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十七、茶会〈上〉

 雛嬪に対して、朧鳴帝の命令で病の真相を解明にしに来たことを説明し、麗殊は儀式の準備に取り掛かる。

 どうやら、雛嬪の侍女はまだ体調が優れないとかで、上嬪宮の自室に籠っているらしい。雛嬪もまだ完全に体調が戻ったわけではないだろうに、わざわざこうしてやって来てくれた。後でお礼をしなければ。


 麗殊は茶会の席次をなぞり、当時梅妃が座っていたという西側の椅子へ腰かけた。

 向かいに置かれた丸卓の上には、皿に盛られた硬めの丸い胡餅(フービン)と花模様の碗に注がれた普洱(プーアル)茶が置かれている。

 麗殊は梅妃に金の簪を借りて、纏めた髪に挿す。これが、今回の幻食に使う触媒の一つだ。

 そして、もう一つの触媒は──。


「梅妃様、私の背に手を添えていてくださいますか。記憶を確かめるために、梅妃様と心を繋げることが必要なのです」

「分かったわ」


 梅妃は頷き、その柔らかな白い手を麗殊の背に添える。これで触媒は揃った。

 壁際で朔と雛嬪が、すぐ傍で梅妃が見守る中、麗殊は重々しく口を開く。


「──依代よりしろは姿を映し、さんは心を解く。味わうは余情、探るは真意。なんじの記憶、この身に宿らん」


 茶会の際の記憶を覗けるように祈りながら、誰かに操られるような感覚に身を任せる。すると、麗殊の右腕が自然と動き始めた。


 まず、最初に手を付けたのは花柄の茶碗だった。その中には、仄かな香りを漂わせる普洱茶が注がれている。

 麗殊は両手で茶碗を持ち上げ、口元に運ぶ。そして、静かに目を瞑り、淹れたての茶を味わう。

 普洱茶は素朴な味だが、仄かな苦味が混じり、茶葉の自然な香りを楽しめる。少しだけ柑橘の風味がするのは、細かな陳皮(ちんぴ)が入っているからだろう。


 途端、茶葉の苦味と干した蜜柑の甘味が一段と鮮明に感じられ、脳がぐらりと揺れた。──憶潜の兆しが現れたのだ。


 ふと、気がつけば麗殊──この記憶の視点である梅妃の向かいに、雛嬪が座っていた。房室は先程までと同じ客間で、テーブルには茶菓子が盛られた皿が四人分並べられており、中央には花瓶が置かれている。

 房室は茶会に合わせて豪華に飾られており、周囲を見渡すと、珍しい彫刻が成された壺や、異国風の海岸を描いた横長の掛け軸が目に入った。

 おそらく、梅妃の隣に控えめに座っている娘が梅泉宮の侍女で、雛嬪の隣の娘が彼女の侍女だ。この顔触れが、茶会後に揃って発症した四人の患者だろう。

 

 梅妃は普洱茶をひと口飲んだ後、柔らかな表情で話し出す。


『七夕節が楽しみねえ。今年は宴があるし、うつくしい舞姫もお呼びになるとか』


 対して、向かいの雛嬪が目を細めて「楽しみですね」と相槌を打つ。


『尚工局の宮女たちも張り切っているといいますし、わたしも贈り物の準備を少しずつ進めています』

『いいわね。わたくしも主上へ贈る袍の刺繍を頑張ってるの。完成したら、あなたにもぜひお披露目させて』

『まあっ、梅妃様の作品を見せていただけるなんて光栄ですわ』


 七月七日の七夕節は、伝承の中の牛飼いと天女が年に一度だけ会える日が由来になっている。灯華国の女たちはこの日を祝い、機織りが上手な天女に裁縫の上達を願う。それは後宮の后妃も例外でなく、毎年七夕節を祝う宴が開かれている。己の針の腕を皇帝に披露する絶好の機会でもあるのだ。


 記憶の中で、梅妃と雛嬪の間で茶会に相応しい和やかな会話が繰り広げられ、各々の侍女が優しい顔でこくこくと頷く。見た限り、手元の卓や食器、普洱茶や胡餅に異常は感じられない。

