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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第三節 流転の開放/折翼の少女
124/189

P3-00 その風は果てない落下、或いは

大変お待たせいたしました。

本編第三節、開始です。



 それは随分と、陰鬱とした停滞の部屋だった。

 まともな灯もつけず月明かりだけで、室内はほの暗く沈むふたつの影を描いていた。向き合って座る互いの顔を、大して見たくもないという至極単純な理由にその暗さは拠っていた。

 ふたりが挟むのは、どちらかが指図するごとに次から次へ映すものを変える一枚の鏡。

 内側はいずれも、暗澹に相応しい塩梅。次々移り変わっていく表情は、どれも似たような絶望と悲劇と災厄と惨状とに、進路も退路をも断たれて一切動けない哀れの無力者のそれだった。

 それだけ、だった。


「……ここまでは良い」


 ふいに一方が口を開いた。静かに、無造作に歌でも紡ぎだすかのようななめらかさと無感情を併せ持った声音だった。

 もう一方は、その音にチッと、不快を隠そうともしない舌打ちをする。一は独言めいた調子を一切変えずに、変えようとするそぶりなど全く見せずに、ただ続けた。

 揺らぐように映り込んだものを眺めながら。


「何が起きた。何が変えられた」


 彼らにとってそれは雑音だった。魔障だった。映る、遷る、滅びない光景。多くの人間が、当然のように全員が生きて今も生活を続ける、不愉快極まりない景色。

 それは異常だった。決してあり得ぬはずの、おそらく人間から見れば「奇蹟」の現在だった。それらは須らく、とうに喰らわれ存在を喰い消されているはずの牙から逃れて今もそこにあった。

 何ゆえに。

 一が目で問えば、二はさらに舌打ちの音を大きくした。


「知るはずないじゃない、ボクが。そもそもあいつが失敗なんてするから、ボクのところにまで波が来ちゃったんだ」

「あれとおまえと、そう大層な差があるとも俺には思えないんだがな」

「はぁ? 何それ、喧嘩売ってんの?」

「くだらないことに時間は使いたくない」

「おまえ、ホント最低」

「そうか。どうでもいい」


 一はただ凪いでいた。本当に目の前に対話する相手がいるのか、声音では誰もが疑うだろう不気味なまでの無動であった。

 二は瞬間に嚇怒を瞳に宿し、しかし次には乱雑に流水に押し流したかのようにころりと声音を変えて鼻先だけで笑った。


「ハッ、あっそう。どうでもいい、ね。ま、そうだよね、別に、ボクがこれを結んじゃえばそれで別に結局はぜんぶなんでもないんだから」


 手のひらが宙にひらめく。再度、鏡の内側の光景は痛苦に歪む者たちの悲哀へと取って代わる。

 これこそが彼らにとって絶対の正解であった。唯一の正答であり、導くことを当然とするものであった。

 まだこの程度では足りるはずもないのだ。望まれるものは多く、対して使役できる駒は未だそう多くはなかった。

 焦る必要はない。二はわらった。

 そもそも目の前のこいつは、いつだって無気力無関心を気取っているくせに、なんだって今回のただふたつの「失態」に関してだけ、こうもやたらに反応を見せるのか。今も大多数は、かれらの思惑通りに動き続けている。導きの糸が切られたものは、未だほんの少数に過ぎない。

 わらった。さらにわらった。

 決して崩しなどさせないと、この自分までも失敗すると確信しているかのようなこの相手を最後嘲り見下してやるのは自分なのだと、確信として空間へ刻みつけようとするかのように唇をつり上げた。


