P3-19 論目は冠の上と下 1
「久しぶりだな」
「おぉ。待ってたぞおアノイ!」
扉が完全に閉じたのを確認して、内なる五人へとアノイはうす笑った。
ここは言葉通り「王の間」であった。今この部屋のうちには、王しか存在していなかった。
即座にどこか間延びした声をよこすのは、シュタインゼルテ連合国の統王デクレステイン、この六名の間ではデインと呼ばれる男である。今日も半端に着崩した衣服はその上等さの鳴りをひそめ、無精ひげにぼさぼさの髪は、にわかには一国の王とは信じられぬほどに庶民的に整わない。
だがこれで、いかな結界をも叩き割り切り通す居合の達人なのである。面倒なほどに頭も切れるのである。ついでに昨日、早速リョウにちょっかいを出してくれてもいるのである。
ちょっかい、というならあと二人ほどいるが。肩をすくめて、次の一名へアノイは目線をずらした。
「どうにも面白くない状況だな、セルク」
五人のうち、もっとも憮然とした表情でティーカップを傾ける男にまずアノイは挨拶する。
フン、と、いかにも不愉快そうに、レニティアス国王セルクレイドは鼻を鳴らした。
「まったくだ。厄介極まりない」
「まあ、感覚としては分からなくもないがな」
「簡単に言ってくれるな。もうおまえだって、他人事では済まさなくしてやったのに」
器用に目の色は不機嫌のまま、セルクは口先で小さく笑った。
今この都には、数多の人種、モノと思惑が混在し連続している。生けるものも生きぬものも、多くのものが瞬時に巡り渡り動いてゆく流動の場である。ただ動かして行くのでさえ危険、障害と隣り合わせのところに落ちる「影」――歓迎する人間など、誰もいない事態になのである。
用意された席に着き、皿から摘み上げた焼き菓子を、ぽいとアノイは無造作に口に放り込んだ。
「ああ、先に言っておくがおまえら。確かに巻き込ませてはやったが、うちの劔は絶対にやらんぞ。あれは俺に、エクストリーにきたものだ。俺のものだ」
そして何を言われるより前に、確実に彼らが突いてくるだろう話題を自分から出した。
少し驚いたように、レニティアスの東に位置する王国フォズテアの女王、メヴィラニア/メヴィが眼鏡の奥の瞳をひらく。
「ヴァルマス【劔】などくだらない、俺には無用の長物だ、なんて嘯いてた過去のあなたはどこに行ったのよ」
「そうだな、変わるもんだな。そもそもあんなモノに、あんまりほいほい簡単にどこかに行かれても困る」
「妾の国の郷土料理を、随分美味そうに当然のように食っておったようじゃが?」
「勝手に気にするのはいいが、あいつはオルヴェスタとはまったく違う場所の人間だぞ、エン」
「ふむ。あらゆる意味で、信憑性がまったくないのぉ」
リョウに今朝運ばせた料理に、オルヴェスタ皇国の郷土料理をまぜさせた女――女皇、いくつ年をとっても十を超す人間には到底見えぬ女エン・コウジャは、鼻を鳴らしてパチンと扇子を閉じた。
その髪と瞳の色は、確かにリョウと同じような黒色である。少し平板な顔のなりも、アノイたちよりは彼に似ている。
だが、ちがう。
何と同じこともない男だと、アノイは既に事実として知ってしまっている。
「この緊急時に、随分と貴様は楽しそうだな、アノイ」
アノイの顔を何と読んでか、唸るように低く、カンザナッテの王ヴェントールヴ/ヴェンが言った。猛禽のような鋭い瞳と鉤鼻、長いあごひげと偉そうな口調も随分と様になってきたと、妙に感慨めいたものをアノイは抱き、つい小さく笑う。
楽しい。そんなことはありえない。
だがやはり奴を連れてきたことで「退屈」とは無縁になったとは、確信している。
昨日と今日だけでも、明白だ。あれは変転を起こす風。連れてきただけで、まだリョウ本人はほとんど何もしていないというのにもう風が変わった、停滞がひび割れた。
新たに顔をのぞかせた面は、正直まったくもって歓迎すべきものではない。が、それでも、何も見えないまま完全なる膠着状態に陥っていた過去よりも、幾分かはましである。
ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】。アノイがこれより先も闇を切り開き続けることを望むならば、決して欠くことのできない、この世界そのものに対する不確定要素。
ただひとりの為政者として凡てを俯瞰し、未来の天変の破片を掴んでいるとき。
異質を、変転の渦を逆巻かせ中心を暴く可能性を、欲するのは自然なことであろう。
そもそもあの男は、ただ呼び寄せて話をするだけでも、価値観が妙なところで違いすぎていて非常に面白いのである。もう一つ違う菓子をまたアノイが口に放ったところで、ふむ、落とすようにセルクが声を発した。
「ラピリシアの焔姫を与えてやるつもりか?」
「何故そう思う」
「おいおい、何故も何もねぇだろアノイ。女があんなにひといきに垢抜ける理由が、おい、ほかになにかあるかよ? 最初に見たときは、さすがのおいらも我が目を疑ったぜ」
デインの言葉を聞きながら、アノイは自分のぶんの紅茶をごくりと飲み下す。
何も考えていない少女のいろを思った。そう、この部屋を閉じさせる前には、全員の目の前で茶を淹れさせ、菓子を持ってこさせた。それなりに好色なこの男はまあいいとして、他の誰も、アノイが望む通りに誰もその変化を否定しえない。
エクストリーの王は薄笑った。
「まあ、そうだな」
戦と、己に流れる血の責務と。ただそれだけにすべてを捧げていた少女が熱を灯した。
それはひどく不恰好で、へたくそな揺らぎである。あとわずかでも間違えば、肝心の相手に厭われてしまいかねないブレと危うさである。もう少し何かないのかと、アノイでなくとも思うほどの稚拙である。
だから彼は息をつく。明確な返答はしない。むろん、この場合の無言は肯定にしかならない。
まあ本格的にそうなれば、面倒なのは確実にカリアよりリョウの方だろう。
何となく思っているアノイではあるが、進むにしても、進まないにしても、外野から敵は闇討ちしつつ眺めている分には面白いので、しばらくは「放置」を決め込む所存である。
この大陸、世界の失われた「集落」どころか、異なる世界から何の理由をもってか落ちてきた黒色。
嘘偽りも真実も、何もかもが、あれには、不足だ。
「何、なの? あれは」
「さてなあ」
「あの経歴の、どこに真実があるのじゃ」
「俺の国であいつがやってきたこと、すべてだな」
「……にわかにはさすがに信じかねるぞ」
「俺が確信してるからな。問題はない」
王たちの言葉にさらに小さく笑う。逆の立場であればアノイとて、まったく同じことを言うだろう。
だが仕方がない。あれは、結局のところこの世界にはあまりに基質から嵌らない。嘘偽りとして通すには、そもそも本人が計略やら顔芸やらに不得手すぎる。さらには嘘と言うにしては、あまりに当然のように艱難辛苦を、あの男は方法として選びすぎている。
あれは、ただの馬鹿なのだ。己の望み以外を目にしたがらない、そのためだけに何の規律も当然のように踏みにじって行く愚者なのだ。
愚かの猪突猛進ゆえに、放つ光が、突破の瞬発力が、誰の何より上回ってしまうことがままある、そういう類いの、異常なのだ。
「ああ、そう、そういえば。それに関しては、セルク、あなたにも尋ねなければならないことがあったわね」
体の線に美しく沿った衣装を身にまとう、細面に柳腰の麗人メヴィが眼鏡の奥で光を強める。
そうだったの、と、開いていた美しい金の扇をパチン、と軽やかにエンが閉じた。
「セルク。貴様がなぜ、エクストリーにのみ情報を流しておるのか、申し開きは何ぞあるのかのう」
す、と細められた双眸は、獲物を捉えた肉食獣にも似た鋭さを宿して立ち上る湯気越しに男を見据える。常人にはおそらく耐え切れぬような、強い光と威圧とを孕んだ視線である。
しかし彼女に名指しで糾弾されたその相手、セルクはただゆるやかに笑む。
「僕には咎められる覚えなど何もないけれど? そもそもあれに関しては、兄上の御友人が、偶然アノイがヴァルマス【劔】とした者の師でもあった。ただそれだけのことだ」
