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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第三節 流転の開放/折翼の少女
148/189

P3-22 論目は冠の上と下 3


 コゥン。

 小さな鐘を叩くような音が、場の空気を瞬間に割った。





「兄上?」


 すい、と、まっすぐ彼へと向かって飛んで来る白い鳥にセルクが手を伸ばす。

 手に止まった瞬間、それはふわりと紙片へと姿を変えた。相も変わらず兄弟仲は非常に良好であるようだ、と、……ただ、その程度を示すためのものではあるはずもない。

 文字列を追うセルクの目は、先へ進むほどに色を失くしていった。

 何の報せか。描かれたものは何か。

 このような場をあえて割る意義のある、しかも決して歓迎すべきではないものであることは、無言と消えてゆく表情から窺い知れた。


「……何が書かれているのだ、セルク」


 この中で最も短気な男、ヴェンが問う。直接の返答の代わりのように、くしゃりと瞬間、セルクは紙片を握りつぶした。あきらかな苛立ちに燃える目を伏せ、ふいと唇を軽く噛む。

 わずかに下げた面をもう一度上げたときには、セルクはただ「王」の貌をしていた。すべての個人の感情を、振り落としていた。

 嘆息するより他にない、この場における、何より明確な不吉の象徴であった。

 彼はぐるりと全員の顔を見渡し、言った。


「悪い知らせだ。本格的に動き出したかもしれない、という、な」

「セルク?」

「そうだ、おまえのあの黒に、これも問おうと思っていたんだ。まさか直接問いを向けるより前に、最も望んでいなかった答えを投げ寄越すとは思いもしなかったが」

「……ほう?」


 ひょいとアノイは眉を上げた。悪い知らせ、本格的に動き出した可能性のあるモノ。幸か不幸か、既に彼にはその問いに心当たりがあった。

 ああそうだ。違和感を抱かない方がおかしい。

 特に伏せるつもりもないアノイは、セルクと同種の笑みを薄っすらと面に刷いた。それを何と思ったか、少しばかり眼光を鋭く研いでセルクが続ける。


「今日、あの病の患者がひとり、姿をくらました。営利目的の誘拐とは考えづらい、下級貴族の三女だったそうだ」


 言って、彼はアノイを睨み上げる。まるで詰問のような調子である。他はわずかの動揺を、瞳の下にうち消して、視線の方向を合わせるようにアノイを見やる。

 わずかに笑いたくなるのをアノイは堪えた。人が、患者が消えた。なるほど。

 なんとも不完全に「今朝」の違和感が一本の線を描いてゆく。ただひとりが見たという「朝の濃霧」、不気味に不快に、ある一定の人間にのみ凝り留まる違和感。さてその意図するものは、望みは、――わからない。

 だからまだ、彼が口を開く段ではない。

 待てば、不吉の言葉はもたらされた。


「またこの失踪の周囲の時間軸は、完全に前後との連続性が断たれているらしい。見えうる範囲の「直前」には確かにそこに変わらずある女は、次には血痕のみをベッド上に残し消え失せるらしい。これは現時点における、エルテルミネ【迷崩し】からの報だ」


 まるで咎めるかのように、セルクの詰問じみた調子はさらに強くなる。もはや不愉快を隠そうともしない男を、ただ静かにアノイは見かえした。

 消えた女には、個人として唯一無二の価値はない。セルクの言い方からして、それは「他と同じ」患者なのだ。あの黒が昨日見つけたような奇異、特質は、おそらく女のうちにはない。

 だが、ほかのどの高位貴族でもなくその女が消えた。削り取られた時間ごと隠し消されるように。見えぬ霧に、ただ「意図」のみ隠す気配もなく奪い取られるように。

 忙しないな本当にリョウ、おまえは。

 アノイは苦笑し、ゆっくりと口を開く。


「ヴェステルマー【時惑の魔霧】」

「!」

「朝の違和感の正体だそうだ。俺のヴァルマス【劔】によればな」


 愕然と目を見開く眼前の五人の視線は、いっそアノイには心地よかった。

 あれほどにあからさまに異常だったのだ。彼らが何も思わず何も動かさなかったとは、アノイはそもそも思っていない。

 誰もが何の前触れもなく、抗えずにただ奪われた。さらにはその「奪われた」という事実すら、徐々に確実に忘却していった。

 曰く、深い深い朝霧が今朝、この離宮を包み込んだという。

 誰もそこにはいなかった、誰の、何の声も姿も、奴は見なかったという。

 それとなく訊ねさせた限り、そのような深白など、奴以外の誰も、欠片も知らないという。

 エルテルミネ【迷崩し】とて、霧の名残のひとしずくすら掬えてはいないだろう。


「そこまで書かれていたんだろう? あいつには、黙っている理由がない」

「……あり得ぬ。無魔にヴェステルマー【時惑の魔霧】が捉えられた例など、過去にない」

「おいおいエン、どうしてあれに常識を求める? ただその通りのものなら、俺が拾い上げた意味もないだろう」


 アノイは笑う、ただ笑う。最後にかれらが笑えなければ、あの男をここまで引き連れてきた意味が何もない。

 どこか疲れたように、メヴィがため息をついた。


「私たちまでもが惑わされるような、ヴェステルマー【時惑の魔霧】を目にし得る無魔の癒士。……確かに、すべて本当なら、あなたの気が変わってもおかしくないような話ではあるわね」

