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二十五、薬師〈上〉

 翌朝、麗殊は早起きをして桃晴宮の小厨房に立っていた。昨日蕾に伝言をお願いしたので、今日はきっと朔がやってくる。その予感を信じ、彼に簡単な甜点心を振舞おうと思い立ったのである。


「いたっ」


 定期的に頭痛の波が襲ってくる。幻食で脳を使うな。頭と身体を休ませろとの警告だ。この感じだと一度休むと決めたら一週間は寝込みそうだ。


 今日の朝餉として支給された包子を頬張りながら、食料が並ぶ棚を眺める。何を作ろうか。

 包子を食べ終わると、その棚の中から、先日皇帝から下賜された水蜜桃を取り出した。最後のひとつだ。


 ──せっかくだから、これを使おう。

 麗殊は調理台で熟した桃の皮を剥き、果肉を潰す。これに蜂蜜を混ぜて餡の完成だ。次は保存用のもち米粉に水を加えてよく捏ねる。それを小さくちぎって薄く伸ばし、桃の餡を丸く包んでいく。団子だ。

 作りながら、昨日菊妃の記憶で見た彼女の祖父の姿を思い出した。料理は楽しい。手作りのものを食べて喜んでくれたら嬉しい。あの老爺も同じ気持ちだったのだろうか。


 そんなことを考えながら、鍋に油を熱して、団子を中火で揚げる。揚げ物から始まる一日も最高だ。

 きつね色まで揚がったら、そのつやつやの団子を皿に並べる。


「揚げ桃団子の完成!」


 我ながら上出来だ。そう得意げになっていると、栖遥が小厨房にやって来て、「大医様です」と言った。


「ふふ、今行くわ」


 ほら来た。これで外出許可を引っ提げてくれていたなら、有能過ぎる助手だ。

 浮かれながら門まで歩いて朔を出迎える。彼はいつもと違って一般的な文官が着るような礼服を纏い、何やら大きな袋を片方の肩に背負っていた。

 朔は麗殊を見下ろして「おはよう」と微笑み、麗殊の期待通りの言葉を紡ぐ。


「蕾から聞いたことを主上に伝えると、外出は一日だけ許可すると。寵妃である菊妃様の願いだしね」

「ありがとう! あなたがいて良かった」

「監視してたのに怒らないの?」

「怒らないわよ。私は甜氏だから不審に思われて当然でしょうし」

「へえ」


 麗殊が平然と言うと、朔は興味深げに相槌を打つ。そして、片腕を腰に当てて、「それで」と話を続ける。


「あなたのことだから、今からさっそく外に出る気だろう?」

「その通り、手続きとかは大丈夫なのかしら」

「そのつもりでまだ暗いうちから準備したんだ。感謝しなよ」

「本当にありがとう。突然でごめんなさいね」


 麗殊は素直に謝り、「ちょっとこちらに」と朔の袖をくいくいと引っ張る。


「どうしたの?」

「腹ごなしよ」


 麗殊は不思議がる朔を小厨房まで連れて行く。そのまま小さな食卓の前に座らせて、揚げ桃団子を差し出した。


「これは?」

「私が作ったの。良かったらどうぞ」

「後出しの賄賂かな」

「違うわよ、今日までのお礼よ。色々とお世話になったでしょう」


 麗殊がそう言うと、朔は「ありがとう」と嬉しそうに目を細めた。そして、荷物を隣の椅子へと置いて、箸で桃団子を口に運ぶ。この男の食べる姿は初めて見るのでとても新鮮だ。伏し目がちにもぐと頬を動かすその姿が妙に綺麗で、心がむずむずする。