「願い、祈り。……そう、別にいいじゃない、いくらでも」


 鏡の中で光が散る。彼らのひいた線の上、ただ定められた轍を踏み抜いているだけであることになどまるで気がつかない道化の塊が蠢く。

 ああおかしい、本当におかしい。

 そんなのは何もかも無駄なのだ。決して教えてやらないけれど。


「だって、何がどうあがいても、最後は絶対、動かさせない」


 呵々。

 笑いは、どこまでも空虚に一人分だけが響いていた。





 室内は沈鬱だった。

 呼吸すら大きく響きそうなほどに音のないそこには、おおよそ四十がらみの、三人の男女が沈黙していた。

 ひとりは額を手で覆い、ひとりは腕組みをしたまま目を閉じ。

 ひとりは、呼び出してしまったものの名を改めて指先でなぞりながらぽつりと言った。


「耄碌したもんだねえ、あたしたちも」


 その女の名はアルセラ・ヘイル。この街を、都を襲う異常事態に、もっとも心を痛めているひとりだった。

 彼女の夫と、彼女らの古くからの友人はその言に嘆息で同意する。せめて「なにもわからないまま」ならばまだ救われるやもしれぬものを、今日ただひとつだけ明らかにしてしまった事実によって、三人はこれまで以上に、沈みこまざるを得なくなっていた。

 沈み、よどみ、浮上のめどなど一切立たない。

 だからこそ彼女の指先は、淡い影から無理に引き出した朝告げの名をなぞる。


「ひどいもんだ。まったく、なんて為体だ。……あの子は、それでも笑ってくれてしまうのかもしれないけど」


 これが得策と言えないことは、彼女らとて勿論承知していた。

 それでも望まずにはいられなかった。型が分からないと告げる瞳、当然のように異質を告げる声、こちらが改めて見たときには、ひとつ、ふたつまたもうひとつと、新たなものを彼はその手にしている。

 彼女らは笑いたかった。

 鎖されきろうとする中で、それでも光へもがき、足掻き続けようとしていた。


「すまない、ヨルド、アルセラ」

「何言ってる。フェス、おまえが謝るようなことじゃあないだろう」


 フェスと呼ばれた、ふたりの友人――この事態の総括責任者でもある男、フェイオスは呻くように声を出し、顔を覆う。ヨルドは苦笑しながらその背を叩き、アルセラもまた、眉根を寄せて笑いじみた表情を作って見せた。

 ここにいる三人は、この事態に関して最も知識を持ち最も「真実」に近い場所に身を置く人間だった。

 つまるところ彼らが諦めてしまえば、その瞬間に人々は、組織は、町は、国はひとつの呪詛に敗北したも同然となるのであった。


「しっかし、なあ。……よりにもよって、これが出てこなくてもいいだろうに」


 机上に散らばった数多の書類のうちひとつを拾い上げ、パシンとわざとらしいまでの高い音を立ててヨルドは紙を、そこに記されたものを叩く。そこに描かれているのは、彼らがこの数日をかけてようやく導き出すことに成功した「原因」であり、同時に彼らが、朝を告げる黒をこの国この場所に呼ぶに至った理由の最たるものだった。

 遠目には、美しい文様のようにも見えるそれ。

 それは過去、彼ら三人がなすすべなく、無力に膝を屈せざるを得なかった悪夢の図式であった。

 エクストリー、レニティアス、それぞれの国で治癒魔術の第一人者として名をはせ今も研鑽を続ける彼らが、現在も首を横に振らざるを得ない数少ないものが、描き出されておぞましい深紅の色をして三人の目の前に、事実として在った。


「当たらなきゃいいって、思ってたのにねえ」


 苦笑が、さらにまた重なる。ああ、思っていた。願っていた。外れろと強く祈りさえした。

 だが叶わなかった。三人の淡い願いなど当然のような顔で蹴散らして、彼らの理解をゆうに超えるその「呪い」は、病として今現在、患者を蝕んでいるのであった。

 二度とその名は、口にすることなどなかった、はずだった。


「ランスバルテの、狂華術式」


 響きを耳にするだけで、頭の片端が不快にじぐりと痺れるような錯覚がある。

 それは三人にとって苦い記憶しか残ってはいないものの名。捏造された過去の、彼ら以外のすべては完全に封じられ過去に埋もれた、もう二度と使われないはずだったモノが目の前に事象として在るのだ。

