第8話 越後からの援軍と、おタマちゃんの晴れ姿
前話で越後勢を率いて三国峠を越えてきた、長尾弾正左衛門尉重景の宿所へ向かう景春ら3人に、八木原源太左衛門を加えた一行は、嬉しそうに跳ね回る景春侍女のおタマちゃんを横目に見ながら、本丸宿所の前までやって来た。
「やれやれ、にここまで来るのには、骨が折れたわい」
「兄上、流石に孫四郎様のあまりにも早い寛解を、怪しまれましたからのう」
「為業ちゃん、ここまで来るのに、たびたび俺の事をじろじろ見てきやがって、うぜえったらないし、。まじきもいわ」
重景配下の者たちが怪しむのも無理はない。なぜなら、そもそも白井長尾家の御嫡男は、たいそう酷い病(呪詛?)におかされて余命を危ぶむ風聞が、越後長尾家にも届いていたからである。
「たのもう、それがしは長野家の家臣、八木原源太左衛門にござる。御大将の長尾弾正左衛門尉殿にお目通り願いたい」
景春侍女のおタマは胸のところで両手を組み、軽く屈伸しながらその様子をのぞき込んでいた。
「おいおタマ、ちったあ大人しくできねえのかよ」
「なんで、春ちゃんだって右手の拳を、ぷるぷるさせてるじゃあにゃいか」
「若もおタマも落ち着かれよ、やたら本陣までたどり着けないのは、仕方がないのだぞい。いつ刺客に襲われるか分からんから、警戒に、過ぎるという事はないからのう」
長野信濃守為業のいう事はもっともである。本来武家の者が敵対する家の当主に、刺客を送ることは武士の本文から外れるとされ、送った側は『卑怯者』よとあざけりの対象となる。だが、古今東西このような道徳観念があったとて、渦巻く陰謀により倒された武士は少なくない。
「お待たせいたした、ささ、どうぞこちらへ」
こう言って登場したのは、越後蒲原郡の代官を務め山吉大炊助久盛である。久盛は周辺諸将をまとめ上げ、総大将長尾重景の副将として従軍してきたが、この対応は景春の地位がどの程度のものであるかを、的確に表している。ここで先頭が景春に入れかわった一行は、案内通りに陣幕をくぐり、平屋の軒先まで通された。
「ここからお上がり下され、奥でお待ちでござる」
久盛はこう言って景春らを引率し、部屋の前で片膝をつくと、奥へ向かって申し上げた。
「孫四郎様が、お着きでございます」
「そうか、とおしてくれ」
おタマと八木原源太左衛門は、手前での待機を促され、景春を前にして長野為業は板の間の中央へ膝を進めた。すると長尾弾正左衛門尉重景が親し気に手招きをした。
「なんだなんだ、もっとちこう寄らんか、そなたの父長尾左衛門尉(景信)殿とは義兄弟であることを、知らぬはずがあるまい」
するとわきに控えていた為業は、きょとんとしている景春のフォローをするように、重景へ申し上げた。
「長尾弾正殿、若は病み上がりにて少々記憶に不確かなところが、おありになるようでして、じきに思い出すことでございましょう」
景春はこれに追従して、たどたどしい口調で話し始めた。
「そうそう、なんかちょっと調子が悪いんだ、ところで長尾弾正左衛門尉重景様、なかなかの軍勢ですけど、なにか戦でも始まるのですか?」
「そうだな、その前にわしのことは弾正で良いぞ、端からのべると舌を噛みそうだからな」
「ありがとう、弾正ちゃん」
「なな、若、それではあまりにも」
そう言って慌てる為業であったが、重景は言葉をつづけた。
「よいよい、面白い奴じゃのう、病から回復したそうじゃが、まるで生まれ変わったようじゃのう」
「そうだよ弾正ちゃん、父上から、これからお前は、景春となって生きよと言われたんだ」
「そうか、景春と名を改めたのか、では長尾孫四郎景春という事じゃな」
「さようにござる、それがしは長尾孫四郎景春である、なんちゃって」
