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三十一、遺品

 その後、麗殊はどうやって桃晴宮まで帰ったのか分からない。気がついた時には自室でただ呆然と空虚を眺めていた。

 房室の隅に備えられた香炉から甘い花の香りが漂い、鼻先を撫でる。奇しくも、朔の手首の紋様から感じられるものと似ていた。


 ──朔殿が私に惚れた、惚れている。朔殿は私のことが好き、なの……?

 無意識に頬に手を添えると、熱い温度が返ってくる。

 己は彼に告白されたのか。そう気づいた途端、今までの朔の行動が思い出される。妙に距離が近かったのも、身体を支えてくれたのも、傘を買ってくれたのも。全て愛情の証なのだとしたら。


 彼に愛情を向けられて、嫌な気持ちはしない。むしろ胸が熱くなって……。


「って、そういう私はどうなのよ……」


 麗殊は自問自答する。己は朔にどのような感情を抱いているのか。一昨日から今朝にかけて彼に憎まれてはいないだろうかと不安になり、和解ができたら心底安堵した。


 ──私も、彼に惹かれてるのかしら。

 考えてみるだけで気恥ずかしくして、むずむずする。

 これまで生きてきて人を好いたことなど一度もない。だから、この感情が恋や愛とかの類なのか分からない。そもそも、彼と出会ってからまだ半月ほどしか経っていないのに。


「ええ……本当に……?」


 呟きには動揺と困惑の色が乗っているのが自分でも分かる。あまりに流れるように告げられ、しかも彼はそれだけを言い捨てて去っていったので、幻聴かもしれない。

 麗殊は突然の告白と己の想いを、ひとまず胸の奥に仕舞い込むことにした。


 夕餉時になり、桃晴宮にやってきた芙良に、宴の食膳を己が担うことを話した。朧鳴帝から話が行き渡るだろうが、念の為だ。芙良は少し驚いた顔をしながらも「周知しておきますね」と頷いてくれた。


 その夜、辺りが暗くなり人々の行き来が少なくなった頃、麗殊宛てに奇妙な文が届いた。炉辰から手渡されたそれは、なんと司察局からである。

 麗殊は蝋燭の灯りの下で、文を広げて整った字で書かれた文章に目を通す。

 そこには、今夜一人で司察局に来てくれないかという申し出だけが綴られていた。文末に書かれていたのは局の名のみで、詳細な差出人は分からない。


 麗殊は文を前に眉根を寄せる。怪しすぎる。後宮に来てから司察局と関わったのは、記録の閲覧を許されたあの日のみだというのに。

 夜遅くに一人でなんて少し怖いし、栖遥たちに心配されてしまう。


「そうだ、蕾がいるじゃないの。姿は見えないけど、監視のために付いてくるはず」


 そう思い、外出用の羽織りを着て、房室を出る。そして、予想通り不安げな栖遥に朔の臣下がいることを伝えると、納得してくれた。

 桃晴宮の門を潜り、ぱんっと手を叩いて蕾を呼ぶ。


「蕾」

「は」


 瞬時に音もなく現れた蕾に対して、この男はいつも何時まで見張ってるんだ……と呆れつつ話す。


「今から司察局に行くんだけど、どうせあなたも来るでしょう? ついでに護衛を頼むわ」

「はい」

「まだ朔殿には報告しないでちょうだいね。あの人に駆けつけられたら困るもの」

「分かりました」


 案外、蕾は素直に頷いてくれた。

 "朔"という名を口に出すと喉元がきゅっと締まる感覚がする。我ながら意識しすぎだ。今朝までとは別の意味であの男に振り回されている。

 もう困惑を通り越して腹立たしくなってきた。振ってやろうかしら。振るも何も、己は身動きの取れない後宮妃なのだけど。


 麗殊は暗い色の羽織りを着て、早足に司察局へと向かう。誰もが寝所に戻る頃なので、宮女も宦官もほとんど見かけない。妃嬪の宮が立ち並ぶ道を通ると、温かな灯りが闇に浮かんでいた。朧鳴帝は今夜、誰の元を訪れるのだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていると司察局に辿り着く。どんとした門構えが、今日はやけに圧を感じる。


 ──なんだか怖いわね……。

 麗殊はやや緊張しながら、足を踏み出して門を潜る。その瞬間。


「桃妃様」

「ひっ」


 突然どこからか呼びかけられ、情けない声が漏れる。

 驚きに胸を押さえながら、声のした方を見ると、門の裏に中年の男が立っていた。その顔はどこかで見たことがある。


「ようこそおいでくださいました。こちらへ」

「は、はあ……」


 なぜか焦った様子の男に促され、麗殊は建物の裏に連れられる。そして、男は正殿とは異なる小屋に入り、「中にお願いします」と案内された。

 

 ──これ、大丈夫? 変なことされないわよね。

 麗殊は不安になりつつも、いざとなれば大声で蕾を呼べばいいか……と考え、小屋の中へ足を踏み入れる。

 どうやら物置小屋のようで、壷や箱など大小様々な品々が詰まれていた。

 辺りを見渡した後、麗殊は戸惑いがちに尋ねる。


「あの、どういった御用でしょう?」


 男はその問いかけには答えずに、目元の皺を深くしてぼんやりと麗殊を見つめ、「ああ、よく似ておられる……」と呟いた。

 その視線にハッとする。この人は、以前司察局に来た際に己を凝視していたあの司察の一人だ。また、菊妃と尚食局に行った帰りに見かけた宦官の集団の中にもいた。名はたしか──。


