P3-24 種子は何処に 2
「変化はなし、か」
昨日と全く同じ記述を書き終え、椋はひとつ息を吐いた。
時刻は既に、正午を過ぎていた。騒動からも、すでに数時間。しかし患者の失踪という衝撃的な事件の余波はまだ、病室に残っているような気がした。
いやそもそも、ここは事件が起こった病室ではないのだが。それでも椋も含め、すべてが完全に落ち着きを取り戻したとは言い難い。
患者失踪の発覚後、詳細な調査目的で、事件現場である第一大病室「モノス」は立ち入りが禁止された。
またこれに伴い、患者十人のうち七人は第二大病室「シュテリー」、三人は第三大病室「ライタ」へ移動となった。「シュテリー」には比較的最近の発症者たちが、「ライタ」には、初期の発症で、現在、病状の悪化がみられている患者たちが収容された。現在椋がいるのは、シュテリーのほうである。
あんな騒ぎの中、それでも目の前の彼女は全員は静かだった。
朝から大騒ぎだったのに、彼女ら患者だけが変わらなかった。
自分のすぐ近くの、或いは隣の人間が突然いなくなった。部屋だって変わった。それなのに彼女たちはただ眠り続ける。何も変わらないかのように。
「……や、違うか」
考えて椋は首を振った。他の人が言っていたから、だけで、そうだと決めつけてしまうのはよくない。
椋が診察できているのは、目の前の彼女、アルティラレイザー・ロゥロットだけだ。少なくとも彼女が昨日と変わらないことは分かるが、ここ「シュテリー」にいる他の患者や、「ライタ」の患者はわからない。昨日ときょう、どう変わったか/変わらないかは不明だ。
室内はほんとうに静かだった。今ここには、椋と患者たち以外に誰もいない。
アンヘルレイズの人員はいない。面会時間は午後かららしく、まだ訪れた人の姿もない。
当直は基本的に「ライタ」のほうについて、「シュテリー」には時々巡回に来る、というかたちにした、らしいと椋は聞いていた。
――「なにもない」? そんなバカな!
――ですが事実、少なくとも我々では、何らかの断片すら示すことは叶わないのです。彼女はこの場で忽然と「消えた」。我々も到底信じがたいお話ですが、それ以外に言いようもないのです
もうひとつ椋は思い返す。今朝の事件についての報告だ。
困惑しきりの調査官は、さらに自分たちより上の人間を呼んで、午後からはさらに詳細な調査をすると言っていた。
しかしたとえそれで何か結果が出たとしても、ある意味ではさらに悪い事態になるだけ、かもしれない、らしい。声を潜めた知らない人たちのひそひそ話で聞いた。結局椋は、現場にまともに近づくことも、見えた気がしたものを確認することもできていない。当時に当直していた人たちから話を聞くなんてなおさらだ。
また、目の前の患者を見る。天蓋に隔てられた周囲のベッドへ、ぐるりと視線をまわす。
この人たちの体の中で、一体いま何が起きているのだろう。
何が原因で目が覚めない、反応がない――意識障害が遷延しているのだろう。
全身状態を維持するという魔術は、どんなふうに作用して、どこまでこの人たちを守っているんだろう。どこにどんな限界があって、今、患者さんたちの一部には、魔術が効きづらくなってきているんだろう。
それに、そうだ。昨日聞きそびれたことに椋は思い至る。
「全身の状態が悪化する」って、そもそも何を指して言ってる言葉なんだ?
