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退屈な一日

5.退屈な一日


昨日、テツは退屈な一日を過ごした。

仲間のじいさんばあさんたちはけっして嫌な連中ではないのだが、いっしょに遊ぶとなると気が合わなかったり、物足りなかったりして、とても長い時間はもたない。ひとりひとりが確固たる自分の世界を持ってしまっているため、どうしても話が噛み合わず、イライラしてしまうのだ。

その前の日のプールでの騒ぎのように、一瞬なら心を解放し、仲間同士で大きく盛り上がることはあるのだが、それはまたすぐにもとの木阿弥にもどり、それぞれの閉じた世界へ帰っていってしまう。それぞれの世界をつなげ合わせられないところが、老人の老人たるゆえん、認知症の認知症たるゆえんと言ってもいいだろう。

―――しかたない。あいつらみんな、ボケてるからな。

自分のことは棚に上げ、テツはそううそぶく。

新しく入ってきた世話係たち、つまり、アンドロイドの介護スタッフも、やはり面白くない。

 ―――あいつらはおれをおとなしくさせることしか考えていないからな。

 “人間的”と評される彼らの微笑が、テツからは、上っ面だけのなんとも胡散臭いお笑い仮面にしか見えなかった。園長や介護士長にいたっては論外で、ほんの数秒でもいっしょにいたいとは思わない。年寄りをいたわるフリをするばかりの大根役者の芝居に付き合うのはまっびらごめんだった。

 ―――やっぱりあの女がいないと。

 テツはテルミの顔を思い浮かべた。小さな天国であり、美しい牢獄とも言えるこのホームで、彼の提案する遊びを受け入れ、そこからまた新しい遊びを創り出し、自由と興奮を味わわせてくれるのは彼女以外になかった。

 昨日、朝食の後に庭に出ると、彼女はスーツを着た若い男と車に乗って出かけるところだった。これまでにも時々見かけたことのある銀色のピカピカの高級車だ。

 声をかける間もなく、車のドアは閉まり、そのままどこかへ走り去って行った。聞けば用事があって一日帰ってこないという。そんなことは彼女がこのホームに来て以来、初めてのことだった。

 ♪ドント・レット・ミー・ダウン

 テツは思わず百年ほど前に流行った古い英語の歌を口ずさんだ。

 「がっかりさせるなよ」

 ―――たしかこれは“カブトムシ”とかいう名前のバンドが歌っていた。今日はカブトムシを捕りに行きたかったのになぁ・・・。

 こうしてテツにとって、テルミのいない長い長い一日が始まった。


 ナーサリーライムに入居しているじいさんばあさんの大半は子ども返りしている人で、ホーム内はさながら保育園のようだ。

 保育園でも生活の中の行動の一つ一つに世話を焼かなくてはならない乳幼児から、ほとんどのことをひとりで出来る年長組まで、成長レベルによって様々だが、こちらの方も“退行レベル”と言えばいいのだろうか、テツのように目を離すとすぐに飛び出して行ってしまう独立型から、だんだん衰えて乳児に近くなってしまう人までが一緒に暮らしていた。

 ただ、子どもと違って彼らにはこれまでの社会を支えて働いてきた過去があり、一人前の人間としてのプライドがあった。退行してしまったとはいえ、そのふるまいや言葉づかいのはしばしには、彼らの人生を想起させるものが現われる。

 かつて社長だった人、教師だった人、音楽家だった人、トラックを運転していた人、科学の研究をしていた人、占い師だった人、ラーメン屋だった人、株で儲けた人、競馬が好きだった人、お金持ちのお嬢様だった人、アイドル女優だった人、子育てで苦労した人、お酒が好きだった人、ペットを可愛がっていた人、スポーツ選手だった人・・・。

 テツはそうした仲間たちの特徴を捉えて、〈カブ〉だの、〈シャチョー〉だの、〈おじょう〉だの、あだ名を付けて呼んでいた。そして、彼ら・彼女らの自慢話をからかったり、身の上話を聞いてやったりするのだ。

 しかし、テツはあくまで〈テツ〉のままだった。

 というのは彼は純粋に子ども化しており、かつての職業や家庭・生活環境を窺わせるものが欠落していたのだ。過去を持たず、未来だけが開けている子ども―――少なくとも周囲の仲間たちには、テツはそう見えた。

