P2-63 終劇の先に
彼の手による死を望んだのは、決して彼には、そんなことができるはずがないと知っているからこそだった。
短い期間で見た彼は、常にどこまでもがむしゃらだった。愚かだった。考えなしだった。無知だった。
驚くほど無謀で、危なっかしかった。しかし、だからこそ彼の黒い目には、確かな異なりを見出すことができていたのだろうことも分かっていた。
そう。どこまでも彼は結局は異常だった。
同時に私の完全な死など、決してこの国では有り得ないことを私は、知っていた。
はず、だった。
レジュナリア【傀儡師】が望んだ死に異者がひとつ頷いた、その後の話は簡単にしよう。
結論から言ってしまうならば、彼がもたらしたのはやはり、死ではなく生きるための道だった。彼がこの国の王へ持ちかけた案は、「執行猶予」という何とも異様なものが付随した死刑、というものだった。
執行猶予は、まずは一年、と彼は言った。
執行猶予を伸ばす条件は、その間にレジュナ【傀儡】とは違う、まったく別の技術の活用法を生み出すことだ、とも。
「……おかしなことになったな、本当に」
思わず笑ってしまいながら、自身の左手首に溶接された銀色の腕輪を眺める。
細かな装飾と彫金の施されたそれは、一見するとただの装飾具にしか見えない。無論これは拘束具であり、私を極力安全に、この国にしばりつけておくための数々の、相当に強力な魔術がこの腕輪には刻まれている。
そろそろ三十年に近い人生の中で、拘束を受けたことも一度や二度ではなかった。
しかし拘束の条件が現在のそれと真逆であったがために、結局はその「拘束」は私にとって大した意味をなさなかった。いかなる規制状況下でも、人形にある程度の細工さえ施してしまえば、他者にそれが分かるはずもなかった。
だが、今。この手はもう、決してレジュナ【傀儡】を造れない。
手や足、頭や胴体といった各部位を造ることはできても、それらを接合し統合するための作業をすることがこの拘束具の規定する「禁忌」に当たるからだ。
「……」
目の前にある壊れた義手に、各部の微細な調整をしながらふと苦笑してしまう。
リョウ君に乞われるまま創った義手を渡した少年、ジュペス君は、この義手を用いて傀儡と戦い、ひどい傷の代償に勝利を収めたと聞いた。自分の創作物が同じく自分の創作物を壊すという奇怪な事態は、本当に何とも奇怪に愉快だった。
いっそすがすがしいほどに、レジュナ【傀儡】に関しては壊されたことへの喜びしか私には沸いては来ない。もう決してあんなものを造ることが許されない、結構な数の「事態」を想定した上での条件付けの数々に、ひどく身勝手に肩の荷が下りたような気がしていた。
だからこそ私は改めて思う。本当にここ最近はただ、惰性で生きていただけだったのだな、と。
逃げようと思いさえすれば、逃げることはいつでも、できた。それぞれの国で私がいた場所において、最も強い人物をレジュナ【傀儡】で模してしまいさえすれば、あとはもう簡単だった。
逃亡のための道程に、存在する種々の障害物を、淡々とニセモノで滅してゆくだけの簡単な作業だった。
さらに言うならこの身の責任、自身の背負ったものを放棄することも別に、そう難しいことではなかった。
なぜなら死ねば、よかったからだ。誰かに殺されればよかったからだ。
レジュナリア【傀儡師】を傀儡の造主となす刺青は、たやすく他者へと「移す」ことができる。生前は刺青の保持者の意思により、刺青持つ者の死後は、その意味を知るものであれば誰にでも簡単に移るものなのだ。
しかも面倒なことに、死後の刺青は骸がどれほどに風化しようともその場にいつまでも残る。
私が非常に生ぬるい、甘いという一言では到底済まない軽過ぎる処遇を今回受けることができた原因もそこにあった。この国においてだけでも数名の人間を間接的に殺し、王都を混乱に陥れかけたというのに、だ。
この国エクストリー王国には既に、レジュナリア【傀儡師】の刺青を消す方法が存在していない。
世間一般的には五十余年も前に「絶滅」したとされているレジュナリア【傀儡師】を完全に潰すための方法など、既に教会本部に存在しているか否か、といったところだろうとこの国の王はあのとき、言っていた。
「……オイ。なに笑ってやがンだテメエは」
それだけ手許に集中していたということか。いつの間やら作業場から出てきていたヘイが、半眼でぎろりとこちらを睨みつけてくる。ひょいとその視線に肩をすくめて応じれば、やれやれとばかりに大きくため息を吐かれた。
私のようなまったく欲のない、何を望もうともしなかったレジュナリア【傀儡師】より、世間一般の言うレジュナリア【傀儡師】に近い人間などこの世に腐るほどいる。
