Kiss Off
レインがいなくなって三日、戻って来る気配はない。
もう戻ってこないとわかっていた。俺の生活は夢みたいに元に戻るはずだった。
夕立が止んだ。それだけのことなのに、俺の心にはぽっかりと穴が開いている。
戻るものなんて何もない。
自棄になっても、昔みたいに適当な女と遊ぼうとは思わない。
でも、そんなに昔のことじゃない。本当に数日前、数週間のことなのに今は遠い。
また適当な女を引っかければレインが現れてくれるか。そんなことも考えたけど、もう終わったことだと思いたかった。長くて短い夢を見ていたってだけのことだって。
街をフラフラして、レインに会えるんじゃないかって思ったけど、会えるはずもない。
だって、レインは闇に生きる殺し屋だから光のある場所にはきっと現れない。
「リオ」
地面ばかり眺めてて、声をかけられて、慌てて顔を上げてちょっとがっかりした。
「よお、しけたツラだな」
まるであいつみたいな口ぶりでそいつは言った。でも、違う。何もかも違う。
「……レオ?」
沈黙したのはありえないと思ったから。疑問形になったのもやっぱりありえないと思ったから。
猛獣のようなレインのパートナー、レオ。金に染めた髪、長身で目立つ男、殺し屋のくせにまるで今時の若者って感じの格好でレオはその景色の中にいた。
すれ違う女がちらちらとレオを振り返る。目立っている。でも、違和感がない。
「何だよ、忘れたのかと思ったぜ」
レオが肩を竦める。そんな仕草さえ不自然さがなくて、格好いいって思う。同じ男なのに抱かれてもいいなんて思ってしまうような魔力を持っている。
「ちょっとびっくりしただけだ」
「殺し屋に見えねぇって?」
俺が言えばレオは笑った。
「俺の心を読むなよ」
「テメェが単純なんだよ、バーカ」
「うるせぇ」
こんなやりとりが普通の男友達みたいだって思った。でも違う。
「つーか、何でそんなにお洒落なんだよ?」
殺し屋のくせにレオは凄くおしゃれだ。服も靴もアクセサリーもセンスが良くて、ブランド物だってわかる。
髪の隙間から見えるピアスはレインとお揃い、そう思うとちょっと複雑な気分になる。
「偏見だ。俺だって人間なんだぜ? 浮いててどうする?」
「溶け込み過ぎだ」
肩を震わせて笑うレオはあまりに普通だった。「プロだからな」とレオは笑うけど、質の悪い冗談じゃないかって思うくらいに普通だ。
レオに「ちょっと話そうぜ」って連れてこられたのは公園だった。男二人で公園ってのも妙な感じで、レオは俺をベンチに置き去りにして飲み物まで買って来た。
初々しい学生のデートかよ!
スポーツドリンクのペットボトルの蓋を開けて、レオはグイッと飲んだ。
まずいコーヒーでもなく、お茶でもなく、ジュースでもなく、ミネラルウォーターでもなく、スポーツドリンク。
俺には何にも聞かずに炭酸押し付けたくせに。
「レインはどうしてる?」
喉の渇きを潤した獣は問う。まさか、それを聞かれるとは思わなかった。
「そんなの俺が聞きたいぐらいだ」
「何だと?」
レオの顔は険しくなる。暗殺者だからっていうか、顔が綺麗だから余計に怖い。
「出てったよ。突然」
怖かろうと、嘘を吐く必要はない。レオさえ知らないのが事実なのだから。
レオは少し考えた後、またグイッと飲み物を飲んだ。
「……レインはテメェの親父のヒットの依頼を受けていた」
重々しい感じでレオは言うけれど、そんなの今更だ。
「だから、俺に近付いたんだろ?」
俺だって馬鹿じゃない。「殺す」って言われて出会って、その時からわかってた。「何だ、知ってたのか」ってレオは言うけど、どうでも良さそうだった。
「親父を探って、脅しをかけてたんだろ?」
レインは曖昧にした答え、レオなら答えてくれると思っていた。
どうせ、俺なんて早く死ねばいいと思ってるに決まってる。
「だが、拒否した」
レオの言葉が信じられなかった。拒否、それはどういう意味か。
「何でだよ?」
聞いてから聞かなきゃ良かったと思った。レオの一瞥はかなり破壊力がある。
「テメェに情が移ったんだろうよ。引退するとまで言い出したんだからな」
レオは淡々と言った。だから、俺はレオに勝ったとは思えなかった。だって、レインは俺からも離れていった。
俺が思わず「わけわかんねぇ」って吐き出すと「本当にわけがわかんねぇよな」って、溜め息を吐いてみせた。
「だけど、安心した」
「え?」
「お前がいるってことは、まだ奴は現れる」