「ほほう? エクストリーへの要請ではないと言い張る気か。アノイ、貴様も何を思って、あの訳の分からん男を気前よくこの国に貸し出した。また色ボケか」
「ま、半分ほどはな」
不意に己へと向いた矛先を、肩をすくめてきわめて軽くアノイは流した。ヴェンはチッとあからさまな舌打ちを一つした。
アノイの言葉に、首をかしげたのはメヴィだった。もうひとつ、眼鏡の奥の双眸がきらりと光る。
「半分? なら、あとの半分は……あなたのヴァルマス【劔】、ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】だったかしら。それを試したいとでも言うの? 随分と危険な賭けに、あっさり大切な剣を放り投げるものね」
「そもそもおいらはよう、アノイ。さっきの話じゃあないがぁさあ、一応信じちゃあいたんだぜ? それこそおまいの治世の間は、おまいはヴァルマス【劔】を歴代とは違って作らないってアレをよう。それがここに来て、おまい、一体どんな心境の変化と、あとは、あの嘘臭くって何にも裏が取れない何もかもは、一体どういうことなんさ」
「おいおい。もうおまえらはセルクじゃなく俺を責めるのか」
苦笑する。デインが一切の配慮なく吐き出す紫煙を吸い込みつつ、その全てを吐き返すようにアノイは息を吐いた。
追及は止まない。
「何を言っている、耄碌したかアノイ、我らが今更かの病に介入を求めたところで、何になる? そもそもこの大陸でも屈指の術師であり治癒の知識および実績を持つ人間が三人揃い踏みした現状に、敢えて起死回生の一打なぞ望み薄の、頭ばかり固い爺婆共を放り込めとでも言う気か」
「僕もそのところについては、君から明確な回答をもらってはいないぞ、アノイ。君は彼なら大丈夫だろうと言った。彼の周囲には、無論彼自身も含めて、発症の可能性がある者しかいないというのに、だ」
渦中、禍のまさに中心、ここグラティアード離宮内の施設の一つでもある治癒宮アンヘルレイズは、多くの治癒職が一度は見学研修を望む、大陸最大の規模を誇る治癒専門施設である。
その第一の理由は、代々のアンヘルレイズの長が、非常に優れた術者であると同時に人格者であり、教育者であり続けてきたからだ。現在の院長、フェイオス・ヴェン・ガイルーティアもまた例外ではない。
彼の名と意志のもと、治癒宮アンヘルレイズには今日も多くの研究と症例、文献が集う。さらには熱意ある多くの術師たちが、祈道士、治癒術師の別もなく治癒というものに対し常に意見を交わし合うことのできる環境が整えられている。
そのような場は現在、この大陸においてアンヘルレイズ以外には存在しない。
なぜならメルヴェ教を国教とする、つまりは神霊術を尊ぶ国が増しているから。「神霊術の劣化」と蔑まれる創生術を使用する治癒術師は、幾分生きにくい世の中になってきているのである。
「ガイルーティア【癒天の導手】に、エクストリーのキュアドヒエル【癒志の燈火】。そんなものたちに真っ向から論戦を挑めるような子には、少なくとも傍目には見えないのだけれどね」
「確かにな」
「なんじゃ、否定せぬかアノイ」
つい笑ってしまうと、怪訝の目をエンに向けられた。
いやいや、そんな不可解はまずあいつに向けるべきだ。思いながらもうひとつアノイは笑う。なにしろそもそも、かれらが「それほど」の人間であり、「それほど」の人間が「わからない」と言い「治せない」と言う、そんな事態の絶望性を、リョウはかけらも理解していないのである。
そしてエクストリーでリョウという個人を知るものは須らく、その「事実」を彼に告げる必要も意味もなにもないと考えている。思考の位相から違っているからこそのヴァルマス【劔】だから。告げたところで彼の動きは、欠片の停止も起こさないであろうから。
集中する眼に首を振る。
「奴の周囲はともかくとして、あいつ以上の適任はいるはずもないだろう。何しろ奴はまったくの無魔だ、ある程度以上の魔力を持つことが発症の絶対条件であるヴォーネッタ・ベルパス病には、罹患するはずがないと本人が言い切った」
