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二十六、薬師〈下〉

 麗殊は朔の後に続いて傘を閉じ、小さな青果店の中に入る。

 朔は、先程の話題はもう終わりましたよ、というような何処吹く風で「お目当てのものはありそう?」と聞いてきた。

 先程のやり取りをまだ引き摺っている麗殊は、彼の問いかけに返事をせず、店の中の商品を眺める。


 店の奥に佇む年老いた店主に、緑の皮にたくさんの赤い実が包まれた果実を知らないか訊いてみたが、彼は首を横に振った。

 店主は麗殊に尋ねる。


「その果実は灯華国で採れるものなのかい?」

「西方にある異国のものだと思うんですけど……」

「異国の品なら、あそこの店は色々揃ってるよ」


 店主は店の外に出て、斜め向かいにある青屋根の店を指で示した。なるほど、取り扱う地域によって店が分かれてあるのか。

 麗殊は店主に礼を言ってから「あの店に行くわ」とだけ朔に告げ、青屋根の店へと向かった。


 その店は露店のような形状で、立派な屋根はあるものの、通りに面する場所に大きな台を置き、そこに商品を並べてあった。店主は台の奥、店の内側に椅子を置いて座っている。両隣には同様の構えをした薬屋と鉱石屋がある。

 麗殊は通りを横切り、店の前に立つ。朔は無言で麗殊の後ろを着いてきていた。来客に気がついた店主は、こちらをちらりと見上げた。


「いらっしゃい、何かご入用かね」

「異国の果物を探してるんですけど……」


 台上に細かく仕切った入れ物を置き、そこにたくさんの果物や野菜が並べられている。(すもも)や柿、無花果(いちじく)西瓜(すいか)や茄子など馴染み深い食材の他、麗殊が見たことのないものも多く売られていた。

 麗殊は注意深く目を滑らせていく。薄紅の皮をした葡萄のような実、斑点のついた青い楕円の実、そして──。


「あっ」


 硬そうな緑皮を被った、手のひら程の大きさの果実。それが、台の右端の方の竹籠の中にいくつか積まれていた。

 ──記憶が正しければ、お爺様が手にしていたのはこれだわ。

 麗殊はその果実を指し、店主に問う。

 

「すみません、これはなんという果実ですか」

「これは火馨(かけい)といってな。灯華国の西にある国から伝わったもんで、甘味と酸味が絶妙で美味いんだ」


 店主の話を聞いて、麗殊は顔を明るくさせる。

 昨日話した時に、菊妃は『五百里も離れた西の国』に住んでいたと言っていた。当たりだ。


「中に赤い果実が詰まってますか。柘榴みたいだけど、それよりも大きめの実で」

「そうだぜ、よく知ってるなあ。これが兄ちゃんが探してるやつかね?」

「はい! これを三つください」


 思い出の饅頭ならば、菊妃も一度だけでなく何度も食べたくなるだろう。多めに買って帰ったら喜んでくれるはずだ。

 麗殊は菊妃から預かっていた銅貨を取り出し、店主に支払う。店主は火馨(かけい)を三つ麻袋に詰めて渡してくれた。

 黙ってこちらのやり取りを見ていた朔が、麗殊に声をかける。


「買えて良かったね」


 彼の顔に視線を向けると、いつもの柔らかな表情でこちらを見つめていた。

 意地を張っていても仕方がない。朔は麗殊のために朝から準備してくれたのだし、傘も贈ってくれた。今までもそう。別にこの男と距離を置きたいわけではない。ただ、少し戸惑っただけで。