 しかも過去彼らが敗北した病とは、全く別の症状をもって。

 解析の完了のその瞬間まで、よもやこれとは、誰も考えてはいなかったのだ、当事者であったはずの/今も当事者であり続けているはずの、彼らですら。


「……まったく」


 深い、深いため息を、最初に吐いたのは誰であったか。

 心ノ臓を深い場所から、ゆるく、ひどく冷たく掴まれたような感覚は確かに錯覚であろうか。


「だが、惨劇を、あんな過去を、もう一度繰り返すわけにはいかない。……繰り返させたり、してはいけない。セルクの治世に、繁栄に、影など、あってはならないんだ」


 すべて振り払うように、フェイオスが言った。

 誓うようにぐっと握り込まれる拳は、わずかに震えている。セルクとは、彼フェイオスの腹違いの弟でありレニティアスの現国王の名である。……ああ、本当にどうして、こんなときに、いや、こんなときだからこそ、なのか。

 国名ではなく「ガイルーティア」の姓を持つ彼を知るふたりは、常の彼らしい言葉に、小さく笑って見せた。


「相変わらずの弟想いだねえ、フェス」

「王座から逃げ出した僕が彼にしてやれることなんて、それくらいしかないしね。……だから、そのためなら、君たちがもっと大切にしてやりたいんだろうその「彼」も、申し訳ないが、使わせてもらう」

「なんだ、今更申し訳なくなったのか。俺たちだって、もうあいつしかないって言ったろ」

「そうだよ。本当に年なんて取るもんじゃないね」


 少しの鋭さを孕んだフェイオスの言葉に、ヨルドとアルセラは揃って肩をすくめる。

 確実に、先へ進むには、過去に囚われてしまうやもしれぬ自分たちだけでは不足である。

 手も足も何も出せなかった、ただ人が死んでいくのを見ていることしかできなかった過去――それを振り払いうるもの、それを考えたときに、二人の頭に浮かんだのは、ひとりの青年の能天気な顔だった。

 朝を告げる闇と、名付けられた黒。

 緊張感の足りない瞳が、俄かに深く、鋭く澄まされておそろしい言葉を紡ぎ始める。つい最近の経験がありありと頭に二人に同時に浮かんで、だからこそ、ふたりは望んだ。

 異色の瞳は「これ」をどう映すのか。どう理解して砕いていくのか、どのように何を辿りめぐり、最後にはその手で何を手繰り寄せ結び付け一本の線とするのか。

 見てみたくなったのだ。自分たちを当たり前のように越していく姿を、目の当たりにしたくなったのだ。なにもできなかった己らの代償のように、未だ若く未熟な彼にひどいことを望んでいる自覚も大いにあった。しかし、どうしようもない。このまま患者を見過ごす理由にも、欠片だってなりはしない。

 嵐を起こしに来い。

 彼への文には、そう最後にふたりは(したた)めた。なんだそれは、どういうことだと、困ったように眉を下げる彼の様子がありありと浮かんで、きっと浮かべた顔が同じだろうことも含めて、ふたりで笑った。

 だが彼女らの表情がどう見えたのか、フェスは苦笑する。


「そこまで大切にしている青年を、いきなりこんなものに相対させて本当にいいのかい」

「いいさ。むしろ、色々と好都合かもしれない」

「彼が、君たちが異者(イシャ)とするものが、エクストリーのモノだと予め主張しておくのに、かい?」

「くだらないこと言ってんじゃないよ、フェス」


 三人は顔を見合わせ、ゆるりとためいきじみて笑う。当然のように無理難題を押し付けられることとなる青年を思い、苦く笑う。

 ただ覚めることのない眠りに沈み、その底から引きずり出してやることのできない患者たちのことをそして改めて思う。

 過去、ひとりとして助けることのできなかった人々と、現在の彼らを、重ねさせることなど決して、あってはならないことなのだ――。

 




 ひとり、星はそこに在るかと問うた。

 その場で戻った答えは、曰く、



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