 ふと、首筋に微かな風を感じる。陽射しがなく涼しい日和だからか、窓が開かれていた。


 かちり。

 特に異常を見つけられないまま記憶が途切れ、意識が浮上していく。


 ──四人とも、変わった様子はなかったわね。

 毒を取り込んだ前なのか後なのか分からないが、彼女たちが触れた物はどれも中毒を引き起こしそうなものはなかった。食器などは検査済みらしいため、除外される。


 ──次の記憶で見えるかもしれない。

 普洱茶の後は、胡餅だ。麗殊は二つあるうちの一つを手でそっと掴み、少し力を入れて半分にちぎる。これは日持ちする種類のものなので感触は堅い。断面を覗くと、胡桃や棗が入っているのが見えた。


 片方を口元に運んで噛んでみると、さくっと歯が通る。胡麻を練りこんだ生地が香ばしく、麗殊はその旨味に舌鼓を打つ。表面に比べて中身は少し柔らかめで、ほんのり甘い胡桃や棗との相性が抜群だ。

 

 ゆっくり味わっていると、再び憶潜の兆しが現れた。そして、徐々に意識が梅妃の記憶の中へと吸い込まれていく。

 景色は変わらず、目の前に雛嬪の姿が見える。どうやら、先程の記憶からあまり時間が経っていないようだ。


『これは、西域由来の胡餅なの。焼きたてとはまた違った味わいで美味しいでしょう?』

『独特の風味がありますね。普洱茶ともよく合いますわ』

『そうなのよ。胡餅が甘いから、お茶は少し濃いめに淹れたの』


 梅妃と雛嬪が話す傍ら、麗殊は梅妃の視界から卓以外の事物を探る。しかし、どうにも毒素となり得るものが見つからない。花瓶に挿された蓮の花は違う、棚の上に飾られた別の花──梔子の花も今回の毒にはなり得ないはずだ。足元の絨毯も関係ないだろう。他はどうだ。香炉から薄らと漂う甘い香り、掛け軸、陶磁器……。


 かちり。

 二人の会話を意識の遠くで聞きながら、ぐるぐると頭を悩ませているうちに、視界が揺れて、麗殊は現実へと戻ってきた。

 茶会の華やかな雰囲気から一転して、周囲にはなんとも言えない緊張感が漂っている。

 麗殊の身体が操られていたような感覚から解放される。幻食の儀式が終了したのだ。


 ──なにかあったような……。

 梅妃の記憶の中に謎を解く鍵は、先程の些細な日常の中に確かに存在した。そんな気がしてならない。


 ──……もう一度ね。

 麗殊は一度深呼吸をして、椅子から立ち上がる。段々と肩が凝ってきたが、相手は生者だから、二回続けてもなんとか持つだろう。疲労を考えると少し気後れするが、謎を解くためには手段を選んでいられない。


 次はやり方を変えようと、麗殊は記憶の中で雛嬪が座っていた椅子に腰を掛け、茶碗と皿を己の元へと引き寄せる。その奇妙な行動に、梅妃は「何を?」と不思議そうに目を瞬かせた。

 麗殊は彼女の問いには答えず、居心地が悪そうに房室の隅で控えていた雛嬪に声をかける。


「今度は雛嬪さ……昭儀にお願いしても?」

「わたしに?」


 訝しげな顔を見せる雛嬪に対して、麗殊は雛嬪の首元に光る薄紅の玉を見ながら、彼女に尋ねる。


「そうよ。その首飾りは一昨日も付けていたの?」

「まあ」

「儀式の最中だけ、借りてもいいかしら」

「……いいですよ。これで病の謎が解けるのなら」

「任せてちょうだい」


 麗殊は決意を示すようにして、胸に手を当てる。

 すると雛嬪は、上質な絹で作られた組紐にきらりと輝く玉の付いた首飾りを外して、手渡した。麗殊はそれを受け取り、そっと首元に着ける。

 飾り好きの雛嬪が金ではなく組紐の首飾りを身に着けているのは、己が妃ではなく嬪であると弁えてのことだろう。


「それで……わたしは梅妃様と同じように、あなたの背に手を添えればいいのですか?」

「そうね、今度は左手を握っていてくれないかしら」

「て、手を……?」

「ええ」


 ぎょっとする雛嬪を、麗殊は真剣に見つめる。こちらが真面目に言っていると分かったからか、雛嬪は視線を彷徨わせた後、隣の椅子に腰掛け、おずおずと麗殊の左手の手のひらに自分のものを添える。包帯越しだが、これで彼女の記憶と深く繋がれるはずだ。