不穏な空気が流れて俺は身体が動かせなくなる。
レオは俺にとって味方じゃなかったことを思い知らされる。
「裏切り者には死を、だ。組織のトップだろうと、パートナーだろうと何だろうと例外はねぇ」
レオは仮面のように冷たい表情で言った。その奥の瞳は暗い。荒んだ目をしてる。
「そんな! 何で……」
「任務を放棄して逃亡中、庇う理由もねぇ」
言葉が出てこない。レオがレインを殺す。本当に、この世からレインがいなくなる。現実的じゃない。
言葉が出なくなる。自分が殺されると思った時よりもずっと苦しい。
「俺たちに光はない。ずっと闇の中を這いずって、地獄に落ちる」
レオもレインもアンダーグランド生きている。普通じゃない裏の仕事、どんな気持ちでやっているのかなんて俺にはわからない。それを思い知らされた気がした。
「まだ、生かしておいてやる」
まだ、胸に突き刺さる言葉、レオが俺の命を握っているってこと。
「だが、王子様を攫ったらお姫様はくるかもしれねぇな」
思いついたように、楽しげにレオが言う。
獲物をいたぶるかのように。
「レインがやらなきゃ、俺がやる。お前は俺のオルタナティブにはなれない」
レオが嘲笑した。それは誰に向けたものなのか。俺か、レインか、或いはその両方か。
だけど、その言葉の意味がわからない。
「何だよ、それ?」
「俺はずっとレインと一緒にいた。それをお前なんかに壊されるなら、自分で壊しちまった方がいい」
レオがその眼力だけで殺そうとしているみたいに俺を見た。
金縛り、逃げなきゃ殺されると思うのに、指さえ動かせない。
胸倉を掴まれて、やばいと思った。
「お前はRIO、LEOじゃない」
何を言っているのかわからなかった。俺は理央であってリオなのに。リオもリオも一緒じゃないか。
結局、吐き捨てて、レオはいなくなった。
そのまま、何も起きない日が続いた。
けれど、この日、起きるとリビングに知らない男がいた。レオとはまた違う感じの獣っぽい男。ワイルドでナンパっぽい。多分、レオよりもちょっと年上だと思う。
混乱する俺に気付いて、悠々とソファーに座っていたその人は手を上げた。
「よお、猛獣に睨まれた気分はどうだ?」
勝手に俺の家に上がり込んでる時点で薄々気付いてたけど、この人も暗殺者だって確信した。
ついに来たって思った。スウェットのまま立ち尽くす俺にその男はニカッと笑った。
「俺は黒崎兵吾、略してクロヒョウ、故にコードネームは黒豹。ヒョーゴさんって呼んじゃっていいぜ」
この人は人懐こい感じだけど、言ってることはあんまり平和じゃない。
普通の人はコードネームなんて持ってないと思う。これはユーモアじゃなくて、本当のこと。
「あ、あの……兵吾さん?」
軽々しく呼べる感じじゃないのに、呼ばないと怒られそうな気がした。
「最初にはっきりさせておくが、俺はレインとは違う組織に属してる。敵だ」
口を開いたものの、何を言うべきなのか迷った俺に兵吾さんは本当にはっきり言った。「この意味がわかるな?」と聞かれて、俺は黙って頷いた。
これはかなりやばい状況ってわけだ。
レインの敵がここにいるってことは、考えることはレオと大体一緒だと思う。
任務のために俺を殺すか、俺を人質にして親父を殺すか最終的に一家心中か、レインをおびき寄せる餌にされるか。まあ、レオはその全部を一遍にやりたいんだろう。つまり、皆殺しエンド的な。
でも、そんなことよりも俺はレインと兵吾さんの関係が気になった。レインは兵吾さんのことをどう思ってるのか、兵吾さんはレインをどう思ってたのか。
「ちなみに好敵手って書いてライバルと読んでもらえるとしっくりくる」
武器を見せるとか、脅すとかするわけでもなく、「俺のこだわり」なんて話し出す兵吾さんは体裁を気にする人だって思った。
それでも、よく関係が理解できない俺に兵吾さんは「つまり俺たちはグッドな仲なんだよ」と笑った。
「まあ、座れよ。俺は殺しのデリバリーに来たわけじゃねぇし」
いや、ここ、俺の部屋ですけど。
一瞬思ったけど、従うしかない。大体、デリバリーも頼んでないし。
「まあ、一杯やって楽しく話そうぜ」
渋々俺が座ると、兵吾さんは缶ビールをテーブルの上に置いた。
朝っぱらからこの人は何を考えてるんだ。
「兵吾さんはレインが戻って来ると思ってるんですか?」
「しけた顔はよくないぜ、酒は楽しく飲んだ方がいい」
聞いてみたら、兵吾さんは缶を掲げて豪快に笑った。まさか、もう、酔っぱらってるとか?
