P3-27 ゆめをねがう 1
それは扉の立てる音か、と、思わず疑念を呈したくなるほどの騒音を立てて扉が開く。
明らかに感情にまみれたそれに、仕方なくリーは作業の手を止め、視線をあげた。そこには予想の通り、あからさまに猛烈な不機嫌を顔に書いた男が、リーを睥睨して仁王立ちしている。
思わず彼女は笑ってしまった。
「ずいぶんと不機嫌だな、ヘイ」
「あァ。テメエなんざブン殴りたくてしょうがねェよ」
ずかずか踏み込んでくるヘイは、リーの放り出したものたちを遠慮なしに足蹴にし割りくだく。
もう用無しなので構わないのだが、それにしてもばきりじゃきり、随分派手で耳障りな音が部屋に響いた。まるで、最短距離の歩数で可能な限り見えるものを壊してくれようとするかのようだ。
手許で未来の完成を待つひとつすら、リーが放り出した瞬間にこの男は壊すだろう。
そういう奴だ、この男は。ひとつ浅いため息とともに、リーはその場から立ち上がった。
「で? 君の不機嫌の原因は何なんだ」
「あァ? テメエは忘れやがったことだよ」
「曖昧な言葉だけで喧嘩を吹っかけてどうする」
「うっせェな、そもそもケンカにすらなんねェよ」
さて。忘れた、とはなんだ。
ヘイはそう言う間にも、苛々という言葉をそのまま貼りつけたような表情でリーを睨みつける。
面倒な、と思った。理由もまともに知らされず、ただ不機嫌なだけの男の相手をする趣味はない。
無茶振りにもほどがあるではないか。そもそもヘイとリーの間に、互いに互いを理解し合おうとする感情などないのだから。
早々に解明を諦めた彼女は、話の転換を持ち掛けることにした。
手にしている半端を目前に掲げる。
「実際に傷を加えずに、相手の体の内部の構造を見る」
「あ?」
「実現に何が足りないと思う? この回路の何が人を壊していると、おまえの目には見える?」
「……はァ?」
あまりに突拍子もない言葉に、文字通り世界を超越したものに、瞬間ヘイの顔からイライラがすっぽ抜けた。
代わりに目に浮かぶのは疑念の山、そして次には、状況を呑み込んだ分析者の光へと変わる。そう、一応「そこまでのところにはたどり着いた」のだ。まだどちらも話をされただけで正式な依頼は受けていないが、彼がそれを持ってきてからでは「遅い」。
だからこそリーは創りかけている。
ヒトを扱わぬヘイは、まだ何をするでもなく手持無沙汰になっていた。
「成程な。このガラクタ全部テメエが実験過程でブッ壊した代物かよ」
「ああ、そうだ」
何を追加し、何を削るべきだ。
手にするそれを光に透かしながらリーは考える。
だいたいヘイのせいだろうが、リョウは自身の知識とねがいの、魔具師による再現を信じ切っている節がある。彼にとっては「実在する」がゆえに、それを「あるもの」「可能なもの」と断じて疑わない。
リーとしても疑念はある。そもそも「切らずに知って」どうするというのだ。何かがもしあったとして、発見できたとして、それでなにができるというのだ。
これまで、ただ人を殺してきただけのリーには分からなかった。かけらも、想像すらできなかった。
しかし彼は真剣だった。ある程度の可能性がなければ、リョウは魔具師に具体的な話を持っても来ないだろうと思った。
だから彼女は暇に任せ、勝手に、創り出すことをはじめていた。
フン、とヘイが鼻を鳴らし、モノの散乱する床を睥睨する。銀青の目が、引き裂くような鋭利を宿して光る。意識の重心移動には無事、成功したようだった。
全く正しく言い当てみせたヘイに、リーは内心ほっとする。乾いた喉を潤すべく、置きっぱなしにしていたカップに手を伸ばした。
とうに冷め切った中身に口をつけながら、周囲の散乱を改めて眺める。
さて今日だけでどれだけのものを、私はこの男に踏み躙られても痛くもかゆくもないがらくたに変えたのか。
「不便なものだね」
笑って彼女は言った。人は使えない。おそらくこの世界で、最もヒトに近しいものも使えない。実験は前提条件からして非常に厳しい。――ひどく心地がよい。
なぜならリーは、何もたがえていない。
人道、倫理、他者の心情。そのような高尚でうつくしいものは、彼女にとって不便不自由の理由にはならない。
そうすべき理由はただひとつ、あの黒が他者の侵害を絶対に望まないから。その結果としてもたらされるものなど、絶対に手にしないであろうから。
ただ「自分の生殺与奪の全てを握る人物がそう望むから」。