「そうかそうか、そえは頼もしいのう。ところで戦の件じゃが、近々……。というわけじゃ、おぬしも五十子陣へ向かうのじゃろう」
「そうなんだ、為業ちゃんと行くことになってるんだよ」
そんな軍事機密にあたる大事な話を、ぺらぺらと話してよいものか、との心配をよそに親し気な会話が終わると、景春たち一行は長野家の陣所へ戻ってきた。
「春ちゃん、なんか楽しそうだったにゃあ、アタイも混ざりたかったにゃあ」
「おタマ殿、お気持ちは察するが、私たちには身分という壁がある、それを乗り越えて中へ入り込むことは出来ないんだよ」
こういって八木原源太左衛門は、景春の侍女おタマを諭した。
「八木ちゃん、なにそれ、そんな悲しい事言っちゃやだにゃあ」
おタマは、まだ初対面のはずの源太左衛門に対して『八木ちゃん』と言ってしまうのは、おかしなことであるが、ここはゲームの設定だからと得心してほしい。
「まあまあ、おタマ殿、そうしょんぼりするな、明日厩橋まで行けばきっと気分が晴れようぞい」
この為業の景春の侍女おタマに対しての結構な気配りは、長尾家の若き武将景春への大きな期待によるところなのだろう。そして、つぐ朝、陣を払う(後片づけ)物音に目覚める、景春とおタマちゃんであった。
「いよいよ厩橋へ向けて出発だにゃあ」
大きく伸びをしてから、飛び跳ねるおタマちゃんを眺める景春であった。
「おタマ、なんかテンション高くね?」
「だって春ちゃん、厩橋にはアタイのための、お召し物が待ってるんだよ。この抹香臭い衣装とは、おさらばにゃ」
「そうだったな、その格好で俺についてこられても、なんかつれえわ」
そこへ源太左衛門がやって来た。
「若、支度が終わりましたら黒鹿毛(景春の愛馬)にお乗りいただき、広場までお越しくださいませ。おタマ、若様の手助けよろしく頼みますぞ」
昨日は源太左衛門が景春の乗馬に手を貸したが、今日はそれをおタマに頼ってきた。これにはきっと訳があるのだろうが、ここでは追及するのをやめておきましょう。
「おいしょっと、春ちゃんわりと、お尻重いんだね」
昨日よりはすんなりと乗馬できたが、まだしばらくは補助が必要なようだ。
「うるせえ、尻軽よりいいだろ」
このような茶番劇のあと、景春とおタマは乗馬を終えて為業の待つ広場までやって来た。
「おう、若、早かったでござるな、では出発じゃぞい」
為業の号令と共に、源太左衛門を先頭にした一行は、白井城を出て利根川の東へ渡ると、長井坂から下ってきた街道を関根・荒巻方面へ向けて歩き始めた。
「この辺りは、わしら長野家の大事な牧場じゃ。今年も良い馬が育っておることじゃろう」
「たしかに、そろそろ左衛門尉(景信)様のかえ馬も、用意せねばなりませんからな」
「そうじゃの源太(八木原)、ついでに若の分も頼んだぞ」
「兄上、若には大した入れ込みようですね」
為業と源太左衛門(八木原家に婿入り)が実の兄弟であることは、以前お話したとおりである。
「おう源太、分かるか? 若だけに」
「……。そっ、それは無論のこと……」
どうやら源太左衛門は、上州(群馬)名物赤城おろし(からっ風)よりも強力な、寒風にさらされたようであった。
「為業ちゃん、俺をだしにすんの、やめてくれる?」
こんなやり取りをしているうちに、周囲に広がる牧場を通り過ぎると、やがて目的地に近づいてきた。
「これは若、とんだ失礼を。ほれ、あれに見えるのが我が館のある、厩橋城(前橋城とも)じゃぞい」
言い終えると為業は、愛馬から下馬して手綱を家人へ引き継ぐと、川岸へ降りて行った。さらに架設の浮き橋を渡って行くと、一行もそれに倣って進んでいった。ここには長野氏によって応永年間に設けられた砦を、度重なる利根川の水害にもてあそばされながらも普請を続けたという経歴があった。そして為業の時代になってからは、堅牢な要害(防御施設)にまで改築されていたのだ。それは享徳の乱による危機が、この地域にまで迫っていたからであった。