「まあ、レインが出て行った原因は俺だ」
「え?」
兵吾さんはよくわからない。急に真剣な表情で言った。
「俺は殺しのデリバリーはしねぇけど、真相のデリバリーはするんだよ。まあ、それが親切じゃねぇことはわかってるから、絶望のデリバリーかもしれねぇけどな」
そう言って、兵吾さんはサディスティックな笑みを見せた。
こっちはこんなにもぞっとするのに、それを楽しんでる。
「レインはお前の親父さんを殺す依頼を受けた。でも、俺のところも同じ依頼を受けた。この前、お家にお邪魔したのはこっちの先走りやがった下っ端の人たち」
恐ろしく淡々と兵吾さんは言った。家族は無事だけど、家は荒れた。兵吾さんは「俺は関与してねぇけど」って言うけど、怖い人だっていうのは間違いない。
「依頼が被ることはあっても、どうにもレインの行動は解せねぇ。こっちも様子を見ていたら、何と驚愕の事実が明らかになっちまったわけだ」
まるで映画の話みたいに兵吾さんは話す。何か自分に関わることなのに全然現実味が感じられない。
「おいおい、何か相槌打ってくれよ。俺一人で喋ってるって何か酔っ払いみたいじゃねぇかよ」
俺が黙っていると、兵吾さんはテーブルに缶を置いて言った。
酔っ払いに絡まれてる気分ですけど。
「まあ、俺は真相知って滅茶苦茶ガッカリしたぜ。レインもそうだっただろうよ。ある意味、神聖な仕事が親子喧嘩に利用されるなんてあっちゃいけねぇ」
結局、それほど気にしてる風でもなく、ビニール袋からビーフジャーキーを取り出して、袋を空けた。
「お前、親父さん好きか?」
兵吾さんをガッカリさせる親子喧嘩って何だろう。
そうぼんやりと考えた俺にビーフジャーキーを加えた兵吾さんが問う。
「好きとははっきり言えないです」
嫌いじゃないけど、好きだとは言えない。そんな微妙な関係。
「じゃあ、兄貴は? 巽央理」
聞かれて、俺はドキッとした。心臓が止まるんじゃないかってくらい、その名前は心臓に悪い。
「……俺にはあの人を嫌いになる権利なんてないですから」
好きとか嫌いとかそういう問題じゃない。俺には許されない。
「でも、兄貴はお前のこと、大嫌いだろ?」
兵吾さんは遠慮なしに聞いてくる。
けど、それは事実。兄貴は俺を憎んでる。兄貴にとって俺は生まれない方が良かった存在。親父の“央”と母さんの理子の“理”を取った愛の結晶、それが兄貴。それで良かったのに、俺は生まれてしまった。そう言うと母さんに悪いと思うけど。
兄貴が物心ついた頃、俺は生まれた。親の愛を独り占めにしたいと思ってた時、生まれた俺は病弱で、俺の側にはいつも母さんがいた。俺から母さんを取り返そうとして、テストでいい点数をとったり、何かで賞を貰ったり……俺以上に褒められたくて必死だったと思う。でも、親父にとってそれは当然のことだった。
兄貴が親父の敷いたレールの上を走って、俺は母さんに散々甘やかされて好き勝手に生きて、それでも、兄貴が一緒の時には影になろうと必死だった。
「男のジェラシーって手に負えねぇよな。醜いっていうか、面倒臭ぇっていうか」
兵吾さんは一人で笑いながら言った。これって、酔っ払いじゃないのか?
