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ふるさとの街で

下町の商店街は活気に満ちていた。テツとテルミが到着したのは、ちょうどこれからお昼という時刻で、どこからやって来るのか、観光客やビジネスマンも含めたさまざまな人々が通り狭しとあふれ始める。お天気がいいので、沿道にも食べ物の店が並んだり、テーブルやパラソルを出してオープンカフェにしている店もありというわけで、たくさんのにおいが入り混じって独特の雰囲気を醸し出していた。

その雰囲気にテルミは興奮を抑えることができなかった。テツも子どもの頃、この商店街を歩き回り、あの川辺で遊んでいたのだろう。懸命に想像を巡らせようとしてみるが、うまく思い描くことができない。何度かそれをやってみた後、テルミはひとつ、奇妙なことに気がついた。昔ながらの人間の生活のにおいがあふれる魅力的な商店街だが、ひとつ、決定的に欠けていることがある。

子どもがいない。

通りにも店の中にも、いるのはおとなばかりで子どもの姿がまったく見られない。子どもを連れている母親・父親もいない。しかも幼稚園も学校も夏休みのはずなのに・・・。これはあまりに不自然な光景だ。いったいどうしたことだろう。

「何を考えている?」

テツが声をかけた。

「いえ、なにも―――」

テルミはいったん、あいまいな返事をしてしまったが、すぐにそれを打ち消すように言葉をつないだ。

「この街がどうしてこんなに魅力的なのか、考えていた」

テツはずんずん歩きながら、また訊いた。

「おまえはここが好きなのか?」

「ええ、とても」

「どうしてだ?」

「だから、どうしてなのか考えているって言ったじゃない。たとえば、こうして歩いているだけで楽しくなるし」

「止まったらどうなんだ?」

テツは本当にピタリと立ち止まった。前世紀の遺物でありながら、人々のレトロ志向を受けて復活した、赤い丸いポストの前だ。テルミは思わず吹き出した。

「立ち止まっても楽しいよ」

「そうなのか」

「あのね、うまく言えないけど・・・ここにはいろんなにおいがあるの」

テツは鼻を宙に突き出して、くんくんと鳴らす。

「たしかににおっている。特によくにおうのは・・・タバコだな、これは」

そう言われ、周囲に目をやると、ポストの横にはこれまたレトロなタバコ屋がある。タバコの葉とそれを包む紙がいっしょになったにおいが、ふたりのいる空間をゆるやかに流れる中、テルミは言葉をつないでいく。

「これって、人間が生きているっていうにおいだと思う」

「どこでだって人間は生きているぞ」

「そりゃそうだけど・・・」

「他のところでは人間は生きていない、息をしているだけだとでも言うのか?」

なぜかテツは強く食い下がる。ふだんの彼とは違った何かを感じて、今度はテルミが訊き帰した。

「テッちゃんはこの街が好き?」

「好きじゃない」

即座に言い返す。

「なぜ?」

「わからん」

「ここはあなたにとって〈ふるさと〉のはずよ」

テツは口をぎゅっと結んで虚空を睨んでいる。

「何か思い出すことはない?」

じっさい、何かを思い出してもらわなくてはここまで来たかいがない。テルミが食い下がろうとすると、くくくくく・・・という押し殺した、それでいて聞こえよがしの笑い声がふたりの間に入ってきた。

その声はタバコ屋の小さな窓口の奥から洩れだしている。テルミとテツがそちらを見ると、窓口から初老の女が顔を出した。白髪交じりの髪をひっつめにした小柄なおばさんは、小さな顔に不つりあいな、大きな黒ぶちの丸いメガネの奥から、意地の悪そうな目をふたりに向けた。

