P00 平穏の光景
つたない小説ではありますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
黒い奴には、秘密があった。
「おいリョウ! つまみのおかわりだ、つまみくれー!」
「リョーウ! さっさとメシ持ってこいよメシ、まだかっ!」
夜も徐々に更けてゆく時刻、城下のやや外れた場所にひっそりと佇む酒場にて。
今日も精悍な風情の旅人たち、冒険者と呼ばれる人々は集い、我も我もと酒と料理を求め、騒いでいた。なぜならこの酒場クラリオンには、他にも城下に数多く立ち並ぶどの酒場にも負けぬ「名物」がいくつか、存在するからだ。
「あーもう、はいはい。…っていうか、言っとくけど俺はひとりしかいないんだからな!」
そのうちのひとつがこの、厨房に立つ黒髪黒眼の青年である。大柄かつ大仰な装備を惜しげもなく晒す大男たちにも負けずに、笑って軽口に応じる口調は朗らかだ。
年はおおよそ、二十歳を二、三過ぎたくらいだろうか。酒場に集う冒険者たちと比較すると幾分その体つきは貧相にも見えるが、しかし決してひ弱そうに見えるというわけでもない。ひょこりと目立って見える背は、同じように客の応対や料理づくりに精を出す、他の店員と比べても少々高めだった。
ジャッという小気味よい音とともに、それまで作っていた大きな黒い炒め用の鍋の中身を複数の大皿へとあける。別の鍋で作っていたソースを適度にからめて、ぱっと目のあった店員に向かってこくりと彼は頷いて見せた。
「おおー、また今日もうまそうだな、いい匂いしてやがる」
「なあリョウ、知ってっか? おまえの料理、冒険者内だけじゃなく、宮廷でも噂になってるって話だぜ」
「そんな大袈裟な。俺くらいの料理人なんて、それこそ掃いて捨てるほどいるだろ」
ぽんぽんと飛んでくる陽気な声たちに、また新たな品へと取りかかりながら笑って彼は応じる。
確かに多少、料理の味が特殊であるのは彼とて自覚していることだ。しかし一般的な男料理の性とも言うべきか、彼の料理は基本的に適当大雑把で、いわゆる高級なコース料理などに求められるような繊細さは持ち合わせていないのである。
まあその大雑把さと少々の味の特殊さで、店に貢献できるなら別に、いいか。
思いつつ、火にかけた煮込みの具合を見るため蓋をあけた瞬間、カララン、とドアのベルが場の騒々しさに負けずに新たな客の来訪を彼らへと知らせた。
「彼女、来たわよ。リョウ」
すぐ横で同じく料理を作っている同僚に、つんつんとわき腹を肘でつつかれる。完全に面白がる目をしている彼女に、小さく彼は苦笑した。
店へと入ってきたのは、地味な色のマントにフードを被った一人の少女だった。外見と背格好だけからすると少年のようにも見える風体だが、彼女もまたこの店の常連であるゆえに、この客が「彼女」であることを、クラリオンを知る者たちは知っている。
一寸の迷いもなく、すたすたと彼女は青年のまん前に当たるカウンター席へと腰をかけた。クラリオンでもそれなりに奥まった位置にあるこのカウンター席は、ここ最近のこの時間帯においては、「彼女」の指定席になりつつあった。
ぱさりとフードを頭から落とした、少女はふっと彼に向かって微笑みかける。
茶色の髪と揃いの瞳の、驚くほどに整った面差しの美少女だった。
「こんばんは、リョウ」
「いつもごひいきに、どうも。カリア」
蓋をあけて煮込みの灰汁をすくいつつ、相手と同じ調子で彼は応じる。
少女がクラリオンへ足を踏み入れたその瞬間から、酒場の雰囲気がそれまでとは微妙に確実に変化しているのだが、ついでに言えば結構な数の目が彼らの方へと向いているのだが、無視する。無視して彼女と向かい合う。
そう、酒場「クラリオン」のもうひとつの名物。
それは黒髪黒眼の青年に、より正確に言えば彼の提供する料理に会いに来る美少女、カリアの存在だった。
「今日は何を作ったの? リョウ」
「あー、今日はあんまり時間がかけられなくてさ。昨日作ったリナスの砂糖煮をちょっとパイっぽく色々混ぜて焼いただけなんだけど」
