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十八、茶会〈下〉

「絵画が……? いったいどういうこと?」


 麗殊の発言に、梅妃が目を見開く。雛嬪と朔もぐっと息を呑んだ。


「あの絵の中に毒が含まれていたのです。掛け軸は今どこに?」

「掛け軸だったら保管室に……」


 麗殊が努めて冷静に告げると、梅妃は手を叩いて房室の外の侍女を呼び、例の絵画を持ってくるように頼んだ。しかし、その表情からは動揺が隠しきれていない。

 数分も経たないうちに、梅妃の侍女が丸めた掛け軸を持って戻ってきた。


「本当にこの中に毒が?」


 梅妃は恐る恐る掛け軸を受け取り、巻き緒に手をかけてその場で開こうとする。


「待ってください! 開かないで。毒が飛び散る可能性がありますから」


 麗殊は慌てて手で制して、梅妃の手を止める。


「梅妃さま、これはどこから手に入れたのですか」


 すると、梅妃は決まりが悪そうな表情で話し出す。


「……少し前に、画家の作品を尚芸局にお願いして、南方の商人から取り寄せたの。鮮やかな色彩が珍しくて流行っていると聞いたのよ。それがちょうどお茶会を開く前にここに届いたから、昭儀にお披露目しようと思って……」


 瞳が揺れ、声が若干震えている。そんな梅妃を庇うように、今度は雛嬪が口を開く。


「桃妃様、わたしは絵画に毒があるなんて話、聞いたことないですけれど……」


 雛嬪は怪訝な顔をしており、まるで信じられないといった様子だ。

 麗殊は己の記憶を辿り、雛嬪に向かって告げる。


「広くは知られてないけれど、絵画を描く際に毒が使われることはあるのよ」


 そして次は、こちらのやり取りを難しい顔で眺めていた朔に声をかける。


「朔殿。毒となる物質が顔料として用いられることがあるわよね」

「ああ、毒を含む顔料は国内外で流通している。だけど一般的には加工され、人に害が及ぶことはないが……まさか、顔料が原因?」


 近寄ってきた朔は眉根を寄せ、声を低めて麗殊に訊く。


「ええ。記憶の中で、画材が剥がれているのが見えたわ。それだけじゃなくて、粉塵化してた。加工が中途半端だったか、湿気などにより保存状態が悪かったのでしょうね」


 麗殊は記憶で見た掛け軸を思い返す。


 ──綺麗な絵だけれど、草臥れていたもの。

 薄緑色をした柱の絹と巻き緒は色褪せ、青い海は少し剥げていた。南方の商人から取り寄せたと言っていたから気候の変化や運送中の保管状況により、表面が劣化したのだろう。


「絵画の顔料……クソ、盲点だったな」


 朔は悔しげに吐き出す。

 麗殊は呆然とする梅妃に歩み寄り、尋ねる。


「梅妃様、お借りしてもいいですか」

「え、ええ」


 麗殊は掛け軸を受け取ると、それを持って誰もいない部屋の隅に移動する。そして、片手で手巾を取り出して口元を覆い、巻かれた掛け軸を開く。

 すると、記憶の中で見たあの海岸が視界に広がった。


 ──綺麗な毒ね。

平坦でなく粗い表面からは、水彩画ではなく硬い顔料を用いていることが分かる。絹地に散らばっていた青い粉は海の色だ。


 掛け軸を広げたり巻き直した際に、乾燥した粉塵が空気中に舞ったのだろう。

 それに、あの日は房室の窓を開いて風が吹き込んでいたから、その風の影響も考えられる。梅妃の記憶の中では、掛け軸は広げられて丸卓近くの壁に飾られていた。食事中に鼻や口に入り込んだ可能性もある。


 思案していると、突然、背後から腕が伸びてきた。


「待った、桃妃は何をしているんだ」


 朔はそう言って麗殊の手から掛け軸を奪い、両者を引き離す。掛け軸は彼の手によってくるくると巻かれ、近くの棚の上に置かれた。

 そんな彼に対して、麗殊は己の人差し指の先を上に向けて、白い肌に散らばる粉末を見せる。


「ほら見て、この青い粉。梅妃様たちは無意識にこれを吸い込んでしまったんだわ。掛け軸を開いた昭儀は、手で直接粉々になった顔料に触れてしまったのよ。皮膚の炎症はそのせい───ちょっとっ」


 考えを説明していると、今度は手首を掴まれ、ぐいと朔の元へと引き寄せられる。彼は険しい顔をしながら、懐から手巾を取り出し、それで麗殊の指先を拭う。


「危険だ。あなたの身に何かあってはいけない……まったく、無謀なんだから」


 朔は伏し目がちに麗殊の手を見つめる。整った顔が直ぐ近くにあるので、琥珀の目を縁取る長い睫毛が目に入った。


「これくらい大丈夫よ」

 

 麗殊は詰まりそうになりながら声を出すが、朔からの返事はない。

 抵抗するにも男の強い力で拘束されているため、振り解けない。諦めて、大人しく身を任せることにする。


 ──何かしら、この奇妙な感覚は。

 麗殊は己の胸の奥にぐるぐると渦巻く何かを感じて、気まずげに朔から視線を逸らす。

 彼の大きな手が素肌に触れる度、その手の冷たさがじんと伝わってくる。ひりつくような、恥ずかしいような形容し難い気持ちだ。


 しかし、互いの手指が触れていたのは一瞬のことで、朔はすぐに麗殊を解放し、少し怒ったような声で言う。


「すぐに拭ったから大丈夫だと思うけど、後で軟膏をあげるから塗りなよ」

「え、ええ……」

 

