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ナーサリーライム

3.ナーサリーライム


 昼下がり。セミたちの合唱がいちだんとうるさく響く時間。特別養護老人ホーム〈ナーサリーライム〉の中は静けさに包まれていた。ふだんから半分くらいの入居者は此の時間帯に昼寝をするのだが、今日は先ほどのプールでの大さわぎもあったせいで、ほとんど全員がぐっすり眠っていた。

 セミ捕りに出かけていたテツ—―玉田(たまだ)(てつ)(はる)も自分の部屋で高いびきをかいている。起きているときも眠っているときも七つの子どもと何ら変わらない。

 「いくら子どもがえりしていても、あの人のボディはもうポンコツなの」

 一条紀子は少し声を荒げてそう言うと、テーブルの上に置いてある菓子器から一口大のチョコレートをつまみ上げ、口に運んだ。

 〈ナーサリーライム〉のナースステーションは事務仕事ができるスペースと、休憩用のスペースとに分かれている。全体的にはかなりの広さがあり、見た目は快適なホームオフィス兼リビングルームといった印象だ。ただ、ここで働いている介護士たちは、介護士長の一条以外は全員、テルミをはじめとするロボットなので、ゆったりとしたソファのある休憩スペースは、ほぼ彼女の独占状態だった。事実、一条自身も自宅よりこのナースステーションの方を居心地よく感じているようだ。

 一個食べたら止まらなくなったのか、次々と一口チョコを口の中に放り込みながら、一条は目の前のテルミに向かって説教を始めた。

 「玉田さんのことはあんたにまかせてあるんだから、しっかりしてちょうだい。今日だってお客さんの前であんな騒ぎを起こして」

 「お客さんは喜んでいた方が多かったようですけど」

 テルミはケロッと微笑んで言う。

 「そういう問題じゃないの!」

 反抗的というわけではないのだが、彼女ら人間に近いロボット―――アンドロイドは、これまでのロボットとはちがって、人間に従うだけでなく、自分の電子頭脳で考え、意見を言うので、それがひどく生意気に見えてしまう。一条はとくにこのテルミとはどうも相性が合わないらしい。

 「とにかく、あの人はどんどんひどくなっていくわ」

 「そうでしょうか?」

 「だってそうじゃない。今朝だって、わざわざあの公園まで出張してセミを捕っていたんでしょ。すっかり子どもに返っている。こういうことは『認知症が進行している』と診断するのがふつうです」

 「子どもに返って『どんどん元気になっている』とは言えないんですか?」

 またもや口ごたえされて、頭に血が上る。

 「なんですって?」

 「わたしがここで初めて出会ったとき、あの人はうつろな目をして何かをぼんやり探しているような毎日を送っていました。それがここ最近、とてもいきいきと活動するようになってきたんです。わたしが思うに、あれが本当のテッちゃんなんじゃないでしょうか?」

 そこまで聞いて、一条はチョコをつまむのをやめ、バン!とテーブルをたたいた。

 「本当のテッちゃんもウソのテッちゃんもないの。とにかくね、最初に言ったようにあの人のからだはもうポンコツなんだから、ちゃんと見ていてくれなきゃ困るのよ。まったく、ケガでもされたらどうするの?」

 「はい・・・・」

 “ケガ”という言葉に反応したのか、今度はテルミはおとなしく言うことを聞いて下を向いた。一条は少し満足げにソファの背もたれにからだをもたれかけながら、

 「ま、骨の二、三本でも折ってもらった方がおとなしくなって、こっちとしてはありがたいんだけどね」

 テルミが顔を上げるのと、一条があわてて背もたれからからだを起こすのとは、ほとんど同時だった。

 「い、今のメモった?」

 不用意な発言―――というか、ポロリと洩らしてしまったホンネのセリフにオロオロする一条。それに対し、テルミは左耳に人差し指を入れてクルリと回す動作をした。すると、彼女の口を通して、たった今、録音されたばかりの声が再生される。

 「ま、骨の二、三本でも折ってもらった方がおとなしくなって、こっちとしてはありがたいんだけどね」

 責任ある立場の人間にあるまじきこのセリフを耳にして、発言の主はこのなまいきなロボット介護士に哀願しなくてはならなかった。

 「取り消して。お願い」

 テルミはうなずき、先ほどとは逆の方向に指を回す動作をしてから答える。

 「消去しました」

 ほっと安堵した一条は、またもやソファにからだを投げ出した。彼女がテルミを憎みきれないのは、こうしたいかにも人間くさいズルさをわかってくれるからだ。それにしてもロボットの持つメモリ機能は便利で重宝する反面、とてつもなくやっかいな代物だ。


 テルミと一条がナースステーションでそんなやりとりをしている間に、昼寝をしていたじいさん・ばあさんたちが目を覚ました。このあとはからだを動かすための機能訓練、つまり体操の時間。そして、おやつ、ちょっとしたレクリエーションタイム、入浴、夕食・・・・と、ふたたび彼らが眠りにつく時間まで、しっかりしたスケジュールが組まれている。老人を介護する仕事は、肉体的にも精神的にも負担が大きいが、ロボットたちは難なく仕事をこなしていく。

