それは未だ見ぬ光の欠片 1
彼女らがその一団に捕まってしまったのは、王都のさまざまな衣装店にて、あれでもないこれでもないと、自分たちのための制服の、デザインについて見て回っていた三日目のことだった。
半ば強制的に引っ張り込まれた喫茶店にて、彼女ら――ピアとリベルトの二人はいま、「もと」職場の同期や先輩たちにぐるりと、周囲を取り囲まれていたのだった。
「全部の質問にきちんと答えをもらわないうちは、あたしたちはあなたたち二人を離すつもりはないから、そのつもりでね」
にっこり笑いかけてくる、若手祈道士のまとめ役たるカルネリア【詞紡】チアンに返せる言葉もない。
よくよく見知った面子ばかりが、ピアたちの目の前には揃っている。状況に強い既視感を覚えるのは、今ここに来ている面々が、ほぼ全員が先日の、ジュペスを治療中であったときのピア達を訪ねて来たのと同じだからだ。
三人のカルネリア【詞紡】たちが一団をまとめ、率先して言葉を向けてくるところまで同じである。
非常に押しの強い笑顔で、また別のカルネリア【詞紡】ジェイが口を開いた。
「ようやくおまえたちのかかわっていた事案が終わったらしいと聞いた矢先に、今度はおまえたちの配属変更の話だ。しかもおまえたちの配属先は、あの陛下よりヴァルマス【劔】を賜った人間が新設する組織だというじゃないか」
「それは、……はい」
「まあ、その、色々と、本当に、いろいろと」
彼の言葉の「あの」の部分には、それなりの力が入っていた。当然だとふたりも思う、何しろ現国王アノイロクス陛下は、即位してからの七年間、誰一人として彼からヴァルマス【劔】を下賜することがなかった。
ヴァルマス【劔】というのはこのエクストリー王国において、王が「個人」に対して与える、最大級の信頼と、国に対する貢献への感謝の証だ。ひとりの王の治世において、最大五人にしか与えられることを許されぬ、非常に希少、稀有な栄誉でもある。
そしてヴァルマス【劔】を賜ったものに与えられる権利と責務、および付随する財産、利益は、下手な上級貴族すら凌駕するほどの、驚異的とすら形容できるものでもある。王からヴァルマス【劔】とふたつ名を賜るということは、その人物が王に、ひいてはこの国における最重要人物であるということの明示に他ならない。
ましてやこの七年、ひとりの劔を帯びることもなかった王が初めて手にしたのが彼、リョウ・ミナセなのである。
王がその名を挙げるまで、ほとんど誰も存在を知らなかったような庶民が唐突に手にした肩書き。まだ大々的に存在を公にされてはいないものの、既に彼の存在は、王侯貴族のみならず、市井でも話題になりつつあった。
と、そこまで考えたところではたとピアは気づいた。このままこの場で彼女らに拘束されてしまっては、リョウとの約束の時間までに、彼のもとに戻ることができない。
思考は態度や表情にあからさまに出ていたのか、ふと、またひとりのカルネリア【詞紡】エルネッタが笑った。
「あなたたちの上司には、既にあなたたちを借り受ける許可をいただいています。ゆっくりさせてやってほしいと、笑っておいででしたよ」
「え、えっ!?」
「リョウさまが?」
「ずいぶん若くて、それに、気さくでゆるやかな方でいらっしゃるのね。これまで一度もヴァルマス【劔】を下賜されたことのなかった陛下から剣を賜った人物というから、どんな途轍もない方なのかと正直、あの部屋にお邪魔するときは緊張したのだけれど」
「……」
彼女の言葉に唖然とし、ややあって、もはや言葉もないままに、ピアは傍らのリベルトと顔を見合わせ苦笑した。確かに普段からは想像もつかない。治癒に関わる彼を直接目にしない限り、誰にも彼に稀有の剣が与えられた理由は理解できないだろう。
何もしていないときの彼は、少し珍しい色彩を持った、どこか抜けたどこにでも居そうな青年でしかない。
あくまでもリョウの内面と彼を取り巻く事情、そして彼という人間が持つ異質を知らなければ、だが。
「わたしたちは、わたしたちの意思をもって、あの方の下につくことを選びました。終われば戻るという言葉を破ってしまったことに関しては、申し訳なくは思いますが、後悔はしておりません」
「それに俺たちは、あのひとがヴァルマス【劔】、ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】だからあのひとについていこうと思ったわけでもありません。そもそも俺たちが部下にしてくれと言ったら、戻らなくていいのか、約束してたんじゃないのか、もうちょっとちゃんと色々考えろ早まるな、なんて、何度も俺たちに諭してくれてしまうような人ですし」