 さて、そんなテツにとって退屈さをしのぐのは大仕事だった。テルミがいなければ外に出してもらえるはずもなく、ホーム内で年寄り仲間とお喋りをしているしかない。

 かつて株の投資で天国と地獄を味わったという〈カブ〉は、ギョロ目の小柄なじいさんで、いつでも株価のページが見えるように折りたたんだ新聞を片時も放さずに持ち歩いている。とは言え、ホームにいて投資できるお金があるはずもなく、この新聞は幼い子どもが安心するために持って歩く毛布・タオル・ぬいぐるみの類と変わらない。

最初、テツはこのカブのところに行き、カブトムシの話をしようと思った。株式の“カブ”とカブトムシの“カブ”が、頭の中で混同されている。しかし、やはりカブは株の話しかしなかった。それもこれまですでに何百回と聞かされている急高騰と大暴落の話ばかりだ。

 そこへ元社長の〈シャチョー〉が割り込んでくる。若い頃の苦労話から始まって、起業の時の決意、資金の調達、自分の才能を信じ支えてくれた女たち・・・と、こちらが話すのもとっくに聞き飽きたエピソードのオンパレード。そして、やがてはそれも金儲けの話へたどり着く。

するとそこへ子育てで苦労したという〈クロママ〉が割り込んでくる。

 「あんたがたのように金儲けのことしか考えていない連中ばかりだから、この国はダメになっちまったんだよ」

 クロママはお金のことでも苦労してきたようで、二人にそんな呪いの言葉を吐き散らした。これもまたいつものパターンだ。

 そして、クロママが喋り出すと、自称・彼女の味方であり、子どもの教育に人生を捧げてきたという元校長(うわさによれば、実際には校長になれずじまいで定年を迎えてしまったらしい)の〈コーチョー〉も寄って来て、やたらと流暢な口調でお説教を始める。

 カブとシャチョーにお説教の矛先が向いている間に、テツはたまらずその場を離れた。いつものことながら、こういう場合は逃げるに限るということをよく知っていたのだ。

 ―――そもそもカブを相手に話をしようとしたのが間違いだった。

 そう思いながら廊下を歩いていると、なんだか後をつけられているような気配を感じる。テツにはそれがすぐに誰だかわかった。

 サッと振り返る。

 それまで後をつけていた人物も、ハタと立ち止まる。

 足もとはピンクのバレエシューズ。そのシューズに見事にコーディネイトされたピンクのフリフリの可愛らしいドレス。そのドレスに身を包んだばあさんが、しわの寄った目もとの奥にある、少し白濁したつぶらな瞳でテツを見つめていた。

 キューちゃん。

 彼女はそう呼ばれていた。いつもキュートな服を着ていること、さらに頭が大きく、キューピーみたいな顔立ちをしていることから付けられたニックネームだ。ファッションは目立つが、いつも控え目でおとなしく、夢見る少女のようにひとりでボーッとしているタイプだった。

 テツはこれまでほとんど口をきいたことはなかったが、自分を見つめる彼女の目に何か異様なものを感じ、尋ねた。

 「何か用か?」

 キューちゃんは少しためらった様子で聞き返す。

 「今日はロボット、いないのね?」

 「ロボット?」

 「いつもいっしょにいる、あの・・・」

 「ああ」

 「どうして?」

 「わかんねぇ」

 会話はそこで途切れた。

 キューちゃんはまだ何か言いたいようだが、ためらっている。

 「もういいのか?」

 テツはじいさん―――自分ではじいさんとは思っていないが―――の割に気が短い。すぐにじれったくなってキューちゃんに言い放った。

 「もう行くぞ」

 「今日だけ?」

 「何が?」

 「ロボット、いないの」

 「知らん」

 「ずっとだといいな」

 「なに言ってるんだ、おまえ」

 「ずうっとだと、いいなっ!」

 最後にキューちゃんは大きな声で叫んでクルリと振り返り、駆け出した。

 テツには内気な少女の思いも、テルミに対する激しい嫉妬心も何も伝わらなかった。


 この日、唯一いつもと違う出来事―――というほどのことでもないが―――といえば、このキューちゃんの一件だけ。どこで誰と話しても噛み合わず、何か新しい発見があるわけでもなく、テツは悶々としたまま一日を過ごしてしまった。

 ―――もし、あいつがこのまま帰ってこなかったら・・・。

 夜、テツは不安感に苛まれながらベッドに潜り込んだ。

 眠りたくても眠れない。

 こういう得体の知れない苦痛を味わうのはどれくらいぶりだろう?