「しっけい、しっけい、すぐそばにいたんで、話が聞こえちゃってね。あんたら、声が大きいから」

「すみません。お仕事のじゃまをして―――」

テルミは店の入口あたりで立ち止まっていたことを謝ろうとしたが、おばさんはそれをすぐにそれを制し、

「いいんだよ。そもそもお仕事なんてもんじゃないんだ、これは」

「でも・・・・」

「いいからいいから。はい、続けて」

「なんだ、このおばさんは?」

テツが訊く。

「タバコ屋のおばさんだよ。正確に言えば、タバコ屋のおばさん役」

そう言って、もう一度、くっくっく―――と、薄気味悪く声をひそめて笑った。

テルミは正面を向き、店先の小さなカウンターの上にコインを差し出した。

「タバコください」

おばさんはびっくりして

「吸うの?」

「いえ」

「だったらどうして―――」

「とりあえず品物を買って、お話をしようと思って」

「そりゃまあ、律儀なこって。で、どれがいいんだい?」

「それだ、それ」

横からテツが割り込み、青いパッケージの煙草を選んだ。おばさんは品物とお釣りを差し出す。テルミはそれを受け取りながら、

「なぜ笑ったんですか?」

単刀直入に訊いた。

おばさんは少し面喰ったようだったが、じっさいのところ、喋りたくてしかたなかったのだろう。待ってましたとばかりに話し始めた。

「今あんたがたが見ている景色は、言ってみりゃ百年前の景色さ」

「百年前、ですか?」

「そうだよ。こんなタバコ屋やこんなポスト、今じゃ博物館でしかお目にかかれないよ。川には行ったのかい?」

「いいえ、まだ。でも、車の窓から見えました」

「どう思った?」

「とてもきれいで流れも豊かで・・・・」

「そうだね。でも、百年前はドロドロに汚れていた。このあたりにあった工場の廃水や生活排水やらが垂れ流されていたからね」

「それがきれいな川によみがえったということですね?」

「ああ。でも、それと反比例するみたいに、この街はどんどんダメになっていったのさ」

「どういうことですか?」

やりとりしている最中に、遠くからテナーサックスが奏でる珍妙なのメロディと太鼓や鉦といった鳴り物の音が聞こえてきた。

「工業化の時代を過ぎて、人口も減って、賑わいがなくなっちまった。一時は壊滅寸前にまで追い込まれたんだよ」

おばさんのしゃべり方はこのあたりから勢いを増し、口のはじからはつばが泡となって飛び始めた。

「つまりさ、“古き良き下町”とやらをコンセプトにして町おこしが始まったのさ。町おこしというよりも、テーマパークづくりと言った方が近いのかも知れないね。このあたりのひなびた個人経営のお店もみんな、そのように見せかけているだけで、裏側にはちゃんと大資本が入っている。きれいな川とにぎわいある下町をセットにして売り出しているんだよ。〈こころのふるさと〉の誕生ってわけさ」

おばさんが話している間に、楽団の音がしだいに大きくなってきた。テルミが音の出ている方向にちらりと目をやると、ぎょっとするような白塗りのメイクをほどこし、時代劇で使うようなカツラをかぶり、派手な衣裳に身を包んだグループが、それぞれパチンコ屋の看板を背負ったり、チラシをまきながら練り歩いて来る。

「おお、チンドン屋だ!」

いきなりテツが叫ぶと、チンドン屋のひとりが打ち返すように声を張り上げて、

「あいよ、チンドン屋だよ!」

 テツの目は久しぶりの友だちに会ったときのように輝き出し、そのパレードに向かって走り出す。

 「あれもこの街の風物詩だよ。パチンコ屋だってわざわざ宣伝する必要もないんだけど、賑わいを作り出すために会社がやらせているのさ」

 テルミはそこに立ったまま、テツがチンドン屋に合流し、いっしょになって踊り出すのを黙って見ていた。

 「わかったかい?この街のカラクリが」

 問い正す声には、それまでの皮肉っぽい口調は消えうせ、何かを訴えるように聞こえてきた。

 「今、あんたたちがここで見ているものは本物じゃない。ここで起こっていることは本当のことじゃない。みんな、にせものだ。うそっぱちだ。わたしは知っているから教えてやっているんだ」

 おばさんはそれだけ言い切ると、水泳のクロールをやるときのように、大きく口を開いて息をついた。すぐに次の言葉を繰り出そうとしていたらしいが、なかなか出てこない。

 その間、テルミはまっすぐにおばさんを見つめていた。

 ―――カラクリがわかると何かいいことがあるのだろうか?

