第三話
翌日から、ちょっとしたイジメが始まった。狙われたのは当然神楽である。机の上に花瓶が置かれており、机が水浸しになっていた。その上、彼女のカバンの中もびしょ濡れであった。中身も当然…。
濡れた鞄を乾かした後、放課後になり視聴覚室にやってくる。
「神楽、ご指名だぞ」
神代先輩は入って来た神楽にそう伝える。そして、耳元でボソッと「気をつけろよ」とだけ言い残して自分の指名客の元へ向かっていってしまった。気をつけろってなんのことなんだろう?そう思って、指名客のいる席へ向かうとその言葉の真意を知ってしまった。神楽を指名したのは花小路様だった。
花小路様は傲岸不遜というような態度で座っていた。彼女はポッドで茶葉から淹れたお茶を贅沢に飲んでいた。もちろんお菓子も付いていた。
「あら、ようやくいらっしゃったのですわね。美味しいお茶があったから良いものをお客様をこんなに待たせるものではないと思いますわよ。おーほっほっほっ」
こんなにもお客様にムカつく経験は今までもこれからもないと思う。アルバイトの経験はないわけだが。神楽は貼り付けた笑顔のままご令嬢の隣に座る。
「今日はいかがなされましたか?」
「今日はあなたに忠告に来たのですわ。下賤の民のためにどうやらささやかな工作が行われているとか。そういう噂をお聞きしましたのでそういうものが雪羅様方にお近づきになられるとあの方々の風評に関わるのですわ。一層早めにその身分を辞退されてはいかがですか?」
普通こういう状況では心配をするものではないのだろうか?何故神楽は貶されているのだろうか。そもそも神楽からしてみれば、そのイジメという名の工作をしているのもご令嬢だと思っているわけだが。
「神楽様〜」
神楽に対する黄色い声が届く。その声の主の筆頭は「所姫」という一族のご令嬢であった。平安の頃から着物を仕立てていた家系の者で、今でも代々アパレル業を営んでいらっしゃる。
神楽は花小路様に一声かけてその場を離れようとした時、その袖を引っ張られた。突然のことに態勢を崩した神楽は花小路様を押し倒すような形で倒れ込んでしまう。
「きゃああー!」
花小路様の悲鳴に視聴覚室内の生徒たちが続々とその周囲に集まってきた。当然、ホスト部員たちも同様である。
「どうかなさいましたか、彼岸姫?」
「どうもこうもありませんわ。彼女が突然私のことを押し倒して暴行をしようと」
周囲の女生徒たちは「まぁ、なんて野蛮な」と口々に噂話を始める。
「それは本当か?」
神田先輩は神楽に確認を取る。
「いえ、よろめいて押し倒してしまったのは事実ですが」
「シラを切るおつもりですか?」
「いい加減にしろ」
その場にとてつもなく冷たい空気が蔓延る。神田先輩がキレたようだった。普段温和でバカな人間がキレるとこうも怖くなるのかと改めて理解できた。
パシッ。
乾いた音がその場に響く。どうやら、神田先輩が花小路様を叩いたようだった。
「なっ、女に手をあげるなんて」
「フッ、いいんですよ。だって男が女に手をあげるのはどうかと思いますが、我々は女ですから」
「そもそもなんで?」
ご令嬢からしてみれば当然の反応である。
「なぜ?それこそ、あなたが神楽に手をあげたからでしょう。それとも我々がご存知ないとでも?証拠なぞあげればキリがないですよ。まぁ、箱入り娘のご令嬢であるあなたにとってイジメのやり方なぞ知りもしないのでしょうね」
「私は天才と謳われた人間ですわ。そんな庶民なんかより私を見てくださいませ」
「あはは、井の中の蛙大海を知らずですね。それでは我々は神様になってしまいますよ。知っていますか?天に人はおらずという言葉を」
「どういう意味ですか?」
「あなたが天才ならその上にいる我々は天の上の人、諭吉殿の言葉を借りるのなら神となってしまうわけですね」
姉妹たちが後ろで笑っている。その様子に花小路嬢は憎いものを見る目でそちらを向く。ただ、彼女を庇う者はここにはいなかった。仕方のないことであった。ここの部員は神楽を除き、上級階級の中のトップクラスである。そんな人間を敵に回したくはないのであろう。
仕舞いにはご令嬢は泣き出してしまった。自分のしでかしてしまったことの重みを理解したのだろう。彼女は寝ている虎の尾を踏んでしまったのである。
彼女の悪行は成敗され、彼女は出禁をくらい泣きながらその場を去っていった。
「「これにて一件落着だ」」「ね」
姉妹が同時に話す。
「さて、今日はとりあえず店仕舞いだ。神楽も着替えて帰るといい」
「そうします」と言い残して、部屋の奥の場所へ向かう。そこにはカーテンが設置されており、一応着替えができるスペースであった。
シュルシュルと衣が解ける音が響く。すると途端に音がしなくなった。
「おい、真姫。大丈夫か?」
返事がない。物音もなくただただ無音がそこに伸びる。神田先輩と姉妹たちが段々とソワソワし始める。今日は起きていた神水先輩は姉妹の頭をよしよしと撫でてあげている。
焦ったくなり、神田先輩がカーテンに手をかける。
「おい、開けるぞ?」
「え、ちょ、先輩?」
開かれたカーテンの先には男物の下着を着けた「少年」がいた。実のところ、神楽真姫という女性はこの世には存在しないのである。とある事情により学園に入学できた男なのであった。
その事情を知る唯一の者、神代鼓子は高らかな声をあげて笑っている。そのほかの全員は神楽の性別の衝撃と初めての男との接触(桜楼閣学園は小中高一貫の学園である)による恥ずかしさで卒倒しそうになっている。
全員が落ち着きを取り戻したところで神楽と神代への事情聴取が始まった。どうやら今日は簡単には帰ることはできないようだ。
「それで、真姫はなんでこの学校に入学したんだ?」
「それについては神楽の両親を挟んだ方が良いだろうな」
神田先輩の質問に神楽ではなく神代先輩が答えてくれる。
それから神楽は実家に連絡を取り、全員で向かうことになってしまった。