「リョウ。ここにいたんだね」
ふいに耳朶を打った自分以外の声に、弾かれるように椋は視線を向ける。
いつの間に開いていたのか、見やる先ではドアに片手をかけ、椋を見るアルセラの姿があった。
「アルセラさん」
「さっきはお菓子をありがとう、リョウ。美味しかったよ」
「喜んでもらえたならよかったです。アルセラさんは、今は?」
「あんたと同じだよ。おいでリョウ。「ライタ」の患者を見せる」
「いいんですか?」
「あんたが何を心配してるのかは知らないけど、何もないより、方向性のトッ散らかった情報に混乱する方がマシさ」
あまりにあっさり、肯定しながらアルセラは椋を手招きする。相変わらずまわりには他には誰もおらず、それならまあ、いい、のか……? 内心首をかしげつつ、呼ばれるがまま椋は彼女に続く。
第三大病室「ライタ」は、ここシュテリーからひとつ、廊下をわたったところにある。
わたりながら、傍らのアルセラに椋は話しかけた。
「あの、アルセラさん。ひとつお願いがあるんですけど」
「ん? なんだい?」
「診察、見学させてもらっていいですか?」
「そりゃあ別に構わないけど、自分でやらなくていいのかい?」
「見せてもらって、できれば解説ももらって、そのあとでやらせてもらえると嬉しいです」
「わかった。今ここにいるのはあたしとあんただけだからね。好きにしな」
「あの。おっさんはさっき会いましたけど、フェスさんは?」
「……少し休ませてる。余裕が出来たら、少し話を聞いてやってもらっていいかい」
「構いません、けど」
そこだけ言いよどんだ理由を、椋は聞けなかった。ちらっとアルセラが変えた表情からは、あからさまな面倒くささと、ややこしさが椋にでさえ透けて見えたのだ。
面倒、ややこしい。当たり前だ。人が一人消えたのだから。
しかも「ただ消えた」のではない。まず自分で動くことは不可能なはずの人間が、少なくともこの世界の基準では相当の目が常にあったはずの場から、誰の目にも触れず気づかれずに、忽然と姿を消した。
さら異常なことに、その「時間」すら経過で消えていくのだ。記憶が消える。ああもしかしたら、もう本当に「そのとき」の情報も「当事者」からも失われているのかもしれない。ふいに思い当たってしまって、また椋の背筋に悪寒が走る。
何の理由があって、どうして、……セテア・トラフという人を、それほどまでに絶対に消すために?
事実を並べると、まるでマジックか何かみたいだった。
マジック、……魔術。いやでも、少なくとも現時点では、何かしらの魔術をあの場所で使用した痕跡は発見されていないはずで――。
「リョウ?」
「あ、すみません!」
気づけば足が鈍っていたらしい。はっと思考を目の前に戻す。怪訝な顔で、天蓋を片手で開いたまま椋を見ているアルセラと視線が合った。
慌てて足を速め、天蓋の外にあるサイドテーブルから何か取ったヨルドに続いて椋も中に入る。ベッドの上のネームプレートには、「4 ネオモルト・ピーカート」との記載があった。
ベッド上に横たわっているのは、おそらく椋とそう年の変わらない男性だった。
ネームプレートと患者の顔を椋が見比べていると、その視線に気づいた彼女が、ふっと小さく笑う。
「プレートの番号通り、ヴォーネッタ・ベルパス病の第四症例だ。ネオモルト・ピーカート、19歳男性、発症は約三週間半前。もともとは王立魔術学院の教師をしていて、発症日にいきなり授業中に倒れて動かなくなったって話だよ」
ぱらぱらと、手にした何か、おそらく椋でいうところの「カルテ」なのだろう紙束をまくりながらアルセラが説明してくれる。
彼は傍らにいる椋たちにも、声にもぴくりとも反応しない。三週間以上、完全に絶飲食状態にあるにしては、まだそれなりに血色は良い気がする。痩せかたもそれなり程度。
だが、それでも皮膚に若者のハリはなく、頬はこけ、手足も何となく細いし、目許もくぼんでいる。
何の医術の心得がない人が見ても、彼は具合が悪そうと言うだろう。椋の患者になったアルティラレイザー・ロゥロットと比較しても、きっと彼のほうが状態が悪いと誰もが言うだろう。
ぱっと見た目以外で気になることもひとつあった。彼女よりも彼のほうが、どうも呼吸回数が多く、呼吸自体も荒いような気がするのだ。
じっと患者を見つめる椋のかたわら、ぺらりとページをめくったアルセラが、ある一点を見て険しい表情をする。
