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二、勅命

 初夏、薄明の空の下にそよ風が吹く。楓幻城には、南方の領主から献上されたという柑子の白い花が咲き、権威の象徴となる槐も蕾を開き始めている。

 城の奥に広がる後宮も同じく、爽やかな夏の香りを漂わせていた。

 内廷には、黄瑞(こうずい)殿という皇帝の住居がある。政を行う外朝の御殿に対して、私的な生活場所だ。


 ある日の早朝──まだ燕が囀り始めた頃、黄瑞殿の門をくぐった先にある石畳の広場に九人の娘が集っていた。

 娘たちは、妃ほど華やかではないが素朴でもない簪で髪を飾り、許された範囲で最大限に着飾っている。


「どうして、こんな早くにお呼びになられたのかしら。それもわたくしだけじゃなくて、九嬪全員だなんて」


 一人の娘が沈黙を破るように呟いた。

 まだ眠気まなこでありなからも、その美しい顔にはしっかりと化粧が施されてある。


「四夫人や婕妤(しょうよ)たちはいらっしゃらないのね」

「そうね、あたしたちだけみたい」


 娘に続けて、周囲に立っていた他の娘も言葉を紡ぎ始める。


 ここに集められたのは、後宮の妃嬪のうち九嬪と称される位を持つ九人だけであり、それより高位の者も下位の者もいない。

 わずか一刻前に、九嬪にのみ皇帝から緊急招集がかかったのである。

 このような事態は、今代の後宮が編成されてから初めてのことだ。それ故に、娘のほとんどが困惑を隠せない様子でいる。


 その集まりに、麗殊はいた。

 麗殊は一際落ち着いた白藍の襦裙を纏い、簪も龍の髭のような模様が掘られた細いもの一つだけで、包まずに言えば地味とも表せる出で立ちである。

 身なりを気にしていないわけではないが、所持している衣裳や飾りと、九嬪最下位の充媛(じゅうえん)である己の立場を考えれば、必然とこうなるのだ。


「あっ」


 突然ぐぅぅ、と麗殊の腹が鳴った。身体が食べ物を求めているのが分かる。

 起床してすぐ白湯を飲み、朝餉を摂るのというのが麗殊の習慣である。今朝は皇帝の侍従に叩き起されたので、腹を満たす暇はなかった。


「来た、孟飛(もうひ)様よ」

「本当だわ」


 娘たちがざわめく。

 それと同時に、こつこつ、と石畳を踏む音が微かに聞こえてきた。


 麗殊が顔を上げると、前方にある正殿の中から壮年の宦官が歩いてくるのが見えた。

 記憶が正しければこの男は皇帝の側近で、名は孟飛。薄い顔立ちながら、切れ長の目からは聡明さがうかがえる。

 年中を通して行われる宮中の儀礼では、基本的にこの男が皇帝の代理として取り仕切っていた。


 ──喪服?

 孟飛が纏うその衣裳に、麗殊は眉根を寄せる。首から爪先まで真っ白の礼服、まるで誰かが亡くなったときのような───。

  

「皆様、お集まりくださりありがとうございます。主上は正殿にいらっしゃいますが、此度は私が代弁させていただきます」


 麗殊の思考を遮るようにして、孟飛が淡々と話し出す。

 皇帝が控えているとの言葉に、誰からともなく九嬪全員がその場で拝舞する。


「未明、竹妃(ちくひ)様が亡くなられました」


 少し間を空けて、孟飛が告げた。

 その内容に、周囲からひゅっと喉が鳴る音が聞こえてくる。


 ──竹妃様が……?

 麗殊も耳を疑い、孟飛を凝視する。

 しかし、彼は全くと言っていいほど表情を動かさず、背筋を伸ばして立っている。ここで話を止めたのは、こちらの反応をうかがっているのだろうか。


 竹妃様といえば、気高い四夫人のひとりである。四夫人は梅妃(ばいひ)蘭妃(らんひ)、竹妃、菊妃(きくひ)の封号を持つ四人の妃のことだ。皇后の下位、九嬪の上位に当たり、皇帝の覚えがめでたい高位の華である。


