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歓喜を掴む

 ある宝くじで、五億円の当選者となった。札束を持ち帰った。現実的な気持ちになって使い道を考えたかったのだ。札束をもてあそんでいると、家が欲しくなった。我が家のみすぼらしさに嫌気がさしたからだ。ほうぼうの建築家に金を握らせて設計させたが、それだけで二千万円がなくなった。そのおかげで家の構想が固まった、間取りがはっきりとした、宿願が煮詰まった、札束をくべたおかげだろうか、心は燃え上がったのである。部屋は七十室ほしくて、地下と天井裏を含めた五階層で、あるひと部屋の天井高が十五メートルになるグランドホールをそなえた洋館でなければ住みたくない。が、そんな中古物件は国内に存在しない。くわえて絶望的なのは、望みどおりを新築で建ててしまうには、もっと金がいる。とほうもなく金がいるのであった。とうてい五億程度のはしたがねで手に入る邸宅ではない。五億円というのは、贅沢な欲望を叶えられるほどには、十分な財ではない。が、そうやって金の価値を切実に知れたことは私に喜びをもたらした。いたるところにいる金持ちという金持ちは、五億ほどの金をもってしても、ろくに贅沢できないで、それぐらいの金を大切に大切につかうことだろう。金持ちを自負して、その地歩を誇りにしているにもかかわらず、五億くらいを使ってしまうのに多大な神経をすり減らして、金持ちのプライドを傷つけられながら、札束のうちのほとんどを大切にしまってしまい、けっきょくいくらかの一万円札を使って、八百枚か千枚程度の札を使って満足したことにする。本当は欲望のために使ってしまいたい五億や十億があるのに、それらはいまだに銀行のなかにしまわれていて、金持ちたちはほっと安堵する。その心持は惨めだ。なぜといって、なんでも我が物にしてしまえると信頼した五億円は、じつのところ万能のチケットどころか、ちいさなひと掴みかみすぼらしいふた掴みの願望がせいいっぱいなのだ。金持ちは裏切りの刃につらぬかれたに違いない。私の喜びは、金持ち連中のそういう不自由と落胆を身をもって知れたことによる。五億円を手に入れたことで、私は、それくらいをぱっと使えない金持ちに気後れする必要がなくなった。金持ちは、じつのところ金持ちではない。その喜びはぎゅうぎゅうづめの電車から、サラリーマンをぜんぶ放り出して、快適に目的地に向かっていけるような心持である。いままで私は、社会というのが、思いのほか金持ちだらけなのだと思って生きてきたが、そうではなく五億円をさらっと使うごくわずかな者だけが金持ちなのだ。日常無数に行き交っていた金持ちどもは庶民と同じだった。エンブレムの立ち上がったベンツなど大衆車である、金ぴかのロレックスといえばラーメン屋の待ち時間をもっともつれそっている腕時計である、ワイキキビーチはリゾート地ではない、ちょっとそこの浜辺である。確かに金はもっている、だがそこらにいる金持ちは貧しい金持ちだ。心に節約を抱えた惨めったらしい金持ちなのだ。庶民の暮らしに五億は十分だが、金持ちの欲望の足しにはまるで足らぬ。五億円で金持ちにはなれない。すくなくとも五階層の七十部屋からなる洋館、これに住む力を与えてくれはしない。そう知ったとき私は、はっきりと落胆した。金持ちでないことに失望した。宝くじなど当たらず、あるいは欲望に身を寄せる無邪気さに目覚めず、またそのために願望の実現にむけた具体的な方策などにかかずらうことなく、庶民なら庶民らしく、これを生活に使っていたならむやみに落胆することもなかったろう。が、大金は欲望に共鳴する増幅器だ。大きく鳴ってゆく源が心にあるなら、いつまでも耳を背けることはできない、並外れた素朴さに練磨された貞潔な精神を持ち合わせない限りは、できないのである。宝くじの当選が私に与えたものは、五億円の富にあらず、雲を掴むような惨めさとむやみに醜い日常であった。

 私はこの五億円を株と夢洲のカジノと競馬に使うことに決めている。中途はない。底か天井の二つに一つである。なぜといって、心はいまだ燃えたまま戻ってこない、戻ってこないのである。

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