 ──次こそ、決定的な瞬間を。

 先程は祈り方が悪かったのかもしれない。こういうズレはよくあるのだ。今度こそ、直接毒に触れた瞬間を見られるようにと、麗殊は心の内で願う。

 そして、詠唱する。


「──依代よりしろは姿を映し、さんは心を解く。味わうは余情、探るは真意。なんじの記憶、この身に宿らん」


 梅妃の時と同じように、麗殊は身体の動きに任せて、普洱茶を口にする。片手を封じているので不自然な動きになってしまうが、今回ばかりは致し方ない。

 微かな苦味が鼻を抜けるのと同時に、憶潜の兆しが現れた。視界が歪み、目の前の景色が変わる。

 

 今度はどうやら、雛嬪が梅泉宮にやってきて間もない記憶のようで、梅妃たち四人はまだ席につかずに立ち話をしていた。

 雛嬪の記憶に入った余韻に少しぼんやりとしていると、目の前にいる梅妃が小さく手を叩く。


『そうだ、雛嬪に見せたいものがあるの』


 梅妃がそう言うと、彼女の侍女が別室から筒状の巻紙を持ってきた。紙は紫檀の軸棒に巻かれているため、これは掛け軸だと分かる。

 それを受け取った梅妃は、「私も初めて見るのよ。楽しみにしていたから今日までとっておいたの」と嬉しげに語る。


『開けてみて。あなたも美しい絵が好きだと言っていたから、きっと気に入るはずよ』


 梅妃は掛け軸を雛嬪へと手渡す。


『いいのですか……?』

『もちろん』


 驚く雛嬪に、梅妃は優しく微笑みかける。

 すると、雛嬪はごくりを固唾を飲み、やや緊張した面持ちで色褪せた巻き緒を解いていく。そして、絹を手で横に広げていく。梅妃は彼女の近くに寄り、一緒にその中を覗き込んだ。


『まあっ』

『素敵だわ……!』


 瞬間、二人の感嘆の声が重なる。掛け軸を開いて現れたのは、美しい海岸の風景画だった。その中に描かれている木々や岩肌の雰囲気はどこか異国風で、灯華国の海ではないように見える。


『素敵な色使いですね。こんなにも鮮やかなものは初めて見ました』

『そうでしょう? これは南方の絵師が描いたものなの。近頃、国内で話題になっていて気になったから、取り寄せてもらったのよ』

『まあ、そうなのですね。この青色なんて、どうやって出しているのでしょう』


 雛嬪は、絵画の中の青く澄み渡る海を指差す。

 彼女の言う通り、灯華国においてこのようにはっきりとした色彩の絵画は非常に珍しい。大抵は淡く柔らかな色合いの水彩画や水墨画である。

 よく観察していると、ふと、掛け軸の柱の薄緑の絹に青い斑模様があるのが目に入ってきた。


 かちり。

 そこで、憶潜から浮上する。記憶の中から、現実世界へと戻ったのだ。

 まだ身体が無意識に動き出そうとしていたが、麗殊はそれに逆らい、首飾りを外して幻食の儀式を中断さる。そして、半ば強引に身体を己の意識の元へと連れ戻した。

 麗殊は全身の力を抜いて、椅子の背に凭れ掛かり、呆然と呟く。


「青い絵画……」


 麗殊は房室の右側の壁を見つめる。今は、そこには何も掛かっていない。

 先程見た絵画の海の碧玉のような輝きは、目を見張るものがあった。その一方で、保存状態が良くないのか、色を塗られた箇所がところどころ剥がれていた上に、顔料が粉塵化したのか細かな粉が飛び散っていた。


 ──おそらく、あれが……。

 麗殊はおもむろに立ち上がり、離れたところでこちらの様子をうかがっていた梅妃に尋ねる。


「梅妃様、お茶会の際にここに飾っていた掛け軸はどこに? 海岸が描かれているものです」

「掛け軸?」


 突然問い掛けられた梅妃はきょとんとして首を傾げる。


「はい。此度の病の原因は、その掛け軸の中の絵画にあると思われます」

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