でも、今の俺には余裕がない。兄貴の名前を出された以上、落ち着いてなんかいられない。
「はっきり言ってくれませんか?」
「えー、これからが感動の物語なのに?」
兵吾さんは不満そうだったけど、先を待つことなんてできない。
「じゃあ、言ってやるよ。うちに巽央の殺しを依頼したのは巽央理だ」
信じられない。
親父は兄貴に今の道を強要した。でも、そこまで憎んでるとは思ってなかった。
「驚くのはまだ待てよ。何せ、レインに依頼したのは巽央ご本人様なんだからよ」
兵吾さんは本当に淡々と言った。でも、嘘じゃないって思った。
レインは知ってたのか。知ってて俺の前に現れたのか。
「自分の息子が闇に手を染めるくらいなら、自分で終わらせたかったのか、希望を持ってたのかは知らねぇけどよ」
親父のことがわからない。
兄貴のこともわからない。
いっそ俺を殺してくれればいい。でも、俺を殺したって何にもならないんだろう。
「まあ、とにかく、何もなかったことになりそうだぜ。レインが手を引いたからって、その獲物を悠々と狩るのも癪だからな。兄貴の方はボスが上手くやってくれるよ。俺が我慢してババアと寝ればだけど」
兵吾さんは俺を安心させたいのか、不安にさせたいのかよくわからない。
でも、一つだけわかったことがある。この問題は兵吾さんたちにもレインたちにも本当の意味では解決できないってこと。
「だが、気を付けろよ、百獣の王はお前を許してくれねぇぜ。何せ、レインはもう組織に戻るつもりはないみてぇだからな」
“百獣の王”――遠回しなその言葉が誰を意味するのかはすぐにわかった。人食いライオンのようだった子供レオ、彼は本気でレインを殺すと思う。全てを裏切りだと思って。
「兵吾さんは……」
何となく怖いと思いながらも俺は本音を聞こうとして、聞けなかった。でも、兵吾さんはわかったみたいだった。
「俺? 俺は、懐が深い男だからな」
兵吾さんはカラカラと笑う。でも、すぐに怒りそう。この人、絶対、短気だ。
でも、怒られても、俺には聞きたいことがあった。多分、今じゃなきゃ聞けない。
「レインのことが好きなんですか?」
「はっ、違ぇし、ありえねぇし、ロリコンじゃねぇし」
「いや、ロリってほどじゃ……」
「貧乳とか興味ねぇし、今後の成長に期待してねぇし、年上好きだし、あんなガキじゃあな……俺を満足させられるのは戦いにおいてだけだ」
兵吾さんは物凄く早口に答えた。まあ、嫌いじゃないんだと思うけど、そういう好きじゃないらしい。暗殺者にとって愛と殺し、どっちが重要なのか俺にはわからないけど。
「でも、暫くは後輩いじめて楽しむさ。あいつの劣化版みたいのがちょー生意気だし、その連れが役に立たねぇし、そろそろ手ぇ出しても良さげだしな」
くつくつと笑って、“新しい遊び”を考える兵吾さんは本当に楽しそうで、真性のサドだと思った。どんな理由であっても、絶対にこの人に狙われたくはない
「まあ、もうちょっとでフィナーレだ。頑張れよ。俺も頑張るから――じゃあな」
飲み終わった缶をぐしゃっと潰して、立ち上がった兵吾さんが言う。
どんな終わり方が待ってるかは俺にはわからない。
でも、去って行くその背を引き留めて、機嫌を損ねると頑張ってくれなくなる。今は俺の味方だと思うけど、きっとその感情は簡単に変わってしまうと思うから。
兵吾さんが来てから数日、俺はやっぱり失意のまま街を彷徨った。
色のない街、生気のない雑踏、耳を抜けていく雑音、何もかも褪せていて意味がない。
気が付いたら好きなアーティストの新譜が出ていて、そこら中で話題になっているのに欲しいとは思わなかった。上辺だけの仲間との話題作りも虚しい暇潰しも必要だとは思えない。必要なのはただ一人、俺の心を殺した暗殺者――レイン。彼女が側にいてくれるだけ、それだけでいいのに。