貪欲に金銭を望み人へそして国へ世界へ禍風を運ぶことを望み、多数の不幸を酒の肴に人生を享楽で満たそうとするような人間。そんな人物であったならば、ある意味ではもっと「有意義」にこの刺青を使用し、レジュナ【傀儡】を創造し続けられたことだろう。
ただ私自身が別に、それを望もうともしなかった、望むような意思も消え失せていた。
かといってこの技を、今更誰とも知れぬモノへと引きずり下ろすのも絶対に嫌だった。既に何百何千の人間を結果的に陥れたか知れないこの呪われた技術を、何千何万という単位の悲嘆、絶望にさらに波及させることはしたくなかった。
ひどくちっぽけでつまらない、それが私のある意味最後の意地、のような、ものだった。おそらくは。
「考えていただけだよ」
「何を」
「色々と。……そうだな、たとえば」
とうに冷めきった茶で少し喉を潤してから、ヘイのいる方向とはほぼ逆へと視線を向ける。
この家においては、玄関に当たる方向だ。そして視線をやる先には、大柄な人影がばったりとその場で倒れこんでいる。
ほとんどぴくりとも動かないその影に、思わず笑ってしまいながら私は続けた。
「そろそろベッドに移さないと、彼も風邪を引くかもしれない、とかな」
「……まァた今日も玄関で死んでやがる」
私の言葉に、さらに不機嫌そうな声をヘイはあげた。本当に死体にも見えかねない勢いで、玄関先で爆睡しているのは勿論、リョウ君。返そうにも絶対に返しきれるはずもない恩を私が受けてしまった青年である。
私というものさえいなければ、負わずともよかったのであろう多くのものを、現在の彼はいっぱいに抱えている。
そんな条件をつけるのであれば余計に、あれの目付役は確実におまえしかできるはずがない。さらに言うならまた今回のようなことがいつ起きるとも分からない、ただの平民として彼が扱われることで、いつどこで何が起こるかも既に予測がつかないようなことになってきている。
だからこの国にまだ存在し続けるつもりがあるなら、前回そして今回のことについての褒章を受け取れ。
権威と権利を自分の盾に、義務と責任を武器にして、異者としてこれからも、この国のために在ってほしい――。
「仮にも一国の王に、あそこまで言わせたからな。リョウ君は」
「だからって、ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】ねェ。……まァそう遠くねェウチに、こういうことになンだろうとは思っちゃいたけどよ」
ひとつやれやれと息を吐きつつ、がりがりと面倒くさげにヘイは乱暴に頭をかいた。
ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】。それが今回のことを受け、あの王がリョウ君へ与えた二つ名であり、「国の中枢へ関わるもの」としてのリョウ君の在り方と権力を示したものだった。
この国のものでない私には詳細は分からないが、王より「劔」の名を受けることは、王の腹心の証明であり、それ相応の地位と権力が確約されるも同然の、一代に何度あるか数えるくらいに珍しいことであるらしい。これはリョウ君の友人であるクレイ君が教えてくれたことだが、正直私もヘイも、当然リョウ君もその重大さがいまいち理解できず、三人して首をかしげてしまった。
しかしまあその「異常さ」の事実をリョウ君は、今その身をもって感じざるを得なくなっている。
「それだけ忙しいんだろう。申し訳なくなってくるな」
完全な屍の様相を呈している背中に、苦笑する。
現在のリョウ君は、「カーゼット」と呼ぶひとつの組織を立ち上げ軌道に乗せるために東奔西走している真っ最中だ。治癒に関する才能がある若手のうち、リョウ君の「異端」を端から拒絶しない、好奇心と真理の追究の志を持つものたちを祈道士・治癒術師からそれぞれ若干名抜擢し、国王直属の治癒特化組織「カーゼット」とする――その命が最初に彼に下った時には、もはやどう反応してよいのかわからなかったのだろう、完全にリョウ君は真っ白になってしまっていた。
しかしその後のあわただしい多くの会合も含め、結果的に彼はひとつの組織の若き長として動き始めようとしている。
そしてさらに言うならば、その組織「カーゼット」の中には、魔具師という名目で私とヘイの名も入れられてしまっていた。また祈道士からはピアとリベルトのふたりも入っているうえ、有事には組織の護衛として、真っ先にクレイ君とジュペス君のふたりの騎士――今回の活躍より、ジュペス君は正騎士に昇格したらしい――の名が挙がるそうだ。
加えて今回の事件の事後処理などもあり、毎日の「部下」たち(現在はまだピアとリベルトだけだが、きっとそう遠くないうちにあれよあれよと増えていくのだろう)からの質問攻めもあり、さらにはカーゼットに組み込むための追加の人材を見出すべく、祈道士および治癒術師の各方面へと静かに着実に探りを入れているところ、でもあるらしい。