 麗殊は小さく息を吐き出して、気張っていた身体の力を抜く。そして、朔を見上げて告げる。


「ありがとう。見つけられたのは朔殿のおかげだわ。傘も嬉しかった」

「あなたの役に立てたなら本望だ」


 朔はそう言って満足気に口角を上げた。

 目的は達成したから帰りましょうか、と麗殊は来た道を戻ろうと通りへと足を踏み出す。


 その時。

 突然、甘い花の香りが麗殊の鼻先を撫でる。無意識にその香りを辿って身体の向きを変えると、麗殊の右隣に男が歩み寄ってきた。この店の客かと思ったが、どうなら隣接した薬屋の客らしい。

 男は屋根の下の日陰に入り、薬屋の店主に声をかける。


「店主さん、文で頼んでたものを引き取りに来たよ」

「おお、毎度あり。元気にしてたかい?」

「おかげさまで」


 常連客なのか、男は薬屋の店主と気軽に挨拶を交わし、店の中から大きな袋を受け取る。男は「よっと」と袋を背負い、元々持っていた袋から金貨を支払った。


 まじまじと注視してしまったからか、ふいに、男が麗殊の方に顔を向けた。

 瞬間、互いの目と目が合う。


 その刹那、麗殊の中に遠い過去の記憶が勢いよく流れ込んできた。

 麻と革でできた茶色い服、肩から紐で提げた革製の袋。項辺りで一つに括った黒髪の長髪。髭は剃られているが、目元の皺は以前よりも深くなり、六年という年月を感じさせる。


 ──あの時の、薬師のおじさんだわ……!

 男は、六年前に麗殊を助けてくれた薬師だった。南方の遠い場所から神顕山にやってきたという、あの薬師だ。

 麗殊は薬師を見上げて唖然とする。まさか、こんなことがあるなんて。一昨日、ちょうど薬師の夢を見たばかりだ。波はある日突然やってくる……というのは、こういうことなのか。

 

 一方、薬師は肝を潰したような顔をして、薬草の入った袋を手にその場に固まっていた。

 麗殊は彼の表情を見て、己のことを思い出して驚いているのか、と胸を高鳴らせた。

 だが──。


「え……?」


 薬師の違和感に気が付き、麗殊の口から困惑の息が漏れる。一時の興奮が、急速に冷めていく。

 目の前に立つ男の眼差しは、麗殊に向けられていなかった。どういうわけか、麗殊ではなくその隣に立つ朔を、真っ青な顔色で凝視しているのだ。


「あの」


 呼び掛けに薬師はハッと気を取り直し、ようやく朔から視線を外して、麗殊を見下ろす。


「す、すみません。僕に何か?」


 薬師は表情を緩めて問いかける。しかし、その顔の強ばりは隠し切れていない。


 ──朔殿を知っているの?

