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七、儀式(上)

 その後、麗殊と朔は竹妃の自室から離れた別室に案内された。主が亡くなった房室で話をするのは気が引けるのだろう。

 侍女にしばらくお待ちを……と告げられ、彼女の帰りを待つ。その間、朔との会話は無かった。


「お待たせしました」


 房室に戻ってきた侍女は、彩りのある襦裙から白い喪服に衣替えしていた。心の整理のためか、皇帝の名が彼女を現実に呼び戻したのか。


 侍女は、麗殊と朔に向かい合うようにして、円卓の前に座る。そして、度々涙を目に浮かべながら、身の上を語ってくれた。

 侍女の名は陶鼓。竹妃の亡骸を最初に発見した娘だった。竹妃の身の回りの世話係を担い、竹枢宮の中でも最も距離の近い侍女だったという。

 朔とは今朝に顔を合わせていたことを思い出したらしく、「あのときの大医様でしたか」と呟いた。


「竹妃様は持病がおありだとか」

「ええ。生まれつき胃腸が弱くていらっしゃいました」

「近頃、そちらのご様子はどうでしたか?」

「宮中の手厚い治療により、一時期は快方へ向かっていたのですが、最近はまたぶり返したようで……。悪心や胃痛に悩まされていました」

「そうなのですね」


 麗殊の質問に、陶鼓は悲しげに視線を下げながら答える。

 どうやら、雛嬪の言っていたことは本当らしい。生前も体調が優れなかったというが、病の苦しみが死に向かわせたとは考えにくい。生まれつきというので、病との付き合いも長いようだから。


「人間関係に悩んでおられた様子はありましたか?」


 自死の原因は、人間関係にあることが多いという。後宮という閉鎖的な空間にいたならば尚更だ。

 ましてや、竹妃は四夫人のうちの一人。対抗、嫉妬、羨望……、他の妃からの視線も麗殊の比ではないだろうし、振る舞いひとつとっても常に気を張らねばならない。

 麗殊の問明けに、陶鼓は「いいえ」と首を横に振る。


「他の四夫人の方々とも仲良くやっておられたように思います。皇后様もお優しく、安心したとおっしゃられていました。……その他は、昭儀しょうぎ様、昭容しょうよう様と少し関わりがあったくらいです」


 そう語る陶鼓の声は、後になるに連れて窄んでいった。竹妃よりも下位の妃嬪である麗殊に気を遣ってのことだろう。

 要は、同じ四夫人や皇后とは親しく、下位の妃嬪の中では上位の二人くらいしか関係を持っていなかったということである。

 これは当然のことだ。高貴な立場、それも四夫人という括りに置かれている以上、必然的に同じ立場の妃か高位の皇后と距離が近くなる。

 対して、下位の妃と関わる機会は少ない。雛嬪のように積極的に繋がりを求めに行かなければ、仲を深めることは難しいだろう。


 ──客観的に見れば、妃関係に難なし。まだ見当がつかないわね。

 たとえ竹妃と最も距離の近い侍女である陶鼓でも、本人でなければその真相は分からない。問題がないように見えたとしても、それは心の奥底に隠しているだけかもしれないのだ。