ため息を殺すように、彼女はサイドテーブルの引き出しから何かを取り出した。
「アルセラさん、それは?」
「ん? ああそうか、これ、あんたは知らないんだね」
思わず訊ねた椋に、アルセラは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに納得したように小さく笑った。
ぱかりと、彼女の手のひらの上でそれが開かれる。革製のふたが開いた先には、ちょうどスマホくらいの大きさの、何やら模様がうねうね描かれた銀色の金属板に、テニスボールくらいの透明な半球が埋め込まれていた。
半球の下の方には、鋭く先のとがった、細いガラスペンのようにも見えるものが収められている。
「ま、とりあえずはまずは見てな」
その一言とともに、アルセラは掛布の下から患者の手を外に出す。
手のすぐ横に金属板を置いて、手を押さえているのとは反対の手でガラスペン(のようなもの)を板から取った。あれ? 椋が思う間に、アルセラは患者の指先に、あたりまえのように尖端を立てる。
じわりと先が、血色に染まった。
「え」
「【其のうちに宿す泉を描け】」
つい声が出た椋の目前、特に何を異常とする様子もなくアルセラは尖端を指から離し、尖端を半球の中心に移動させて何やら唱える。
銀板が光った。中央の色が変わった。
尖端があった場所に血はなかった。
「魔力量の測定術式と査定盤だよ。色は魔力等級で、橙、黄色、緑、青、紫、赤の順で等級が高く、要するにその人間が持ってる魔力量が多いってことになる。文様の広がり具合が、その個人が持ってる総魔力量に対する、現在保持してる魔力量の割合だ」
何からどう反応すればいいのか。思いっきり椋は困惑した。
当たり前に異世界すぎてどこから突っ込ませてもらえばいいのか分からない。これって採血なのか、いや採血なんだろうけど、それならなんで刺したあとには血がまったく出てないんだ。消毒とかそういうのって、これ多分いろんな人に使いまわしてるよなそれって大丈夫なのか、などなど、などなど。
疑問は尽きないものの、まずは差し出されるものを椋は見た。
見て、まずは説明の通りに、現象を読んでみようと試みる。
「この人は、水色、ですか? 模様はええと、色が薄すぎてどこまでなのかよく見えないな」
「濃度は、魔術に対する反応性を示してる。生きてる人間なら、魔力のあるなし関係なく現れるもんだ」
「生命反応、ってことですか?」
「……そうだね」
椋の言い換えは間違っていないらしい。そしてアルセラの顔色や反応から、これが「ヤバい」らしいことは椋にも見当がつく。標準がまったく分からない椋では、その危険度合いはまったく実感できないが。
模様のあるなしの境界が、分からないくらいの色の薄さ。
目を凝らして何とか境界を探そうとする椋を横目に、アルセラは紙束に一緒に括りつけられていたペンで、さらさらと何かをそこに書きつけていた。おそらく彼女にとってはこの読み取りも「慣れた作業」なんだろう。
そして。
「【快癒と再帰の願いをここへ】」
紙束をサイドテーブルに置いて、胸元に手をかざして彼女は唱える。
ほぼ声が終わると同時に、患者とアルセラの手の間に模様、術式紋が浮かんだ。薄紅色をしたそれは、花びらみたいにふわっと中空から患者に向かって散り、吸収されるみたいに見えなくなっていく。
見えなくなっていくのと反比例して、患者の胸の上がり下がりの回数が少し減ったような感覚がある。
ほうと思わず息をつく椋に、アルセラが言った。
「滋養強壮の術式だ。健康な人間なら一日は健常が維持できるものなんだけど、この「ライタ」にいる患者たちは、一日四回の重ね掛けで、やっとこのままを保ってるような状態だ」
だから点滴も薬も身の回りのいろいろも、何もなくていいのか。
明らかに感心と関心のポイントが違う自覚はあったが、椋は思わずにいられなかった。
だって「重症患者」なのに、目の前の彼には点滴の一本もないのだ。昨日病室に初めて入った時からもう何度も思っているが、ここには誰にもモニターも何もない。怖いくらいに、病室内は本当に静謐そのものなのである。
その静かのうちで、彼、ネオモルトは生きている。原疾患の進行より徐々に衰弱してきてはいるものの、確かにここで今日から明日に命をつないでいる。
