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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
間奏B Vivace
112/189

 つなぎ結びの細糸は 3




 何がしたい、そのために何を決めなければならない?

 定められた己の動きは、誰を何を指揮下に置いてのものとなるだろう。考えるためにも新しい知識が欲しいと思いつつ、現段階で覚えることが多すぎる椋には、どうにも自分のことにまで手を回す時間がここ最近、さっぱりなかった。

 日々重くなっていく頭で考えるのは、医者とは、いつ、何が起こった時、どう、「なに」のために動くべきものなのだろう、ということ。

 ぼんやりと浮かぶイメージは、ある。しかし臨床的な「相手」とのかかわりは結局「この世界」に放り込まれてからしか持っていない椋には、なにもかも分からないことだらけだった。

 椋自身の抱くイメージ、理想。そんな曖昧な部分から引っ張り出してきた正当性は、椋から見てもどうにも絵空事めいているような気がする。誰にもわけ隔てない、そのひとにとって最善の医療。椋の元いた場所においてすら現実にはできていなかったものを創るための言葉は、もはや笑うしかないくらいに綺麗すぎる。

 実際問題として、本当にそんなことができるのか。ついこの間椋の受けた理不尽のような、絶対的で動かしようもない不平等は果たして、どこまで医療行為全般を制限し、無茶な理論を押し通すための盾となってしまうのだろう。

 そもそも、まずは組織の人数や技術的な問題から言って。

 今のままでは不都合が多発してくるような気がしかしないような、そんな思いが、どうにも――。





 コンコン、と。

 やや控えめに自己主張する音に引き上げられるようにして、椋の目は覚めた。


「……え?」


 半ば反射的に顔を上げ、椋は壁にかけた時計を見やる。上述したようなことを考えつつ椋が自室の机に向かい合い始めてから、優に一時間以上が経っていることを時計の針は示していた。

 しかし目前にある参考資料の山は、机に向かい始めた当初からほとんどと言っていいほど減っていない。思わずがくりと椋は肩を落とす。またついうっかり机で寝てしまっていたらしい。

 関節の鳴る音を聞きつつ首や肩を回しながら、中途半端な睡眠のせいで余計に痛重くなった頭で外の景色を見やる。

 ヘイ宅における椋の部屋は、猫の額な庭と隣接している。部屋に対して妙に大きな外開き式の窓があるのは、その方が便利だからというヘイの言いぶんだ。カーテンも引いていないガラス越しには、すでに時間も時間なので、黒い夜空以外の何があるはずもなかった。

 のだが、この日はいつもとは見える光景が違っていた。

 黒い夜をバックに浮かび上がるのは、室内からの足りない明かりに照らされる人影。そしてその人影のかたちに、椋は確かに見覚えがあった。

 目深にフードをかぶった小柄な目前の相手は、椋と視線が合ったほぼその瞬間にぱっとその場にうつむいてしまう。

 しかし刹那確かに合った瞳の色、そして暗がりにも隠し切れない整った顔の造形は。


「……おいおい」


 もはや何と言っていいやら分からない。一瞬だけ見えた瞳の金色が、非常に混乱しきりと言った様子の表情が椋の見間違いでないのなら、窓の外にいるのは今、いろいろな意味でこの場所にいるのはありえないはずの人物だ。

 果たして彼女は何を誰からどう聞いて、何考えてどう思ってここまで来たのだろうか。

 ゆっくりひとつ息を吐き出すと、椋はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「ん、で?」


 そう広くはない部屋においては、机から窓際までなど三歩で足りる。

 外の人物が確実に「そう」だと分からないことには、窓を開けるわけにもいかない椋は窓越しに外側へと問いかけた。


「こんな時間に何しに来たの。カリア」

「……」


 静かに、聞き方によってはやや淡々と椋は問いかけた。その声を咎めのようなものと取ったらしい彼女はびくりと肩を震わせて、おずおずと顔を上げる。

 椋の顔を見上げてきた視線は、やはり見紛うことなく透明な金色だった。

 思わず椋はもうひとつ息をついた。いつも以上に存在する目線の差もあってか、妙に彼女をいじめているような気分になる。……別にいじめるもなにも、俺、何も悪いことはしてないはずなんだが。