しかしまあ、前提条件が「あの」リョウ君に負けないこと、彼の思考を必ずしも許容する必要はないが、頭から否定にはかからず一考の余地を残せること、否定するにしても、ある程度明瞭な証拠に基づいた理由が提示できること、だという。何とも珍妙で厳しい大前提もあったものだと思う。
可能性のある人間の履歴に片っ端から目を通し、少しでも組織に対し、興味を持った人間の質問にもすべて応じる。
そんなことを既に、何日もリョウ君は続けているのだ。連日の屍状態もさもありなん、今日のように家へ帰るや否や玄関先で寝倒れてしまうことも、ここ数日で既に珍しい事態ではなくなってしまっていた。
「……リョウ君は本当に、これでよかったんだろうか」
「俺が知るか。リョウのことはリョウしか分かるはずねェだろ」
だからこそ思うことをぽつりとつい口に出せば、至極まっとうかつ一般論を即座にヘイが返してきた。目線の先のリョウ君は、相変わらずこちらの会話など一切知る由もなく暢気にぐうすか死んでいる。
あの後一度だけ、本人に訊ねてみたことがあった。どうして敢えて、そんな荊の道を選んだんだ、君が絶対にそうしなければならない理由など、私のことを含めて別にどこにもないのに、と。
訊ねた先で、リョウ君は苦笑した。他にやりようがなかった。アノイの手のひらの上なのは腹が立つけど、色々考えたら正直、仕方ない部分もそれなりにある。
俺みたいなのが組織の一番上とか、正直ありえないけどね。
絶対とんでもない間違い色々しでかしそうで今から怖いよ、などと言って、笑った。
「君の言葉は時々、正しすぎて非常に腹が立つな」
「それこそ俺の知ったこっちゃねェよ。テメエの腹くらいテメエで管理しろってンだ」
「容易く管理できるものなら、とうの昔にそうしているさ」
「はッ。何から何までアイツにオンブにダッコな立場で、なァにを今更甘っちょろいこと言ってやがンだか」
次から次へと向けられる、ヘイからの言葉はどれも容赦なく痛い。本人の性格からしても、慰めの言葉をここで向けるような人間でないことは既にそれなりに知っていた。
そもそも一番の迷惑を私から被ったのは、ある意味ではこのヘイなのだ。リョウ君が王に引っ張り上げられ、異端であり特殊であることを決定づけられてしまった結果、ヘイは半死半生のぐだぐだとした暮らしを失うことになった。
全てが決定したあと、まだ何を創っているわけでもない現在では顕在化していないが。
リョウ君の言う「仕方ない」部分、要するにまたどこかで彼が関わらねばならないようなことが起きたときにそれは確実になる。このヘイとそして私はリョウ君と同じく「異常」として、彼の望みを叶える方向へと四苦八苦し右往左往せざるをえない状況となるのだろう。
本当におかしなことである。今更人を殺す方向から、人を生かす方向へと私は転じた。
しかもその一連に関し相当の鬱憤や何か負の感情もそれなりにたまっているはずのリョウ君は、何をこちらに言おうとするでもなくただただ、動いている。
「私は彼に、何をしてやれるんだろうな」
本人に問えば、真面目に「義手をまず直してくれ」と言ってくるだろう言葉を呟く。
返事など全く期待していなかったヘイは、しかし非常に予想外なことに、笑った。
「何でもするッつーンなら、まずはアイツとあのお嬢サマの仲の修復でも図ってやりゃいいンじゃねェの?」
混沌渦巻く世界の物語は、既にこの時始まっていたと言う人がいる。
私は発端であり導火線であったのか、或いはもう始まっていた発火に、渦に巻き込まれ取り込まれた人間であったのか。
誰にも判別はつかぬ問いに、ただひとつだけ返すなら、
人々が混沌と呼称する、多くの災禍と喜怒哀楽、すべてが怒涛のごとく押し寄せたこの時間は私にとっては紛れもない幸福であった、と。
皆様こんばんは、いつもありがとうございます。作者の彩守です。
色々と書けていない部分もありますが、ひとまずこれにて第二節はおしまいとなります。今後の予定としては、また「間奏」でいくつか番外編を書きつつ、第三節へと移行する感じでしょうか。
作者のオフ事情より、第三節がきちんと今年中にお届けできるか分からないのが正直、申し訳なくも苦しくもある部分ではあります。すみません。
作者の力不足よりどうにもぐだぐだしてしまった第二節でしたが、ひとまずは最後まで終わらせられたことに個人的にはまずほっとしております。
これより後数話は番外編が続く予定です。もしよろしければ「こんな話が読みたい」「この部分もうちょっとつっこめ」など、教えていただければ幸いです。
ではでは。ここまで目を通してくださり、本当にありがとうございました!