 もちろん、最初はこうした職場にロボットが進出することに賛成する人は少なかった。

 工業製品の生産や農作物の管理・収穫、建築土木作業など、直接人間と接触する必要のない職場では、すでにロボットは主要な労働力になっていたが、きめ細かいコミュニケーション能力が求められる場所では、やはり人間でなければ務まらない、という声が圧倒的だった。しかし、それもすでにひと昔前の話になりつつある。

 二十一世紀も後半に入ると、人々は日常の生活シーンにロボットの力・存在を求めるようになってきた。ただ単に便利な機械・使い勝手のいい労働力としてだけでなく、人生のあらゆる場面で世話をしてくれる新しい家族・新しい友だちが求められ始めたのだ。

 この生活支援技術―――ライフサポートテクノロジーの研究成果が上がるとともに、ロボットは飛躍的な進化を遂げた。ロボットが進化するということは、限りなく人間に近づくということを意味する。

新素材から開発された人工の肉と皮膚をまとった新しい世代のロボットたちは〈人間型(アンドロイド〉と呼ばれた。彼らはただ外見上、人間に見えるというだけでなく、それまでの機械人形と決定的にちがうものを持っていた。

 それは優れたコミュニケーションスキルだ。

 ヒューマノイドたちはあらかじめプログラムされた行動を繰り返すのではなく、学習機能を働かせることによって、その時・その場の状況や、向かい合う人間に合わせて行動パターンを自在に変化させることができる。つまり、人間と同じように心を持ち、成長することができるのだ。

 そしてまた、彼らは仕事をすること・人間社会に奉仕することに大きな喜びと誇りを感じていた。そうした喜びと誇りは、機械で組成されたボディにも確実に“魂”のようなものを刻み込んでいった。

 こうして彼らは、いわば〈新しい人類〉となって、世界中の国の日常生活の中に入り込んでいった。ありふれた街の風景の中で、彼らは人間と会話し、自分に与えられた仕事を行なっていく。そこには不安も疑問も迷いもない。そして、仕事を確実にこなすことによって、人間が抱えるさまざまな問題の解決は、次第に彼らの活躍に委ねられるようになっていく。


 テルミも例外に洩れず、自分の仕事がとても好きだった。午後から夜にかけても彼女は働き通しだ。

昼寝の時間が終わっても起き出して来ないじいさん・ばあさんの部屋を回り、気分や体調を訊いていく。レクリエーションのリーダーを務めたり、本を読んで聞かせたりもする。

 トイレやお風呂に入るのを手助けするのも大仕事だ。毎日必ず気分が悪くなったり、便器から立ち上がれない、バスタブから出られない、といった人たちが現われるので、担ぎ出してくることもしばしばある。

 食事をさせるのもけっして簡単ではない。食べない人、逆に食べ過ぎてしまう人をなだめすかしたり、中には一回の食事にえんえん二時間もかけて付き合うことだってある。

 さらにこうした手助けをしながらも、わがままなことや、わけのわからないことを言ってくる彼ら・彼女らの心をしっかりと受け止め、できるだけ満足してもらえるよう、こまめに対応しなくてはならない。普通の人間だったら心身ともに疲れ果て、神経が悲鳴を上げてしまうようなハードな仕事を、彼女はいつも冷静に、それでいて楽しげに行っていくのだ。


 働いていると、またたく間に一日が過ぎる。

 日の長いこの季節、時計の針が進んでようやく暗くなり、夜空に無数の星がきらめき始めると、じいさん・ばあさんたちが再びベッドに向かう時間がやってくる。

 テルミはミツコというばあさんの部屋で本を読んでいた。ミツコはお話を聞きながらでないと眠れない性質(たち)だ。今日のお話は〈シンデレラ〉

「・・・・こうしてシンデレラは王子様と結婚し、ずっとしあわせに暮らしました。」

最後まで読み終えると、いつもの通り、安心してそっと目を閉じ、静かな寝息を立て始める。時計を見ると、もう午後九時二十分。今晩は寝かしつけるのに三冊も読んだので少し時間が掛かってしまった。

 テルミがミツコの部屋を出て、そっとドアを閉めると同時に三つとなりの部屋のドアが開き、じいさんが顔を出した。テツだ。

 彼は遊んでいるとき以外はしかめっ面をしていることが多い。

 「どうしたの?」

 テルミがたずねると、テツはしかめっ面のまま、少し偉そうに切り返す。

 「もう寝る時間だ」

 「そうね。眠れないの?」

 「おまえに言っいてるんだ」

 「そうか、わたしにね。それはどうも」

 「寝ているところは見たことない」

 テツの言葉に何やらさびしげなニュアンスが混じった。甘えているのだろうか? テルミは気づかないふりをして言い返す。

 「見たいの?」

 テツはしばらく黙って彼女を見つめていた。その目は老人のものとは思えないくらい、きれいに澄んでいる。そこに浮かぶ彼の微妙な感情はさすがに量りかねた。

 テツは黙ってドアを閉めようとした。

「おやすみなさい」

 テルミは微笑んで言う。

「おやすみ」

 ついに笑うことはなかったが、テツは一日分の満足げなあいさつを残してドアの向こうに姿を消した。テルミもその「おやすみ」の一言を受け、何とも言えない充実感で胸がいっぱいになった。