 麗殊から話しかけたはいいものの、何と切り出せばいいのか分からない。己を覚えているか、朔を知っているのか、など聞きたいことが多すぎるのだ。

 迷って言葉を発せないでいると、朔が間に割り込んでくる。


「この方と知り合いなのか」


 朔は麗殊の肩に手を置き、一歩前に出た。眉をひそめて怪訝な表情を浮かべている。

 すると、今度は薬師の方がおずおずと尋ねてくる。麗殊ではなく、朔に。


「……あなたは、官吏様でしょうか」

「ええ。普段は文官をやっております。今日は休暇をいただいたので同僚とこうして品を漁りに。どうかしましたか」


 朔はにこやかに嘘を混ぜて話す。全く滞りなく言葉を紡ぐその姿からは、普段から騙りに慣れていることがうかがえる。

 薬師は残念そうに眉尻を下げて言う。


「知り合いによく似ていたもので。すみません、じっと見てしまって」

「構いませんよ。……もしかして、あなたは医者ですか。薬を買い込んでいらっしゃるから」

「はい、遠い村の方で薬師をやっていましてね。今日は都まで薬草を仕入れに来たのですよ」

「そうでしたか」

「あの、お名前を聞いてもいいですか? 私の知り合いと関わりがあるかもしれません」

(ちょう)高楠(こうなん)といいます」

「張高楠さん、ですか。やはり全くの人違いでした。重ね重ねすみませんね」


 薬師は朔といくつか会話を交わした後、ぺこりと拱手し、そのまま去って行ってしまった。

 口を挟む隙がないほど澱みなく話は進み、麗殊はただ呆然として、彼らのやり取りを眺めていた。


 ──妙な空気だったわ。おじさんは乾いた声で、ずっと落ち着かない表情をしていたし、朔殿は偽名まで使っていたし……。

 互いに腹の底を見せない大人同士の会話という感じだ、二人とも柔和な雰囲気はよく似ていて、でも表面的すぎる。

 というか。


「せっかく再会できたのに、私のこと聞き忘れちゃったじゃないの」


 麗殊は僅かに頬を膨らませて、朔に抗議する。薬師はもう人混みに紛れてしまって、姿が見えなくなっていた。

 すると、存外真面目な説教が返ってくる。


「知り合いなんだろうが、忍んで来ていることを忘れてはいけない。今日のあなたは甜麗殊ではなく、官吏の青年だ」

「ごめんなさい。……今の薬師、私を毒から救ってくれたおじさんなの。この前話したでしょ」

「なんだ、そうだったのか」


 名残惜しげに薬師が去っていった方を見る麗殊に、朔は「それは申し訳ないことをした……」と項垂れる。

 こちらとしても妃としての身を弁えて、慎重に行動すべきだった。

 麗殊は「大丈夫よ」と首を横に振り、薬屋の店主に訊く。


「店主さま、今の人はよく薬草を買いに来るのですか?」

「半年に一度くらいだよ。都にしか売ってない薬草をどっさり買い込んでくれるんだ」


 年老いた店主は気前良く応えてくれる。


「じゃあ、名前も知っていたりしますか」

(きょう)さんだ。こういう字を書く。名はなんて言ったっけなあ……悪いね、今度ちゃんと聞いとくよ」

「矯さんですね、ありがとうございます!」


 紙に書いて教えてくれた店主に、麗殊は頭を下げる。


 ──驚いたわ。おじさんがまさか矯氏だったなんて。

 矯氏といえば、灯華国の南の辺境に住む一族だ。北の神顕山に住む甜氏とは正反対の地域にいるが、彼らも異能を持つ。矯氏は代々薬学・医学に精通した家系で、数十年に一度、特異な呪術を扱う力を持つ者が生まれるという。

 六年前、薬師が麗殊の体内の猛毒を一夜にして解することが出来たのは、その異能のおかげなのかもしれない。そう考えると腑に落ちる。


 彼が矯氏であることと、定期的にこの店に薬草を買いに来ることを知れただけでも十分な収穫だ。今後、礼を綴った文をこの店に託すこともできる。


「よしっ、今度こそ帰りましょう」


 麗殊は嬉々として朔に声をかけ、歩み出す。しかし、いつまで経っても返事は返ってこない。

 不思議に思った麗殊は「朔殿?」と、後ろを振り向く。そこには、薬屋の前で立ち竦む朔の姿があった。垂れた横髪で暗い陰ができて、彼の表情は分からない。

 途端、麗殊は言い知れぬ不安に襲われ、もう一度朔の名を呼ぶ。


「朔殿、どうしたの」


 ようやく、朔は麗殊の声に反応して頭をもたげる。


「ああ、ごめん」


 朔は謝り、「帰ろう」と早足で麗殊の隣に並ぶ。麗殊は歩きながら、彼の顔をちらりと盗み見た。


 ──いつも通りの、綺麗な顔だわ。

 そうは思うものの、一度心に芽生えた不安は拭えない。またズキズキと頭痛がしてきた……。

 今日は外出すべきではなかったのかもしれない。様子のおかしい朔と己の不調を省みて、麗殊は後悔する。


 その後、商店街を抜けて雷と再会し、馬車に乗って楓幻城に帰るまでの間、朔はいつもより無口だった。

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