 疑問が胸をよぎる。

 日本ではロボットはもともと〈からくり人形〉だった。腕に覚えのある職工や手先の器用な趣味人は、江戸時代の頃から競い合って作ったものだ。今でもロボットの存在をこころよく思わない人は、「このからくり人形め!」などと罵ることがある。

 いずれにせよ、人間の文化はカラクリを楽しむことで発展してきたはずだ。その仕組みを知るのはよいことだが、ただ「知っている」と主張するだけでは、そこから何も生まれない。

 しかし、どうやらこのおばさんにとって「自分は知っている」ということと、それを「他人に教えてやる」ということは大きな意味を持っているようだ。それは彼女の“仕事”なのかも知れない。

テルミはそこまで考えたことを口には出さず、頭を下げて素直にお礼を言った。

 「教えていただいて、どうもありがとうございます」

 おばさんが安心し、落ち着きを取り戻したのを確かめると、今度はさっきから胸に引っかかっていた疑問を投げ掛ける。

 「ついでにもう一つ、教えてください。この街では子どもの姿を見かけませんが、どうしてですか?」

 また自慢げに教えてくれるだろうと、期待をこめて投げたボールはみごとに外れた。

 おばさんは再びからだをこわばらせ、

 「どうしてそんなことを訊くんだい?」

 と、声をふるわせる。そして、

 「あんた、人間じゃないね?」

 「わたしはロボットです」

 テルミは素直に答えた。

 すると、おばさんは血相を変え、カウンターの奥から身を乗り出して、

 「だからか。だから何も知らないんだ。だから、ろくでもないことを訊いてくるんだ!」

 驚くほどの剣幕で攻め立てたかと思うと、今度は通りに向かって、大声で叫ぶ。

 「おーい、こいつはロボットだよ。かわいい顔してるけど、だまされちゃだめだよ。人間のフリをしたロボットなんだからね!」

 道行く人たちが、お店の人たちが、いっせいにテルミを振り返る。たくさんの視線が彼女の肌を次々と突き刺す。

 二種類の目。好奇の目と憎しみの目。

 テルミはたまらずに逃げ出した。タバコ屋のおばさんはまだ何か声を張り上げている。誰かが追ってくるわけではなかったが、視線の矢はなおも彼女の背中を襲ってきた。

 逃げる先にテツとチンドン屋の姿があった。

 ―――そうだ、テッちゃんを連れて行かなくては。

 「テッちゃん!」

 走りながら叫んだが、テツはチンドン屋と踊るのに夢中で、テルミの声はまったく耳に入っていない。しかし、チンドン屋たちは彼女に気がついたようで、太鼓を叩いていた白塗りの芸子は、

 「いっしょに躍るかえ、お嬢さん?」と、声をかけた。

 「いえ、わたしは・・・」

と、躊躇していると、テツが気づいていきなり腕を取った。

 「ははは、やっと来たのか。おまえも踊れ」

 テルミはむりやり踊りの輪の真ん中に入れられた。こうなればもう言う通りにするしかない。

 チンドン屋が演奏する曲は、これまでテルミがよく聴いていたキレのいいダンスナンバーや、ノリのいいロックなどとは違って、ふぬけたリズムの、どうにもしまらない曲だった。しかし、しゃにむにからだを動かしていると、妙にからだになじんでくる。

 テツとテルミを交えた一団の踊りは道行く人々の目を引き、見物客がぞくぞくと集まってきた。チンドン屋のメンバーはここぞとばかりに、盛大にチラシをまく。そんな喧騒の中でも、テルミの肌は自分に向けられた好奇と憎しみの視線の矢を鋭敏に感じ取り、耳はとげとげしい話し声を聞き取った。

 「あれ、ロボットなんだって」

 「へえ、ロボットか」

 「ロボットのチンドン屋?」

 「チンドン屋までロボットがやるのか」

 「チンドンロボットめ!」

 しかし、表立って罵声を浴びせたり、襲いかかってくるような者はいない。テルミは安心するとともに、得体の知れない不気味なものを、この〈ふるさとの下町〉に感じ始めていた。

