P3-08 揺れる波の紋 1
「ずいぶん疲れてるみたいね」
「否定しない」
部屋に入るなり苦笑して向けられた言葉に、椋は肩を落としながら答えた。
少しでも何かわからないかと、時間を忘れて必死になっていた椋にストップをかけたのが彼女だった。より正確に言うなら、彼女、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアからの夕食の誘いだった。
もろもろの想定外の結果、なぜか椋は、自分の部屋より先にカリアの部屋に入ることになったのだった。
「……俺の顔、何かついてる?」
入って、促されるまま、カリアと対面する形の席に着く。
その間カリアは、じっと金の瞳で椋を見ていた。楽しそうにも、不思議そうにも、観察しようとしているようにも取れる表情だが言葉だけない。腰かけた瞬間、もっふり沈み込んだ椅子のクッションに若干驚きつつ問いかけると、ぱちりと、長いまつ毛に縁どられた両目が一度瞬きをした。
小さく彼女は首を振る。
「ごめんなさい。何から言おうか何を聞こうか、迷ってしまって」
「迷うくらい、確かにもういろいろあったよな……」
こちらも同じく絶妙な反発度合いの背もたれに体重を預ける。どろっと溶け出すみたいに疲労感が出てきて体の力が抜ける椋に、くすりとカリアは笑った。
今回カリアは「王の護衛」のひとりとして、アノイのレニティアス行きに同道している。
第一位階の人間としてはもうひとり、第七騎士団の団長も一緒らしい。椋は出立前に一度顔を合わせただけだが、無口で真面目そうな、がっしりとした体つきの、武人という形容が非常にしっくりくる壮年男性だった。
勧められるがまま、夕食がはじまる。次々に供されるもののどれも、椋には初めて目にするものばかりだった。
さいころカットされた肉や野菜や果物や魚の、それぞれ味が違うのがおもしろい。少し辛めのドレッシングが一風変わったサラダも、カボチャのポタージュによく似た味のスープもおいしかった。かごいっぱいの、どう考えても二人分じゃない分量のパンが、焼きたてのいい匂いをまき散らして入ってきたりもした。
そして、ああ、護衛といえば。
本日の騒ぎの筆頭だっただろう光景を、椋は改めて思い出した。
「カリアも大変だっただろ? 今日。いきなりアノイ消えるし」
「ええ。でも、空になった執務室を見た瞬間にすごく反省したわ。想定して然るべきだったの。お二方が一切の他人を排して執務室にこもった時点で、陛下が、あなたを見せたがること」
「えぇー……?」
「そっちでは、どんな風になっていたの?」
「それこそある意味、カリアの予想通りなんじゃないか? アノイは透明人間になってたし、セルクレイド陛下は給仕の格好してたよ」
「どうしてなんとなく覚えがあるのかしらね」
「アノイだから?」
「そうかも」
肩をすくめながら、食事を口にしながら、同じく抱く既視感にさらに苦笑を重ねる。
王様が従者に扮して、周囲を驚かせる登場の仕方をする。なぜか既に、二回目の経験の椋である。……そう昔でもないはずなのに、一回目が既にやたら遠い気がした。
王たちは現れ、好き勝手に観察し問いを投げかけ、椋の黒を朝闇と言って去っていった。
最後の非常に意味ありげなアノイの目くばせと含み笑いが、なんとも不穏だった。それこそ、あの一回きりではそんな「異常」は終わらないような気がした。
疲れるから、できるだけやめてもらいたいんだけどなあ。
思うが、絶対に言っても聞いてもらえないであろう。同時に、今ここでこの少女に嘆いたところで、慰めはもらえても、そのヘンテコビッグウェーブを止めるまではできないだろう。だって王様である。上司である。無理である。
考えていて悲しくなってきたので、椋は話題を変えた。
「カリアはえーと、消えたアノイたち探して、それで?」
「もともと予定されていた会合の護衛にあたっていたわ。ただでさえかなり予定が詰まっていたところでさらに陛下が抜けだされたから、陛下の側近たちが調整に四苦八苦してたわね」
「うーわー。カリアは大丈夫だったのか?」
「大丈夫も何も、私はただの護衛だもの。それに、」
何か言いかけて、ふと、目を細めて、なぜかカリアは言葉を止めた。
ただ忙しく面会をこなし挨拶回りをする王様の護衛をしていた「だけ」というには、もう少し、なにかあるような感じがした。
メインの肉料理をふたりがつついていく音だけが、しばらく響いた。
「それに?」
「ううん。なんでもないわ。……それよりリョウは? 明日から、きょうを踏まえて何をするの?」
だが答えは得られず、話題は椋に向けられた。
小首をかしげた、整った顔を見ながら改めて考える。踏まえるべき「きょう」は、指折り数えてあげるだけでも既にイベントが山盛りだった。
