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一、桃妃

 楓幻ほうげん城は、灯華とうか国の中心部にそびえる宮城である。城の奥には広大な後宮が広がり、皇帝や妃たちが暮らしている。豪華絢爛に彩られたその一角に、桃晴とうせい宮はあった。


 風薫る爽やかな夏、柔らかな陽射しに木漏れ日が揺れる。

 眩しい新緑の下で、ひとりの娘が艷めく黒髪を靡かせ、鼻唄混じりに桃晴宮の門をくぐり抜けた。


 娘の名は麗殊れいしゅ、号は桃妃とうひである。昨日、九嬪きゅうひんの最下位である充媛じゅうえんから、四夫人しふじんと称される妃の一人へと驚異の昇進を果たしたばかりだ。齢は十六とうら若い。


 麗殊は今朝、寂れた狭い房室から華美で広大な宮に移ってきた。高位の妃に仲間入りを果たしたので、立派な自宮を持つことを許されたのである。

 しかし、麗殊は庭に設えられた華やかな東屋や美しい梅の木には目もくれず、漆塗りの木箱を抱えて、ただ一目散に房室へと駆け込む。


 麗殊は周囲に人の気配がないのを確認する。そして、丁重に木箱を卓上へ置いて、その蓋を細い指先でそっと持ち上げた。

 小さな鍵を差し込むと錠が外れる小さな音が鳴り、中身が露になる。

 

「わあ……!」


 そこには、緩衝材となる紙に包まれた丸い桃が六つ入っていた。こんなに沢山の桃を一度に貰うのは初めてだ。

 鎮座しているのは、薄色の白っぽく瑞々しい水蜜桃である。甘い上品な香りが鼻先に届く。

 この桃は皇帝から特別に賜ったものである。ある難題解決の報酬に、と。


 麗殊は桃を両手で持ち上げる。手触りはとても滑らかで、指を添えただけで形が変わってしまいそうなほど柔らかい。

 満を持して、それを小さな口で齧ってみた。果皮は非常に薄く、すぐにぷちんと歯が通る。

 こんなはしたないところは誰にも見せられないが、この食べ方が一番美味しいのだ。


「はぁ……しあわせ……」


 蜜の詰まった果実を舌で味わう。

 果肉が口内でとろけ、酸味はなく甘みが強い。その果汁は唇から溢れてしまいそうなほどで、麗殊は慌ててごくりと飲み干す。


 瞬間、麗殊の脳内に爽やかな桃園が広がった。目を瞑り、その景色をじっくり堪能する。

 鼻をくすぐる優しい香り、夏風で枝葉が揺れ、陽の光が木々の間を照らす。栽培に適した暖かい気候だ。

 日焼けした農夫が熟した桃を摘み、背負った竹籠にそっと仕舞う。これは美味そうだ……と、農夫の喜ぶ声が聞こえる気がした。


 ──きっと東州の桃畑ね。まるで天国だわ。

 麗殊はその情景と舌に残る水蜜桃の甘さに、うっとりと微笑む。


 桃の手触りや食感、そしてなによりもその味は、品種や育てられた地域によって大きな差がある。数日前にも桃を食したが、それは南州の農村で育てられたものだった。

 どの桃も美味しいけれど、この水蜜桃は一際抜けて甘美だ。優しく染み渡るような味が心をときめかせる。


「ふふ、主上に感謝しなくては」


 麗殊はそう呟き、恍惚と目を細める。

 そして、木箱の中に眠る至宝のひとつに、再び手を伸ばした。

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