「そうそう。もう十分考えたとわたしたちが何度言っても、なかなか聞き入れて下さらなかったものね」
痴話げんかのようだったと後でジュペスには笑われた、その時のことを思い出しついピアは笑ってしまった。
一方、目前の友人、先輩たちの疑念はこの程度で消えるはずもない。居並ぶのは、難しい顰め面のままである。
自分たちをカーゼットの局員、第一号および二号にしてほしいと、もう何度言ったときだったろうか、少し沈黙したあとのリョウの、何か決意した表情をふと、彼女は思い出した。
それなら少し聞いてほしい話があると、結論は全部これを聞いてから出してほしいと。
そう前置きして静かに語り出したリョウの話を、その穏やかな声が何となく、ピアの頭には浮かんだ。
「……これでユフェが少しでも何か感じ取ってたりしたら、本当に即、洗脳の類を疑いたくなる言葉ね」
「残念だけど、ほんとうに何にも、ない。くやしい」
「く、悔しいってユフェ、おまえ」
唇を引き結んで首を横に振るのは、ピアと同期の祈道士たちの中でも、呪いと呼ばれ人間に悪影響を与える魔術系統の感知および解除に突出した才能を持つユフェ。いつも無口無表情な彼女が見せる本気で悔しげな表情に、傍らのリベルトは少し引いていた。
無論ピアとて、苦笑するしかない。何がどう残念で悔しいのかというところについては、下手につつくと面倒なことになりそうなので今は放置しておくことを決める。
そもそも彼女一人の言葉を放っておいたところで、ピアたちの目の前に陣取る人の山は減りなどしないのだから。
「そ、れ、で? さっきの言葉だけでまさかごまかせるとは思ってないわよね。あなたたちは一体、何がどうなって戻ってこないのよ」
「あのヴァルマス【劔】とのことも含めて、最初からしっかり聴かせてもらうからな、もちろんな」
決して追及の手を緩めない、少しのごまかしも許さないであろう瞳、瞳、瞳が目の前に並んでいる。この勢いから察するに、本当にある程度話しても何とかなるところくらいまではリョウのことをきちんと話さなければ、あの場に戻るどころかもう一度リョウに会うことすらも危うくなりそうである。
もう一度顔を見合わせて、ピアとリベルトは苦笑し深々とため息を吐いた。
ずいぶん長く、きっと誰にも不可解で、奇妙で常識の枠からはどこまでも外れた話になりそうだった。
俺はね、この国、この世界の人間じゃないんだ。
信じて貰えないかもしれない。何の冗談かと思うかもしれない。
でも本当のことなんだ。だから俺には一切の魔術が使えないし、ふたりが当然だと思ってるようなことも、きっとすごく些細なところで、びっくりするくらいに何も知らない。
俺はこことは違う場所で、どこにでもいる学生だった。イシャになるための学校で、ずっと、勉強をしてたんだ。
俺が今、ここにいるのは、こんな状況になったのは。
俺が、もともと医療者になりたくて、それ以外の何も、そこまで強く考えられなかったからなんだよ――。
ピアとリベルトがまず友人たちに、どこまで事実を事実として理解しているのかの確認から始めたころ。
渦中の二人をその渦の真ん中へと引き込んだ張本人は、威厳も何もあったものではないだらしない体勢で机の上に伸びていた。
その手には昨日ボツにした、二人に依頼したもののデザイン案がある。あちこちにまださまざまな色やら装飾が存在する派手なものが、これでもずいぶんセーブしてくれるようになった結果というのだから頭が痛い。
他の書類処理の煩雑さも含んでややげんなりしながら、傍らの護衛役の少年に椋は声をかけた。
「なぁジュペス」
「はい。お茶ですか?」
「いや、それはさっき淹れてくれたのまだ残ってるよ。いいよ。……なんかさ、そろっそろピア達、もうちょっときらきらしくないデザインをさ、作ってくれないもんかな?」
「僕はむしろ今リョウさんがお持ちのそれ以上に、シンプルな制服というものを知りませんが。リョウさんの正装の案も含めて、間違いなく地味すぎるくらいだと思いますよ」
椋から返る答えなど分かり切っているからだろう。ジュペスの言葉は随分のんびりと、大して気もない風情を漂わせていた。無論その反応の薄さは椋の所業の結果なので、いまいち何も言えない椋である。
なにしろここ五日間ほど、同じような会話をあちこちで繰り返しているのだ。
思わず椋は、深々とため息を吐いた。
「……だって医者はそんなガチャガチャ飾るより、やっぱり白衣かケーシーだと思うわけだよ……」