 ふと、隣からヒリつく視線が突き刺さる。

 朔だ。この男は先程から全く口を挟まずに、麗殊と陶鼓のやり取りを聞いていた。その視線は陶鼓ではなく、麗殊に向けられている。


 ──そうよ、私には監視役がいたんだったわ。

 おそらく、ずっと値踏みされている。麗殊がいかにしてこの謎を解明するのか……朔はその全てを監察して、朧鳴帝に報告するのだろう。


 このまま他人に聞き取りだけをして考えても仕方がない。結局は、本人に聞かなければ分からないことも山ほどある。

 いくつかやり取りを交わして陶鼓の警戒心が緩まったところで、麗殊は本題に入る。ここからが調査の本番だ。


「生前、竹妃様が最後に食べたものは何ですか?」

「食べたもの?」


 唐突な問いに、陶鼓は眉をしかめて意味が分からないというような顔をする。


「まさか、毒を疑われているのですか? 今朝のことは主上からお聞きのはずでは」

「毒など滅相もありません。ただ、食と人との関わりは無視できるほど薄くない。むしろ、食にこそその人の性質が色濃く現れるのです。教えていただけますか?」

「はあ……」


 熱弁する麗殊に、陶鼓は首を傾げる。


「よく分かりませんけど、最後に食べたものですよね。昨夜は……あっ、夕餉は召し上がられなかったんだわ!」


 陶鼓は急に思い出したのか、口元に手を当てて「そうだった……」と呟く。


「竹妃様、昨日も胃の調子が優れないご様子で、昼餉の後は何も食べてないんです」

「そうなのですか? じゃあ、昨夜はずっとお房室に?」

「はい、気分が悪いから一人にして欲しいと。昼餉もおひとりで召し上がられました。早く就寝なさるようでしたので、私も竹妃様とは日暮れ前に、お会いしただけで……」


 これは想定外の新情報だ。日暮れ前から亡くなる寅の刻まで時間がある。その間、竹妃は誰とも会わなかったのか。気分が悪いというのは建前で、既に決心していたからなのだろうか。本当に持病がぶり返していたのか。

 口元に手を添えて考え込む麗殊に、陶鼓は「あの、」と控えめに声をかける。


「昼餉はたしか、酸梅湯サンメイタン糖醋魚タンツーユィ、山薬粥、あと蜜漬けの杏でした。……それが何か?」

「ありがとうございます……! 私にとっては一番重要なことなんです」


 麗殊が身を乗り出して礼を述べると、陶鼓は困惑した表情を見せる。申し訳ないが、この用途をひと口に説明するのは難しいのだ。


「朔殿」


 今度は、存在感の薄い隣人に声をかける。呼ばれた本人は驚く様子なく、「なにかな?」と目を細めた。


「今から尚食局に行って、竹妃様が昨日召し上がった昼餉を再現してくれるよう頼んできてくれますか?」


 麗殊が言うと、朔はきょとんと首を傾げた。陶鼓も口を挟んではこないが、怪訝な視線を麗殊に向ける。


「再現? どうしてそんなことを」

()()に必要なのです。妃の食事は帳簿に記載されていますので、食材が切れていない限り可能だと思います。断られた場合は、許可証でなんとかしていただけたら」

「別に今は忙しい時間じゃないし、それは融通が効くと思うけど……」


 朔は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに思い当たったのか、心得たとばかりに口角を上げる。


「ああ、甜氏が"食解き"をするための準備ってことね」

「そうです!」

「承知した。少し時間がかかるよ」

「大丈夫です、お願いします」


 麗殊が拱手すると、朔は頷いて足の向きを変えた。何かと従順な男だ。話がはやくて助かる。


 ──というか、この人、食解きを知っていたのね。道中では、何をするのかってしつこく尋ねてきたのに。

 朔の底意地の悪さに、麗殊はムッと頬を膨らませる。

 この男は甜氏の力を把握しておきながら、白々しく何も知らないふりをしていたわけだ。それもこれも麗殊の性格を探るためなのだろう。


 麗殊は颯爽と房室から去る朔の後ろ姿を見送り、今度は「いったい何を……?」と不思議がる陶鼓に声をかける。


「陶鼓さん、竹妃様が身に纏っていた衣裳はまだありますか? 昨日の昼餉の際と同じものです。簪や沓も全て私に」

「あの、先程からいったい何をおっしゃっているんですか?」

「主上の命による調査です。これも、死の理由を突き止めるために必要な過程なのです」


 麗殊の言葉に、陶鼓はぐっと息を詰める。

 この娘は、なんとしてでも竹妃の死の謎を解きたいはず。その望みをちらつかせれば、頷いてくれると踏んだ。


「何をするのか分かりませんけど……遺品は全てこの宮に残してあります。襦裙も沓もわたしが預かってますから、用意することは可能です」

「本当ですか……! どうか、お願いします」

「竹妃様の想いが分かるのなら、お貸しします。後でもいいですから、ちゃんと説明してくださいね」

「もちろんです。……ですが、言葉で説明するよりも、実際に見ていただいた方が分かりやすいかと」

「……分かりました」


 陶鼓は腑に落ちないといった表情を浮かべつつ、房室を出ていく。

 麗殊は彼女を見送り、顎に手を添えて考え込む。


 ──変わった献立ね。私の昼餉とは違うわ。

 どれも妃に振る舞われる宮廷料理として定番のものではない上に、味付けは甘酸っぱいもので偏っている。

 消化の良い粥を食べていたのは、やはり体調が優れないためか。陶鼓も最近の竹妃は持病がぶり返したようだ、と語っていた。

 四夫人は希望の料理を食すことができるらしいから、全て竹妃が所望したのだろうか。

 

