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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
12/189

P11 未知との遭遇2




 調べものに行った図書館で、出会ったのは押しの強い昼飯泥棒の治癒術師だった。





「……ほんと、なんでこんなことに」

「坊主、いい加減機嫌直せって。あの、さんどいっち、だっけか? あれの代金にはなるくらいの講義はちゃんとしてやるからさ」


 椋が現在座らされているのは、図書館の備え付けの椅子の上ではなかった。

 あれからこの目の前の男、ヨルドに拉致された椋は半強制的に彼の屋敷へと連れてこられてしまったのである。通された部屋は広く清潔で天井が高い上にどこか豪勢で、勧められた椅子にはふかふかのクッションがついていたが、どうにもこうにも椋にはそれらは、ただひたすらに場違い感と居心地の悪さを増長させるものでしかなかった。

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、相変わらずの鷹揚な笑みを浮かべたままおっさん、ヨルドは椋へと言葉を続けてくる。


「なあ坊主。本当にただ、図書館には調べものしに来てただけなのか?」

「さっきからそうだって言ってるでしょう? いい加減しつこいですよ」

「んー、とは言われてもなあ」


 おそらく黙っていればそれなりに、渋く決まったおじさまと呼べそうな外見の彼だが。とかくファーストインプレッションが「変な昼飯泥棒」だったことも大いにあり、向けられる笑顔や視線はどうにも、椋にはうさんくさいものにしか思えなかった。

 おまえは面白いからな、気軽に喋りやすい口調で話していいぞ。馬車の中で機嫌よさげにのたまった彼だが、さすがに自分より一回り年上の人間にあっさりタメ口を聞くのもそれはそれでまた、椋にはためらわれた。敬語が結構にぞんざいになっている時点で、おそらく貴族に対する敬意など椋に欠片もないことは彼にも分かっているのだろうが。

 目の前に座るこのヨルドという男が結構な身分であろうことは、いったいどう連絡をつけたのかあれからすぐにやってきた迎えの車や使用人、むりやり通されたこの屋敷そして部屋を見れば想像がつく。

 しかし生憎だからといって、即座に彼に対してへりくだった態度がとれるほど、椋はこの世界のすべてを迎合してもいないのだった。彼のベースは実態はどうあれ、建前としては人類みな平等の社会である。

 これからどうしたものかと思っていると、再度椋より先に彼の方が口を開いてきた。

 いかにもメイドなエプロンドレスをした女の子が持ってきたお茶に、妙に優雅に口をつけながらもヨルドの視線はきちりと、椋ひとりへと固定されてしまっている。


「おまえさん、見たところどこの貴族のもんでもないだろう? 誰の使いでもないのに、どうしてわざわざ治癒魔術なんて調べてたんだ」

「………」


 問いに沈黙。黙考する。

 調べるために図書館へ行った、自分からそうした理由は勿論きちんと椋にはある。しかしヘイならともかくとしても、この訳の分からない、自分を治癒術師とうそぶくおっさんに事実をそのまま話せる気は正直、まったくしない。

 こちらの手の内を明かさせたいなら、まずそっちから目的を示せ。

 この世界における己の知識の異様さを、知っているからこそのそれは慎重さであった。何しろこの世界の医術は宗教に直結している部分が結構にある、カミサマに対する不敬罪だのなんだのに問われてどこかに捕らえられてしまっては、これから椋がやろうとしている何もかもがまったくできなくなってしまうからだ。

 椋の沈黙をどう取ったか、相変わらずどこか感情の見えない笑みを浮かべたままヨルドは続けてくる。


「もし治癒魔術に興味がある、とくに治癒術師になりたい、ってんなら、俺は諸手を挙げてうちに歓迎してやるんだがねえ」

「はは。…残念ながら無魔(むま)ですよ、俺は」

「ほお? 無魔なのに、治癒魔術についての調べ物なんてしてたってのか」

「別に無魔だからって、魔術それ自体に触れちゃいけないってわけでもないでしょう? 少なくとも俺はそう考えたし、魔術の本だって俺を拒絶しなかった」

「ま、そうだな。おまえさんの言うとおりだ」


 おそらくこんな思考も、この世界の常識からすればまず奇妙なものなのだろうが。

 ざっくり椋の述べる真実に、あっさりとヨルドは肯定を返してきた。椋のような若輩にぞんざいな口調を許していることや、今の奇異へのあっさりした肯定を見ても、どうやらこのヨルドという男はそんなに形式にこだわらない人間であるらしい。…それを示す極端な事例が、あのサンドイッチ泥棒というのは結構に情けない話ではあるが。

