禾森三ッ星岡日本料理店
在フランス日本大使も出席した祝賀パーティーの後。閑散としたレストランのステージ前のテーブル。レースのテーブルクロスが掛かっている。
そのテーブルクロスの上に、菊池は2つ折りの紙を開いて置いた。
矢継ぎ早に質問をしていた古賀は絶句した。
「質問の答えは全てここに有ります。古賀さんの目…いや。舌で確かめていただきたい」
古賀は紙を受け取って見た。
岐阜県大垣市禾森6 禾森三ッ星岡日本料理店
とペンで書かれている。
「星岡とは?」
「パリを去られてからは、お会いしてません」
菊池は、大きく息を吸って。吐き出すように言った。
「…でしょうね。記事を覚えてます。負け犬は取材対象にならない…でしたかね?」
「若気の至り。言い方は有ったと思います。が、今でもそう思ってます」
菊池は紙を奪い返し、ペンで書き足した。
「これで。星岡は会ってくれるでしょう。誰が負け犬か?古賀さんなら、5ページくらいの記事に出来るでしょう。書いて下さい」
菊池は紙を置いて立ち上がると、厨房に消えた。
12月初旬とは言えJR大垣駅は寒かった。
南口のエスカレーターを降りると、タクシー乗り場になっている。行灯にスイトと有るタクシー運転手に合図すると、ドアが開いた。
「どちらへ?」
「ノギノモリ……6……ノギノモリ三ッ星岡日本料理店って。判ります?」
「あぁあぁあぁ…星岡日本料理ね。あそこは美味しいよ。安いし。だだメニューが1つだけどね」
「メニューが?1つ?」
駐車場は無く、民家を居抜きしたような店構え。
ただ。見事な1枚板に「禾森三ッ星岡日本料理店」と墨文字の看板が掛かっている。
入ると満席だった。
三角巾の女性が振り向く。明らかに日本のおばちゃんに見えた。
「古賀さん?お久しぶり!モンマルトル以来?」
「メグミさん。ご無沙汰してます。菊池さんに星岡さんに会うように言われまして。紹介状も書いてもらいました」
メグミさんは古賀から紙を受け取る。
「こんな飯屋に?紹介状?満男さんは相変わらずおもしろいのね?」
かつては最新モードのパリジェンヌだったメグミさんはコロコロ笑った。
「おとうさん。説得するね。待ってて」
星岡は記者嫌いで有名だった。
長椅子に座っている老女が見上げて言う。
「兄ちゃん、ここ。ここ座って?こっから順番」
「ありがとうございます。いつも来られるんですか?」
「来られるって。お姫さまやないから」
隣りの老女が口を挟んでくる。
「朝、昼、晚。ここに住んどるみたいなもん。ここは美味いよ!500円。ようやっとんさるはぁ」
メグミさんが戻って来た。
「ごめんなさい。食べれば判るの一点張りなのぉ。待ってくれる?」
「待ちます。菊池さんにも言われてますので」
長椅子が減ってゆき、席に案内された。
メニューは1つしか無いので、すでに置かれている。
素朴な瀬戸物に、フンワリと白米が盛られており、フンワリと湯気が上がっている。
明らかに漆塗りの椀に味噌汁。楽焼きの小皿に大根の漬物。
信楽焼きのドンブリに肉ジャガ。
それだけ。
うまかった。涙が流れた。
「泣いとる?しばらく食っとらんかったか?美味いやろ?」
「ずっとパリに居たので」
「和食が久し振りかぁ?そりゃ泣けるわな。日本人はご飯に味噌汁やから。そう言やぁずいぶん前にな、パリで料理人やっとるって人も泣いてたわ。負けたぁって。孫も来とって、孫の墨汁と筆貸してって言って、なにしよるかと思っとったらな。外の看板に三ッて書き足したんやわ」
半年後。記事になって掲載された。
その年。ミシュランガイドは「禾森三ッ星岡日本料理店」に三ッ星を付けて掲載した。
禾森三ッ星岡日本料理店完結
2024年12月19日 快活くらぶ 1&2Gにて 武上渓