたうち回ったって何にもならねェような責め苦の姿か?」
本人に訊ねなければ、そんなことわかるはずがない。
思いながら、しかし椋はゆるゆると首を横に振った。重度の意識障害があるひとたちに、少なくともヘイとリーが考えるような「痛苦」がはっきり感じ取れているとは思えなかった。
過去、同じ呪いの魔術は、その男を拒んだ村一つを全滅させるために使われたという。
それなら、それこそ、おそらく「わかる」。患者のプロフィールを結んでいけば、きっとどこかで「なにか」に当たった。
だが、ヴォーネッタ・ベルパス病の患者たちのプロフィールは、眺めれば眺めるほど「それ以外はどうでもいい」ように見えてくる。性別、身分、人種、立場、発症時間や状況。なにも重ならない。重ねることができない。
これは何を呪っているのか。
ふと、宝石みたいな紫と黒いちいさな毛並みが、椋の思考を過っていった。
「……だからこそ、情報が、少しでも違う角度から欲しい」
猫の話はどうだろうか。伝えて調べてもらうなら、それこそ他の誰よりも、ここにはいないロウハが適切な気がした。
今、まず椋がここでやるべきは、魔具師たちに改めて無茶を願うことだった。
「で、今ンなってやっぱり絶対欲しい、ってか。やたら神妙なカオしてやがんのは、無茶振りなのはわかってる、ってかァ? 嘘つけやバカ野郎」
深刻は即刻ヘイに笑い飛ばされた。間髪入れず突っ込まれ、思わず椋はうっと息を詰めた。容赦などかけらもない。いつものことである。
目線を上げた向こうがわで、さらにヘイは鼻で笑った。
「つーか、ンなナマ考えるヒマあんならもっとなんか寄越せ。テメエの欲しがってるモンは、ココにある何とも違い過ぎるんだよ、いつものことだがなァ。ンなフワッとしたネタだけじゃァ、時間なんざいくらあっても全然足ンねェぞ」
「そうだな、ヘイの言う通りだ。仮にここからはこの男と私で作業と役割を分割するとしても、一日二日ではとてもではないが足りないだろう。人間にある程度安全に使用できる段階に仕上げるまでにはな。ただ私が勝手にしていただけだから、というのもあるが、この部屋のガラクタはすべて、失敗作と試行錯誤の過程で壊れた実験台だ」
「……うっわ」
リーの手で示される部屋中のそれらを改めて眺め、ほんとうに今更、椋は後悔した。
後から悔いる、とはよくいったものである。何となくふわっと、神経の疾患なのかな、意識障害だからな、CTとかMRIとかあったらいいよな――そんな曖昧なことしか考えていなかった過去の自分をぶん殴ってやりたい衝動に椋は駆られた。まったくもって見通しが甘い。甘すぎた。
ここまで状況が悪くなっているなんて思っていなかった、などとは、あまりにも言ったところで無意味である。
そもそも神霊術や創生術の基本術式にしてもジュペスの「腕」にしても、決して少なくない時間をかけて「使える」まで持っていった代物だった。辿り着くまでには、相応の試行錯誤があった。
あんまりだ。俺の行動が。
頭を抱えた椋に、小さく苦笑するリーの声が聞こえた。
「だからな、どうする。どうしたらいい、リョウ君」
「……具体的に、問題ってどこでどんなふうに起きてるの?」
「魔力を当てることで、当てた対象の状態が変化してしまって、二度三度と連続して実験をしていくと確実に対象が壊れてしまうんだ。下手すると一度の照射でも耐久に問題が出る」
「かといって魔力を弱くしていくと、今度はまともに「差」が出ない?」
「そもそも人体に魔力を透過させるという発想が、今までなかったものだからな。もういっそ術をひとつ創ってしまう方が結果的には近道かもしれないが、そうするにしても条件付けをどうしたらいいか。どこもかしこも手探り状態だな」
問えば即座に答えが返る。特に咎める調子もなく、ただ静かに立て板に水のごとくゆるやかに述べられる。
ゆえにやたら椋には刺さる。若葉色の左目は何となく、へこむ椋を楽しんでいる。
何度目か分からないため息を彼は吐いた。