招かれた「王立大病院」、治癒宮アンヘルレイズへの道で、発症までの経過が他と異なる新患と遭遇し救急搬送。院長フェイオス・ヴェン・ガイルーティアとの初顔合わせは、この患者の確定診断と同時になった。
ヴォーネッタ・ベルパス病の患者は、現在確定されている例だけで11例になった。その全員が、年若い、将来を嘱望されるレベルの魔術の使い手、強い魔力の持ち主だった。
だが同時に、それ以外には、患者たちにはなにひとつとして共通点がない。
だというのにこの病は、病気の分類としては「呪い」。誰かが、明確な悪意を持って彼あるいは彼女に害をなすための魔術、呪術を使わなければ決して起こりえない疾患だった。
「そう考えると、ちょっと似てるのか」
「え?」
「アイネミア病と、ヴォーネッタ・ベルパス病。無作為に変な方法で人を呪って、普通の方法じゃ治らない病気を起こすってのは、同じだ」
「……そうね。言われてみれば」
金色の目を瞠り、カリアがひとつ瞬きをした。
改めて椋は思い返す。アイネミア病、それは彼にとって、いろいろなものが変わる、最初のきっかけになった奇病の名だ。王国の「敵」たるひとたちによる、王国を人々を絶体絶命の窮地に陥れるための策の中核だったもの。
ならば今回はなんだろう。
病は現国王の即位十五周年という、祝福の一色で塗りつぶされて然るべき場所をときを冒している。じりじりじわじわ侵食して、色を濁している。
考え込む椋に、カリアが言った。
「少なくとも過去の事例では、ランスバルテの狂華術式は、術者が憎んだ全員を苦しませて苦しませて、苦しみぬいた果てに殺すために使われたわ。アンブルトリアの民の命を、オルグヴァル【崩都】級の開花に使うためにばらまかれた、マギルカイトの波紋術式とは目的が違う」
「ああ、そっか、……いや、でも、別に、違うときに違う人間が、同じ理由で同じ魔術使う必要もないよな?」
「ええ。だから、あなたの言うことにも一理あると思う」
過去に全く異なる症状の「異なる病」で人々を恐怖の坩堝に陥れた禁忌の呪術、「ランスバルテの狂華術式」。
呪術の施術者に関しては、現在まで懸命の捜査が続いているがいまだ不明。またこの病は、呪いの特殊性ゆえに、普通の呪いのようには簡単に解けない。
根本的な治療はない。原因が特殊な呪いであることが発見されたのもここ数日のことで、しかもその内容もまた、「良い知らせ」とは言い難いものだった。
目覚めぬ患者たちは、徐々に衰弱してきている。
特に最初期に発見された症例は、ここ数日で急激に状態が悪化しているという。
「あなたは、何をするの?」
「うん、」
もう一度問われ、頷く。動かなければ。一刻でも早く、何かしなければ、何かを起こさなければ。
助けられないかもしれない人がいるという、恐怖がさわりと腕に鳥肌を立てる。何をしても反応しない、確かに声にも痛みにも反応しない患者の、けれど確かに合った気がした目線が椋の頭から離れない。
だから考える。眠ったまま目覚めない、医学用語に置き換えるなら何だ? 意識障害、昏睡、植物状態、とはまた違うか、……それを引き起こす原因になるのは、なんだ?
診察をしながら浮かんだのは、まだ実物はほとんど見たことも触ったこともない、全身の状態を画像で評価すべく開発された機械のことだった。
カリアの問いに、椋は口にする。
「CTが、作れないかと思ってて」
「しぃ、てぃー?」
「CT。正確な名前はなんだったっけな、俺の世界で、特に頭の病気やけがとかのときに、すごく活躍する機械でさ。実際に切ったり穴あけたりしなくても、体の内側がどうなってるのか画像で確認できるんだ」
意識障害を起こす疾患の原因として、鑑別するべきもののひとつに脳血管障害がある。
いわゆる脳梗塞や脳出血など、まとめて「脳卒中」とも言われる病態である。そして現代、これらの診断・治療に際して大きな役割を果たすのが、CT(コンピューター断層撮影法、Computed Tomography)やMRI(磁気共鳴画像、Magnetic Resonance Imaging)を用いた画像検査だ。
特にCTは、「現代日本」では一病院に一台の勢いで設置され使用されているものである。全世界のCTの3分の1が日本にある、なんてことも言われている。が、そもそもレントゲンのレの字もないこの場所では、相当突飛なことを言った自覚は椋にもあった。
予想通り、カリアは困ったように眉を下げる。
「ごめんなさいリョウ、言ってることがわからないわ」
「んーっと、そうだな。ええと、これ、このパン。これさ、中にいろいろ、果物とかナッツが入ってるだろ?」
もうメインディッシュまで終わったのに、まだ余裕で半分以上残っているパンかごからひとつを取り出す。