 ほどなくして、陶鼓が大きな縦長の木箱を抱えて戻ってきた。

 蓋を開くと、中には綺麗に折り畳まれた襦裙と両足の揃った沓、髪飾りや腕飾りの仕舞われた小箱が入っていた。この木箱に竹妃の遺品を纏めていたのだろう。


 麗殊は陶鼓の許可を得て、喪服を脱ぎ、碧玉(へきしょく)色の襦裙に袖を通す。体格が異なるのか(さん)の袖が長く余ってしまうが、沓はぴったりだった。

 故人のものを身に付けるのは、なんとも形容し難い感覚だ。喪中だが、今だけは許してもらわねば。

 その間、陶鼓は神妙な面持ちで麗殊を見つめていた。何を想っているのか、麗殊には推測のしようがない。

 

「ん……?」


 ふと、嗅ぎ覚えのある香りが麗殊の鼻をくすぐる。

 それは、たった今身に纏った襦裙から漂っていた。異臭ではなく、華やかな花の香り。


 ──茉莉花?

 そう、この香りは茉莉花だ。先程陶鼓に接近したとき、彼女から香ってきたものと同じ、茉莉花の匂いである。

 陶鼓が喪服に着替えてからは感じなくなっていたが、また甘い香りが麗殊の鼻をつく。麗殊は甜氏の特質により味覚と嗅覚が敏感なため、些細な匂いも嗅ぎ取ってしまうのだ。


 ──見たところ、竹枢宮に茉莉花は咲いていないのに。

 竹枢宮の軒や庭に茉莉花らしき花は見当たらなかった。しかし、陶鼓からもこの襦裙からも、同じ香りが感じられる。竹妃の房室で香を焚いていたのだろうか。


「あの、御髪は私が」

 

 陶鼓は麗殊に声をかけ、小箱を開いて銀の簪を取り出す。

 そして、そのまま麗殊を鏡台の前の椅子に座らせ、髪を結ってくれた。高く結わえた髪に簪や櫛が煌めき、質素な姿から華やかな妃に変身する。

 麗殊が何かを言う前に、陶鼓は化粧箱を取り出した。そして、彼女は慣れた手つきで麗殊の眉を整え、唇に薄紅を差す。

 薄化粧だった麗殊の顔は、(あかり)が灯るようにしてみるみるうちに色付いていく。


「不思議ですね。容貌が似ているわけでもないのに、お化粧をしたらまるで竹妃様のようです……」


 感嘆の息を漏らす陶鼓は、麗殊ではなく、この身体を通して竹妃を見ていた。彼女は、溢れた雫が自身の頬を伝うのに気づいていない。


 麗殊は陶鼓から視線を外し、鏡に映る己と向き合う。

 竹妃は死んだ。彼女は、麗殊とはほとんど関わりのない娘だった。しかし、襦裙や簪に触れる陶鼓の眼差しを見ていると、まるで親しい友を亡くしたかのような哀傷を覚える。


 ──自分でも、七変化してしまうこの顔が不思議だわ。

 儀式の準備をする度に、他者になりきってしまう己に驚かされる。主張のない顔立ちは、他人に姿を似せるのに適すようにして造られているのだろう。


「まるで、竹妃様の心まで分かってしまいそうです」

「……ええ」


 異能を見透したかのよう陶鼓の呟きに、麗殊は曖昧に相槌を打つ。


 麗殊は甜氏の血を色濃く受け継ぎ、幻食げんしょくという異能を持って生まれた。

 幻食とは、食事行為を媒介として、魂身こんしん──儀式の対象者──の記憶を見ることができる力のことである。幻食の力を用いて謎を解くことを、甜氏を知る人々は"食解き"と呼ぶ。

 衣裳や飾りなどの触媒は、これから行う幻食の儀式に不可欠だ。魂身が身に付けていた時間が長い触媒の方が好ましく、その数は豊富なほど精度が上がる。モノには人間の魂が宿る……それが甜氏の考え方なのだ。


 触媒は必ずしも身に纏う必要はなく、本来は化粧なども不要なのだが、此度の魂身は死者だ。死者に対する儀式を成功させるためには、こちらとしても色々と工夫しなければならない。

 こちらの準備は整った。あとは朔を待つのみだ。

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