 思い出そうとした時、男は我に返った様子で「失礼しました」と拱手する。


「私は司察、南敬といいます」


 そう、南敬だ。かつては文官だったが罪を犯したため宦官になったと、菊妃から聞いた。

 南敬は柔らかい物腰で言葉を続ける。


「突然お呼び立てしてしまい、申し訳ございません。私の方から訪れたならば厄介なことになりますので……どなたかに問われた際は、忘れ物を取りに来たとお伝えください」


 麗殊は素直に「わかりました」と頷く。

 今回は蕾がいるから大丈夫だと思うが、傍から見れば密通だと思われかねない。予めその回避策を提示してくれるこの男は聡明なのだろう。


「本題に入ります。怪しまれてはいけませんので、手短かに」


 南敬はそう言って、房室の奥に行き、影になったところに積まれた箱を一つ抱える。

 そして、「こちらをお受け取りください」と麗殊に渡した。


 箱を受け取った麗殊は、怪訝な顔で手元に視線を落とす。

 両手で抱えると胸にすっぽり収まるほど大きさをした長方形の箱。艶めく漆塗りのそれは、見た目よりも軽い。


「これは?」

「椿妃様の遺品です」


 南敬にはっきりとそう告げられ、血の気が引いていく。遺品という言葉に、箱がずしりと重くなった。


 ──うそ、椿妃様の……?

 片方の腕で箱を支え、震える手で蓋を開くと、紅色の襦裙が一着、綺麗に折り畳まれて入っていた。それを手に取り捲って見れば、小さな(くつ)が一対と金の簪が一つ、そして翡翠の腕輪が鎮座してある。


「っ……!」


 麗殊は思わず目を見張り、食い入るように腕輪を見つめる。

 入り組んだ龍の髭のような模様。それは、麗殊が頭に挿している簪と同じ。この紋様は、祖母が掘ってくれる唯一無二の装飾だ。


 ──本当に、椿妃様の遺品だわ……! まさか、今になってこんなものが手に入るなんて。

 全て幻食で用いる触媒としてこれ以上ない品々だ。これがあれば、朧鳴帝たちの触媒を集める必要はなくなる。紛れもない当人の記憶を探ることができるのだから。

 そう、麗殊の力さえ上手く発揮できたならば。


 突如として天から差し伸べられた手に、麗殊は深く動揺する。


「どうして、あなたがこんなものを……?」


 問う声が震えてしまう。混乱と同時に、都合が良すぎて何かの罠なのではないか……と警戒心が働く。

 南敬は麗殊の戸惑いも全て分かったように、落ち着いた声色で話す。


「二十二年前、司察局が椿妃様の品々の処分を任されたのですが、密かに取っておいたのです。いつか、甜氏の者が後宮に来ると信じて」

「そんな」


 麗殊は目を見開き、息を呑む。

 まさか、この男は二十二年もの長い年月の間、麗殊が来るのを待っていたのか。


「桃妃様、私はあなたの味方です。甜氏の者が後宮入りしたと知り、いてもたってもいられませんでした。きっと、椿妃様の汚名をそそいでくださると」

「汚名って……まさか、あなたは二十二年前の事件について何か知っているのですか」

「ええ、ええ。存じております。椿妃様は人を殺めるようなお方ではございませぬ。可憐で、清廉で、誰に対してもお優しく……。あの御方は死を賜わる直前まで、ずっと無実を訴えておりました」


 南敬は語気を強め、悔しげに拳を握り締める。

 甜氏以外に椿妃の無罪を信じてくれる者がいたなんて。それも、後宮の中に。

 南敬の視線の意味がようやく腑に落ちた。麗殊に椿妃を重ねて見ていたのだ。昔から、己は椿妃に似ていると言われることがある。自分では分からないが、実際にそうなのだろう。


「私が椿妃様のために後宮入りしたのかは分からないのに、どうして話してくださったのですか。もしかしたら、むしろ恨んでいるかもしれないのに」


 麗殊は己に毒を盛った隣人を思い出す。


「桃妃様が司察局の記録を探りに来た時に、確信しました。あなたは椿妃様のために動いてくださっていると」

「あの時に……そうでしたか。この遺品が残っていることを知っているのは南敬殿だけですか?」


 麗殊の問いに、南敬は首を横に振る。


「僅かですが、私以外にもいます。司察局の古株の他に、内侍鑑や大医も。その大医から、今朝あなたが黄瑞殿に行ったと聞き、誤解を生む前にはやく話しておくべきだと考えたのです」

「大医って……まさか、征椑殿も」

「そうです」


 南敬は少し誇らしげに頷く。

 今朝は、朧鳴帝との謁見の前に征椑に出会った。

 彼にも以前の南敬と同じようにまじまじと見つめられ──そこで、麗殊は気がつく。そういえば、今日は濃いめに化粧をして、髪も衣もちゃんと着飾っている。


 ──だから、余計に椿妃様と似ていたのかしら。ああ……それで、昨日よりも視線を感じたのね。

 麗殊は安堵の息を零す。

 今までのもやもやが一気に解消された。南敬にも、征椑にも何かしてしまったのではないかと不安になっていたのだ。


「そのような方々が無実を信じてくれるってことは……やはり、椿妃様は何者かに貶められたのですね」

「私共はそう踏んでいます。椿妃様は、過ぎる寵愛を注がれたばかりに、多方面から嫉妬を買ってしまってましたので……」

「南敬殿は、誰が怪しいと思いますか」


 麗殊がうかがうように訊くと、南敬は迷うように視線を彷徨わせ、重々しく口を開いた。

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