「そうだろう? もしあいつが現れたのがおまえたちの前だったなら、おまえたちもまた、俺と同じことをするはずだ――あいつが現れたのは、先だっての奇病騒ぎの解明者として、だったんだからな」


 知っているだろう、おまえたちは。言外にアノイは告げる。

 あの元凶、彼の都を穢し、人命を奪ったおぞましい禁術「マギルカイトの波紋術式」。発動した呪いはすべてを苛み、最後にはアノイ自らが危急を断ち切ることですべてを消し去った。

 他には何ともやりようがなかった。ゆえに証拠ごと全てが空白になった。はずだった。

 覆したのは、まったく何も知らない黒だった。


 ――この黒いバツ印は一月前にラグメイノ【喰竜】級が現れた地点で、赤、黄色、青、緑の丸はそれぞれ、アイネミア病の症状が重度、中等度、軽度、およびアイネミア病発症のない人間の、魔物が現れたときにいた地点を示してる。


 描かれた無作為の、無情の輪。

 選別などは一切されず、無作為にただ民は贄とされた。呪われたことにも気づけずに、誰にも治すことができない謎の体の不調に、冒されていくだけだった。

 だからこそあいつは歩き出した。その目をひらき、怯える手を伸ばした。

 表立っては何も、あのときのリョウは救えはしなかった。

 救えない代わりに、誰も追えないはずだった、かの病の本質、その呪いの何たるかを暴き出した。


「……あれはまだ、おまいさんの身のうちの虫が起こした話だろ」

「裏でカランセア、ガッツェが消えた。それに、あいつなしでは確実に、無視できない数の俺の民が死んでいた」


 どこか縋りたいように聞こえるデインを否定する。続けて、表には決して出ない事実を口にする。

 ああそうだ、自慢である。俺は止めた、そう伝えるための言葉であった。また、お人好しが過ぎて立ち上がらずにはいられなかった異者が、他のどこでもなくエクストリーに在ったからこそ、アノイが最後のぎりぎりで、すべてをせき止められたのだという事実の提示でもあった。

 病の仕組みを、人を苛む方法をあれは暴いた。暴いたからこそ、暴けたからこそ、だれにもわからなかった「適切な治療方法」を提示した。

 提示された治療は、本格的に発動してしまった呪術の前では姑息にすぎなかった。しかし、それにより「異質に」稼がれた時間によって、アノイは己の国に戻り、手にした光で、瀬戸際ですべてをぶった切った。

 黒が欠ければ、夜明けはなかった。

 アンブルトリアは、さらなる犠牲で膨れ上がった魔物になすすべなく蹂躙されていた。


「……」


 場から言葉が失われた。アノイは目前の誰かからくる言葉をただ待った。

 沈黙はいかほどの間であったか。

 低く唸ったのは、ヴェンだった。


「……貴様はまさか無魔が、「あれ」の切り札となりうるとでも言うつもりか、アノイ」

「可能性としては、十分ありうると俺は思ってる。だから名をやったんだ、ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】。人に、ものに、天に地に、世界のすべてへ未踏の夜明けをもたらす深い闇。見果てぬ、はるかな可能性の名をな」


 まだ、これをリョウに伝える必要はない。

 何を伝えずとも、遅くとも遠からずリョウはその核に触れるだろう。この世界の(くびき)を既に二度も切っている男より、さて、誰がその役目に相応しい?

 世界は、王たちは今、失うことを止められずにいる。

 事実を示すように、この場にあるすべてのひとみはアノイも含めて暗い。


「……妾はテイルトゥマ、サジェンを失うた」

「エン、」

「そちの国ではホーヴォーが潰えたと聞くぞ、ヴェンよ」


 彼女の視線がヴェンを向く。視線は静かに、ただ未来を憂いていた。

 彼は苦虫を食い潰したような顔をした。


「加えてザリギもだ。救済の手を伸ばそうにも、方法が何一つとして判明しておらん」

「どこもやはり同じね。わが国でもアゼ・テリー、ガガグ・ルが失われ、ラ・ナナーが音信不通の状態よ」

「おいらはサトラ、トヴィエだな。先月、おいらの後宮で起きた大火についてもまぁ、おまいらの察しの通りってやつだよ」

「そして今、僕はエルテスと一切の連絡が取れなくなっている。……なにが起こっているんだ? なぜ、モトライネ【重世】の民がこの世界の版図から消されていっているんだ」


 次々に聞きなれぬ名が挙がる。アノイも先ほどふたつ挙げたそれは、理由も分からないままに「なにか」に消えた者たちの名だ。

 世界じゅうで国の別なく、今、異変し消えていこうとするものたちが在る。

 モトライネ【重世】の民と、アノイら人間が呼ぶ種族だ。人間とまったく同等の知性を持ち、人間に比して何らかの能力に突出した者たち。世界を重ねるとの名の通り、ヒトとよく似た姿をとりながら、植物や虫、魚、獣など、多種多様の能力を得て、ほとんどが一生をそれぞれの集落のうちで終える。