アルセラたち治癒職につく人々は、患者の反応を見ながら、きっと魔力の分量なんかも細かく調節して、「滋養強壮」を患者に与えることができるんだろう。回数制限なども、アルセラの口ぶりを聞く限り、ない感じがする。
改めて患者の全身状態管理の面でも、「世界が違う」「基本として使うものが全部違う」ことを実感せざるを得ない。ほんとうに魔術だ。当たり前のように、椋にとってはまったく当たり前にならない不可思議の山積みだ。
全部が消えた後もついじっと患者を見つめてしまう椋を、ややあってアルセラが呼んだ。
「ねえ、リョウ」
「はい」
「あんたは、あんたの世界は、どういう風に患者を見てた?」
「どういう風に……? こういう、経過の長い患者さんをってことですか?」
「ん、まあ、それでいいよ」
「まず、バイタルサイン、脈拍、呼吸数、体温、血圧、あとは酸素の数値……でよかったよな、を見ます。生命徴候って訳すんだったかな。状態の悪い患者さんは、そういう、生命の維持に直結するところにまで異常が出ることが多いから、常に機械を使ってモニタリング、ええと、数値の動きを監視して、急に数値が変化したときには、すぐ複数人が対応できる体制を整えてました」
病院は、とてもうるさい場所だ。
特にICU(集中治療室)や手術室などには、本当に常に様々な音が溢れている。それはモニターの示す心音であり、患者の様子を仔細に観察し互いの情報を交換する医療者の声であり、変化を知らせるアラームの警告音である。
実習もまだの椋は、病棟や手術室には、数えるほどしか足を踏み入れたことがない。それでも短い時間の中で、積み上げられたモニターの数と薬の多さ、内容もさっぱりな点滴の数々に驚いた。ほんとうにこれ全部見るんですか、思わず尋ねた先の先輩は、慣れと努力と勉強と妥協だな、なんて笑っていた。
その少しでもちゃんと理論が分かっていれば、今ここで使えたかもしれない――
今日も、不勉強と無力が全力で椋には歯がゆかった。仕様のない後悔には首を振って、さらに椋はつづける。
「あと、全身状態の維持については、ええと、ヴォーネッタ・ベルパス病の患者さんたちみたいに意識がない人は、自分で食事がとれないですよね。だから、血管に細い管を刺して、固定して、必要なエネルギーとか塩分とか水分の量を計算して、基本的に水に溶かした液体のかたちで、その管を通して補給するんです。でも、どういう風な計算して、どんな組成のどんな点滴を入れればいいのかは、すみません、勉強不足で全然わかりません」
「あー……とりあえず、わからない、はあたしの台詞なわけだけど」
指折り、思いつくまま述べて、最後は結局自分の知識不足に肩を落とす。そんな椋にアルセラが苦笑した。
きっと今度は、アルセラの頭が疑問符だらけになっているんだろう。一番の残念は、今お互いの疑問点をこまかくほどいていく余裕がまったくないことかもしれない。
こんな「違い」を、誰もが当たり前のように受け入れてくれるわけじゃない。
椋の口にする何が、誰をどこでいつ意図せず刺激してしまうかもわからない。
だからこそアルセラは、ほかに誰もいない時間で椋をこの場に導いてくれているのだ。分かっているから、時間は目の前の患者に以外は基本的に使えない。
椋の思考の正しさを示すように、彼女は訊ねてくる。
「それならあんたから見て、この患者はどうだい、リョウ」
今度は椋が診察の番だった。正しさの証明人が誰もいない診察。
何度だって背筋が冷える。震えが収まらない指先に内心で歯噛みしながら、椋は不完全な手を目の前の患者へと伸ばした。ハリを失った皮膚に触れる。
肩を叩き、名前を呼んでみる。胸の上りで見る呼吸はやや遅いように感じる、首に触れ、動脈の拍動を探る。脈は少し、早い、ような、でも、少なくとも「触れる」。
ペンライトを取り出す。少し胸がぞわぞわと騒いだ。
いやでも、今日は、彼女と目は合わなかった。だからやっぱり昨日は。
「……お、そい?」
結果的に、別のことに椋は愕然とすることになった。
まぶたを開けさせてもらっても目は合わない。合わなかった。そして、対光反射が、左右どちらもやや鈍かった。
鳥肌が立った。繰り返す。だが変わらない。一瞬で瞳孔が締まらない。きゅうっと効果音か何かつけられそうな時間が、反射にかかっている。何度やっても、明らかに先ほど見たアルのそれより鈍い。
見なければ。呼吸は、脈は。それ以外の部分は?