「ふふ、楽しみ」
「期待に添えるかどうか、なー」
カウンターに頬杖をつき、期待の目でカリアは彼を見上げてくる。
基本的に提供するメインは酒であり、さらには冒険者、つまりおおよそ八割八分以上は男性が客の内訳である、はずのこの酒場にはなぜか常に「本日のお菓子」の項目があったりする。
絶対数は少ないながら、それを可能にしたのは彼だ。そして彼がそうするようになったきっかけがこの、カリアという少女なのだ。
彼女のためにと一切れ取り分けておいた一皿を奥から取り出し、火にかけて温めていた牛乳を沸騰しないうちにカップに注ぐ。放りこむはちみつとブランデーは適当量、ちらりとカリアの方を見やると、少しその茶色い目の周囲は、疲労にくぼんでいるようにも見えた。
ばれないように小さくふっとひとつ息をつき、一滴にしようと思っていたブランデーを少しだけ増やす。
それなりに高価な品なのだが、まあ提供する相手が相手だ、店主も文句は言うまい。彼女の金払いの良さ、というより異常さもこれまた、誰もが知っている事実である。
やれやれ。考えつつ、完成した本日の提供おやつを両手に、それを待ち望むお客の元へと彼は足を向けた。
「はい、どうぞ」
「わ、今日のもまたおいしそうね…それに、すごく良い匂い」
ふんわりと嬉しげに目を細める彼女の顔は、甘いもの好きなごく普通の女の子のものだ。
しかしカップを傾ける手つきや、フォークの使い方にはいちいち、どこか不思議な清楚な品のようなものがいつもあった。今日にしてもそれは変わらないのだが、しかしそんな類の質問をするにはあまりに、彼の自作したそう高価でもない、誰でも作れるおやつを口にするカリアは純粋に幸せそうだった。
まあいいか、と、ちまちまもそもそとおやつを口にする少女を目の前に彼は思う。
とりあえずは自分の存在は、理由が些細であれ何であれ誰かに必要とされている、のだから。
「いつも思うんだけど、リョウの作るものって、なんとなく優しい味がするのよね」
「え、そう?」
美少女が幸せそうにおやつを食する図を目の前にしつつ、また別のオーダーに応じるため彼は手を動かす。すぐ前にいる彼女に対しては大声でなくともどちらの声も普通に聞こえるので、作業の手を止めないままの言葉は、彼女ではなく手元を見ながらのものになった。
完成した煮込みを皿に盛り付け、新しい材料を手早く切り刻む。炊き上がったらしい米は、炒飯にするため少し置いておく。
作業を複数並行する彼の様子を、楽しげに眺めながらカリアは頷いた。そうよ、と。
「もっとおいしい「だけ」の料理なら、いくらでも思いつくのにね。食べると一番落ち着くのは、リョウの作るものなのよ」
「なんか微妙な褒め言葉をありがとう。どうせ独身男の一人料理だよ、これは」
「何言ってるのよ、褒めてるのに」
「はいはい。…ほら、はやくそれ飲んじゃわないと膜が張るぞ」
「わ、ととっ」
軽口に軽口でつきあって、ついでにひとつ指摘をしてやれば慌てたように、彼女はブランデーとはちみつ入りホットミルクを口にする。そういや最初にカリアにやったのもホットミルクだったっけな、と、ちらりと彼は思った。
ここで彼女と出会ってから、どれくらいになるのだろう。
確かここで働き始めたのが、一月半ほど前。…だからだいたい、もうすぐ一月、というところだろうか。
「…早いな、何だかんだ言って時間経つの」
「リョウ?」
何とはなしにぽつりとつぶやいた言葉は、しかし目の前の彼女には微妙に拾われてしまったらしい。不思議そうな表情を浮かべ、彼女は少し上目づかいで彼の方を見上げてくる。
奇妙な具合に弾んだ心臓をなだめつつ、美少女の上目づかいというものに相変わらずの破壊力を感じつつ。
いいや別に何でもないよと、笑って彼は首を横に振った。
まだ二カ月にはならない以前、ひとりの変わり者がひとつの変わりものを道端にて拾った。
それのもたらす変革を、世界は未だ、誰も知らない。