「外、寒くないか? 今窓開けるから、」

「リョウ」


 だからこそ発しようとした当たり障りのない椋の言葉を、カリアのそれが遮る。

 何かを堪えるように胸元で握りしめられた手は、力のこもり具合のせいか外の冷気のせいかいつもに増して白かった。机にあるスタンドの明かりしかない状況下でも、真っ白く浮き上がっているように見える。

 ちゃんとカリアと会うの、ちょっと久しぶりだよな、と椋は思った。

 やや挙動不審に俯きがちに、びくびくしつつ椋の目の前に現在のカリアは立っている。おそらく寒さ以外の理由でもその背は縮こまっており、誰かに怒られる直前の子供のようにも見えた。

 なんだかなあ、と思う。

 これじゃ本当に、こっちが一方的にカリアをいじめてるみたいだよ、と。


「……あ、の」


 しかし何の行動を起こそうにも、まず彼女からの発信がなければ椋にはどうしようもない。というより、する気がない、と言った方が正しいのかもしれない。

 誰でもそうであるように、椋にもまた譲れない、折れない一線というものが存在している。後で考えればどうせ自身の意地張りにばかばかしくなるのだろうことは目に見えているが、器用な人間でない椋にはほかにどうしようもなかった。


「……え、と」


 正直なところを言うならば、椋にはすでに、怒りや憤りといった一過性の昂ぶりの感情はない。

 ジュペスとの出会いから始まった今回一連の事態を通して顧みれば、自分というものがどう扱われうるのか、「一般的」な祈道士がどんなものであるのか、そんな類の勉強になった、とも言えなくはない。決して埋められないことが決定づけられてしまった断絶やら濡れ衣騒動で被った諸々やら、勉強代があまりに高すぎたうえに馬鹿馬鹿しすぎたので、もう二度と同じようなことは御免だと心底から思ってもいるが。

 そんなつまらないものの一部を結果的に作ってくれてしまった、カリアのことを許さない、許したくないと、椋は思っているわけでもない。

 にもかかわらず状況が珍妙なことになったのは、椋がカリアに求めたのが、「友人」としての誠意だったからだった。

 ほかに何も思い浮かばないのなら、ただ謝るだけでも構わない。一言、カリア本人からの自発的な、椋から強いたわけではない言葉がきちんと欲しかった。

 まあその「謝罪」の核となる事件、ヘイとリーとニースの騒動に関しては、そこにカリア自身の意思が介入していなかったからこそ、彼女もまた落としどころが分からなくなっているのかもしれない、とも椋は思っていた。

 なにしろニースは、カリア命なのだ。どうせ彼女が何をどう(たしな)めてみたところで、そして椋が、あるいはほかの誰が何を約束させたところで。それが最終的に彼女の利益となるなら平然とまた、絶対に同じようなことをしでかしてみせる。

 どうせなら土下座していたあの背中を、一発くらいは蹴り飛ばしておくべきだったのかもしれない。今更考えても確実に遅すぎることをふと椋は思った。

 しかしまあ、何ともそれも、面倒だというかどうしても理解できない、というか。

 などなど椋が黙考していた時間は、果たしてどれくらいのものであったろう。


「……おこって、ないの?」


 二人の間に横たわっていた沈黙を破り、恐る恐るといったていで、カリアが口を開いた。

 上目づかいに、窓越しに見上げられる。別に本人は計算しているつもりなどかけらもないのだろうが、結果的に若干あざといアングルである。

 なので椋は、あえて少しつっけんどんに手短に彼女へ言葉を返した。


「何を?」


 椋自身もやや驚いてしまうほど、結果的に妙に冷たい声が彼女へ向いた。

 これ以上沈黙という手をとることができないカリアは、しどろもどろになりつつ椋にまた応じてくる。


「なにって、……だって、私、色々、……本当に、何から、どう謝ればいいのかわからなくなるくらい、いろいろ」

「んー。そりゃあ多少ならず俺も怒ってるよ? 主にはカリアが何も言ってこなかったところに関してとかさ」

「っ!」


 敢えて笑顔で言ってみる。彼女へ向ける言葉は裏を返せば、とりあえず、理由はどうあれカリアからこちらに出向いてきてくれた現在の状態は椋にとっては「決して悪くない」ということでもある。