気のせいなのか本当なのか、やたら脈が触れにくいのに辟易した。
「もう話しかけてもいいかい」
「……はい」
指先のふるえと、動悸が収まらない。察してくれているのだろう、アルセラの声も心なしか硬く低い。
菫色の瞳は、患者を見据えていた。
「さっきの目の、あれは何を見てたんだい?」
「脳幹、人間が生きていくうえで、かなり重要な機能が集まってる部分に障害が出ていないかどうかを見ていました。暗いところから明るいところに行くと、黒目が小さくなりますよね。あれです」
「それが遅いと言ったのは?」
「発症直後の彼女より、彼のほうが反射が始まるのも、終わるまでにも時間がかかっていたんです」
「……あんたの気のせいじゃなく?」
「アルセラさん、俺とこの方と、比べてくれませんか」
ひとりでとった身体所見は、結局は椋個人の印象と感覚によるものにすぎない。
答える代わり、椋はアルセラにペンライトを差し出す。まッた妙なモン欲しがりやがって、ヘイにいつものごとく笑われたそれは、恐ろしい可能性をいま、椋の前に提示しようとしていた。
険しい表情をした彼女が、目の前に立ち椋に手を伸ばす。指で瞼を押さえられ、光を目に入れられる。
そして続けて、患者へ手が伸ばされる。
一度、二度、三度。照らしては外し、外しては照らし、確かめるように、違うことを願うように、何度も同じ行為が続けられる。
ややあって顔をあげたアルセラは、ひどく厳しい表情で患者を――正確にはその目の奥を睨みつけていた。
「【透星の慧眼、深遠なる天の瞳。この手に彼の者の災厄、異質を暴く力を。示し、白日の下に曝し、すべての禍根を断つ光の標となれ】」
そして彼女はゆっくりと患者へ手をかざす。一言一句を噛み含めるように、実現を願うように、はっきりとした声が魔術を紡ぐ詠唱となる。
かざされた患者の眉間を中心に、複雑怪奇な幾何学模様、術式紋が浮かび上がる。瞬き一つの間で全身に四肢の末端にまで模様は波及し、かざすのとは反対側の手でアルセラが指を鳴らすのと同時、ふわりと淡く、中空に白い光が散る。
合図で放たれたそれらは、何かを探るように術式紋の線の上を流れた。
流れ、流れて何度もめぐり、何の滞りのかけらも見せることなく徐々に光を薄めて、消えた。
「……」
なにも、ない、……なんだろう、きっとこの結果。
彼女が使ったものは何か、それで何をしようとしたのか、わかるからこそ椋は何も口にしかねる。意味が分からない。いや、そもそも「これまで彼女たちが何も見つけられなかった」ところにこんな所見があることがもうわからない。非常に苦く重い沈黙が、二人の間には落ちた。
所見が食い違っている。
すべてが網羅できるはずの魔術は「なにもない」と言い、ヘイが作ったペンライトは、生命活動の鈍化とでも言い換えてしまえかねない所見を、椋たちに呈している。
「……アルセラさん。相当変な質問だと思うんですけど」
だからこそ、いつまでもただ黙って固まっているわけにもいかない。
気持ち悪さしか覚えられないまま、椋は口を開いた。
「なんだい。なんでもいいから言いな」
「呪いの核が、今アルセラさんが使ったみたいな探索とか、検索とか、除去・排除とか。そういう魔術を弾けたり、もしくは検出できないようにする、とかって、できるんですか」
たとえば感染症の原因菌が、新たな物質を産生できるようになることで、構造を変化させることで抗生物質への耐性を獲得するように。
抑制因子を失うことで、あるいは促進因子がそろうことで、正常の細胞からガンが発生してしまうように。
そもそも、目に見えない、具体的な形も取らない。なのに特定の影響を人間に及ぼす「呪い」とは一体何なのだ。「核」と呼ばれるものが「ある」のに、どうしてそれがヴォーネッタ・ベルパス病に限って、誰にも捉えられないんだろう?
椋にはただ、おかしいことしかわからない。
このまま放っておけば、この人が本当に死んでしまうかもしれないことしかわからない。
二人の間に、しばらく沈黙が落ちた。アルセラを見やれば、ひどく難しい表情で眉間にしわを寄せ、口許に手を当てて考え込んでいた。
ようやく返された声も、常よりざらりとして低い。
「そんなことができるなら、今頃とっくに世界の誰も、呪いで喰い合って滅んでるだろう」
「……アルセラさん」
「でも、そうだね。それくらいに訳の分からないことが起きていなければ、きみの言う悪化とその可能性の部位と、僕たちが、まったくそれを今まで描けていないことに説明はつけられないのかもしれない」
「!」
どこか透徹したような諦めたような疲れた声が、二人の間に割って入る。
半ば反射的に振り向いてかち合った視線に、椋は思いっきり目を見開いた。
「フェスさん、いつからそこに」
「微妙に進みはしても、疲れるようなことしかここにはないよ、フェス」
「そうだろうね。おおよそは聞かせてもらった」
肯定とともに、彼は室内に入ってくる。
その眼にはなんとも複雑そうな色が揺れていた。どこから見て、聞かれていても、お互いに話して理解したいことしかないんだろうなと椋は思った。
けれどそんな時間はきっとない。
思考の正解を示すように、フェスは肩を落とした。
「本当に、時間さえ許せば、いくらでもきみには聞きたいことがあるんだけれども」
次に来る言葉を、もう椋は知っていた。
うなずくことも引くことも、どちらもどうしようもなく恐ろしいことが問われるのだ。
「今はこれだけ答えてくれ。……リョウ君、きみには、これを解きうる手立てがあるかい?」