 彼らはメルヴェの教義において、大自然より知性を与えられ育まれた、ヒトと似て非なる生命とされている。

 突出した能力を持たぬ代わり、どの方向にも育つことが可能なヒトと、生まれたその時より己というものを定められたモトライネ【重世】の民。互いは互いを決して侵さず、融和の手を取ることこそが泰平への道であると、多くの歴史からも説かれている。

 彼らを殺し血を地を奪えば、その土地は荒廃し腐蝕する。彼らを侵せば、世界が揺らぐ。

 ゆえにかれらとの融和をこそ、誰もが望まねばならない。

 掠奪を願うようないかなる稀少がどれほど彼らの手にあったとしても、その奪取は己の命の終焉と同義なのである。


「奪われるのではなく、侵されるのでもなく、ただ、消えている。……歯がゆくて仕方がないわ」

「フェンリートの先じゃ、モトライネ【重世】どころか国ごと滅び始めてるって話だもんなぁ」


 闇は果て無い。異質に深い。

 この場に集う六人の王は、そして幸か不幸か、その脅威の名を知っていた。消されていく楔、滅びてゆく国。それらの背後に在るもの、終わっていく未来をひとつ描いた人間がいた。

 ひとりの予見の力持つ者が、その一族郎党の命と引き換えに残した予言詩があった。

 その中に書かれた滅びの名を、全てを終焉へと導かんとするものの名を、かれらは知っていた。


「……【幻帝】、か」


 ぼんやりと、何とも誰とも知れぬ名称をセルクが呟く。

 エンが小さく、苦笑した。


「奇怪な名よの、それも。本当に存在するのかすら、未だ、妾には分からぬままよ」

「この場の誰も同じことよ、エン。果たしてそれは概念なのか、それとも具体的な形を持つ「何か」なのか、今の私たちには判別のしようもないものね」

「サヴェンク・ストラの予言詩か。妄言と一蹴できるのなら、それが何よりであったのだがな」

「というかアノイ。そんなもんのために連れ出してきたってんなら、おまい、おいらたちにもよう、さっさとあの黒い兄さん見せてくんなよ。そうやって有用を示してくるってんなら余計にさ。まあ実際にさてどんなもんかはそれこそ今回で見定めるとして、おいらたちがまず何より留意しなきゃあなんないのは、何だ、」


 デインが首をひねる。ちょうど予言詩を知る人間がそろい踏みしている今回だ、確かにさっさと奴の顔見世は終わらせてしまうべきだろう、とアノイは思った。

 それが本人の意思とはまるで関係なく、人や町どころか世界の存亡にかかわってくるかもしれないと言うのだから、尚更だ。

 ならば一番、奴の反応が面白そうな展開は。

 アノイが考え始めたところで、デインの疑念にセルクが応じた。


「まずは三日後、多くの人間が集う場所。警戒すべきは、ひとまずはそこか、今朝現れたのがヴェステルマー【時惑いの魔霧】だと言うならなおさらだ。いつ、何が乱入してこないとも限らない。……ああ、一番危ないのは間違いなく僕だから、君らの何がどうなっても、残念ながら責任は一切取れないからな」

「国賓として妾たちをここまで呼びつけておいて、随分とひどい言い草ではないか、セルク」


 咎めの言葉とは裏腹に、エンの声は笑っている。

 むろんそれぞれの国の王として相対するならば、決して口になどできない台詞だ。しかし今、「かつて仲間であり互いに王たりえることを定めあった者」、かつて滅びたひとつの国の中をともに駆けた人間として存在している今ならば、自国がレニティアスと同様の状況に陥ればほぼ変わらぬ言を互いに吐くだろう。

 だからこそようやくここで、場を閉じて始めてから初めて全員が顔を見合わせ笑った。

 相変わらず状況は互いに最悪。だからこそ誰もが足掻かぬことには、何も得ることは、できはしない。


「その程度は結局俺たちにとって、大したことになるわけはないさ」


 笑い、口にするアノイの言に、全員が同じ顔でうなずく。

 ただその「何か」をセルクが押さえきれなければ、確実にあの黒は嘆くことになるのだろうなと――思考のほんの片隅で、わずか一瞬だけ、アノイは考えた。



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