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十五、奇病

 桃晴宮が穏やかな静寂に包まれる中、それを破るようにして、うら若い娘の叫びともいえる歓声が響き渡った。

 

「なっ、なんて美味しいの……っ!?」


 麗殊は手にした艷めく白桃を前に、愕然とした表情を浮かべる。

 今日は朔が桃を届けに来てから三日後である。瑞々しい桃がもう少し熟すのを待っていたのだが、我慢ならず、ついにひとつ食べてしまったのだ。

 朝餉を食べたのに……という疑いは愚問だ。麗殊の腹は無限大なのである。


 この桃は、"極上の桃"というだけあり、今まで味わったどれよりも芳醇で甘美である。なんと言っても、麗殊の口に合う。おそらく、東州の桃畑の中でも一番手間暇かけて育てられた水蜜桃だ。

 どうしてこんなに好みのものを選ぶことができたのか、朔に対してある種の恐怖を覚えるほどである。


 そんな麗殊の心中を読み取ったのか、炉辰が控えめに房室の扉を叩き、「朔様です」と件の人物の来訪を告げる。


「噂をすればなんとやら……もう少しだけ待ってと伝えてちょうだい」


 まだ食事の最中だ。唇を果汁で濡らしたままで殿方と会うわけにもいかず、麗殊は味わいつつも素早く桃を胃袋に入れてしまった。勿体ないが、これもまた一興。朧鳴帝は羽振りよく高価な桃を六つも贈ってくれたため、まだまだ極上を堪能することができる。


「久しぶり」

「まだ三日しか経ってないでしょう」

「そうだっけ」


 待たせたのにも関わらず、朔は特別気を悪くした様子もなく、麗殊を出迎えた。

 彼がここに来たと聞いた時点で予想していたが、用件はやはり朧鳴帝からの呼び出しであった。要は力を貸せということだろう。


 麗殊は大人しく朔に付いていき、黄瑞殿への三度目の来訪を果たした。朧鳴帝は相変わらず正殿の奥、段が高くなったところに備えられた玉座に腰掛けている。

 彼は麗殊を認めると文卓に両肘を乗せ、意味ありげに尋ねた。


「甜麗殊、妃になった気分はどうだ?」


 問い掛けられたその言葉は、昨日朔の口から出たものとほとんど同じで、麗殊は思わず笑ってしまいそうになる。しかし、天子の手前でそのような無礼は許されないため、頬の筋肉に力を入れてなんとか堪えた。

 そして、朧鳴帝を見上げてぎこちなく答える。


「毎日、とても美味しくて極楽にいるかのようです」

「そなたの関心は食事ばかりだな。ここに来る前も、また桃を食っていただろう」


 意地の悪い言いぶりに、麗殊はぎくりと肩を揺らす。そういえば、初対面でもそのようなことを言われた。鼻が利くというのは、中々恐ろしいものだ。


「さて、朕がそなたを呼び出したのは、ある謎について"食解き"をして欲しいからだ」


 朧鳴帝の要求に、麗殊はすぐに首肯した。

 その言葉を待っていた。こちらとしてもやることが無く燻っていたところである。


「近頃、国内で不可解な病が発生している。そなたも知っているだろう?」

「はい、噂で聞き及びました」


 不可解な病は、数週間ほど前から宮中でも噂になっていた。何人もの民が原因不明の病に襲われていると。


「実は、国内だけでなく後宮でもその病が発生し、流行しているのだ。昨日、梅妃が同様の病を生じた。朔に診てもらっていたのだが、どうにも根本的な原因がわからない。そこで、そなたの力を借りたい」

「仰せのままに」


 食い気味に答える麗殊に、朧鳴帝は「うむ」と力強く頷く。


「病について、詳しく教えていただけますか」


 麗殊が訊くと、朧鳴帝が朔に視線を投げる。彼は心得たとばかりに、天子と同じ琥珀色の瞳をこちらに向けて話し出した。


「俺も診察したが、特定の患者に共通して呼吸障害と皮膚疾患が見られた。此度の病は人から人へと伝染る疫ではなく、特定の毒を取り込んだことによる中毒症状だ」

「毒素……食中毒ではないのですか?」


 中毒と聞いて一番に思い浮かぶのは食中毒である。広大な後宮では食の管理が行き届かないことも少なくない。食中毒は起こり得る話しだ。

 ところが、麗殊の予想に反して朔は首を横に振る。


「いや、梅妃様たちに振る舞われた食膳は諸々調査したが、問題なかった。つまり、食事以外のどこかで毒を摂取したことになる。しかし、皆心当たりがないという。俺たちもどこに原因があるのかまだ特定できてない。」

