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十九、回顧

 六年前のその日は、夜空に星が瞬く美しい夜だった。ちょうど、今と同じ爽やかな夏の夜だ。


 当時、麗殊の父が亡き祖父の座を継ぎ、族長となっていた。

 族長の家ということもあり、食事を共にする人数は他所よりも多く、麗殊の母と祖母、兄、あとは近くに住む親戚を集めて、全員で十五人ほどが麗殊の家にある大きな一室に集まっていた。


 鼻いっぱいに吸い込みたくなるような美味しい香りを放つ饅頭、川で採れた魚の串焼き、粟の入った羹、小さく切り分けた干し桃の蜜漬け。

 その日の料理はいつもより豪華だったと思う。麗殊は胸を弾ませ、周囲の雑談に耳を傾けながら、もぐもぐと夕餉を食べていた。

 問題は、羹を飲んだ時だ。一瞬にして、喉が焼けるような感覚が襲い、激しい眩暈に汁の入った碗を床に落としてしまった。

 そこからの記憶はない。


「んぅ……」


 目が覚めた時には、賑やかな夕餉の雰囲気は消え去っており、麗殊は閑静な房室の寝台に寝かせられていた。ぼんやりと辺りを見渡すと、それは己の自室だと分かった。

 喉の乾きを感じて無意識に手を伸ばすと、その手を右側から誰かに握られた。


「大丈夫?」

「……だれ?」

 

 大きな手が伸びてきた方を見ると、見知らぬ男が床に膝を着いて、横になる麗殊を見つめていた。


「安心して、僕は薬師だから」


 怪訝な顔をする麗殊に、男は目を細める。

 年は四十手前ほどの、優しげな顔立ちの男だった。伸ばした黒髪は項の辺りで括り、口元にはうっすらと髭を生やして、目尻には皺が寄っている。その身には見慣れない麻と皮でできた服を纏っていた。


「薬師……」


 麗殊はおぼつかない頭の中で記憶を辿る。

 そういえば、薬師が神顕山にある妙薬を求めて遠い南の地からやって来たと、一昨日辺りに父が言っていた。宿がないというので、仕方なく数日間空いた家を貸してあげていると。

 ということは、この男が麗殊をあの焼け付く痛みと眩暈から救ってくれたのだろう。


「聞いたよ。君はすごい力を持っているんだね。それは良いことである反面、悪いことでもある。人一倍命を狙われやすいんだ。今日も悪い人に、毒で殺されてしまうところだったんだよ」


 薬師は穏やかな低音で麗殊に語り掛ける。齢十歳の娘を相手に"殺されてしまう"だなんて、存外顔に似合わずはっきりとした物言いだった。


 しかし、麗殊もそのような言葉に竦むほど弱い質ではない。自分が毒を盛られた事実に悲しむ一方、まだ蜜漬けを食べていなかったことを思い出し、その場でしゅんと項垂れる。


「桃、食べたかったのに……」


 すると、薬師は目を丸くして、くすりと笑う。


「そんなに食べることが好きなら、ある程度毒について学ぶといい。微量の毒で身体を慣らし、抗体を作ることもできるよ」


 薬師はそう言って、肩から紐で吊るした革製の袋から草臥れた書物を取り出した。そして、くすんだ青表紙のそれを麗殊の布団の上にそっと置く。


「これをあげよう。僕が毒についてまとめたものだ。とても詳細なことが学べるわけじゃないけど、身構える上では役に立つと思うよ。君にはまだ難しいかもしれないけど……」


 麗殊はようやく上体を起こして、毒が書かれたという書を手に取り、頁を捲り流し見していく。まだ読めない字もあるが、植物などの描画が挟まれており、分かりやすそうだ。


「私が貰っちゃっていいの? あなたが読めなっちゃうわ」

「ふふ、僕は同じような書をたくさん持ってるから、大丈夫だよ。そこに書いてあることはほとんど記憶してあるしね」


 申し訳なさそうな顔をする麗殊に、薬師は革袋からまた別の書を少し引っぱり、ちらりと麗殊に見せた。


「ありがとう、これで勉強させてもらうね」


 薬師に向かって礼を述べると同時に、頭がぴりりと痛み、麗殊は「うっ……」と呻く。

 すると、薬師は麗殊の肩をとんとんと叩いて、再び寝台の上に寝かせる。


「まだしんどいのに、こんな話しちゃってごめんね。暫くは安静にしないとだめだよ。お父さんとお母さんを心配させちゃいけない。……家族がいなくなると、本当に悲しいからね」


 薬師はその言葉通り悲しい表情を浮かべる。視線は下を向いて、何かを思い出しているようだった。


「おじさんにも子どもがいるの?」

「おじさん……そうかあ、もう僕もおじさんか」


 麗殊の問いに、薬師は何やらハッとして、恥ずかしげに頬を掻く。


「子どもはいないよ。でも、僕には五つ上の姉がいてね。彼女はとても優しくて、よく僕のことを心配してくれたんだ」

「そっか。おじさん、助けてくれてありがとう」


 薬師を見上げて礼を言うと、彼は「どういたしまして」と微笑む。


「まだ眠いだろう。もう少しおやすみ」


 そして、薬師は麗殊の額に温かい手を添えて、優しく撫でる。

 その大きな手から微かに花の香りが漂い、麗殊はうとうとと微睡みの中に落ちていく。完全に目を瞑ってしまう直前、赤い花弁が視界に映った気がした。


 次に目を覚ますともう朝日が昇っていて、両親が心底安堵したような表情で麗殊を抱きしめた。

 後から聞いた話だが、この晩、麗殊は生死の境を彷徨っていたという。その影響をほとんど感じさせないほどまで一晩で回復させるなんて、あの薬師は一体何者なのだろうか。


 麗殊に毒を盛ったのは隣に住む男だった。彼は昨晩のうちに麗殊を害した罰として火にかけられ、亡骸は神顕山の中心にある大樹の麓に埋められたという。

 男の動機と最後の台詞の数々は、後に母から聞かされた。あのような考えを持つ者は甜氏ではない、という戒めだそうだ。


 薬師は、麗殊が眠っている間に村を出ていった。いろんな毒が載った一冊の書だけを残して。その後、彼が再び甜氏の村に訪れたことはなかった。

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