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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第三節 流転の開放/折翼の少女
130/189

P3-05 羽の音 2



「……ルズの惨劇?」


 それは、護衛していた内側から自国の王の帰還を任されるという、相当に意味不明な事態からしばらく経ったくらいの頃合いだった。

 今は護衛をクレイトーン・オルヴァ一人に交替し、ジュペス・アイオードおよびロウハ・カイゼイのふたりは、別室で少し遅い昼食をとっているところだった。


「ん、やっぱジュったんは知らねぇか。ま、そうだよな」


 頷く話し手はロウハ。大口でかぶりついたパンをろくに咀嚼もせずに飲み込んで続ける。


「むかーしむかし、って枕詞つけるにはまだちっと早すぎる話さ。舞台はちょうど今から二十年前、まだフェイオス院長閣下がフェイオス・アートレスタ・レニティアスで、アルセラ様もアルセラ・フレッテってお名前だったころだ」


 それはひとりの愚かな呪術師が、自身の恋した村娘を手に入れるべく村を呪ったことが発端となり起こった事件。

 部外者の彼は、どれほど恋い焦がれようと娘を手に入れることを許されなかった。恋慕は次第に焦げつき澱み、全く思いのままにならぬ周囲すべての人間への憎悪となっていった。

 恋に想いに狂った男は、よって村にひとつの呪いをかけた。

 一番の災厄は、この男がこと、呪術というものに関しては近来稀に見る鬼才であったことだった。

 男は呪いを「ランスバルテの狂華術式」と名付けた。男が心血どころか魂のほぼすべてまでも注ぎ込んで創り上げた、人々を苦しめ、煩悶恐慌の末に死に至らせる、おそろしく、おぞましい呪いだった。

 次々に罪もない村人の命が奪われる中、彼らをひとりでも救おうと、東奔西走した学生たちがいた。

 最後には呪術師を討伐しすべての終止符を打ったその若者たちの名は、ヨルド・ヘイル、アルセラ・フレッテ、そしてフェイオス・アートレスタ・レニティアス――。


「どうしてそんな話が、大々的な美談にならずに埋もれているんだ?」

「ん、ジュったんごもっとも。大事なのはここからさ。……実はなぁジュったん、お三方は村人の誰もだれひとり救えてないし、その「原因の呪術師」っつぅ人物を実際に討ち果たしてもいないんだわこれが。つまり村は呪いの前になすすべもなく全滅、いまだに村があったとこは、まともな草一つ生えちゃいない荒地のまんま誰もとてもじゃないが手なんざつけられない状態で、とんでもなく空気はよどんで瘴気まみれ、碌でもねえ魔物の巣窟になってるらしい」

「え……?」


 ぴんと指を立てて、いつも通りの糸目で笑ったままとんでもないことをロウハは当たり前のように口にする。

 にわかには理解の追いつかないジュペスに、さらにロウハはつづけた。


「お三方の、目に見える実績はただ一つだけ。その呪い、ランスバルテの狂華術式の有無、および状態を解析するための魔術、テル・ラジュニの光析術式を発見したことだ。いやまぁまだほとんどまともに治癒の経験なんざ実地で積めてなかっただろう学生の時分で、そんなシロモノを自分たちの力で見つけ出したってだけでも相当にすごいことなんだけどな」

「……それで?」

「んんまぁそうねえそれでだな、いやだっておかしいだろジュったん? 前途洋々の若者集う、大陸屈指の学都ニティスベルクで、その若者たちを狙いすまして冒す「呪い」だぜ? しかもニティスベルクには、大陸随一の治癒施設アンヘルレイズがある。大陸各地の治癒者たちが、日々研鑽のために集ってる。そんな場所で、そんな奴らが、なんで呪いだってことがわかって、なのにいつまでも誰も解呪に踏み切れねえのかって、ちょっとでも呪術かじったことあるなら誰だって思うだろ?」


 相変わらずすらすら、長広舌を目の前の少年は並べ立てる。

決して楽しくない情報を聞きながら、ジュペスは彼の上司である黒の青年を思い出していた。違和感を、顔じゅうどころか全身に満たして、けれどなんとかそれを言葉にしないよう唇を引き結んでいる彼の姿を。