 不意に喉のかわきを覚え、用意されたカップへと椋は手を伸ばす。

 きっと茶葉は高級なのだろうが、基本的に紅茶よりコーヒー派な椋にはその味やら香りやらの違いは良く分からなかった。


「だがなあ、そうか、…ふふ、治癒魔術そのものは無魔を拒絶しない、か」


 ぐびぐびとカップの中身を椋が干す間に、やはり妙に楽しげに、それ以外の感情はこちらに見せることはなしに笑ってヨルドは椋を見つめる。

 一体何が悲しくて、どう見ても四十過ぎのおっさんと一対一で向き合わねばならないのだろうか。ついでに言えばこのおっさんは、ただのしがない庶民でしかない椋にいったい何を期待しているのか。

 無論このときの椋の思考に、この世界の識字率や魔術書読解の難解さといったファクターはまったく、意識の端にのぼってすらいなかった。

 学術書レベルの本の意味をきちんと理解できる人間など、勉学に励む権利を持つ貴族であってもそう多くはないことなど彼は、知らなかった。


「…なあ、坊主」

「なんですか」


 二十三にもなって坊主などとは呼ばれたくないのだが、しかし今はそんな些細なことに関する文句を言っている場合でもない。

 胡乱な目で見返した先の、彼の瞳がそのとき不意にすいと、どこか鋭く細められた。


「坊主。心底嫌そうなところをすまないんだが、俺も年なのかねぇ。そろそろ、遠回りするのも面倒になってきてな」

「………」


 再度返すのは沈黙。決して良くはない予感など、もう何度感じているか分からないので無視した。

 たとえば一度はそれから逃げても、自分の存在は他の何でもなく、希少種であるはずの治癒術師、らしいこの男に見つかってしまったのだ。この短時間における彼の言動を見ていても、ここで椋がうまく逃げおおせたところで、彼はどこまでもどこまでも、この感情の見えない笑みとともに自分を追ってくるのだろうと、思った。

 肘掛に両肘をつき、顎の下で手を組んだヨルドが問うてくる。


「おまえ、なんのために調べ物をしてたんだ? もうひとつ、おまえ、どこから来た?」

「………」

「だんまりするなら、俺が当ててやろうか。…坊主、おまえ、この間魔物が出たどっちかに住んでる、もしくは親類かなんかがその場所にいるんだろう」


 静かに、ただ事実を追求する口調で淡々と問われる言葉。

 それは決して椋にとって、予想外ではなく同時に返答にも迷う言葉であった。





 さらにざっくり言うのなら、アイネミア病患者の関係者だろう、と。

 突っ込んでくる目の前の男に、ふっとひとつ椋は息をついた。言葉は結局なにも発しない、このような場において沈黙は肯定にしかならないことなど理解していたが、しかし現在の椋に、他に何かやりようがあるわけでもなかった。

 とっさの言い訳で上っ面を繕おうとしたところで、慣れてもいない椋の嘘など、きっとすぐに珍妙なぼろが出てしまうだろう。

 ただ沈黙したまま真っ直ぐにヨルドの目を見据えて見せれば、ふっと、またどこか楽しげな調子で彼は椋へと笑った。


「あれには俺らも、ほとほと困っててな。正直、何をやっても応急処置にしかならなくて、なぁ?」

「そうだね。教会なんて特に今、誰もかれもが上へ下への大騒ぎさ。…なにせこんな病なんて、今までまったく誰も見たことがなかったからね」

「!」


 椋とヨルド、二人しかいなかったはずの場に唐突に乱入したのは女の人の声だった。

 弾かれるようにしてその場に立ち上がり、声の方へと目線をやった椋とその人物との視線が瞬間、合った。


「ああ坊主、紹介が遅れたが、俺のかみさんのアルセラだ。教会で準神使(じゅんしんし)なんてもんをやってる、祈道士だよ」

「はじめまして、坊や。随分と面白い髪と目の色をしてるんだね」


 奥から続く廊下、開かれたままの扉から現れた彼女はにっこりと笑って見せた。何とも年齢不審に三十にも四十にも見える、妖艶、という形容がまさにぴったりな、重厚な色気をその仕草の一つ一つに醸し出すつややかな美人だった。