それだけで、過去には当然のように彼女の手に落とされ続けたすべての汚濁が遠ざかる。
「テメエの昔の男ドモが、見たら卒倒すンじゃねェの」
「結構なことじゃないか。彼の意思に拠って、また、これらが今までとは全く別の「なにか」になる。私ではただ奪うための道具にしかなしえないものが、誰も知らないものへ変化する」
見下げるヘイの世迷言をまたリーは笑った。技術者にとって、これ以上の幸福はない。これ以上に危うく、一寸先の無と隣りあわせた興味深い探求もない。
今のリーに、レジュナ【傀儡】を創ることはできない。しかしそれこそジュペスの義手のように「部品」「一部」は創り出すことができる。
ゆえに開発途中の魔具の実験台は、もっぱらそれら「ヒトモドキ」だった。創ってはすぐ壊れる、半分ほどは壊す目的でつくられたそれらが、現在のリーの周囲には所狭しと転がっている。
ひとまず「原型」を作ってみたはいいものの、なにしろ前提条件から通常のものとは違いすぎるのだ。どこの加減も分からずヒトモドキは崩れるし、魔具自体もすぐ回路に異常を来したり、当たりの具合が均一にならずに内部エラーを起こしてショートする。
テーブルの端に転がっていた、壊れたひとつを拾い上げる。
焼け焦げてぼろりと端から炭を零してひびわれるそれを、またヘイが鼻で笑った。
「んッとにアイツは、ひとたびビョーキのことンなるとロクなこと言いやしねェな」
「それこそ、リョウ君らしい、だろう? 何も変わらない。必死で、懸命で、愚直で、自分が何を言っているのか、ほとんどまともに理解していない」
「あーあーあー、ひっでェ問題児だなオイ」
「……おまえの、言いよう、のが、ひどいだろ」
妙に弾んで切れ切れの声が、開きっぱなしになっていた扉から中に向かって響いた。
特に驚くことはなく、二人は揃って視線を向ける。憮然とした表情でそこに立つ黒い青年は、ここまでどこかから走ってきたのか、息を切らして肩で呼吸をしていた。
瞳には、朝より一段階高くなった焦燥が揺れている。同時に姿を見せた「護衛」の義手少年と、何やら大きなバスケットを抱えた祈道士少女を見やれば、仕方なさそうに苦笑して肩をすくめられた。
何ともしようがなく、リョウらしい。
ヘイが半眼で睥睨する。
「……なンっだよそのツラ。今度はなァにが起きやがった」
「無茶振り、しに来た」
「あ?」
「と、いうか、リーさん、これ、なに? なんで、こんな、部屋、ごっちゃごちゃ」
「アンブルトリアを出る前に、きみに言われていたものの試作を少し、な。どうもひとりでは行き詰まりそうだったから、ヘイにも助力を乞おうとしていたところだ」
浅く笑って口にすれば、リョウの瞳が驚いたように丸くなる。
開いた口はまず荒い呼吸を整えるために空気を吸っては吐きを繰り返し、ようやく少し落ち着いてきたところで、声を発した。
「俺が言ってたモノ、って、」
「無害なものを対象に向かって放射し、その吸収率や反射率を解析することで、体内の状態を映像化し、異常を炙り出す魔具。……まだ実用化には遠そうだがな。それこそ「無害な魔力」というものの設定が、どうもうまい具合にいかなくてね」
「……リーさん……」
「必要に、なったんだな?」
静かに笑みとともに問えば、肯定がわりの沈黙が返ってくる。何があったのかは分からないが、「なにか」あったことは誰にも明白だ。
敢えて聞かせるように、特大のため息をヘイが吐いた。
「リョウ、座れ」
「い、いや、でも、」
「どォせ朝っぱらの件にも思っクソ関わってンだろ。テメエがちっとやそっと焦ったくらいで、何も変われやしねェよ。いいから座れ。さっさとしろ」
ヘイがそう言い指さす椅子の上にも、例外なくガラクタが載っているわけだが今は些事である。
無言で眉をひそめて動かないリョウから、ふいに間抜けな音が聞こえた。何より正直な、彼の腹の虫だった。
ばっと顔を背けたリョウに、呆れをまったく隠さない調子でヘイはさらに続けた。
「リョウ。メシ食え休めってそればっか俺らに言ってんの誰だよ」
「リョウさま、これ、厨房の方に頼んで作っていただいたんです。お茶もすぐに準備できますよ」
「う……」
過去「崩国」などと呼ばれた男に、まっとうに体の心配をされる。しかもその男に続くのは、にこにこと邪気なく笑う可憐の少女。
今日も変わらずめちゃくちゃなリョウに、リーは笑ってしまった。