 異常な感覚というなら、確かに、ジュペスですら感じた。ただただ静かで凪いだ室内、動かない部屋。一様に無表情を張り付けた人々の眼には、隠しようもない諦念が浮かんでいた。

 死にかけている人がいると聞いた。

 過去、実際に死に瀕したジュペスに、リョウ・ミナセという人物が向けた瞳は、あんな弱弱しく遠くただすべてを傍観するだけのような軟なものではなかった。


「それこそ、通常の方法では判別できないのと同様に、ただ解呪に踏み切ればどうにかなるような簡単な話でもない、ということか。それが、リョウさんが呼ばれたことにもつながっていく、と」

「そういうこったな」


 嘆息とともに吐き出した言葉に、ほしくない肯定が返ってくる。ほかの道なんて知らないように、彼は常にとんでもない道ばかりを進もうとする。

 朝が、未来があることを、示すためにある闇。

 カーゼットの名を授けられた彼らの主は、誰の目にも見える奇跡を求められてこの国に来た。運命を変えることを、ほかの誰もがすでに諦めかけている人々への再起の光を、未来を、朝を、目覚めをもたらすことを、強いられている。

 ぞっとするような無理難題だ。過去はおろか、おそらく現在ですらもあの三人が膝を折る、ほかのどんな術師も解呪できない呪いを、どうやって解けというのか。どう救えというのか。救うことなど、本当にできるのか?

 ああ、これはいいことなんだろうか、悪いことなんだろうか。

 わからないよと言いながら、それでも、前に向かっていく、何かしようとする彼の姿しか浮かばない。ジュペスは苦笑した。


「ジュったん?」

「いや、……リョウさんは、それを知ってるのかな」

「さぁなあ。今、それこそお話の真っ最中かもな。さすがの兄貴でも、これを聞かされちゃあビビるよなあ。あんまり呪いがガチでヤバすぎて、それこそ事件に関する一切が秘匿されてるんだぜ?」

「案外そうでもないかもしれない」

「えぇっ?」

「むしろ、その過去と何が今は同じで違うのかを、細かく聞き出して、また「新しいこと」を見つけ出して、驚かせるんじゃないかな。リョウさんなら」

「マジかよ」

「むしろ、そんな、完全秘匿されているようなものごとの仔細をきみが知ってるってことの方が驚くよ」

「んん? やー褒めてもらえんのは嬉しいけど、だって俺が先にレニティアスに入ってたのはそのためだろ?」


 けろりと笑うロウハの調子は変わらない。なにも、常と変わらずに、飄々と彼は目の前に情報を持ってくる。

 先に入ったと言っても、ジュペスと彼の差はほんの3日程度だ。短時間でどこから何を引き出せば、そのような秘匿されているはずの事項にたどり着くのか。現場に実際にいる人々からすら聞かないような、それこそ今詳らかにされれば、さらに病人の周囲の絶望をあおるだけであろう「過去」、封印されている「事実」なんて。

 普通でないのは、わかりきっている。

 彼がここにいる理由が、ただ「興味」ひとつだけではないだろうことも気づいている。

 ロウハが自ら喉に焼いた刻印がなければ、もっとあからさまに警戒すべき人間であろうとも、ジュペスは思っている。彼がジュペスを知らないように、ジュペスもまたロウハという人物の奥を知らない。その膨大の情報の理由を知らない。知っているというなら、それこそ、人道倫理にもとるような行為は好まない、不可解なまでに中庸な「必要とするどのような立場の相手にも情報を適当量わたす」ことを信条とする人間であることだった。

 ロウハが声を上げる。


「なあジュったん」

「なに?」

「いいのかジュったん、そこまで兄貴に何としても滅私奉公したいどうかさせてくれっ! てなってて」

「どういう意味? 僕が何を思おうと、きみには関係ない話じゃないか」


 ちらっとジュペスの「腕」を見ながら首をかしげるロウハに、わずかにジュペスは眉を顰める。

 この腕が義手であることを知っているロウハは、同時にリョウ・ミナセという人が、ジュペスにとってどれほどに異質な恩人であるのかも知っている。その恩の果てしなさ、リョウという人の性質ゆえの、返し方のわからなさもまた、知っている。