「なんか本当にごめん、リーさん」
「反省したンなら、テメエはもうちょい社会常識ってモンを学べ。ジョーシキ破りってのはそーいうモンを踏まえてこそだろうが」
「……なんでおまえに言われると素直に受け入れづらいんだろうな」
「あァ?」
ついうっかり口にした軽口に、即座にヘイがガンを飛ばしてくる。そのさまはただのチンピラである。
肩をすくめて椋は視線から逃れた。半分くらいはおそらく意図的に、肩の力を抜いてくれようとしているのだろう。たぶん。半分以上はただの素だ。
ふう、とひとつ改めて椋は息を吐いた。よし、後悔は終わりにしよう。次に生かせるように、反省しよう。
少しゆるんだ空気を読んだのだろう、そっと、それまで黙っていたピアが口を開いた。
「リョウさま。あの、今更初歩的なお話で申し訳ないのですが」
「ん? なに?」
「昨日の方、アルティラレイザー・ロゥロットさんの状態も、昨日と変わっているのですか? 滋養強壮の術式の効き具合や、魔力量などに、変わりはありましたか?」
瞬間、やっと動きだしかけた椋の思考がびしっと音を立てて停止した。
質問の意味を、呑み込むのに途轍もない時間がかかった。
術式の効き具合、魔力量。それはつい先ほど、アルセラが別の患者に施して見せたものたちのことだ。
この世界で治癒に携わる人間にとって、患者の状態をはかる指標としての基本中の基本のふたつ、だといわれたものだ。いたく椋が感心した「異世界」の治療、状態管理方法だった。
他の何も使わずに、患者の全身状態を管理するための方法だ。
考えた瞬間、ざあっと音が耳元で鳴った。それぐらい一気に、全身の血の気が下がる。
「リョウさん?」
「……なにもしてない」
「え?」
「できて、ない。なにも。……なにひとつ、俺、して、あげられてない」
知らず椋は、その場に立ち上がっていた。周囲を一切顧みない行動だった。がたん、と耳障りな音を立てて、今しがたまで彼が座っていた椅子が倒れる。
視界は、完全に色をなくしていた。ひどい吐き気がした。
確かにすぐ目の前にいるはずの、カーゼットの面々の顔もわからない。ちかちかと不規則にモノクロに明滅する中で、それでも動こうとして、テーブルに思いきり椋は腕をぶつけた。
「リョウ君?」
「リョウさま?」
呼ばれる声にも、ことばが出てこない。勝手に詰まって荒れる呼吸が、息苦しさが、とてつもなく椋には鬱陶しく重かった。
指先が冷え切って、痛いほどだった。震えから少しでも目をそらしたくて拳を作っても、その拳もまた、テーブルごと揺らしかねない勢いでがたがたと振動している。
ぞっとする。気持ち悪い鳥肌がおさまらない。自分の知っている「維持方法」を、語っている場合なんかじゃなかった。
そんなことよりもっと、もっと。
根本的なところがまったく、椋は――「まだ医者ではありえないもの」には、考えられていなかった。
「そうだよ、当たり前だろう。あの人たちはいま、自分で自分のことがなにもできない。外から介入しなきゃ、命がつなげない」
「……おい」
「知らない、できない俺じゃ、できない」
あんまりな事実に愕然とした。
水瀬椋は、絶対にまだ「医者」ではあり得ない。
一部しか見えていない。見ようとする思考がない、病気しか気にしようとしていない。患者のすべてなんて、到底把握できていない。
再確認させられる、突きつけられる現実に目眩がした。
行かなきゃ、思うのに反して体が動かない。目が回る、視界がゆがむ。体は冷え切って、到底温度を戻してくれそうにない。
きのうときょう、アルティラレイザー・ロゥロットの身体に明らかな変化はなかった。
おそらくフェイオスかヘイル夫妻が、魔術を使ってくれていたからだ。今になって、椋は把握した。
なぜならその時点ではまだ椋は、最初に彼女に接触した「だけ」だったから。患者を見つけて搬送した、診察をした。言ってしまえば「それだけ」だったから。
だが「主治医」が椋に決まってからは?