少しもっちりした生地が、練りこんであるドライフルーツやナッツとも相まって美味しかったパンだ。しかしこの場において一番大事なのは、椋が手にするそのパンの中に、多くのものがランダムに練りこまれていることである。
カリアがうなずいた。
「うん」
「で、あたりまえだけど、パンのどこになにがあるかは、こうやって割ってみなきゃ、外からは分からない。でも一回パン割ったら、もとには戻せないだろ?」
「ええ」
「だからさ、俺は、パンを割らないで、この断面のこの部分にこれ……なんだっけ、ジュエ(干しアンズ)だっけ? があることが分かるようになりたいんだ。もちろん、パンの味もジュエの味も一切変えないで。あと、できるならただ「分かる」だけじゃなくて、もし実際に切ったとしたらこういう断面になるっていう「想定図」も、作れるようにしたいんだよな」
説明の際にはパンを割って見せながら、椋は非常にざっくりとだが説明をする。
頭がどうなってるのか知りたい。診察しながら椋が思ったのはそれだった。神経学的な診察をしながら、頭のどこが障害受けたらこんな風になるんだっけ、ずっと、必死に考えていた。
それこそ「今までの方法では太刀打ちできない」というなら。
誰も作ろうともしなかったものを、今、ここで作れないか試してみるのも、何か少しでも情報が得られないか画策するのも、きっと、悪くないはずだ。
「どうして、そんなものをまず作ろうと思ったの?」
あとは、もう少し言うなら。
それこそ「魔法」なら、可能にできるんじゃないかと椋が思ったことが、ふたつほどあった。問いかけに椋は笑う。
「呪いの核を、見つけ出せないかなー、って、さ」
言いながら、指で先ほどカリアに示したジュエの粒を抉り出してぽいと口に入れる。
椋の知る干しアンズそのままの味が、噛んだ瞬間口の中に広がった。割ったパンは綺麗に真っ二つ、指で無理やり取り出した跡は、無理やりをそのまま示すみたいにいびつに小さく抉れている。
椋の行動を言葉を、カリアはどう見たのだろう。言いづらそうに、知らせてくれようとする。
「……あの、リョウ、呪核っていうのは、」
「ああうん、知ってる。教えてもらった。実際に手に取って見られるようなものじゃないんだろ?」
「分かってるのに、それでもやるの?」
「ヘイとリーさんがどう言うか次第かな。もし、それこそ核それ自体は無理でも、呪いによって体に悪影響を及ぼしてる異常な部分を取り除くことができたら」
もうひとつのイメージは、ガンマナイフだ。様々な理由から手術で摘出するのが困難な腫瘍などに対し、局所的に強い放射線を計画的に当てることで、腫瘍の縮小をはかる技術である。
一番残念なのは、椋が色々言ってみたところで、最終的な可否判定を魔具師ふたりに任せるしかないところであろう。自分で言っていても情けないと、椋は苦笑する。
初日から無茶振りか! なんて、馬鹿にしているのか笑っているのか楽しそうなのかめちゃくちゃな言葉を、すでに二人からはもらってしまっている。改めて詳しいことの相談をしようとすれば、もっと違う「なんだそれは」が、手を変え品を変えて椋に向けられることだろう。
もすっと抉ったパンにかじりついた。だいぶ腹は膨れてきていたが、それでもパンは美味しかった。
何がおかしかったのか、くすりとふいにカリアが笑った。
「リョウ、なんだか生き生きしてるわね」
「……そう、か?」
「うん。だから、無理するな、とは今更言わないわ。それこそ「無理」をさせるために、今回、陛下はあなたのレニティアス行きを決定されたんだしね」
「そ、の言われ方はあんまり嬉しくないな……」
「そうね。……ねえ、でもね、リョウ、無理はしても、あんまり、無茶はしないで。病気の究明も患者の救命ももちろん大事だけど、あなたのからだだって、同じくらい大事でしょう?」
「カリア、」
「言っておかないとすぐあなた、熱中しすぎて倒れそうだから。今のうちに言っておかないとって思って」
にこりともうひとつカリアは笑みを重ねる。妙に押しが強いうえに、おもいっきり正論で何も言えない。
実際に今日も実は、椋はまともに昼食をとっていなかったのである。想定外の出来事が重なったうえ、予想外のお茶の時間でカロリー補給ができたので何とかなってはいたが、数日同じようなことを繰り返せば、まあまず体のどこかに無理が出るだろう。
見透かされたみたいなセリフに、椋は苦笑して頬をかいた。
「わかった。ちゃんと気を付けるよ。……ああでも、っていうか、カリアがある意味一番無理しちゃだめなんだからな。分かってるだろ、カリア、」
「私が、ヴォーネッタ・ベルパス病の発症条件をすべて満たしてる、でしょう?」
もう聞き飽きたとでも言いたげな、軽い調子で彼女は言った。
とん、と、椋に見せるように、拳を胸にあてるしぐさをして、笑う。
「心配しないで。どんな呪核にも、徹されるような下手は打たないわ」