 そういえば遠い昔、こんな夜がしょっちゅうあったような気がする。

 白い壁に囲まれた部屋、コンピュータの画面に映し出される図や数式、さまざまな工具・・・

 あの工具は何に使う物だったのだろう?

 自分はあそこで何をやっていたのだろう?

 それよりも何よりも、どうしてこんなことを思い出したのだろう?

 しかし、思考はそこで途切れた。眠れない夜は必ず終わる。

 そして、夜は必ず明ける。


       ×   ×   ×


 「メンテナンスは完了しました」

 朝日の差し込む園長室に富士の明朗な声が響いた。

 「本当に大丈夫なんですか?」

 訝しげに一条が尋ねる。

 「ええ。ただし、ご購入いただいた時の注意事項をもう一度よく思い出してください」

 「何だったっけ?」

 小田部は一条と顔を見合わせた。


 園長室で三人が話している間、その外で待っていたテルミのカメラアイは、ぼんやり園庭を散歩しているテツの姿を捉えた。ふだんは朝から元気なテツだが、今朝はねぼけた顔をしている。

 ―――こういう時は急いで走り寄るよりも、ゆっくり歩み寄る方がいい。

 テルミの電子頭脳はとっさにそう判断した。


 「わが社のヒューマノイドは行動し、学習することによって、自分自身で行動パターンをプログラミングできる能力を備えています。つまり、人間の子どもと同じです」

 「人間じゃないわ」

 一条は不機嫌そうに富士に切り返した。


 「ただいま」

 テルミが声をかけると、テツは顔を上げ、まぶしそうに彼女を見つめた。「おかえり」とも「どこへ行っていた?」とも言わず、テツはただ黙ってテルミを見つめている。

 「ただいま」

 もう一度、テルミは笑顔で言った。


 「言い換えましょう。犬や猫などの動物と同じです。ですからどんな環境で働くかが大きな影響を及ぼします」

 一条のようなロボット嫌いの人間は大勢いる。自社の誇るべき製品であるアンドロイドを「犬猫と同じ」というのは抵抗があったが、こうした人間を納得させるためにはしかたがない。

 「すると冨士さん、あなたはここの環境、要するにわたしたちの言うこと・やることがよろしくないと、こうおっしゃるわけですね?」

 小田部の口調は相変わらず穏やかでトボけていたが、その中にはたっぷりトゲが含まれていた。富士は焦ることなく、冷静に次の言葉を繋いだ。

 「話を最後まで聞いてください」


 テルミの顔をじっと見ていたテツは、踵を返して走り出し、低い柵を越えて、夏の花が咲き乱れる花壇に飛び込んだ。

 「入っちゃだめよ!」

 制止する声を無視して、テツは花を次々とむしり始めた。

 「何するの!」

 慌てて止めに入ったテルミに向かって、テツはむしった花をさっさと束ねて差し出した。

 「え?」

 花のいい香りが鼻をやさしく刺激する。

 テルミはその香りをもっとたっぷり味わおうと大きく息を吸った。

 そのタイミングを見計らったかのように、テツはニヤリと笑って彼女の顔に花びらの雨を浴びせた。

 「きゃっ!」

 テルミは悲鳴を上げながら笑う。


 「原因はおそらくあの人でしょう」

 富士はひとこと言って、二人の反応を待った。

 一条は押し黙ったまま、小田部の顔を窺う。互いに何かを了解した後、小田部はポツリと言った。

 「玉田さんのことかね?」

 富士はゆっくりうなずく。

 「彼女は彼からかなり多くのことを学んでいます。当初プログラムされた感情とはまったく違うものを」

 そのとき、園長室の窓の外をテツが走り抜けた。それをテルミがわざとゆっくりしたスピードで追い駆ける。二人とも鬼ごっこをする子どものようにはしゃいでいる。

 走るテルミの髪から一枚の黄色い花びらが放れ、ふわりと風に舞った。

 その花びらの舞う映像が、富士の目にひどく鮮烈に焼き付く。汗をかかずにすむ、このエアコンの効いた涼しい部屋が、彼にとって、なぜか急に居心地の悪い場所に感じられるようになった。




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