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二十四、果実

 菊河宮の菊妃の自室に戻ると、さっそく菊妃が昔着ていた衣服を用意してくれた。

 今麗殊が着ている灯華国の襦裙とは造形が異なり、厚手の素材に毛皮が張り付いていた。杉と裙がひと繋ぎになっているそれを広げて見てみると、腕や膝にあたる部分が一部擦り切れたり破れたりしている。


「破けてる……やんちゃだったんですね」

「こんなにボロボロだったのか。当時は馬で駆けるのに夢中で気にしてなかったよ」


 恥ずかしげにはにかむ菊妃に、麗殊は問いかける。


「恐れながら、菊妃様にとって後宮は窮屈な場所でしょう。苦しくはないのですか」

「苦しくないよ。主上が乗ってきていた馬をそのまま飼うことを許してくれたんだ。ひと月に一度、馬に乗って狩りに出ていいって。主上のおかげで、後宮でも取り繕わずに過ごせる。最初は命のために入宮を受け入れざる得なかったが、最近は心からあの方の支えたいって思ってるんだ」

「そうですか」


 想いを語る菊妃の顔は晴れやかだ。朧鳴帝には、異国の姫さえも惹き付ける力があるようだ。それは逆も然り。不毛な疑問だった。


 麗殊は姿見の前に立ち、菊妃から借りた衣装を身につけてみる。保管していた部屋の香が移ったのか、ふわりと甘い匂いがする。袖や裾の丈は少々長いがそれは仕方がない。

 儀式のために化粧と髪結いを菊妃にお願いすると、快く引き受けてくれた。


「うーん、こんなだっけ。ええと、眉の形は今と違ってこうだっけなあ……髪の結び方はええと……難しい」


 菊妃は化粧道具を取り出し、麗殊を鏡台の前に座らせて、昔の自分の姿を再現していく。

 髪型は高い位置でひとつ括りにして簪を挿すという簡素な形で顔も薄化粧だが、紅で額に花鈿のような変わった紋様をつけるのは特徴的だった。


「よし、完成だ」


 菊妃がそう言って肩を叩くので、麗殊は鏡と向き合う。鏡の中の麗殊は、先程までとは一転して、勝気な菊妃の顔付きに変わっていた。


「うわあ、すごい。昔のわたしがいるみたいだ。そうそう、こんな風に生意気そうな顔してたんだよ」

 

 菊妃は麗殊の顔を覗き込んで、「あはは」と笑う。

 竹妃の時といいこうも雰囲気が変わるのは自分でも不思議だが、幻食の儀式に向けて、無意識に菊妃を真似て表情を作っているのかもしれない。


「よし、あたしは料理を作ってくるよ。夕餉もあるし少なめにしとこう。桃妃はここで暇を潰しててくれ」

「よろしければ、私も傍で見ててもいいですか?」

「ふふ、構わないよ」


 皇后や四夫人など高位の妃の宮は他の宮と比べても格段に広く、その一角に小厨房が用意されている。狭い房室だが、冷めてしまった食膳を暖めたり、簡単な菓子や手料理を作ることができるのだ。桃晴宮にも同じ場所があり、麗殊はそこに下賜された桃や茶菓子を保管している。


 小厨房に着くと、菊妃は腕まくりをして持ち寄った食材を取り出していく。調理台や棚には様々な道具が置かれていて、菊妃はここをかなり使い込んでいるらしいことが分かる。

 麗殊は丸椅子に座り、菊妃の料理姿を観察させてもらうことにした。


 菊妃は大きな木製の器に発酵酒をたっぷり注ぎ、そこに蜂蜜を多めに、(ジャン)を少なめに加えていく。


「うん、こんなもんかな」


 たれを味見をした菊妃は、今度は羊肉を小刀で豪快に切り分けていく。葱は大雑把にちぎり、切った羊肉と合わせて、たれの入った器に漬け込む。


 ──羊肉の蜜漬けね……!

 出来上がったものを想像して、麗殊の喉がごくりと鳴る。

 たれが浸透するまでの数十分、菊妃と雑談して待つ。菊妃はよく兎や鹿を狩って、丸焼きにしていたとか。神顕山にも兎はいるが鹿はあまりいないから、食べてみたいな……などと思っていたら、すぐに時間が経った。


「たれもいい感じに染み込んでるぞ〜」


 菊妃は立ち上がって器の中身を確認すると、炉台に火を起こして銅製の鍋を置き、たれに漬け込んだ羊肉と葱を焼いていく。じゅうう、と焼ける音と香ばしい匂いが麗殊の鼻をくすぐって、ぐるるとお腹が鳴る。