 とても今更に無意味な問いに思えた。

 己が確かに生きる今は、彼が差し出してくれた何一つでも欠ければたやすく消滅していた時間だというのに。


「そーかもだけど、さ。いやでもさすがになぁすっげぇ気になるんだって。兄貴が友達だっていうクレイトーン様はまだ分からなくもねぇんだけどさ、でもさあジュったん、いや、わかるけどさ、そりゃあとんでもねえ恩だとは思うけどさ俺だってさ。そりゃあな。んでもついこないだまでジュったんは、兄貴と知り合いですらなかったんだろ? それにジュったんさ、この国にずっといる気はない、戻らなきゃならない場所があってやらなきゃならないことがあるって、いつ誰に聞かれたって言い切ってたじゃねぇか」


 糸目が少しだけ開く。いつも彼は言葉が長い。まともな息継ぎもなしに、息切れひとつせずよくしゃべる。

 舌を噛むという行為はきっと、彼には無縁のものなのだろう。いつだって声は彼からどこかに向かってつらりと流れる。


「そうだね」


 そして述べられた内容は、またジュペスにとって、事実ではあった。右腕を左腕でぎゅっとつかむ。確実にこれの一件で、ジュペスが成し遂げなければならないことは増えた。

 だが、それが何だという? そもそも先へ向かうこと、それ自体が閉ざされかけたジュペスを彼は救ってくれたのだ。未来への道を、その「異なり」をもって繋いでくれたのだ。

 恩には恩を、命には命を。

 返さねば自分は、自分としての誇りにもとることになる。いつか絶対に戻るその場所で、戻すせぬ時間の過去に後悔することになる――問いの視線に、静かにジュペスは述べた。


「それでも今の僕にとって、正解はこれだ。まずあの人に少しでも報いなければ、僕は、先に進めない。進みたいとも思えない」

「はあぁ、相変わらずのクソ真面目だなあジュったん。いやでもジュったんのそういうとこイイと思うわ俺、融通時々めっちゃ利かねえけどさ!」

「僕が融通が利かないなら、君は柔軟が過ぎて時々信用したくなくなるよ」

「ひぇージュったん、アンブルトリア一の情報屋に向かってその言葉はキッツいぜかわいい顔してこの鬼畜め!」


 言葉に反して、けらけらと楽しくてたまらないようにロウハは笑う。

 くん、と、目下の右手を内側へ小さく握りこむ。掌の感触すらわずかに伝わってくるそれは、自動展開される全体防護の術式の変化形のおかげもあって、実際のジュペスの手である以外の何にも見えない。

 ああ、この男はそれこそ、本当なら、情報がすべて明らかにできるなら即座にすべてに伝えて回るだろう。

 そんなことができるのかと、まことしやかにあちらこちらに情報をまきちらすのだろう。

 誰にも見放された少年が、黒の異質の術によって、腕を代償にもとの通りに願った場所へと再起しまた前へと進む逸話を。オルグヴァル【崩都】級の急襲による王都アンブルトリア崩落の危機の裏、魔物の力へ変えられようとした無辜の民の命を、ただひとり事実を突き止めたうえで奔走し、救って見せた「黒」の青年の話のように。

 ふ、とひとつジュペスが笑ったとき、ドアが開いた。


「お喋りはそのあたりにしておけ、ふたりとも」

「うィっ、クレイトーン様!?」

「楽しそうだな、何話してたんだ?」

「リョウさん」


 ひょいと顔をのぞかせたのは、彼らの先輩と、まさに今ジュペスが考えていたその人だった。

 どれだけの話をどれほどに聞かされたのだろう。少し髪や眉のあたりがくたびれているような気はしたが、やはりその程度だった。必要以上に、何に怖気づくことも立ち止まりたいような様子もなかった。

 むしろ。


「患者さんの診察に行きたいんだ。付き合ってくれるか?」


 進む足は止めない。――止めさせはしない。

 彼がまた起こすのであろう嵐の想像もつかないような色彩と温度とをどこかで感じながら、ジュペスはもちろんです、と一言、頷いた。


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