「わ」
終助詞の「わ」で最初に「てよだわ言葉」を思い浮かべる方には
「俺ら、コンビニ寄って待っとくわ。」
という文章に違和感があるのでしょうか?
書き言葉にするなら、
「俺らはコンビニに寄って、待っているね。」
うーん。さすがにニュアンスは変わりますよね。
「俺ら、コンビニ寄って待っとくわ。」
という台詞を小説内で書きたいとき、"待っとく"が方言であることは自覚しています。
「待っとく」→「待っている」
できますよ。
書き言葉としては、コンビニと寄るの間に助詞を補うのも良いでしょう。
「コンビニ寄って」→「コンビニに寄って」
分かります。
そうすると、
「俺ら、コンビニに寄って待っているわ。」
こうなると、終助詞の「わ」が「てよだわ言葉」の「わ」にも見えてしまいませんか??
てよだわ言葉の「わ」はどこか柔らかさを持っていて、意思や断定のようなニュアンスを乗せるように感じます。
強さではなく、強さを含むという表現はいかがでしょう。
それに対して、てよだわ言葉でない終助詞の「わ」は上品さみたいなものを上乗せしたくて使っているのではありません。
優しくはなります。話し相手を見ている感じがするので。
「待っとくわ。」
に対して
「待っとく。」
だと独り言にもなり得るというか、一方的な宣言のような捉え方ができると思います。
標準語で小説家やエッセイを書くにあたって、この「わ」の扱いが難しいです。
「待っておくね。」
ほど柔らかくないのです。もう少し、豪快というかサバサバ?カラッとしていていいのです。
「待っておくよ。」
ほど強調したくもありません。「わ」の方が気軽な雰囲気にしたいのです。
話し言葉や方言と組み合わせたら庶民的な「わ」になるのに、書き言葉や標準語にくっ付けると「てよだわ言葉」に化けてしまいます。
小説の中で、口調だけで発話者を伝えたいときなんか、カジュアルな「わ」なのか、「てよだわ言葉キャラ」の「わ」なのかって大切じゃないですか。
男性キャラでも女性キャラでも。
アニメならイントネーションの違いで誤解も減りそうですが、文字媒体の難しさですね。
さらに、ここで私が
「難しいわ!!!」
と叫んだとしたら、それはまた別の「わ」です。
ツッコミの「わ」とでも言いましょうか。
これは独り言としても使える用法ですから、相手を想定する最初の「わ」とは異なります。
もちろん、漫才の最後によく聞く
「もうええわ。どうも、ありがとうございました。」
の「わ」ですから、からなずしも独り言用というわけでもありません。
ツッコミに関してはエセになってしまうのであまり多くを語れませんが、あくまで私が使うツッコミのような「わ」は流れを堰き止め、押し返すようなニュアンスを乗せらように思います。
相手の主張や前提に意を唱えたり、理解しようという集中を切って息継ぎをしたりする感じです。
1人の方言話者より
終助詞の「わ」は「てよだわ言葉」の「わ」、カジュアルな「わ」、ツッコミのような「わ」と話し手や文脈、声色でニュアンスを変えます。
声色という判断材料が失われる書き言葉ではより影響を受けそうです。
もともと、ニュアンスを乗せることこそが終助詞の仕事でしたよね?