 鳴り物が止み、テナーサックスがエンディングのフレーズを吹き終えて曲が終了した。

 パチパチと人々の間からまばらな拍手。メンバーはおのおのタオルで滝のように流れ落ちる汗を拭く。

 「あんたは汗をかかないんだねぇ」

 芸子がテルミにたずねる。

 すぐに「ロボットですから」と付け足したいところだが、このタイミングでは黙っていた。

 「相棒があんたの分までかいているようだけど、だいじょうぶ?」

 テルミはテツを見る。たしかにすごい汗だ。

 「ちょっと失礼」

 芸子は自分が半分使ったタオルをひっくり返し、使っていない反対側でテツの顔をゴシゴシと拭ってやる。

 「ほうら、ちょっとはすっきりしたでしょ」

 白いタオルから再び現われたテツの顔を見て、テルミは「あっ」と、小さな叫び声を上げた。

 ―――おかしい。

 ついさっきまでのヘンテコな踊りをしていい気になっていたテツは正常だ。しかし、今そこにいるテツは、不安感で引き裂かれそうな表情をしている。バラバラになってしまいそうなからだを辛うじて保ちながら、せわしげにあたりを見回す。さっきまで面白がってテツの踊りを見ていた人たちも、そのあまりの豹変ぶりに目をそらし、こそこそと立ち去っていく。

 チンドン屋のメンバーも、これはおかしいと思ったのだろう。鉦や太鼓を打ち鳴らしていた男―――江戸時代の旅道中のやくざ者のような扮装をしている―――が、べらんめえ口調で声をかけた。

 「おいおい、じいさん。どうしたっていうんだ?」

 男は一歩踏み出し、テツの肩にポンと手を置いた。と、その時、

 「うわーっ!」

 その年老いたからだのどこに、それだけのパワーが残っているのだろう?

 そう思えるほどの叫び声が響きわたった。

 道行く人たちも、店の人たちも、全員がまたもやこちらを振り向く。

 あの視線の矢。

 それらを跳ね返すように、もう一度、絶叫。

 「わあ――――――っ!」

 ―――恐怖?

 テルミは叫びの中身を理解した。テツは恐怖にかられている。何に対する恐怖なのか、そこまではわからない。パニック状態になったテツはそのまますごい勢いで走り出した。テルミはもちろん、あわててその後を追いかける。

 人々の目がふたりを追う中、チンドン屋のサックス吹きがおもむろにサックスを口に加え、ジャズナンバーを演奏し始めた。太鼓や鉦や三味線がすかさずそれにフォローする。さっきまでのチンドン屋から早変わりした和風ジャズバンドは、混乱した商店街の空気をいっきにもとどおりに収めていった。


     ×    ×    ×


 その頃。

 富士晃の運転する車のカーステレオからはモーツァルトの楽曲が流れていた。クラシック音楽を専門に聴く富士だが、中でもヨハン・セバスチャン・バッハとモーツァルトはお気に入りだ。ただ、妙に感情を込めて奏でたがる指揮者・演奏者が多いことには少なからぬ不満を持っている。

 ―――作曲家以外の自己主張は必要ない。

 彼はそう考え、原曲の優雅さ・軽やかさを忠実に再現してくれる演奏を好んだ。

 リズミカルなストリングスの音が心地よい。ハンドルを握る手、アクセルを踏む足も軽快に動く。思わず車内にひびく楽曲〈アイネ・クライネ・マハトマジーク〉の主旋律を口ずさむ。それにしてもここのところ、ストレスが溜まり気味だったせいもあり、今日のドライブは絶好の息抜きになっていた。

 いま走っているのは、ふたりがトラックに同乗して走ったのと同じ道であり、カーナビが表示している目的地は、もちろん、テツのかつての住所だ。陽射しはまだまだ強烈だが、窓から吹きこむ風が少しだけひんやりとしてきたように感じる。ちらりと外に目をやると川。次いでカーナビに目を移し、目的地が近いことを確認する。正直なことを言えば、まもなく快適なドライブが終わってしまうのは、なんとも名残惜しい。