 麗殊が頷いたのを確認すると、朔は手巾をそっと広げて、そこにこびり付いた青い粉末を凝視する。


「これは……鉱物から作られた顔料だね。確かに、南方には毒を含む青い鉱物が存在する」


 朔が呟くと、梅妃が恐る恐る問いかけてくる。


「ねえ、本当にその絵画が原因なの? 毒が含まれてるだなんて、わたくし、本当に何も知らなかったのよ……」

「分かっています。此度の病は不慮のもの、誰のせいでもありません」


 安心させるように、麗殊は柔らかな声色で話す。すると、梅妃はほっとしたように強ばっていた表情を緩めた。


 朔は棚に置いた掛け軸を持ち直して、麗殊に問う。


「この絵画はこちらで預かって詳しく検査しよう。あなたはどうする?」

「私は少し休ませてもらおうかしら。また検査結果を教えてね」

「了解。それじゃあ、また後で」


 去っていく朔の背を見つめ、己も別れを告げようとしたとき、ずっと黙っていた雛嬪が麗殊へと言葉を投げかける。


「……腑に落ちたわ。こうやって、《《この間》》の謎も解いたのですね」


 諦めたような、睨めつけるような、羨むような視線。色々な感情が綯い交ぜになった眼差しを向ける彼女に、麗殊は目を伏せ、「そうよ」とだけ返した。


 一先ず役目を終えた麗殊は、梅妃たちに儀式に協力してくれたことに対する礼を述べ、桃晴宮へと戻った。その直後に昼餉が運ばれてきたが、疲労で口にする気力がなく、麗殊の分は栖遥や炉辰たちに与え、己は自室に籠っていた。直後はせっかくの宮廷料理を味わえないのが、幻食の悪い点だ。


 朔が桃晴宮へとやってきたのは、麗殊がなんとか夕餉を食べ終えた後だった。重い身体を起こして出迎えると「大丈夫か」と心配されてしまった。

 数刻前の言葉通り、朔は小瓶に詰めた軟膏を渡してくれた。顔料に触れた部分は特に異常がないのだが、朔の厚意を受け取り、念の為に塗っておこう。


「あの顔料、どうだった?」

「検査結果は黒だ。あれは南方の国々で流通している珍しい顔料で、非常に美しい青色を出す代わりに、有害な成分が混じるものだった。患者記録に乗っていた尚芸局の宮女と内侍鑑も、梅妃様が取り寄せた絵画の検問を担当した者たちだ。全てあなたの推理通りだよ」

「そう。合っていたなら良かったわ」


 状況から判断しただけで、絶対的な自信があるわけではなかった。そのため、こうして裏取りできたことに安堵の気持ちが大きい。


 食解きによって明らかになった奇病事件の真相はこうだ。 

 まず、梅妃が取り寄せた掛け軸を、内侍監が商人から受け取って検問した。彼が発症する前に、尚芸局の宮女へと絵画を手渡し、宮女は中身を検めた。それが今度は梅妃宮の侍女へと渡り、侍女が中身を確認した後、箱の中に仕舞われた。最後に、梅妃たち四人が参加した茶会で、掛け軸が開かれた。

 それぞれの過程で、患者たちは顔料の粉塵に触れたか、それを吸い込み、軽い中毒症状が現れてしまった。


 梅妃は掛け軸の存在を隠すつもりがなくとも、それを朧鳴帝や朔には伝えなかった。まさか、絵画の顔料が原因だとは思わなかったのだろう。顔料に毒となり得る鉱物が使われるのは、この国では一般的ではないため、内侍鑑と尚芸局の宮女も気づけなかったのだ。


「相変わらずあなたには驚かされるな……。今日は衣裳も化粧も違っていたのに、まるで梅妃と昭儀そのものだったよ。それに、ただ食べるだけで事件の真相を掴んでしまうなんて」

「食は人々の中心にあるのよ」


 "ただ食べるだけ"と言うが、この世界で生きるためには最低限、衣服・食事・住処が必要である。その中でも、食事を摂らずして生きることのできる人間は存在しない。

 だからこそ、食と記憶を繋く甜氏の力は廃れることなく引き継がれているのだろう……。麗殊はそう考える。


「どうして顔料が原因だと分かったんだ。あなたは食だけじゃなくて、毒にも詳しいの?」

「昔、料理に毒を盛られたことがあるの。それからは、自分の身を守るために色々な毒の種類を覚えたのよ」

「そう、だったのか」


 問いに答えただけで、同情して欲しかったわけではないのだが、朔は一瞬暗い顔を見せた。その彼の表情に、麗殊の方がいたたまれなくなる。


 あれは、六年前のことだ。麗殊がまだ十歳の時である。

 椿妃事件が起きて十六年が経っても、甜氏のほとんどが彼女の無実を信じ、彼女が誇っていた類稀なる力を崇めていた。しかし、異なる見方をする者も極僅かに存在した。


 麗殊が椿妃と同じ幻食の力を持つことが判明してひと月ほど経った頃ある日、夕餉に猛毒が混ぜられていた。麗殊の膳にだけである。

 甜氏の人間は近所に住む親族が一つの家に集まり、共に食事を摂る風習がある。その数、十数人だ。そのため、人々の目は多くあり、毒を盛った犯人は周囲の証言から直ぐに特定された。隣の家に住む、四十ほどの男だった。


 動機を問えば、「あの娘のせいで俺は官職を失った」「二の舞にさせてたまるか」「何が神の力だ、悪魔の力じゃないか」と、男は言った。彼は甜氏の未来のためにその身を犠牲にして、麗殊を葬ろうとしたのだ。

 偶然村に在留していた医師によって麗殊は命を取り留め、男は焼かれたが、今日まで彼の言葉を忘れたことはない。


 同じ力を持って生まれたからこそ、できることはあるはずだ。たとえ、それが悪魔の力であったとしても。

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