P3-04 羽の音 1
「……どうしてよ」
何も変わりはしない目の前の光景に、ぽつりと落ちた声があった。
同時に落ちたのは、ふたつの水滴だった。固く結ばれた小さなこぶしは、いずれのものか、どちらものものか、かたかたと、明らかに震えていた。
「まだ足りないっていうの。これでも、こんなに、がんばってるのに」
「キキ、」
それは赤と青の、よく似た顔立ちと揃いの豪奢な衣装を身にまとった少女たちだった。
赤の少女は名をキールクリア、青の少女はリールライラといった。現国王の第五・六子で、齢七つと幼いながら、ずば抜けた治癒魔術の才覚をすでに示している二人であった。
このまま育てば、アンヘルレイズの後継は彼女らであろうとも、既に少なくない者たちが噂するほどの確かの力を持った子たちだった。だが、同時にどこまでも「子」であり、力量はあれどまだ技は足りず、経験も少ない幼子たちだった。
彼女らは既に魔力をほぼ使い果たしていた。このひときわ大きい天蓋には、彼女らのお付きのひとりにして、ふたりが姉のように慕っていた相手が、治らぬ病人として今も目を閉じていた。
おとといも昨日も、今日も。
倒れた当初と比べたくないほどに削げてしまった頬、苦しいほどやせ細ってしまった体躯は、それでもまだ今は確かに命をつないでいた。
「エリザ……」
「エリザぁっ」
力を使い果たした子どもたちは、それでもと彼女の名を呼ぶ。天蓋が音を吸い取り他には届くことはないだろうが、届いたところでそれは同種の悲しみつらみをあおるだけであろう。
二人がすがろうと彼女は応じない。
目は、固く閉ざされたまま、呼び声にも腕をつかんでゆする小さな二人の手のひらにも、決して応じることはないのだ。
「……っ、【光、満ちよ】」
「【ぬくもり、満たせよ】っ」
それは、もはやおまじない。さしたる効能も期待できない、気休め程度の小さなひかり。
それすら二人で力を合わせなければ完成できないような状態で、それでもふたりは涙目でなんとか少しでも「治療」をしようとした。だっておとといよりきのう、きのうより今日のほうがエリザは苦しそうなのだ。厳しく礼儀にうるさいけれど、根っこの部分がとても優しくて暖かい彼女を、ふたりは純粋に慕っていた。実の姉兄よりも、己らと近いがゆえに思慕は深かった。
だからこそ、ふたりもまた無理をしようとした。
しようとして、幼いが故の魔力切れの症状に、ふたりして目を回す。
「……っまけないもん」
おまじないに目を回して、赤と青の小さな頭がベッドに突っ伏していたのはどれほどの時間だっただろうか。
ふたりを懸念する声に、天蓋の外がにわかに騒がしくなり始める。その声にふうとふたりはもう一度目覚め、挫けそうになる互いの心を、手に取るように分かるお互いを、叱咤しあうように赤と青の目で見つめあう。
頷きあう。唇を引き結んで、泣かないのだと、こらえる。
「うん、がんばろう、キキ。負けるわけなんていかないもの。出番なんて、あげない。ここにはリリたちがいるんだから。リリと、キキと、ふたりが、ふたりでみんなをなおすんだから」
幼い夢である。
同時に、その言葉は周囲の大人たちの、ひそりと噂し始めた内容も既に含んで少しだけ黒ずんでいた。
「あたりまえでしょ、キキとリリで、できないことなんて、ないもん」
「うん、……っ」
「リリ!?」
一緒に立ち上がろうとして、しかし青の少女は己の足で立ち上がれずにもう一度床にぺたりと座り込んでしまう。
赤い目を見開くキールクリアに、青のリールライラはわらった。
「だいじょーぶ、……えへ、ちょっと、がんばりすぎちゃった」
それもまた「無理」だと、わからない双子の姉ではなかった。ぎゅうっとかみしめた唇が、血の味がして痛いけれど、それ以上に彼女は今胸が痛い。
リールライラもまた、このところ少しずつ調子を崩しているのだ。
いつも、いつだっていっしょだったのに、いっしょであれたのに。それなのにこの最近、リリが、リリだけが先に疲れて、回復も遅くて、ベッドでねむっている時間が増えていく。
認めたくなくて、彼女は外へと声を張り上げた。
「トーマ、トーマ! キキとリリをはこんで、疲れてしまったの!」
ごめんなさいエリザ、またくるから。
そんな言葉は、胸の中でだけ眠り続ける病人へと二人は伝えた。
呼ばれて天蓋を開いた従者は、疲れ切った少女とやせ細った女とを見比べて、一瞬とても苦しそうな顔をした。
「……承りました、姫様」
かわらない。
事実は、確実に誰もの心身をも苛んでいた。
どこか少し遠くで、猫の鳴き声がかすかに聞こえた。