 が、ただでさえ余裕のなさそうなカリアにはそんな部分を読み取る余裕などなかった。細い肩が跳ねる。ぎゅっと秀麗な眉が寄った。


「っあ、あの、……それ、はっ」

「というかカリア、部下心配させちゃだめだろ。上司なのに。……いや、カリアの場合は主、なのか? まあどっちでも同じことか」


 妙に調子が平板になるのは、椋自身が思っていたよりも今回のことが面倒だった、早く終わればいいのにと思っていた、ということなのだろうか。

 あるいは単純に目の前の少女を、いじめるのを少し面白くも思ってしまっているだけなのかもしれない。いつもは椋の圧倒的知識認識不足のせいで、誰かに椋が諌められることのほうが圧倒的に多いのだから尚更だ。

 俺、そんなに性格悪い奴だったっけ?

 思ってもみる椋であるが、真面目一本気で妙なところで非常に他人との関係がへたくそらしいカリアを見ていると、まあそれも仕方ないかとやや勝手に思ってもしまう椋なのであった。困り切って沈黙するしかなくなっているさまは、妙に年相応に幼い。

 結果的にわずかに落ちた沈黙を、破ったのは窓の外で鳴った少し強い風の音だった。

 ふるりと反射的に体を震わせたカリアの様子に、椋は苦笑する。初夏とはいえまだ夜は冷えるのに、薄着のままで家を飛び出してきてしまったようだ。

 窓の外の少女へ、椋は口を開く。


「とりあえずそこ一回どいて、カリア。カリアに風邪とかひかせたら、それこそ今度は俺がニースさんたちに土下座しないといけなくなる」

「え、」


 金色の目をわずかに、カリアが見開く。周囲に既に明かりもほぼない、こんな夜更けに彼女を招き入れるという行為もまた、それはそれで相当に問題があるような気がするが。

 ほかに方法もないのだから、仕方がない。そもそもここまで色々なことにビビりまくっている少女に対して、敢えて椋は今ここで、何をしようとする気にもならなかった。それだけ窓の外から注がれるカリアの視線は、椋の一挙手一投足に対して過敏なまでの反応を返してくれてしまっているのである。

 椋の言葉に戸惑いながらも、カリアが窓際から少し後ろへ下がった。

 ヘイが施したやけに解除の面倒なカギを外し、外開き式の窓を椋は開いた。瞬間内側へ入り込んでくる夜気の冷たさに身震いしつつ、すいと軽い仕草で彼女に向かって首をしゃくってみせる。


「狭いし散らかってるけど。どうぞ」

「……」

「そのままじゃ、本当に風邪ひくよ。ほら、遠慮しない」

「っ!」


 動かないだんまりの子どもには、ある程度こちらから強引にいくしかない。

 こんな夜更けに、彼女のような相手を自分の部屋に引き込むことの微妙さも無論椋は考えた。が、このままカリアに風邪を引かせた場合の方が、確実に後々が色々と非常に恐ろしい。

 開いた窓から身を乗り出し、手を伸ばす。掴んで引き寄せた彼女の腕は細く、しかし人知れずにも鍛えているのだろうことが分かるかたさがあった。

 今度こそ限界まで目を見開き椋を見上げたカリアの様子に、さすがに胸中もやっとするものも覚える。が今はそれには敢えて無視をして、抵抗を諦めたらしいカリアの腕を引いて室内に引っ張り上げた。

 完全にカリアも室内に入ったことを確認して、窓を閉める。開いていたのは少しの間だけだったが、室内に入り込んできた夜気は冷たかった。

 所在なさげに縮こまっているカリアへ、椋は言葉を放る。


「何か温まるもん淹れてくるから、ちょっと待ってて」

「……うん」


 彼女を慮っているような台詞はその実、椋に考える時間を稼がせるための術でもある。

 まあなんにせよ、このまま話に入ってしまうよりはお互いにましだろう。部屋の端で小さくなっているカリアの様子に苦笑しつつ、椋は一度自分の部屋から出たのだった。




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