 その輝かしい地位を持つ竹妃が亡くなったとは、いったいどういうことなのか。

 誰もが言葉を発したくて堪らないというような雰囲気が漂うが、皇帝の手前、許可なく発言はできない。

 そのため、嬪たちは視線だけを四方に動かして、互いの様子を探りあっていた。


「これより先は、皇帝陛下からの勅命です」


 孟飛は閉ざされた正殿の中を一瞥する。

 そして、こちらへ向き直ると懐から巻かれた文書を取り出して、手で横に広げた。


「──次の朔月の日、九嬪の中から新しく竹妃を選定する。選定に際してそなたたちに問いを与え、それを解した者を竹妃とする」


 孟飛は重々しく読み上げる。その言葉に再び辺りがざわめいた。

 ある者は勢い余って足を踏み出し、ある者は戸惑いがちに胸に手を押えている。


 ──謎解きで竹妃を選定? めちゃくちゃだわ。

 麗殊も他の九嬪と違わず、呆気にとられる。

 新たな妃が立つというのは、後宮の空気を一転させる重大事態だ。それほどまでに九嬪と四夫人の間には分厚い壁があり、権威が大きく異なる。

 それに、昇進は皇帝の寵愛があってこそ。それを答弁で決めるだなんて。


「あの、問いとはどのようなものなのでしょうか……?」


 おずおずと、ひとりの娘が声を上げる。

 麗殊の斜め前に立つ彼女の名は雛鶴(すうかく)(すう)嬪だ。

 九嬪の中で一番気位の高い昭儀(しょうぎ)の位を持つこともあり、発言へ踏み出せたのだろう。


「代弁が終わるまで発言は控えてください。今から問いに関する主上のお言葉を伝えます」


 雛嬪を一瞥した孟飛は、粛々と言葉を放つ。

 すると、雛嬪は「お許しください」と一歩後ろへ退いた。

 孟飛は頷き、再び手中の文書に目を滑らせる。


「問いは次の通りです。──竹妃が死んだ理由をつきとめよ。期限は朔月までの五日間。その間に、最も早く真実に辿り着けた者を合格とする」


 孟飛はそこまで読み上げると、文書を巻き閉じて、懐に仕舞う。どうやら、勅命はこれだけらしい。

 理解し難い勅命に皆が唖然とする中、孟飛はそれを気にかけることなく続ける。


「主上からのお言葉は以上です。此度の件はくれぐれも内密に。それでは、各宮へお戻りください」


 孟飛は変わらない表情で告げ、淀みない足取りで正殿の中へと姿を消した。

 すると、弾かれるようにして娘たちは動き始める。


「どういうこと……?」

「やっぱり、今上は変わり者なのよ」

「ええ、そうみたいね」


 娘たちは、壁際に立つ皇帝の近衛兵に聞かれないように、団扇で顔を隠して密かに囁き合う。


 朧鳴(ろうめい)帝と呼ばれる今上が即位したのは二年前で、後宮が刷新されてまだ間もない。

 彼は即位前から正妃としていた皇后をいたく寵愛し、彼女に続く四夫人も分け隔てなく愛でている。

 対して、九嬪の中で覚えがめでたいのは名家の子女である雛嬪だけ。彼女より下の者は一向に、閨に呼ばれないとの噂だ。


 朧鳴帝にはもうひとつ、ある噂があった。それは、変わり者であるということだ。

 前帝が培った政の基盤を破って新たな政策ばかり施し、突如として今まで無縁だった国との外交を執り行う……。

 良く言えば国に新しい風を呼び、悪く言えば国を掻き乱している、らしい。


 しかし、その姿勢がどの方向に進むかは、まだ先にならねば見えてこないため、朧鳴帝のことを気に入らない者も大口に悪評をばら撒くわけにはいかない。その結果、変わり者という濁った風評が広がっているようだ。


 ──でも、噂通りのようね。

 麗殊も密かに納得する。寵妃の死を下位の者たちに暴かせるなど、とても皇帝の命とは思えない。普通はそっとしておきたいものではないのだろうか。朧鳴帝は何を考えているのだろう。


「竹妃様が亡くなったって、本当なの?」

「信じられないわ。昨夜も今朝も、なんの騒ぎもなかったのに」

「恐ろしいこと……」


 娘たちが声を震わせながら、互いの顔を見合わせる。その表情には不安が色濃く現れていた。


「どうして、わたくしたちに調べさせるのかしら」

「そうよ。屍……竹妃様のお姿から、死因なんてすぐに分かるんじゃないの」


 眉をひそめて、疑念を隠せない者もいる。


「こんなことで四夫人のひとりになれるなら容易いわよね。聞き込みをすればいいだけでしょう」

「でも、竹妃様への冒涜になるんじゃないかしら」

「主上の命なんだから構わないんじゃないの。歯向かうようなこと言ったら、下ろされるわよ」


 様々な推測が四方で飛び交う。麗殊はその声を盗み聞きながら、首を傾げる。


 ──この問い、本当に容易いのかしら。

 九嬪たちは此度の課題を軽く見ているが、そう簡単なことではない……と麗殊は考える。

 身に余る褒美を与えると言うのだ。なにか裏があるのではないだろうか。


 思案して立ち止まる麗殊の隣を、二人の娘が通っていく。


「まさか、九嬪の中に刺客がいるとか?」

「やだっ、こわいこと言わないでよ……! 眠れなくなるじゃない」

「でも、わざわざ私たちに聞くんだから、そうかもしれないでしょ。九嬪が疑われてるのよ」


 二人は小声で話しながら、黄瑞殿の門をくぐる。どうやら、他の娘たちも次々と己の宮へと戻っていくようだ。


「……お腹が空いたわ」


 この難題は考えてすぐに解けるものではない。ひとまず腹を満たさねば。

 麗殊は小さく息を吐き出して、娘たちの最後尾に立って歩き始めた。

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