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六、調査

 麗殊は正殿から退出して、来た道を戻る。この先どう動くべきかの計画を練ろうと、歩きながら頭を捻る……のだが。


「もしかして、これからずっと着いてくるのですか?」


 麗殊はその場に立ち止まり、振り向く。すると、同じく足を止めた青年と目が合った。


「主上は俺にあなたの手助けをしろと命じた。傍にいなければ手助けできないだろ?」


 青年─朔は不思議そうに首を傾げた。何がおかしいのだ、とでも言いたげだ。

 この男は太医であるから、妃の居住空間にだって足を踏み入れられるのである。

 麗殊が返す言葉を探して黙り込むと、朔は「ああ」と言って手をぽんと打つ。


「安心して、襲ったりしないから」

「なっ……!?」


 その大胆な発言に麗殊は飛び上がりそうになる。皇帝の寵臣とはいえ、一応は妃嬪である女に対してなんて台詞だ。

 しかし、当の本人はあまりに平然としているので、動揺するこちらがおかしいとまで思えてくる。

 麗殊は咳払いをして心を落ち着かせ、朔に尋ねる。


「……手助けって、なんでも頼んでいいんですか?」

「もちろん、なんでもどうぞ」


 朔は柔らかく微笑む。貼り付けたようなこの笑顔を見ていると、少し気味が悪い。


 ──胡散臭い人。本当に大医なの?

 随分若いが、大医として認められるほどの能力をどこで身に付けたのだろうか。しかも、この男は皇帝の私的な臣だ。血筋や家柄も人並みではないことがうかがえる。

 どうにも不信感が拭えないが、朧鳴帝が直々に与えてくれた協力者だ。探るのは止めて、今は竹妃の件に集中しよう。

 麗殊は頭を振って思考を切り替え、朔に尋ねる。


「竹妃様が亡くなられた時の状況を教えてくれますか」

「検視によると、死因は縊死いしで、梁に布を結び自分で首を括ったようだ。発見されたのは寅の刻。陶鼓とうこという侍女が早朝の準備のために寝室の前を通ったところ、窓に映る影がおかしいことに気がついたらしい」

「そうなのですね……朔殿もご遺体をご覧に?」

「うん。葬儀までは大医局で安置してあるはずだ。主上の許可があるし、あなたなら特別に通してもいいけど」

「……遠慮しておきます」


 朔は涼しい顔で受け答えする。遺体を見たばかりとは思えない落ち着きぶりだ。大医なだけあり、慣れているのだろうか。

 寅の刻といえば、麗殊が呼び出される一刻ほど前だ。麗殊は不幸が起きたことも露知らず、まだ眠っていた。

 朔は朧鳴帝の命でその場に駆けつけたのだろう。皇帝直属の大医であるから、遺体の確認を任されるのも頷ける。


「今から竹妃様の宮に行きます。封鎖されているらしいので、中に入れるように手回ししてください」

「承知した」


 試すために言ってみたのだが、あっさりと承諾されてしまう。この不思議な男は、本当に麗殊を手助けしてくれるようだ。


「そこに行って、あなたは何をする気なんだ。どうやって死の理由を明かすつもり?」


 今度は朔が口角を上げながら、こちらに問いかけてくる。


「着いてくるなら、いずれ分かりますよ」

「教えてくれないんだ、つれないなあ。主上に愛されてる俺に優しくしてれば、きっといいことがあるのに」

「随分と、自信があるのですね」

「あるよ」


 自信満々な様子でふわりと微笑む朔に、麗殊はげんなりする。

 朔はずっとこの調子だ。目を細めてこちらを探ってくる。


 ──やりづらい相手ね……。

 そう思うが、朔がいるという点は他の九嬪よりもかなり有利だ。朔の存在は、己が甜氏であることへの懸念と期待によるもの。

 朔を与えられたことからも、朧鳴帝は既に他の九嬪は眼中になく、麗殊だけに問いの答えを求めている。これは自惚れではなく事実だ。


 麗殊は朔に「そうですか」とだけ返し、前に向き直る。

 そして、着いてくる足音を耳にしながら、竹妃の宮──竹枢ちくすう宮へと歩みを進めた。



 竹枢宮は後宮の奥、光の当たりやすい場所に位置する。宮の名と位の号通り、塀の向こうに見える殿舎の中には小さな竹林が広がり、爽やかな風と香りが漂ってくる。

 これが平時ならば、心から麗らかな風情を感じられただろう。しかし、晴れやかな竹枢宮も今日ばかりは陰鬱な曇り空に覆われていた。


 ふと、殿舎の裏側から男が出てくるのを見つけた。こちらからは距離があるため、背丈が高く髪が茶色がかっていることくらいしか分からない。

 そのとき、朔から「着いたよ」と声をかけられ、麗殊の思考はすぐに本来の目的へと移った。


 筝嬪たちの話通り正門は閉じられており、それを守るように喪服を着た二人の宦官が剣を携えて立っていた。


「初めまして、充媛、甜麗殊と申します。この度は、お悔やみ申し上げます。……竹妃様のことについて侍女の方とお話させていただきたく、中に通していただけないでしょうか」