ただ事実を連ねる。伏せたところでこの王たちを相手に、いつまでもリョウが隠せるわけもないと確信しているからこそ明かす。
場が凍り付く音が聞こえた。正気かとも目線で問われた。アノイには、一切揺らぐ意味もない。
できるか、問いかけた彼に、おまえって本当に性格悪すぎて最低だなと黒色は口を曲げた。
分かり切ったことを聞くなとも、彼は深い漆黒をまっすぐにアノイへと向けて、言った。
「……アノイ。今、そち、何と言った?」
噛み砕きにくい空白の氷を、エンが割った。
流石と言うべきなのだろう、声、言葉にあからさまな動揺はないが、カップを持ったままの手がわずかに震えているのが見えた。
意味不明を訴える五つの視線に向かい、もう一度同じ言葉をアノイは綴ってみせた。
「奴は無魔だ。無魔にして癒士、本来あり得るはずもない事象を、あいつはうちで現実にしてくれているのさ」
「……おいおい、アノイ、おいらは本気でわけが分からんぞ。どこの無魔がどうやって、治癒魔術を使うなんて言い出すんだ? 魔術の創生から今に至るまで、唯一魔具師が匙を投げた、魔具の作成を不可能としたもの、それが治癒魔術ってもんだろう?」
何を馬鹿なことを、と、一笑に付すことを望みながら誰もそれを形にはできない。何とも形容しがたい凍りかけた空気に、予測の通りの彼らの反応に、アノイはさらに浮かべる笑みを深くする。
そもそもアノイとて、仔細はまだ知らないのだ。本人は無魔と言った。だからなにもできないと思っていた。魔術を使える素振りも一切見せないまま、今までの時間を彼は過ごしてきている。
そこにオレンジ頭のはぐれ魔具師が軽く五、六枚は噛んでいようことは、もう分かり切っていた。だが、敢えて今はまだ、ほぼ一切触れていない。
「癒士」、神霊術、創生術いずれも駆使して、傷病と常に真っ向から相対するものとなる。無魔であるはずの人間が、不可能を可能とするために、助けの手として欲したものとは、そのための条件、あいつが見出したんだろうものとは。
アノイは肘掛に両肘をつき、手を顎の下で組んだ。
「ま、所詮はいつもの俺だ。おまえらが信じようと信じまいと、一向に俺は構わない」
「……」
「だが、あいつの無茶を信じないままならおそらく、いつかの未来の異常は討てんぞ。俺たちがこれから立ち向かわなきゃならないモノは、そういうもんだろ」
「……それこそおまえの言でなければ、即座に一笑に付すところだ。非常に残念極まりないことに、確かに彼は、既に多くの異質を兄上に提示している」
「セルク、そちの目から見ても、か?」
「誰から見てもそうとしか言いようがないだろう。たった一日で「違う」患者を見つけ、呪いを具現化できるものかのように位置づけ、仮説を立てて、何の難しいことでもないかのようにそのすべてを語る。兄上は随分と驚かれ疑問されていたよ」
至極頭が痛そうに、セルクが額に手を当てた。
四人はもはや声もないらしい。可笑しいものだ。内面はあんな小物であるくせに、本当にものは言いようである――分からぬものほど恐ろしいものはない、ということでもあるか。
アノイは笑う。
「あいつの通常運転だぞ、あんなものは。見事なまでに、馬鹿馬鹿しいほど簡単に、俺たちが常識としているものをあいつは片足で蹴破るからな」
「呼ぶ朝が更なる混沌じゃあ世話ぁねえよ、アノイ」
「不透の停滞のうちに、何もかも滅ぼされていくよりはマシだろう?」
しれっとアノイの言い放つ言葉に、五人の王はまた黙り込んだ。敢えて曖昧にぼかした言葉が、一つを示すものでないと知っているからこその重い沈黙が満ちる。
彼らの共有するそれは、非常に重く、決して実現させてはならない「可能性」の破滅だった。
レニティアスだけの話ではない。無論、エクストリーのみに留まる話でもない。
おぞましさの正解を示すように、飛ばされる鳥が、静寂を割って響き渡るまでは、あと少し――。
またお待たせしてしまいました。申し訳ない…!
ゆっくりペースですが更新再開させていただきます。今後もよろしくお願いいたします。