ちなみにケーシーというのは、半袖でタートルネックの、裾も短い白衣のことである。
確実に通じない言葉も気軽に口にできるのは、ジュペスもまた椋の事情を知っているからだ。案の定、ジュペスの態度はかけらも変わらない。返ってくるのは爽やかな笑顔である。
「残念ながら僕らには、リョウさんの言うけーしいというものがまず分かりませんし、白衣は制服ではありませんし」
「それに祈道士も、カウルペールの治癒術師たちもあのデザイン案よりハデで目立つ感じのモン着てるし、それが位が上の人間なら尚更、だろ? もう何回も言われてるよ」
「まあ、二人もずいぶんやる気のようですから。もう少し期日もありますし、あなたの気の済むまでやらせてあげればいいと僕は思いますよ。僕も、機動性、機能性に重点を置くということ自体には賛成ですし」
代わり映えのない椋の愚痴に、対比するようなジュペス少年の笑顔が眩しい。
爽やかな笑顔にどこか適当な風情を適度に漂わせるという高度な技術は、いったいどこで入手できるものなのだろうか。四捨五入すれば二桁年下のはずの少年を眺めつつ、青空色の目は楽しそうなのでまあいいかと思うことにした椋であった。
そして何となく手にしたままだったデザイン案を、不認可の箱に放る。
箱のうちに落ちた紙面を眺めながら、改めて椋は二人の、カーゼットにおいて第一第二の自分の部下となった少女と少年のことを思った。連想で、つい先ほどこの場所に、椋の前に大勢で押しかけてきたひとたちのことについても一緒に。
ふっと、ついつい笑いが出た。
「しかしさっきのあの一団は、なかなかインパクトあったよな」
「まるでいざ討ち入り、とでも言いだしてしまいそうな風情でしたね。ドアを開いて中に入ってくるまでと、あなたがヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】リョウ・ミナセだと認識した後の表情の落差がまた極端でしたし」
口元に手を当てふふっと思い出し笑いをするジュペスに、気品のようなものを感じるのは椋の気のせいではあるまい。
何しろ少なくとも椋ならば、ふふっどころではなく、今この場でどころかあの瞬間で絶対に吹き出していた。それほどに彼らの緊張感と、椋を椋と認識してからの表情の差が極端だったのだ。
今ごろはピアたちを質問攻めにしているだろう彼女らは、微妙に、何かを大きく勘違いした方向に一生懸命だった。
それこそあの一団の標的であり、全員の最初の剣幕に内心思いきりビビってしまった椋ですら、前後の落差にうっかり笑ってしまう程度には。
「面白がるなよ、ひどいな。俺は地味に結構怖かったんだぞ?」
「それは申し訳ありません。ですが、精神的にも物理的にも、あなたを害しようとする気は感じられませんでしたから」
「あー、まあもともとのあの二人の職場の先輩だったり同期だったりするみたいだから、あっちにとってみれば俺は可愛いあの二人を横取りした憎き奴、だしなあ。しかも俺、何かいきなりぽっと出で経歴も相当にものすごく怪しいし」
主にあの破天荒な王様によって作られてしまった虚像、アノイがでっち上げた椋の「経歴」は、一発で丸ごと信じてくれる人間が果たしてどれほどいるのかと首をかしげたくなるようなレベルなのだ。
「今は滅んだ、ほとんど人の往来がない、独立した辺境にいたとある一族の生き残りで、日がな一日医療のことだけ学んで暮らしていた」。
微妙に間違っていない箇所があったりもするがゆえに、まともにこの世界の人間に説明するのは予想外に、椋にとっては、大変である。
「それこそ俺が二人をただテキトーに選んでたらしこんで使い捨てようみたいなヤなやつだったら、あの子ら、どうするつもりだったんだろう」
思い返すと、どうしても笑ってしまう。「怪しい」「得体の知れない」椋から、「まっとう」なピアとリベルトを守ろうと、同僚や先輩であるらしい少年少女たちは非常に気張っていた。最初は。
それこそ椋がただあの二人を自分に都合のよい駒として顎先で使うような人間だったならば、ピアとリベルトの頭をぶん殴ってでも多少乱暴な強硬手段に訴えてでも、彼女らが元いた場所へ連れ帰ろうとするような気概にあふれていた。最初は。
胡散臭いと、怪しく得体が知れない、意味が分からないと言われるのはある程度はおそらく、今は仕方がない。
今度アノイに会ったとき、多少なりとも文句は言っておいてやろうと思うが無駄だろう。さも楽しげに笑われて、それで終わりになる未来は椋にも見え透いている。