 即座にヨルドのすぐ横へと、用意された椅子へと腰かけながら彼女が問うてくる。


「アルセラ・ヘイルだ、あんたの名前は?」

「水瀬椋…リョウ・ミナセです」


 まっすぐじっと見据えられていると、まるで面接か何かのようだった。一つ確実に面接と違うことはと言えば、何が正解で何が不正解か、そもそも何をどうこれから尋ねられる可能性があるのかということも椋には分かりかねている、ということだろうか。

 艶めいた蜂蜜色の髪をふわりと払い、傍らのヨルドへと彼女、アルセラは小首をかしげる。


「それでなんだい、ヨルド? わざわざこの忙しいときにあたしを呼びもどしたのは、このリョウって子のためなのかい?」

「ああ、そうだ。何しろこいつ、無魔だってのに、治癒術師と祈道士、両方の魔術の比較なんてことをやらかそうとしてたからな」

「!」


 さらりとヨルドの口から出たのは、あんまりな方向に椋にとっては予想外な言葉だった。思わず目を見開く、ぞっと背筋に何か冷たいものが走る。

 一体いつから俺は、こいつに見られていたんだ。

 鳴りそうになる奥歯を噛み締めつつ、引きずり出すように椋は言葉を発した。


「おっさん、あんたどこまで俺のストーカーしてたんだ。…そこまで行くと本気で気持ち悪い」

「すまんな。引き込めそうな人間は、逃さないようにしときたいもんでね」

「まったく、あんたはいつもそんな…先月もまた一人、見習いが逃げ出したって聞いたよ? 何をしてるんだかね、この人は」


 本気で椋が気味悪がっているにもかかわらず(思わず丁寧語まで抜けた)、相変わらずにヨルドは飄々とした態度を崩さない。

 そしてそんな旦那に対し、アルセラはどこか呆れ半分、面白半分な顔で笑っていた。どうやら二人の夫婦仲は至極良好なようだ。


「で? 坊や、どうしてあんたはそんなことをしてたんだ」

「………」


 更に言えば良くも悪くも、状況に対する己の切り替えが早いのも夫婦で共通であるらしい。

 彼女の椋を見据える目に、既に先ほどまでの甘さは欠片も残ってはいない。菫色をした双眸に宿るのは、ついこの間までは椋もそれなりの確率で目にしていたもの―――多くの経験と知識とを、己の力で積み重ねてきた人間の持つ、強い光だった。

 しかし治癒術師の旦那と祈道士の奥さんというのは、この世界的に考えればどうなのだろう。

 考えても仕方ないことをぼんやり思いつつ、最早半ばどうにでもなれというような気分で椋は、飾らないただの事実を二人に向かって口にした。


「……治癒術師と祈道士は、何が違うのかって疑問に対する答えを誰もくれなかったから、ですよ」


 空気に落とすようにして、決して大きくはない声で椋が口にした言葉に。

 目前の二人は一斉に、面白そうにひょいとそれぞれの眉を上げた。


「ほお」

「もしそれぞれが扱う術の人体への作用機序が同じなら、わざわざ医術に関連する職を二つに分ける必要なんてないはずだ。でも実際にこの世界に存在する治癒の方法は、ふたつ。治癒術師は凄く少ないとは聞いたけど、でもおっさん、あんたは本当の治癒術師なんでしょう?」


