第六章 第四話
男爵家の別荘は、人里離れた場所にあった。
シャルロット・ド・ラ・モットは、窓辺に立ったまま、虚ろな目で外を見つめている。かつての華やかな社交界の日々は、もはや夢のようだった。
「お嬢様、お食事が」
侍女の声に、シャルロットは小さく頷く。以前のような威張った態度は、もうどこにもない。
招待状が途絶えてから、どれくらい経っただろう。かつての友人たちからの手紙も、次第に来なくなった。王太子に寵愛された令嬢という噂は、今や彼女を社交界から完全に追放する烙印となっていた。
「エレオノール様なら、きっとこんな愚かな真似はなさらなかったでしょうに」
母の言葉が、今も胸に突き刺さる。
着飾る必要もない日々。それは、シャルロットにとって最大の苦痛だった。
かつて王太子の寵愛を受けた時の喜び。周囲の羨望の眼差し。取り巻きたちの追従。全ては儚い夢でしかなかった。
「シャルロット、あなたの軽率な行動が」
父の叱責の声が、また耳に蘇る。幼い娘の過ちが、家の威信にまで傷をつけてしまった。もはや、男爵家は社交界での立場さえ危うくなっている。
届いたばかりの新聞には、エレオノールの功績が記されていた。東との外交における彼女の手腕は、今や誰もが認めるところという。
「まだ、お読みになっているのですか」
侍女が、心配そうに声をかける。以前なら、こんな態度は決して許さなかった。しかし今は、かつての高慢な態度を取る資格さえ、自分にはないのだと感じていた。
「縁談の話が、また断られたそうですね」
侍女の何気ない言葉に、シャルロットは顔を背ける。
十七歳。本来なら、輝かしい未来が約束されているはずの年齢。しかし今、彼女を待っているのは、この別荘での永遠とも思える蟄居生活だけ。
『王太子様との関係』
『分を弁えない女性』
『家柄に似合わぬ振る舞い』
噂は、次々と新しい言葉を纏いながら広がっていく。そのどれもが、シャルロットの未来を確実に摘み取っていった。
「エレオノール様は、ただの公爵家の令嬢です」
あの時の言葉を思い出す。何という皮肉だろう。エレオノールは確かに『ただの公爵家の令嬢』だった。しかし、そのひとことひとことには重みがあり、その立ち居振る舞いには品格があった。
一方の自分は——。
窓の外では、雨が降り始めていた。
「昔の衣装を、整理いたしましょうか」
侍女の提案に、シャルロットは小さく首を振る。あの華やかな衣装たち。二度と着ることのない、過去の栄光の証。それを片付けることは、自分の愚かさを認めることと同じではないか。
しかし、現実は容赦なく彼女を追い詰めていく。
『陛下の御前で、あのような振る舞いを』
『公爵令嬢への中傷が、全て作り話だったとか』
『分際をわきまえぬ者の末路ですね』
噂は、日に日に色を変えながら広がっていった。そのどれもが、真実であることが何より苦しかった。
以前、エレオノールが諫めてくれた時があった。礼儀作法について、貴族としての心得について。あの時、彼女の言葉に耳を傾けていれば——。
別荘の庭に、一羽の小鳥が舞い降りる。
シャルロットは、その姿に見入る。かつての自分は、何という傲慢な鳥だったのだろう。高く飛べると思い込み、周りが見えなくなっていた。
「フィリップ様も、廃嫡されたそうですね」
侍女の言葉に、胸が締め付けられる。
自分のせいだ。王太子を失脚に追い込み、アンリたちの人生も台無しにした。そして、自分自身の未来まで——。
「エレオノール様のような方になりたかった」
思わず漏れた本音に、自分でも驚く。
今になって気付く。彼女の凛とした佇まい、的確な判断力、そして揺るぎない品格。全てが本物だった。一方の自分は、見せかけだけの上っ面の華やかさで、周囲を欺いていただけ。