 テツの世話はほとんど彼女にまかされている。ナーサリーライムには、一般にいう認知症の中でも特に“子どもがえり”の症状を持つ人が集められており、彼もその一人だった。

 「いい子にしていてくれればいいんだけどねぇ・・・」

 いたずらをしたり、すぐにホームから飛び出して行ったり、反抗的な態度を取るテツについて、一条はしばしばそうこぼす。しかし、テルミはテツが好きだった。手を焼かせられるたびに彼女の電子頭脳にはさまざまな対応手段のマニュアルが刻まれていく。それに伴ってより複雑な感情も生まれ、育まれていった。


 「オカエリナサイ」

 テルミがナースステーションに帰り着くと、夜勤のスタッフが声をかけた。

 夜勤スタッフもまた人間のかたちを持ったアンドロイドで、屈強な男性の姿をしている。いわば施設の防犯・防災を任された警備員だ。それなら外見などどうでもよさそうなものだが、夜中に起き出してきた老人たちを驚かせないよう、彼らも優しげな風貌を持っていた。ただし、人間的なコミュニケーション能力は、テルミたちよりははるかに劣っている。

 「わたしが最後?」

 テルミがそうたずねると、夜勤のロボットはうなずいた。二人は簡単な交代引継ぎ作業を済ませる。

 「何カ問題ハ?」

 「特になし」

 これは形だけのやりとりだ。夜勤のロボットスタッフには介護のノウハウが備わっていないため、何か問題を残したまま引き継ぐことはできない。また、巡回中に入居老人たちのトラブルや急病が発生した場合は、彼らはボディに埋め込まれた専用のコールボタンを押して、待機中の介護スタッフを呼び出すしくみになっている。

 そのセッティングを済ませ、テルミは夜勤スタッフを送り出す。

 「それではよろしくお願いします」

 「リョウカイ。行ッテ参リマス」

 彼らが出かけていくのを見届けると、ナースステーションには静寂がおとずれた。

 いつの頃からだろう。彼女は夜のこの静かな空気に独特の感情を抱くようになった。怖いような、それでいて愛おしいような、とても不思議な感情だ。

 昼でも夜でもロボットには働いている時間しかない。しかし、人間はもっと広く、もっと深く、変化に富んださまざまな時間を生きている。夜には夜だけの、何か特別ないとなみが星の数ほどあり、その息づかいの一つ一つが空気の中に溶け込んでいるのだろう。

 彼女はゆっくりと深呼吸し、人間のことをもっと深く知りたいと思った。この思いは日に日に強くなっていく。

 「Tell Me」

 夜のしじまに声がひびく。

 「テルミ」―――一瞬、名前を呼ばれたのかと思ったが、そうではない。自分の口をついて出た言葉だ。彼女には世界五十カ国語を理解し、会話できる言語能力が備わっていた。もちろん、英語によるこの単純なひとことの意味もすぐにわかった。

 「話して」

 思わず口に出してしまったひとりごとだったが、その音のひびきは彼女の中でこれまで眠っていた何かを目覚めさせた。

 ―――わたしの名前は「話して」だったのだ。

 しばらくの間、時計の針が進むのも忘れて、彼女はそこに立ち尽くしていた。電子頭脳の中で同じ言葉がくり返しひびく。

 「話して、話して、話して・・・」

 ―――でもわたしは、誰に、何を話して欲しいのだろう?

 新たな発見は新たな疑問を生み出す。

 しかしそれ以上、業務に関係のない思考に時間を費やすことは許されなかった。彼女のからだはすでにスリープモードにスイッチされようとしている。働き過ぎを防ぎ、製品寿命をできるだけ長く保つため、すべてのヒューマノイドには自動保守装置が内蔵されているのだ。

 テルミはそこまででいったん思考を中断した。そして、デスクの並ぶオフィスのスペース、ソファセットが設えられたリビングのスペースを通り抜けて、ナースステーションの奥の隅にあるドアを開いた。

 中は真っ暗だった。

 自分の目をサーチライトに切り替える。二つの目から帯のような二本の光が放たれ、室内の様子を浮かび上がらせる。広さはおよそ十畳ほど。家具もなく、窓もなく、電灯もなく、ただ四方を白い壁で囲った、空き箱のような空間。

 サーチライトの光が、向かって左側の壁の前に座っている七体の仲間の姿を捉えた。彼女より先に今日の仕事を終え、ここにもどってきたスタッフのロボットたちだ。いずれも膝を折り曲げ、腕をたたんで、からだ全体を丸めている。それは人間の胎児を模した姿勢で、アンドロイドはスリープモードに入るとき、つまり、眠りにつくとき、こうした格好になる。

 テルミも壁面を背にして、彼らのとなりに座る。そして、スリープモードの姿勢を取ると、あっという間に、今度は本当の闇と静寂が彼女の意識を包み込んだ。



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