 一度は下げた己の目線を、もう一度彼の方へと椋は引き上げる。琥珀めいた色をしたヨルドの目からは、相変わらず感情を読み取ることができない。

 そしてそのままの表情で、彼は椋の言葉にこくりとひとつ首肯を返してきた。そうだ、と。


「ああ。俺はこの国でも珍しい、生粋の治癒術師ってやつだ。ちなみに俺はおっさんじゃなくてヨルドだ、ヨルド。…ま、だから色々困ってるんだよ俺たちは」


 何せ祈道士が色んな意味で強いもんで、とにかく俺らは肩身が狭くてな。

 ひょうきんめいた口調で言ってはいるが、傍らのアルセラが小さく苦笑するだけなのを見る限り本当に相当、この世界における彼の肩身は狭いのだろう。こんな屋敷が構えられるくらいの貴族であるヨルドでさえそうなのだから、彼より身分が低い人間に至っては推して知るべしである。

 祈道士らが圧倒的な力を保持し、そしてその力の使用により強大な民衆からの支持を得る一方、治癒術師は片隅へと追いやられ、今やよほどの好き者でなければ選ばぬ職などと揶揄されることも少なくないらしい。

 おまえは、なにがしたいんだ。

 椋ひとりだけがこの世界で知る創世主に胸中でごちつつ、現在の己が立てられる限りの仮説を簡略化して彼は目前の二人へ、述べた。


「ふたつがあるのはつまるところ、根本的な方法が二つに分かれているからだと、俺は考えました。アイネミア病が神霊術では治せない理由も、その方法論の違いに基づいてるんじゃないかと俺は思っています」


 一度はよくなったように見えながら、その後すべての症状が増悪して再発する患者たち。

 優しい光も喜ぶ人も、再発に絶望する瞳ももう、ここ数日でいくつもいくつも椋は目にしてきた。何かが違う。治療として間違っている。間違っていることそれ自体は分かるのに、具体的に何が間違っているのか、どうすればいいのかが椋にはそして、分からない。

 淡々と言い切る椋の言葉に、凍りついたようにヨルドとアルセラは身じろぎ一つもせずにしばし沈黙した。

 沈黙の長さが分からなくなってきたころ、ふーっと深く、どこか疲れたような息の音がした。アルセラのものだった。


「……緊張感とは無縁そうな顔して、言うねえ、坊や」

「まったくだ。…そもそもリョウ。おまえ、アイネミア病が神霊術で治せない、なんてこと誰から聞いたんだ?」


 疑念の目線を受ける。おそらく問いかけてくるヨルド自身、彼の言はさきほどの椋の発言それ自体を否定してはいないことは分かっているのだろう。

 治らないと分かっているのに、縋る患者を前にしては、姑息にしかならない療法であっても行わないわけにはいかない―――終わりの見えない医療の恐ろしさに、奇妙にゾクリと、背中が震えた。

 その悪寒を振り払うように小さく首を横に振って、椋はヨルドの疑念への答えを口にする。別に誰に言われたわけでもない、と。


「俺が見てる限り、そうだとしか思えなかったからそう言っただけです。寛解(かんかい)と再発を繰り返しているにしてはサイクルがあまりにも短いし、寛解後の増悪の度合いにしたっておかしい」


 神霊術使用前は運動時の軽い息切れ程度だった患者が、神霊術の使用後数日には顔を真っ青にして、日常動作だけでもめまいを息切れを動悸を起こす。

 これをただの再発と、呼ぶのはおかしいだろうと、思った。


「治癒術師の施術のほうは、術者の絶対数が少なすぎるせいだろうな。俺は聞いたことないから、分からないですけど」


 二人は再度沈黙する。さっきまでとは立場が逆だなと、わずかに椋は笑いたくなった。

 しかしここまで話したのだから、椋の知らないことを知っているはずの彼らにそれを訊ねない手は、なかった。追撃する。


「どうなんですか、ヨルドのおっさん。あんたの治療成績は?」

「………」


 治癒術師の持つ治癒の魔術が、祈道士のそれと異なる作用機序により発動するものであるなら。

 更に重ねられた沈黙ののち、静かに彼から返ってきたのは、椋の仮定を肯定するに足る応答だった。


「……半々、だな。ある程度までの患者は救えるが、重すぎる患者は俺じゃ救えない」

「ヨルド!」

「事実だろう。そっちが頑なに鎖してる事実だが、な」

「……そうですか」


 焦ったように声を上げたアルセラに、どこか仕方なさげにヨルドが首を振る。

 教会は、教会に教義に身を捧げる魔術師たちは須らく人を助けることができる。この世界のほとんどすべての国において、教会が莫大な影響力を持っているのはきっと、それが大きな理由の一つなのだろう。