 ―――できるだけゆっくり行くか。催促が来ない程度に。

 アクセルをゆるめると、すぐ横を次々と乗用車やトラックが追い越していく。富士はそれを見て満足そうにほくそ笑むと、ちょうどCDが終わり、オートチェンジャーが作動する。エアコンとパワーウィンドゥのスイッチを同時に入れる。冷たい空気の噴出。スルスルと上がる窓。一瞬の間おとずれる無味乾燥な機械音の世界。

 ―――われわれの生活は、じつはこうした音に支配されているのだ。

 ほんのわずかな心の隙間に忍び込む、ぞっとするような虚無感。しかし、それはすぐにバッハの〈ブランデンブルグ協奏曲〉の雅やかなメロディに満たされた。

 富士は「ほっ」と、ため息をついた。音楽はひとそれぞれの人生を救ってくれる。そして、おそらくこの世界も、さまざまな音楽でいつも呼吸を整えている。


        ×     ×     ×


 小さな子どもはいったん泣き始めると、ひととおり泣き尽くさなくては落ち着かない。パニックに陥ったテツも同じだった。すぐに追いついたテルミは、手を握ったり、肩を抱いたりして、ひたすら彼が落ち着きを取り戻すのを待った。

 一時間ほど、あれこれなだめすかしながら歩いていくうちに、河原の土手にたどり着いた。

 「この向こうは川だよ」

 テルミは言葉をかけた。

 「行ってみようか」

 ふたりが土手に上って見下ろすと、目の前にのびやかな景色が広がった。

 「わあ、すてき!」

 テルミは思わず声を上げ、横にいるテツを見た。その目はたしかに川を見ていたが、同時にまた何か別のものも見ている。

 ―――記憶の中の風景? それとも・・・

 「おーい!」

 テルミの思考を遮るように、川下から大声を張り上げて誰かが呼びかけてくる。見れば河原にあのチンドン屋のメンバーたちがいた。

 「いやぁ、きみたちのおかげで今日はとても盛り上がった」

 河原に下りて来たふたりに向かって、一座の座長らしきサックス吹きの男が、よく通る、かん高い声を上げて出迎えた。先ほどはカンカン帽をかぶっていたので気がつかなかったが、頭はかなり禿げ上がっており、愛嬌のあるチョビひげを生やしている。

 座長はやや大袈裟にふたりと握手を交わすと、ひと呼吸おいて話を持ちかけた。

 「どうだ、うちに入らないか?」

 「うちって・・・・」

 「うちの一座だ」

 「チンドン屋さんということですか?」

 「うん。今日はチンドン屋としてアルバイトをしているが、こう見えてもわれわれは劇団だ。日本中を旅して芝居を打っている」

 「そうなんですか」

 「おもしろそうだな」

 横からボソリとテツが口をはさんだ。どうやら気分は回復したようだ。

 「ああ、面白いとも。それにきみたちも十分に面白い。年寄りとロボット、それだけで十分に舞台に立つ資格があるというもんだ」

 そう言って、座長はテツに向かってウィンクした。

 「それ、どういうことですか? 年寄りとロボットというだけで資格があるって・・・」

 テルミが尋ねると、間髪入れずに答が返ってくる。

 「いまどきは、年寄りは家の中だの老人ホームだので大事にされるもの、ロボットは人間の言うことを聞いておとなしく働くもの、と相場が決っているだろう。しかし、きみたちはそうじゃない」

 テルミは口をはさもうと思ったが、座長はかん高い声をますます高くして、畳み掛けるようにセリフを連射する。

 「きみたちは自由だ。自由に歌い、自由に踊り、自由に笑い、自由に物語る。お客の心を動かすのにいちばんたいせつなものを備えている。しかも、ジジイとロボットのくせに、だ。演技力だの歌唱力だのリズム感だの、そんなものはどうでもいい。そんな小ざかしいものはブタに喰われろ、だ。技術ではない、存在なんだ。きみたちという存在そのものがすでに演劇であり、生きて活動していること自体がかけがえのないメッセージの発信なのだ。いいかね―――」