 麗殊は恐る恐る宦官のひとりに声をかけた。

 言葉を選んだつもりだが、見るからに不審者だ。突然やってきて主が死んだ現場に入りたいなど、己が竹枢宮側の立場ならば追い払ってしまうだろう。


「すみませんが、誰も中に通すことはできません。お引取りを」


 そして予想通り、宦官は怪訝な顔をして首を横に振る。

 麗殊が押黙ると、後ろにいた朔が前に踏み出してくる。 


「俺たちは主上から許可を得てここに来ました。決して、竹妃様に無礼を働こうとするのではなく、悼むためです」


 朔は懐から小さな紙を取り出した。これは、朧鳴帝の名が掘られてある印綬が押された許可証である。


「こ、これは、主上の……!」


 宦官は許可証を見て瞠目し、隣に立つもう一人の宦官と互いに顔を見合せる。そして、納得しきれない様子を見せながらも、すぐに脇へ退いた。


 門をくぐり、あっさりと籠城を崩してしまった朔に声をかける。


「許可証があったのですね」

「ああ。俺はいつもこれを持ち歩いている。便利だぞ」

「便利って……」


 平気な顔で許可証を指で揺らす朔に、麗殊は呆れてしまう。

 印の押された許可証など、そう簡単に所持できるものではない。それを常日頃から所有することを許されてるなんてとんでもないことだ。この男は、臣下の中でも一番の寵臣なのかもしれない。


 麗殊が竹枢宮を訪れた目的のひとつは、竹妃の身辺調査のため。自害の理由を読み解くには、近頃の彼女の様子や人間関係を洗う必要がある。

 もうひとつは、食についての調査だ。己の力で、食解きを行うための。


 麗殊は朔を連れて渡り廊下を歩いていく。

 殿舎の中に人は少なく、時折、主を亡くした宦官や侍女が所在なさげに立っている。荷物を纏めている者もおり、次の住処へ移る準備をしているのだろう。

 朔が許可証を掲げているため、不思議な顔をされることはあっても、誰かが話しかけてくることはなかった。


 やがて、竹妃が寝食をとっていたと思われる広い房室の前に辿り着く。殿舎の造りからして、間違いないだろう。

 房室の扉は外側に開かれており、入口付近に若い侍女が数人、部屋の中にもう一人いるようだ。中の侍女は、房室の奥に置かれた寝台に頽れるようにして身体を預けている。


「えっ、どなた……?」


 麗殊たちの足音に気がついた侍女が瞠目し、戸惑い声を上げる。戸の傍に立っている娘だ。


「私は──」

「誰っ!?」


 麗殊が名乗る前に、甲高い声と共に忙しない足音を立てて、房室の中から侍女が駆け寄ってきた。

 他の侍女が喪服を纏う中、その娘は平時の襦裙のままである。目元は赤く腫れているが、唇には血の気がなく真っ青である。髪も乱れ、ひどく生気を失っていた。


 ──花の匂い?

 血相を変えた侍女に詰め寄られた際、仄かに甘い香りが麗殊の鼻をくすぐる。房室の中で香を焚いていたのだろうか。

 侍女はすんと匂いを嗅ぐ麗殊に鋭い視線を向けた後、戸口に立つ別の侍女に語気を強めて言う。


「誰も入れないでと行ったでしょう!?」


 気が立つ侍女に、どのように事情を聞こうかあぐねていると、朔が隣に立って口を開く。許可証は依然として手にしたままだ。


「突然の訪問、申し訳ありません。俺たちは主上の勅命を受けて来ました。主上は竹妃様の死をいたく悲しんでおられます。彼女を心から追悼するためにも、死の理由の解明を望んでいるのです」

「なっ、主上が?」

「はい。ですが、この不幸の中、主上が直々に後宮を動き回ることはできませんそのため、直属の臣下である俺と……同じ妃嬪の立場である充媛(じゅうえん)様が任されたのです」


 朔はそう言って視線を横に動かし、麗殊を示した。

 侍女は沈んだ眼差しで、麗殊を見つめる。そして、はあ……と、隠すことなく暗いため息を零した。


「主上のお考えは分かりました。竹妃様がご自分で命を絶たれたなんて、未だに信じられないのに……どうして死んでしまったのか、わたしが一番知りたいです……」


 草臥れた侍女は瞳を濡らし、口元を震わせる。悲痛な娘のその表情に、麗殊の胸がちくりと痛んだ。


「竹妃様について、お聞きしてもよろしいですか?」

「はい、わたしに答えられることであれば……」


 なるべく柔らかい声になるように心がけて話しかけると、侍女は力なく頷いた。

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