少し冷めたお茶をため息ごと飲み込んだ頃合いで、ジュペスがまた笑って口を開いた。
「今この国に、あなた以上に怪しい人間は他にいませんからね」
「え、いや、ちょっと待てジュペス。そこはまず、形だけでも否定してくれるとこだろ」
「事実は事実です、リョウさん」
「ジュペスが俺に冷たいっ」
「そっりゃぁ兄貴、あんたくらい経歴がどっこまでもものすんごい胡散臭い訳が分からない信用ならない、しかも綴られた経歴を確認証明することも一切まったくさぁっぱり不可能ー、なぁんて人間は、このエクストリー王国中を探してもまずいやしませんよ。あきらめましょうすっぱり男らしく、そこは!」
「そうだな。おおよそはこいつの言うとおりだ」
「な、え、おいこら、ロウハ、クレイ」
気づいたときには自然に会話に入ってきていた二人の声に、思わず椋は目を見開いた。こまごました手続きのため第八騎士団の棟に赴いていたはずの二人は、さも当然のような顔で椋の視線の先にいる。
曰く「下手な護衛など絶対に椋のような人間につけるわけにはいかない」という満場一致の意見より、椋の護衛は、最終的に「第八騎士団所属かつ椋の専属騎士」という二足草鞋なことになったクレイ、ジュペス、ロウハの三人が務めることになった。
新第八騎士団長エネフによれば、この状態はまともな人員をまともな位置、役職に就け終えるまでの一時的な救済措置で、現段階でこの三人に抜けられると冗談抜きに騎士団の運営に響く、らしい。よりにもよって今その三人をうちから抜くか! と、エネフの顔が思いっきり引きつっていたのが印象的だった。
とりあえず俺たちがレニティアスに行くまでには何とかしてくださいと言ったら、非常に遠い目をされたのも記憶に新しい椋である。
「何をどう間違ったとしても、おまえにだけは言われたくない」
「まったくですね」
「うんうん」
「ジュペス、ロウハ。そこどう考えても同意するところじゃないから」
ちくちく苛めてくる三人に、椋は苦笑するしかない。誰も本気でないことが分かり切っているからこその気安い会話は、山積みの書類と向き合い続けなければならない椋の息抜きである。
しかし、ああ、息抜きと言えば。
ぬるくなってきた茶を一口すすって、椋は意識に浮かんだものを口にした。
「ピアとリベルトは今、どういう話をしてるんだろうな」
それはクレイたちにも現況を、伝えようとも思ったがゆえの言葉だった。
予想通りとも言うべきか、すっと、クレイは瞳に俄かに鋭さを宿して目を細める。
「……何か、あったのか」
「ありなしで言うなら、あった。でも大丈夫、少なくともクレイおにいちゃんが出張んなきゃならないような事態は、まず起きないよ。大事なのは、あの二人がどうしたいのかってことだから」
椋の「異端」へさらなる一歩を踏み出そうとするふたりと、その想定外の動きを止めようとする仲間たち。
ふたりがいろいろ考えた結果として元の職場に戻ることを選ぶなら、それはそれで構わないと椋は思っている。なにしろピアもリベルトも、このクレイの妹および弟分なのだ。もしこの場から離れる選択をしたとしても、むやみやたらに椋の事実をあちこち触れ回るような真似はしないだろう。
むしろ戻る方が確実に、二人の未来は「平和」だろうとも椋は思う。
平穏無事が個人の幸せに直結するかどうかはともかく、椋は既に二人の信じる、教義を否定しかねないことを複数回しでかしてしまっているのだから。
むう、とクレイが気難しい縦線を眉間に刻んだ。
「ジュペス、どういうことだ」
「クレイ、なんで俺に聞かないでジュペスに聞く?」
「先ほど、ピアさんとリベルトさんの抜擢に納得できていないお二方の同僚諸氏が、リョウさんから無制限に、お二方と話をする許可をもぎ取って行かれたんです」
「なるほど。確かに外野に何を言われたところで、あの二人には既に今更だろうな」
「ベッタボレっすもんねぇ、ピアさんもリベっちも兄貴にそっりゃもう熱烈に」
「おーい、こらー」
椋をよそにつらっと会話を続けるジュペスとクレイにしても、思いっきり力強くそんなふたりに同意を返しているロウハにしても。
少々悲しみすら覚えるくらいに、椋の扱いがぞんざいである。敬ってほしいわけではないが、別に偉ぶるつもりもないが、おかしい。一応建前的にはこの部屋の中で一番偉いのは椋のはずであるというのに。
確かにジュペスの答えは的確で、対するクレイの言も茶化すロウハもいかにも「らしい」ものだ。
なんとなく腑に落ちない残念なものを、苦笑とともに呼気として椋は吐き出すことになったのだった。