「美味しいでしょう?」

「うん、とても。桃なんて久しぶりに食べたな。俺が持ってきたやつを使ったの?」

「そうよ。そろそろ食べきらないとと思って」

「そうか」


 その後も朔は顔を緩めながら、桃団子を味わう。「美味しい」と口に出してくれるので、作り手冥利に尽きる。喜んでくれたみたいで良かった。

 しかし、食べ終わると、彼は眉根を寄せて言った。


「あなた、調子が悪いだろう。そんな様子で外に出て大丈夫?」


 琥珀の瞳が麗殊をじろりと見据える。平気なふりをしていたのだが、大医の目は誤魔化せないか。

 麗殊はバツが悪そうに視線を逸らす。


「止めないで、もう許可は貰ったのだから。菊妃様の頼みを聞き終えたらしばらく休むわ」

「まったく、強情な娘だな」


 朔はやれやれと肩を竦め、腰に提げた袋から小瓶を取り出した。それを麗殊へと差し出す。


「ほら、これを飲むといい」

「これは?」

「鎮痛剤だ。身体に痛みがあっても、半日くらいは凌げるよ。帰ったらちゃんと診察するから覚悟しといて」

「ちゃんと医者なのね、ありがとう」


 優しい男だ。朔の気遣いを直に浴びて、少し照れ臭くなる。

 麗殊は受け取った飲み薬をありがたくいただく。ひんやりとした液体が喉を通り、体内に染み渡っていく感じがした。


「それじゃあ出発しましょう」

「その前にこれを着てくれ」


 朔は椅子の上に置いた大きな荷物を掲げる。


「これは?」

「あなたの服だ。今回は菊妃様の私的なご依頼だから、后妃の外出で波風は立てたくない。あなたは扮装が得意だろう?」

「扮装って……ああ、そういうこと」


 麗殊は荷物の袋の口を開けて中を覗き込み、納得する。そこには、朔が今着ているものと同じ文官の紺色の礼服が入っていた。もちろん、男物である。万が一にでも妃と知られないように男装しろということか。


「房室で着替えてくるから、庭の長椅子にでも座っていて」

「承知した」


 麗殊は自室に戻って、女物の襦裙から貰った服に着替える。髪飾りも外し、ひとつの束にして白い組紐で結ぶ。薄化粧だし凹凸のない細身であるから、男装しても大して違和感は感じられない。

 栖遥と炉辰に事情を話して留守を任せ、朔の待つ庭に出る。彼は麗殊の姿を眺めて意外そうな顔をした。


「美青年だね」

「褒めてるのかしら」

「褒めてるとも」


 朔はにこりと胡散臭い笑みを浮かべる。

 まあ、素直に受け取っておこう。


 麗殊と朔は後宮の外に用意されていた馬車に乗って、楓幻城の外へ出る。念の為の護衛として、蕾が付いてきてくれていた。宮城の外の景色を見るのは半年ぶりだが、閉鎖的な後宮と比べるととても空気が澄んでいる気がする。なんというか、自由だ。

 宮城の一番外側の正門を出て城下町に降り、馬車を走らせると、中央に長い大通りが置かれた商店街に辿り着いた。ここは灯華国で最も栄えており、国内で作られたものだけでなく各国から輸入したものが多種多様に揃っている。


 麗殊たちは馬車から降りて、通りを歩いていく。男に扮するなんて初めてだから、なんだか落ち着かない。

 蕾は少し離れて後ろから着いていくと行っていたがあまりに気配が薄い。彼の特異な振る舞いにはもう慣れたが。


 さて、今日の目当ては果実だ。陶器や絹を売る店は通りすがり、青果店を探す。


「今日は暑いわね……」

「そうだね。最近じゃあ一番の晴天だ」


 ちょうど昼前なので、じりじりと夏の太陽が大地を照りつけている。その暑さに、項に汗が滲んでいるのが分かった。


「ちょっと待って」


 突然、朔は近くの露店に足を止めて薄紅色の傘をひとつ買い、その場で開く。


「これを使うといい。日差しを防げるよ」

「そんな、申し訳ないわ。あなたが使って」


 手を振って拒むと、朔は麗殊の腰を抱き寄せて、傘の内側に入れる。そのまま陰の下で「いいから」と低く囁き、強引に傘の持ち手を麗殊に握らせた。

 流れるような動作に麗殊は置いてけぼりになる。今のは、何。


 ──この人、わざとやってるの? いつも距離が近くてどうしたらいいのか分からない……。

 突然のことに顔が照っていくのを直に感じて、ますます動揺してしまう。

 仮宿でも、梅泉宮でもそうだ。朔は、妃である麗殊に簡単に近づていて、触れてくる。そんな彼に振り回されて、羞恥とも高揚とも言い現せない正体の分からない気持ちに襲われてしまう。


 麗殊は傘を手にしたまま、周囲をちらりと確認して、誰にも聞こえないように小さな声で朔に言う。


「……私、一応后妃なのよ? ましてや、あなたは宦官ではなく大医でしょう」


 男の鎖徹のように罰せられてもいいのか、という意図を裏に込めて麗殊は問うた。当の鎖徹を罰したのは、この男なのに。

 しかし、朔はなぜか目元を暗くし、顔を歪めて言葉を返す。


「あなたと主上の婚姻はただの主従契約だ。その間に情愛はない。これからもそうさ。……それに、俺は既に主上から許可を得ている」

「許可って、何の?」


 麗殊が聞き返すと、朔は聞こえないふりをしてふいと顔を背けた。そして、「あったよ」と言って向かい側にある店を指さした。その店は看板に青果店と書かれてある。


 ──何なのよ、いったい……。

 朔は何をしたいのか。麗殊をどう思っているのか。分からないことだらけで頭がおかしくなりそうだ。麗殊は朔のことを何も知らないというのに、彼は麗殊でさえも知らないことを把握しているようで。


 そうやって悶々としているうちに、朔は颯爽と黒髪を靡かせて、青果店の方へと歩いて行ってしまっていた。


「ちょっと待って……!」


 麗殊は薄紅色の傘を差しながら、慌てて彼の背を追いかけた。

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