そうやって、レインのことばかりを考えてたから、俺はついに幻覚を見たのかもしれない。
その姿は鮮やかに見えた。艶やかな黒髪、カーキのジャケットを纏って、どこかを目指して歩いてた。
通りの反対側、慌てて俺はその後を追った。何て言ってやろうとか、そんなことはどうでも良くて、ただ見失わないように必死に追いかけた。
空を切り刻むかのようにそびえ立つビル、レインはどこを目指しているのか。息が切れてきた頃、大分、距離が近付いて、階段が見えた。
階段に差しかかった時、レインは既に上りきろうとしていて、俺は慌てて呼びかけた。
「レイン!」
人気がなくて、俺の声は確実に届いたと思う。俺はずっと追いかけて来たその背がレインのものだと信じていた。
彼女はゆっくりと振り返る。レイン、確かに彼女だった。
「 」
レインの唇が動く。けど、何て言ったのかわからなかった。急いで近付こうとして、でも、レインも待っていてはくれなかった。
階段を駆け上がって、レインは広場の中央にいた。
「レイン!」
もう一度、呼びかけた声はかき消えた。
銃声、レインの体が崩れ落ちて、赤が広がる。でも、駆け寄ろうとしてできなかった。ぐいっと肩を捕まれ、建物の影にまで引きずり込まれる。
「今、出たら死ぬぞ」
そう言ったのは兵吾さんだった。手には、銃が握られている。人が少ないとは言っても、銃刀法違反に変わりはないし、壁の向こうで悲鳴が聞こえる。非現実的。
「屋上から奴がライフルで狙ってんだよ。撃たれたら洒落になんねぇ。とにかく、離れるぞ」
奴、それが誰かはすぐにわかった。レオが本当にレインを殺そうと……
「あそこな、レインの組織の本社があるところなんだよ。ボスに呼び出されて、あいつは応じた。罠だってことをわかっていてな」
歩きながら、兵吾さんは説明してくれた。
でも、それだけだった。人気のない路地で急にぴたりと足を止めてじっと俺を見た。
「もうすぐ、決着がつく。だから、暫く寝ててくれ」
衝撃を感じた時にはもう地面が近くに見える。そこで俺の意識は途切れた。
あの後、俺は自分の部屋のベッドの上で目を覚ました。誰もいない。何の痕跡もない。でも、夢を見ていたわけじゃないことはわかった。
あの銃撃は無差別の射殺事件としてニュースになっていた。メディアに取り上げられる写真はレインだったけど、全く別の名前で報道された。
暫く騒がれて、すぐに人々は忘れた。事件は絶えず、毎日どこかで何件も起きてる。
兵吾さんはあの時何も教えてくれなかったし、あれから会ってもいない。
でも、俺は今でもまた夕立が突然来るような気がしている。
『退屈なんだろ? リオ・タツミ』
そう言って彼女が現れるように思えて仕方がない。彼女が死んだなんて信じられないから。
いや、彼女は絶対に生きている。あの時は気が動転していたけど、今なら冷静に考えられる。不自然なことが多すぎる。あの時兵吾さんからは火薬の匂いがした。それに、レインはライフルに撃たれたって感じじゃなかった。俺はレインが本当に死んだかを確認していない。近付かせてもらえなかった。
多分、そうやって死んだことにしてレインは暗殺業から引退したんだと思う。
俺が生きていれば、レインはいつかは迎えに来てくれるかもしれない。或いは、迎えに行けるかもしれない。
そう、俺が自分の力で生きられるようになれば、きっと……
全てはほんの一月の出来事だったけど、それは何よりも非現実的で現実だった。
俺はこれからも現実を生きていかなければならない。彼女が俺を置き去りにしたことを後悔するくらいに。