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昔の家

商店街を抜けると、小さな家やアパート、マンションが密集した住宅地になる。その隙間にあるコインパークに周囲の環境と不釣合いな高級車が入ってきた。その様子をとなりの家の塀の上から黒いネコがじっと見ている。

富士は車を停め、エンジンを切った。ドアを開けて外に出ると、黒ネコと目を合わせる。どうやらどこかの飼い猫らしくピンク色の首輪を付けている。ウィンクを送って「ニャー」とひとこと、泣きまねをしてみた。ネコは少し驚いた様子で、からだをピクリと動かしたが、好奇心にかられて、そこから立ち去りがたいようだ。

「そうだ。好奇心だよ、好奇心」

ひとりごとなのか、ネコに言ったのか、それとも・・・・。

そのとき、上着の内ポケットの中で携帯電話が鳴った。彼は思考が中断されたことに舌打ちし、懐中から電話を取り出した。誰がかけてきたのかはわかっている。

「もしもし――」

電話の向こうで小田部晋作があたふたした様子で何か喋っていた。話の内容は別に聞くまでもない。

「まもなく着きます。どうぞご心配なく。十分後にこちらからお電話しますよ」

富士はそれだけ伝えると、さっさと電話を切った。ディスプレイの表示を見る。通話時間は十一秒。塀の上にもう一度目をやると、すでにネコの姿はない。

「わざわざうるさい」

通話時間が十秒を切れなかったこと、そして、ネコの行動の方が素早かったこと―――自分ののろまさを示す二つのことに腹を立てながら、電話をふたたび内ポケットに戻し、、夕方のむし暑い、まとわりつくような空気を感じてネクタイをゆるめると、ひとつ軽い深呼吸をする。

目的地はここから二ブロック先。彼は電柱の住所表示を確かめると、おもむろに歩き始めた。


×    ×    ×


コインパークに富士の車が到着する少し前、テツとテルミはそこから二ブロック先の場所でぼう然と佇んでいた。

「ここがぼくの住んでいた家・・・・のあったところ?」

先に口を開いたのはテツだ。

「うん、たしかにここになっていた」

テルミはもう一度、自分の頭の中にメモされているテツのパーソナルデータ―――その出生地の部分と、住所表示とを慎重に照らし合わせてみた。まちがいはない。ふたりの目の前には廃棄された自動車、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、掃除機などの家庭電化製品、それにコンピュータや旧式のロボットまでが山のように積み上げられていた。そこはスクラップ置き場になっていたのだ。

その光景はショッキングだったが、よくよく冷静になって考えてみれば、ここにテツの家があった――彼が十八歳のころまで住んでいた―――というデータは、五十年以上も前の情報だ。

―――-どうしてわたしは、それが今も変わらずに残っていると思っていたのだろう?

テルミは受けたショックをやわらげようと、自分の思い込みについて振り返った。

ホームを出るとき、手に入れていたのは“住所”という記号だけだった。それで十分だろうと思っていた。その記号が記された場所につれていけば、テツの記憶がよみがえるかも知れない、自分がどういう人間だったのかを思い出すかも知れない―――そう予測し、目的地にたどり着く以外のことはまったく考えていなかったのだ。

しかし、この道行きで、これまで出会ったことのなかったさまざまなものに遭遇し、コミュニケーションを交わした。気のいい運転手、豊かな川の流れ、なつかしの下町商店街、皮肉を売るタバコ屋のおばさん、チンドン屋を務める旅の一座・・・・。

彼女の脳裏に「夢を見た」という言葉が閃いた。

“夢”が現実とかけ離れた突拍子もない出来事、あるいは心の中にある願望の現れとするなら、ロボットが夢を見るということはあり得ない。未来を予測するとしても、それはあくまで、今、存在するデータを分析した結果だ。つまり、夢を見るという行為は人間の専売特許なのだ。ところが今日一日、テルミはいわゆる“冒険”を体験することによって、もともと備えている能力を狂わされてしまった。

―――-わたしは夢を見たのだろうか?

テルミはもう一度、心の中でくり返した。本来なら自分が犯した過ちを反省しなくてはならないところだが、なぜか嬉しいと思う気持ちの方が勝っていた。ここまでの旅路を、この街のすべてを抱きしめたい、とさえ思う。“夢”は愚かで馬鹿げたものなのに、どうしてこんな気持ちになるのか、よくわからなかった。

「いい」

かたわらでテツがつぶやいた。

「え、今、なんて?」

「これでいい」

テルミはすぐには意味が飲み込めず、テツの横顔を見て「あっ」と声を上げた。

蒼白の顔がそこにあった。さっきパニックを起こしたときとはまたちがう、それは彼が老人であることを改めて思い出させる顔、瀕死の危機にさらされている人の顔だった。どうしてこれほど急激に老け込んでしまったのか、まったく理解できない。

やはり、この住所を見たショックのせいなのか?

やはり、今日一日は、おろかでバカげた一日だったのだろうか? 

彼女は大きくたじろぎ、どう言葉をかけていいのか、わからなくなった。

「テッちゃん・・・」

とりあえず名前を呼んでみる。

「これでいい」

「どうしたの? 何がこれでいいの?」

テルミがテツの肩に手を置いたとき、

「遠足、お疲れさま」

背後からそう声をかけられ、振り返ると、やや離れたところに富士晃が立っていた。その瞬間、テルミはいっきに現実に引き戻される。

「どうしてぼくがここにいるかはわかるだろう?」

富士はゆっくりと歩きながら言う。口もとが笑みでゆるみ、声には楽しそうなニュアンスが混じっている。

「お迎えに来た」

「はい」

テルミは小さく返事をした。

富士はテツの様子にちらりと目をやって言う。

「ほんとうに、すいぶんとお疲れのようだ。きみはアンドロイド―――ロボットだが、そちらの方は人間。それもお年寄り。体力に違いがあり過ぎる」 

 テルミは返す言葉もなく、うつむくばかり。富士はさらに一歩近づき、彼女に最後のひとことを刺した。

 「自分が何をやったか、わかっているね?」

 テルミは小さくうなずいた。

 「ついてきなさい」

 富士はきびすを返し、ずんずんと歩き出す。テルミはもう従うしかなく、テツを抱きかかえながら、その背中を追おうとした。

 しかし、彼はその手をはねのける。そしてもう一度、スクラップの山と向き合った。

 「テッちゃん・・・」

 富士も気が付いて振り返る。

 「どうしたんだ?」

 「ぼくはここにいた・・・」

 テツは喉の奥から搾り出すような声でいった。その声には、これまで彼の口から聞いたこともない、懸命な響きがあった。

 「やっぱり、ここにいたのね?」

 「もう聞かなくていい」

 富士がとがめたが、テルミはそれを無視して問いかける。

 「どんなふうに暮らしていたんだろう?」

 テツは懸命に何かを思い出そうとしているようだ。しかし、力が尽きたのか、もうそれ以上は立っていられなくなり、その場にくずれ落ちてしまった。

 「テッちゃん!」

 あわてて抱き起こすテルミ。

 その姿を富士はじっと冷ややかな目で見つめていた。




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