 菊妃は鼻歌を奏でながら、銀の箸で肉を転がす。聞いたことのない歌だが、明るい調子で麗殊の心も弾む。

 やがて、焼きあがったようで菊妃は焼いた羊肉と葱を上手に陶器に盛り付けてふふん、と鼻を鳴らした。


「どうだ、いい出来だろう?」

「美味しそうです!」


 麗殊は陶器を覗き込んで、中の料理を見て目を輝かせる。

 ちょうど良く焼き色が着いた羊肉と少し焦げ目のついた葱に、てらてらとしたたれが絡んでいる。この香りを嗅ぐだけでもう幸せいっぱいだ。

 夕餉時ということもありお腹が空いている麗殊は、「儀式を始めましょう!」と意気込んで、小厨房の中の小さな食卓を囲む。調理中の記憶を見るならば、厨房こそが最適だ。


「あんたの背に手を添えていればいいんだっけ?」

「そうです、できれば菊妃様もお爺様の料理姿を見ていた時の記憶を思い出すように、集中してみてください」

「了解」


 麗殊の背に菊妃の手が優しく置かれる。柔らかく小さな梅妃の手とは違う、少し角張った頼もしい手だ。

 今回は遠い記憶かつ場所が一致しないため、成功するかどうか不安だ。麗殊は目を瞑り、上手く行きますように……と切に願い、記憶を繋げることに意識を集中させて詠じる。


「──依代よりしろは姿を映し、さんは心を解く。味わうは余情、探るは真意。なんじの記憶、この身に宿らん」


 まず、麗殊は箸でよく焼けた羊肉の欠片を摘み、そっと口元に運ぶ。はむ、と歯で噛んでみた瞬間に、じゅわっと肉汁とたれが舌の上に広がった。

 発酵酒のおかげで肉は柔らかく、蜂蜜の甘さと(ジャン)の香ばしさが絶妙な塩梅で調和して、その美味しさに麗殊の頬がとろける。葱も食べてみる。しゃきっとした食感と共に葱の旨みとたれが溢れ出す。至福だ。菊妃はとても料理が上手だと、しみじみと感じる。


 ふわりと億潜の兆しが現れた。麗殊は箸を置き、揺れるような感覚に身体を委ねる。たれの香りがと漂う中、厨房の景色が渦巻いて変化していく。

 やがて、見知らぬ房室に変わっていた。炉台や調理台、鍋や俎板があることから厨房なのは間違いないが、菊河宮のものよりも木材や煉瓦など自然的な造りだった。

 麗殊──菊妃が視線を持ち上げると、腰の曲がった老爺の後ろ姿が目に入った。この男は菊妃の祖父だろう。どうやら、上手く記憶を繋げたらしい。

 菊妃は祖父を見上げて声をかける。


『じじさま、じじさま。今日はあの饅頭を作ってくれるの?』


 期待を隠せない声色に、祖父は少ししゃがれた声で『そうじゃよ。楽しみにしとくれ』と答える。

 そして、祖父はこちらを向いて微笑んだらしいが、その顔は上手く認識できない。不完全な儀式だからか、視界の所々が灰色に霞みがかってぼやけてしまっているのだ。


『白嵐が美味しい蜜漬けを作ってくれたからねえ、わしもお返しにとびきり甘くて美味しい饅頭を作ってあげるよう』

『やった!』


 菊妃は喜んで、祖父の手元を覗き込む。

 既に饅頭の生地は用意されていた。見たところ、麦で作られた発酵させていないもので、色や質感も一般的な饅頭と同じもののように見える。調理台に広がる食材も普遍的なものだ。さて、饅頭の秘密はどこにあるのだろう。


 菊妃が見つめる中、祖父は餡作りを始める。鍋で煮ていた豆沙(ドウシャー)をすり鉢で潰す。次に、布を被せていた小さな籠の中から、手のひらに収まる大きさの緑色の皮をした丸い果実を取り出した。小刀を使ってその皮を剥くと、棗大の実が詰まっているのが現れた。それをいくつかちぎって豆沙同様磨り潰す。