 ここで両腕を大きく広げて見せ、思い切り芝居がかった〈間〉を取る。そして、ゆっくりと次なるキメのセリフ。

 「お客はきみたちのような役者を待ち望んでいるのだ」

 たまらずテルミが口をはさもうとしたとき、ひとあし早くテツが声を上げた。

 「アホか、おまえは」

 「え?」

 アホと言われて、座長はほんとうにアホみたいに口をあんぐりと開けた。

 「わしらはそんなものに付き合っておられん」

 「どうしてまた?」

 「やらなきゃならんことがあるのだ」

 「それは何ですか?」

 「おまえには言いたくない」

 「そんな・・・ぜひ教えてくださいな」

 「ヒミツなんだ」

 「秘密は守ります」

 「うそつけ」

 「わたしがうそをつくのは仕事中だけです」

 「とにかく言わない」

 「そこを何とか」

 「いやだ」

 「お願いします」

 「くどいな」

 「かんたんに引き下がるわけにはいきません」

 「どうしても訊きたいのか?」

 「はい、どうしても」

 まさしく芝居の掛け合いみたいな問答が続いたあと、テツはこれみよがしに胸を手に当ててポーズを取った。さっきの座長のパフォーマンスを真似ているのか、思い切り芝居くさい間だ。

 座長の方も調子を合わせ、次のセリフを身構えて待つ。その場にふたりの役者の劇的世界が構築されてしまった。テルミが割って入る余地はまったくない。

 「こわい」

 ひとことテツが言った。

 「こわい?」

 座長がオウム返しに訊き返す。

 「思い出すのがこわいのだ」

 「ちょっと待て。わたしは『あなたがやらなきゃならいということは何か?』と訊いているんですよ」

 「だから、思い出さなきゃならんのだ」

 「何を思い出すんです?」

 そこまで来て、テツはうつろな目で空を見上げた。

 ふたたび沈黙。しかし、今度は芝居がかっているわけではない。からだが小刻みに震え始める。また“恐怖”だ。座長は驚き、困惑してチラリとテルミの方を見た。

 “恐怖”は人間に限らず、ほとんどの動物が持つ根源的な感情だ。テルミは頭ではよくわかっているつもりだったが、さっき、そして今、テツが表わしているのは、これまでに彼女が学んできたものとはまったく違う種類の恐怖感なのだろう、と直感した。しかし、それを鎮めるための手段は同じはずだ。

 「どうすればいい?」

 とうとう座長はテルミに尋ねた。劇的世界の均衡が崩れ、ぽっかりと入口が開く。テルミはやすやすとそこから入り込み、二人の間に立つと、テツの手を取ってしっかりと握った。

 「わたしがいます」

 「ああ・・・ああ・・・」

 テツは大きく何度もうなずいた。それとともに、しばし閉ざされていた彼の心がゆっくりと開くのをテルミは感じ取った。

 「探しに行こう」

 テツが言った。

 「ええ、行きましょう。でも、もう少し休んでから」

 テルミはそう言いながら、テツを土手の草の上に座らせる。そこから小さなバッタがぴょんと跳ねて、また別の茂みに飛び込んだ。

 二人のやりとりをじっと聞いていた座長は、例の芝居がかった口調を抑えてテルミに言った。

 「わたしが言ったことは、けっして冗談の類ではない」

 「ええ、わかっています」

 「ただ、ちょっと大袈裟だったかも知れないが・・・」

 そこまで言って、ニッとした照れ笑いを見せ、

 「ああいうふうに言わないと、思ったこと・考えたことが素直に口に出てこない。伝えたいことが伝えられないのだ。つまり、その・・・真実は虚構の中にこそあるのであって・・・・」