 しかしそれが少しでも、崩れてしまえばどうなるか。

 想像するのは難くないが、なにかがぐらりと、腹の底でわずかに煮えくりかえるような思いが椋にはした。


「…坊や。あんた、いったいどこで何の勉強をしてきたんだい」


 問いかけてくる二つの目線は、祈道士と治癒術師、この世界では決して椋の手が届かない職に身を置く二人のもの。

 この世界について何も知らない、枠組みとその構成の理論については大雑把に知ってはいてもその詳細をまるで知らない自分を改めて椋は思った。そして知らないままでいれば、椋の知る人間は椋を受け容れてくれた人々は、下手をすれば命を落とす可能性がある。

 進むことはもう、決めたのだ。目立たないことをやめると、決めたのだ。

 自分が進み始めたことを、欲しい問いに対する研究と対処の最前線で動く人たちに見つかってしまったのだから、…もう、椋にやれることなど一つしかあるはずもない。


「それに俺が答える前に、ひとつお願いがあるんです」

「お願い?」


 わずかに怪訝な顔をする二人に、こくりとひとつ首肯を返す。

 自分のできる限りの真面目な表情で顔を引き締め、深々と椋は二人へ向かってその頭を下げた。


「俺に治癒術師と、祈道士の魔術を教えて下さい。…どっちの概論を何度読んでも、俺には書いてあることがほとんど理解できなかったんだ」


 治癒術師の魔術は基本「変化を同化せよ」。

 祈道士における神霊術の基本は「めぐりを理解し賦活せよ」。

 それ以上のことはどこを読んでも、何をどう読み返してみても椋には訳が分からなかった。術式構築のために紡がれる言葉もかなり類似していれば、術式それ自体も非常に似ていた。

 なのに二つはちがう職で、違う作用機序があるようにしか椋には思えない。

 本を当たってだめならば、実際にそれらが使用できる人間に訊ねるしかないだろうという、考えからのそれは言葉だった。


「………」


 真剣そのものである椋に、しかしなぜか彼らは虚を突かれたような表情でまたしても沈黙した。

 またの奇妙な沈黙の後、ふっとアルセラが笑って傍らの夫を見やった。


「ヨルド。あんた本当に、とんでもない拾いものをしてきたもんだね」

「ああ、まったくだ。…分かった坊主。明日から一日交替で、俺とアルセラに一日中ついて回れ」

「!」


 言っとくがどっちも確実に相当にきついぞ、覚悟しとけよ。

 わずかな笑みとともに口にされるヨルドの言葉に、椋は大きく目を見開いた。ふたりの空き時間にでも、少しずつでも教示を乞いその結果何かヒントが得られるようならもうけもの、くらいに考えていたからだ。

 そんな椋の様子がおかしかったのか、笑みをふっと深めてぽすん、とヨルドは椋の頭へその手を置いてくる。


「俺たちの分かる限りのことは、できるだけおまえに教えてやる。…だから坊主。おまえもおまえのその妙な知識とヘンな方向に働く頭の回転を、俺たちに貸してくれ」

「リョウ。あんたの言ってることは正直、あたしたちの教義に照らし合わせて考えたらまるでめちゃくちゃだ。…でもね」


 一度途切れたアルセラの声に、手が乗ったせいで下がっていた視線をまた彼女の方へと椋はあげた。

 菫色のつよい瞳が、ふわりと優しく笑って椋を見据える。


「あんたに言われて、目が覚めた。―――その頭、アイネミア病の解決のためにあたしたちに貸しておくれ」

「いいん、ですか?」

「勿論。女に二言はないよ。…大丈夫、あたしは準神使、メルヴェ教会の中ではこの国で二番目に地位の高い人間だ」


 あんたが何をして何を言ったところで、そう簡単に教会にあんたをつきださせたりはしないよ、と。

 自信あふれる表情で笑う彼女に、つられるようにして小さく椋も、ぎこちなくだがまた、笑った。



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