 さらに砕いた胡桃を一欠片入れて、壺に保管していた蜂蜜をそこに加えて練り合わせる。粘り気の出たそれを弱火で煮詰めたら、餡の完成だ。

 祖父は生地を伸ばして餡を包み、それを何個か量産する。成型したのを蒸籠に詰め、鍋の上に置いて弱火にかける。


『よし、後は蒸したら出来上がりじゃ』


 菊妃に向かってそう言ったところで憶潜が終わり、急速に意識が浮上する。同時に麗殊の身体から引っ張るような力が抜け、儀式も終了した。

 椅子の上でふう……と息を吐き出すと、ぴり、と額の奥の方が痛み、眉根を寄せる。


 ──連日力を使ってしまったし、今月はもう四回目、限界だわ。

 麗殊は額を揉んで、疲労から来る痛みを逃がそうとする。これ以上を記憶を繋げれば、脳に負担がかかってこの場で倒れてしまいそうだ。

 動き出した麗殊に、背後に立っていた菊妃が声をかける。


「幻食の儀式は終わったのかい?」

「ええ、ありがとうございます。もう手を離しても大丈夫ですよ」


 麗殊は不調を悟られないように平静を取り繕い、菊妃に向き直る。


「おそらく、菊妃様が足りないと感じたものが見つかりました」


 あの果実は柘榴でも覆盆子でもない。食に詳しい麗殊でも見たことがないから、おそらくは異国由来の食べ物だ。


「大体は一般的な饅頭と同じ作り方です。ただ一つ、餡に緑の皮に覆われた薄紅の果実が入ってるんです。それが何か分かりますか?」

「果実……たしかに、果肉のような食感と味はあったが、胡桃と豆沙の他は分からない……。じじさまは何を使ってたんだろう。ちょっと紙に描いてみてくれ」


 二人は菊妃の自室に戻る。彼女は色々と書物の積まれた文机に白紙を一枚広げて、墨を磨ってくれた。

 麗殊は筆を受け取り、記憶で見たあの紅い果実を思い出しながら、手を動かしていく。

 完成した絵を見た菊妃は、眉尻を下げて言う。


「ううん……ごめん、分からないなあ」

「すみません、絵は得意じゃなくて……」


 麗殊は項垂れて謝る。人物ではなくただの丸い果実を書くだけだというのに、我ながら酷い出来だ。

 腕を組んで悩ましげな顔をする菊妃に、麗殊は提案する。


「夕餉の後、芙良に頼んで食庫の果実類を確認させてもらいます。もしもそこになければ、私が城下に下りて探してきましょう。広い市場ならば、灯華国だけでなく外の国から輸入したものも置いてあるはずです。主上に事情を話せば、一日くらいなら外出を許可していただけると思います」

「そこまでしてもらって、いいのかい?」

「はい。私も外に出てみたかったし、主上からたんまり褒美を貰います」


 誰かに言い伝えて捜してもらうよりも、麗殊が直接目で捜した方がきっとはやい。あの皇帝なら許してくれるはずだ。そもそも、彼がこの難題を仕向けたのだから。

 明日一日くらいならば身体も持つだろう。無事にあの果実を探し出せたら一日寝よう。


「ありがとう、悪いね。あたしも改めてお礼をさせてもらうよ」


 申し訳なさそうに言う菊妃と別れ、麗殊は桃晴宮へと帰った。

 その後、幻食の疲れに加えて既にお腹が満たされたこともあり、夕餉はあまり食べられず、栖遥や炉辰たちに食べてもらった。

 食膳を返しに行く芙良にお願いして共に食庫まで行かせてもらったが、果物類を保管してあるどの棚にもお目当ての果実はなかった。


 桃晴宮に帰ってきた後、朧鳴帝に明日の外出許可を取りに行こうと思ったのだが、どうやら既に黄瑞殿からどこかの宮へと移動してしまったというのを炉辰から聞いて断念した。残念ながら、間が悪かったということだ。

 

 どうしようかと悩んでいるうちに、麗殊はあることを思い付き、桃晴宮の門の外に出る。侍従がこちらを気にしていないのを確認すると、星が煌めく夜空を見上げて、少し大きめな声である人物の名を呼ぶ。


「蕾」


 蕾は一度だけ目にした朔の配下だ。朔が名前を呼ぶとすぐにその場に飛んできていた。


 ──まあ、現れるわけないわよね。朔殿じゃないんだし。

 そう自嘲して、宮の中へ引き返そうとした瞬間。


「お呼びですか」


 背後から男の声が聞こえた。度肝を抜かれた麗殊は「ええっ!?」と肩を揺らし、男──蕾の姿を凝視する。


「なんで、今の聞こえたの……!? 近くにいたの!?」

「ええ。朔様から桃晴宮の監視を仰せつかっておりますので」

「監視?」

「はい。桃妃様のご様子を報告せよと」


 やはり一貫して、朔は麗殊の補佐役でありながら監視役であるらしい。ということは、今までの行動も全て見られていたのか。全く、不気味な男だ。そうは思うものの今更監視をやめろなどと抗議する気はない。

 麗殊は思い切って胸の内に渦巻く疑問を、蕾に尋ねてみる。


「ねえ、朔殿って何者なのかしら。とてつもない名家のご子息とか?」

「私の口からは言えませぬ」

「それって、朔殿に口止めされているの? それとも主上かしら」

「言えませぬ」


 蕾は感情のないぶっきらぼうな表情のまま、頑なに答えてくれない。


「じゃあ、あなたは何者なの? 普通の宦官じゃないわよね」

「たしかに、私は特殊と言えるかもしれません。宦官ではありますが、同時に武術を鍛えこまれた武官でもあるのです。朔様の警護も私が担っています」

「へえ、後宮にはそういう人たちもいるのね」


 たしかに、蕾の俊敏な動きは、武官としての訓練を詰んだものだと言われれば納得もいく。

 麗殊は暫し迷った後、控え目に蕾へ告げる。


「朔殿に伝えてほしいことがあるの」


 そして、菊妃の依頼を引き受け食解きをしている最中であること、目的の果実を手に入れるために皇帝から外出許可を得たいこと、それを朔からお願いして欲しいことを話した。

 朔なら独自の伝達手段がありそうだ。麗殊よりもはやく皇帝に許可を得ることもできるだろうという魂胆だ。

 良いように扱き使いすぎだろうか……と申し訳なく思うが、常時監視されているならおあいこだ。


「御意」


 蕾はこくりと頷いて、初対面時と同じような光の速さで暗闇の中へと消えていった。

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