 テルミはまじめな顔でその言葉の意味を考える。

 「あ、いいんだ。そんなに深刻に考え込まないでくれ」

 慌てて打ち消す座長に、テルミはまっすぐに向き合った。

 「わたしがロボットだから話しづらいんでしょうか?」

 「いや、そんなことはないさ。でも、そうやって真正面から来られるのは苦手だ」

 そう言いながら、座長はからだを少し横にずらした。そして、

 「おそらくきみは人間とわかり合いたいと思って、いつもがんばっているんだろう」

 「はい」

 「しかし、人間だろうがロボットだろうが、完璧にコミュニケーションを取り合う、ということは無理だ。よりよくわかり合うためには、脱線することも必要なんだ」

 「はぁ・・・」

 テルミはあいまいにうなずいた。

 「とにかく、今すぐどうこうという話じゃないが、わたしはまじめにきみたちをスカウトしている。もし、その気になったらここへ連絡してくれたまえ」

 そう言いながら、座長はジャケットの内ポケットから、金ピカの縁取りをした名詞を取り出し、テルミに渡した。

 〈劇団 冥王星 座長・永久田風乃介(とわだかぜのすけ)


 「今では宇宙に漂う単なる氷の塊として認識されてしまっているが、かつて二十世紀、冥王星は太陽系の最果て―――光届かぬ暗黒の世界で、まさしく冥界の王ハーデスのように君臨する偉大な惑星だった。わたしはその存在イメージを永久のものにすべく、わが劇団にその名を冠したというわけだ。わたしの芸名もまたしかり。わたしは宇宙のすみずみまで吹きわたる一陣の風でありたいと願っている」

 永久田がとうとうと語る劇団名・芸名の故来についての解説はチンプンカンプンだったが、とりあえずテルミは「ありがとうございます」とお礼を述べた。

 ひとしきり解説を終えた永久田は、呼吸を置くようにひとつ咳払いをしてたずねた。

 「ところで、何を探しに行くんだ?」

 「家だ」

 そう応えたのは、テルミではなく、草の上に座っていたテツだ。

 「家がこの近くに?」

 「そうだ」

 「家は大事だからな」

 そう言いながら永久田は目線をテルミにもどし、

 「見つけてあげられるといいな」と言って、またウィンクをした。

 そのセリフをきっかけに、事の成り行きを見守っていた他の座員たちが、それぞれゆらゆらと立ち上がる。永久田もふたたびサックスを抱え上げた。よく磨き上げられた金色のボディが日の光を反射して、まぶしく光る。

 「まだひと仕事残っているからな」

 永久田はくるりと背中を向けて歩き出した。

 「あばよ」

 「元気でな」

 「バイバイ」

 「また会おう」

 座員たちは口々に別れの言葉を残し、座長の後に続いてエッチラオッチラ土手を上っていく。そして上まで上りきると、総勢五人のチンドン屋=劇団冥王星は、青空をバックにしてずらりと横一列に並び、最後にもう一度、テツとテルミに向かい合った。永久田がサックスを構える。河原全体を劇場の客席に見立て、エネルギッシュな演奏が爆発する。

 〈聖者の行進〉だ。

 テツとテルミが手拍子でそれに応えるのを確かめると、永久田は満足そうな笑みを浮かべ、そのまま土手の向こう側へ下りて行く。やがて全員の姿が見えなくなると、演奏曲はチンドン屋のスタンダードナンバー〈美しき天然〉に変わった。テツとふたりでだだっ広い河原に取り残されたテルミは、いつの間にか日が西に傾き始めていることに気がついた。

 チンドン屋の演奏がしだいに遠ざかっていく。その音が完全に聞こえなくなるまで、ふたりはだまって川の景色を眺めていた。

 リバーステーションに荷物を載せた船が到着する。ロボットたちの荷おろし作業が始まる。作業は無駄なく、たんたんと進み、わずか数分で終わってしまった。船が離れ、また河原が虫の声や水鳥の声で覆われると、テツはおもむろに立ち上がった。

 「行こう」

 ふだんの明朗な声だ。そして、ふだんよりもひときわ力強い足取りで歩き出す。

 「テッちゃん―――」

 テルミも元気よく立ち上がり、後を追った。



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