「つまり、私にその毒の居所を突き止めろ、ということね」

「ああ、話が早くて助かるよ」


 そう薄く笑った朔と入れ替わるようにして朧鳴帝の低い声が降ってくる。


「と、いうわけだ。被害が広まる前にはやく根源を取り除きたい。必要な情報は全て提供する。褒美も充分に用意しよう。この謎、そなたの力で解くことができるか?」

「はい、お任せ下さい」


 麗殊は拱手し、深々と膝を折る。褒美が欲しい。今回は極上の桃ではなくて、椿妃についての情報だ。


 朧鳴帝はこれから外朝で政務があると言って、散会した。皇帝は妃と違って毎日忙しいらしい。

 麗殊は正殿から出たところ、晴天の下で朔と二人きりになる。

 たいして気まずくはない沈黙が訪れたが、それを破るようにして麗殊は朔に頼み込む。


「朔殿、さっそくだけど梅妃様とその他の患者の記録を見せてほしいの。儀式の魂身を定めるために」

「今回は患者の記憶を見るのか?」

「そうよ」


 麗殊が答えると、朔は言うまでもなく準備していたのか、懐から一枚の綺麗な文書を取り出した。

 それを受け取り、順番に目を通していく。


 内容は今回の不可解な病の症状とそれが見られた患者の一覧表のようなものだ。

 全員に共通した症状は気道の炎症による呼吸障害で、その中の数名に手足の発疹が現れている。

 患者は全部で八人。梅妃、梅泉宮ばいせんぐうの侍女二人、内侍監(ないしかん)一人、尚芸(しょうげい)局の宮女一人、そして───。


「雛嬪?」


 患者の記録には、雛嬪の名もあった。【上嬪宮、昭儀、侍女一人】との記載がある。

 最初に発病したのは内侍監で、八日前──竹妃が亡くなる前日──に症状が現れている。続いて、六日前に尚芸局の宮女が一人、五日前に梅泉宮の侍女が一人。

 そこから間を開けて昨日、梅妃ともう一人の侍女、雛嬪と彼女の侍女、計四人に中毒症状が現れている。時間差はあれど、同日に四人が症状を訴えるなど異常だ。

 麗殊は朔にも見えるように文書を持ち、片手の指で紙面を指し示す。


「この日、四人は同じ場所にいたの?」

「昨日ではないが、一昨日、彼女たちは昼過ぎに梅泉宮で茶会を開いていたそうだ。その際に食したという茶菓子や食器を調査したのだが、毒が含まれている様子はなかった。梅妃様たちも何も知らないと言っている」


 何も知らないというが、状況的にその茶会で何かがあったと考えるのが普通だろう。不可解な点は多々あるが、まずは四人に話を聞くべきだ。

 そう考え、麗殊は朔に尋ねる。


「今、梅妃様たちの症状は落ち着いてる? 私が会える状態かしら」

「大丈夫だよ。解毒によって呼吸障害は昨夜の時点で収まっていた。梅妃様は落ち込んでいらっしゃったが、会話も通常通りできる」

「それなら良かった。幻食の魂身は梅妃様にするわ」


 話ができるというならば、今回は茶会の主催者である梅妃に力を貸してもらうことにしよう。


「じゃあ、今から梅泉宮に行くのか?」

「ええ、念の為に雛嬪──昭儀(しょうぎ)も呼んできてくれないかしら。無理そうだったら大丈夫よ」

「了解──(らい)


 朔は視線を麗殊から外し、虚空へと声をかける。

 すると、風が空を切り、ザッと砂埃を踏む音が聞こえる。


「はっ」


 突然、どこからともなく男が姿を現し、朔の隣で膝を着いた。


 ──今、どこから現れたの……!?

 麗殊は唖然として男を凝視する。

 背は朔よりも低いが歳は麗殊よりも重ねているように見えた。宦官だろうが、炉辰などとは異なる黒い衣裳を纏っている。

 ぽかんと口を開いたままの麗殊を置いて、朔は平然と男に話しかける。


「今から上嬪宮に行って、昭儀(しょうぎ)に梅泉宮へ来るように伝えてくれ。精神的に問題がなければで構わない」

「御意」


 男は頷き、そのまま黄瑞殿から遠ざかっていく。尋常でない速さだ。

 麗殊は間抜けな顔をして男が去っていった方向を見つめ、朔に問う。


「だ、誰……?」

「俺の配下だよ。皇帝直属の者だったが、主上が俺に付けてくれたんだ。とても有能だからいつも助かってる」


 配下と言われても、医官としての配下には見えなかった。この朔という男は、宮中でいったいどういう立場なのだろう。皇帝直属という時点でただの大医ではないことは分かっていたが、朧鳴帝の過信ぶりといい、他にも何か裏があるに違いない。

 我慢ならず、麗殊は思い切って訊いてみる。


「ねえ、あなたと主上はどういう関係なの?」

「どういう関係って……主従関係?」

「そうじゃなくて」

「あなたが何を言いたいのかわからないが……たとえ俺と主上の間に何かあったとしても、俺の口からは言えない」


 朔は視線を落とし、曖昧に答えた。本当にこの男は、いつも飄々としていて読めない。


 ──いつか、あなたの謎も突き止めてやるわ。

 ひらりと風のようにはぐらかす朔の顔を流し見て、麗殊は密かに意気込んだ。

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