時間を縫って、こまめに様子を見には行っていた。診察は、下手くそなりに何度も繰り返した。
けれど、椋がしたのは言葉通り「それだけ」だ。ひとのからだを維持するための水分、栄養分。道具も、知識も、技術もない椋に、与えられるわけがないものだった。
「眠って」いる、重度の意識障害がある患者が、外部からなにも供給されないまま、全身状態を保てるはずがない。
ふざけるな――何とか動き出そうとする椋の頭が、次の瞬間ばしりと叩かれた。
「落ち着け無魔野郎」
はっと見返す先には、胡乱に目を細めたヘイがいる。
淡々と事実を見据える銀青の目に、ひどく不格好な、片手落ちな椋が映る。
ひとつ、痛みごと吐き出すように椋は呼吸した。わあん、と耳鳴りのように、まともな音が彼に戻って来る、色彩も、ひどく色合いは褪せて、わかるようになってくる。
それは極めて端的に、椋が取り乱した理由を示す言葉だった。
ピアとジュペスが目を見開き、ああ、納得したような声をリーがあげる。
「そうか。君は無魔なんだったな。はじめから持ってもいないものを、使えるわけがないんだ」
浅く笑って、彼女が腕を組みなおす。相変わらず、咎める調子はどこにもない。
むしろ、怒ってくれたほうがよほど椋の気は楽だった。怒るべきところのはずだった。無駄に患者の命を削ったかもしれない行為である。咎められて、然るべきはずである。
ピアもまた、しゅんと眉を下げただけだった。
「ごめんなさいリョウさま、わたし、」
「いや、ぜんぜんごめんなさいじゃない。ありがとう。言ってもらえなかったら、絶対に気づけなかった」
吐き気を堪えて、椋は首を振る。
椋のテンションはもはや、最底辺まで落下していた。
準備ができていなかった、見通しが甘すぎたこと、結果として間に合うのかはおろか、実現できるのかさえ分からないような状況になってしまっていること。
さらには、椋が「患者をみられていなかった」こと。――ピアの指摘がなければいつまでも気づけなかっただろうと断言できてしまう点で、こちらのほうが断然、ダメージは大きかった。
これだけ治したいと言っておいて、現実は所詮こんなものなのである。
ばかばかしい。今すぐ泣きだしたいような気持ちに椋は駆られる。同時に、絶対に泣きたくなくて、必死に椋は目の奥に力を入れた。
頭が痛くなるほど、奥歯を噛みしめる。
患者を診るということは、主治医になるということは、つまり「ぜんぶを預かる」ことだ。病を治すことは大前提に、そのための全身状態の把握、評価、維持、すべてを任されるということだ。
彼女は紙面上の「症例」ではない。今も病と戦い続ける、治癒を心から願う人たちが周りにいる、一人の患者である。
落下する一方の椋に、やれやれとばかり、ヘイが顎でドアを指した。
「行くならさっさと行ってきやがれ、リョウ。んで、もォいっちょベコベコんなるついでに、責任者からテメエの部下の診察権ブン取って来い」
「……そうする」
そういう部分だって、まだだった。
また現実に殴られる。自分の不足に凹まされる。
一気に疲れ果てた気分で、椋はとぼとぼドアに向かった。
「……リョウ?」
ドアを開けると、ちょうど休憩を終えて戻ってきたらしいクレイが驚いた声をあげる。
フェイオスたちのもとに行くためには、クレイに一緒に来てもらわねばならない。つまり、もう一度自分の間抜けと不足不十分の極みを口にしなければならない。
現実にさらにがっかりして、げんなりと椋は息を吐いた。
背筋はひどく冷えたまま、しばらく温度を戻してくれそうになかった。