戦国後期に比べると簡単な作りであるが、白井城のそれよりは立派な建屋のある場所、いわゆる本丸へむかった。というより当時では、実城と呼ばれる方が一般的であったかもしれない。そして、本丸の館までやってくると、わざわざ為業の奥方様であ、節が出迎えてくれていた。
「殿、お待ちしておりました。そちらのお方が、長尾の若様でいらっしゃいますね?」
為業はなにやら、こそばゆそうに『もみあげ』のあたりを指でしごいた。
「さよう、ところで節殿、例の召し物は準備万端かのう……」
ここは上野国である「かかあ天下とからっ風」と江戸時代には吹聴されていたが、そう言われたのは戦国期からだとも云われていた。為業と奥方の節との関係もこの例に漏れないと、考えてよさそうだった。
「殿、ご安心なされませ、左衛門尉(景信)様から若様の具足をお預かりしておりまして、それとは別に侍女殿のそれも、ご用意いいたしておりましてよ」
「そうか、おタマ殿の分もか、それではさっそく拝見いたそう」
こういった会話のあと、景春たちは板の間まで案内されたが、今度はおタマや源太左衛門も同時に床の座についた。すると節の指図のもと、家人たちが丁重に鎧櫃(鎧をしまっておく入れ物)を二つ、片方は板倉巴(長尾家の家紋)の紋が入った大層な代物で、片方はうっすらと紅がかった気品にあふれるものの、質素な作りの物であった。家人が家紋の入ったほうを開けて、具足を取り出して鎧櫃の上へ乗せると、一同目を見張った。
「な、なんとこれは、昌賢様のお召しになった具足(鎧一式)ではないか。それもキッチリと手直しがしてある」
為業が驚くのも無理はない、昌賢とは先にも解説があったと思うが、上杉憲定から現関東管領上杉房顕の時代まで、山内上杉家を支えてきた関東随一の宰相(家宰)であった長尾左衛門尉景仲その人であった。これほど由緒ある具足を、景春につかわされるという事は、次期白井長尾家はおろか山之内上杉家の家宰としての地位を確約されたも同然であるからだ。
「春ちゃんすごいにゃあ、アタイには無いのかにゃあ?」
この能天気な一言に、為業の奥方の節が声をかけた。
「そなたが若様お付きの、おタマ殿ですね」
「そだけど、それが、どうかしたかにゃ?」
端に控えていた源太左衛門は、このやり取りを聞くと、たしなめるように口を開いた。
「おタマ殿、口が過ぎますぞ、お控えなされ」
「八木原、そなたの申すことはもっともなれど、まあこれを御覧なされ」
するとさらに家人は、紅がかったっお櫃から、櫃の色とは違い赤黒く、くすんだ頭巾と、同系統の色合いで仕立てられた具足が現れた。具足と言っても楔帷子を補強して、動きやすさを重視して仕立てられた、というか、どちらかというと忍びが用いるものを、強化したといった方が正しかった。おタマにぴったりの一品であることは間違いない。すると為業が不安げに語り始めた。
「節殿、この装束をおタマにくれてやるというのか」
「そうですよ殿、おタマ殿は若様をお守りする大事な役目があると、お申し付けになったじゃありませんか」
「しかしなあ、これには節殿との思い出が……」
「だからですよ、みなまで申し上げなくても、殿にはお分かりでしょ」
「た、確かに……」
為業の頭には、長野家をここまで築き上げてきた過去がよみがえり、そこには妻節と戦場を駆け回った影が、浮かんでは通り過ぎていった。
「すごいにゃあ、これすごいにゃあ」
為業のそんな感慨深い思いもよそに、はしゃぐおタマを見かねた節は、奥の部屋へおタマを連れて行き、さっそく着替えさせると、床の間まで戻ってきた。
「じゃああああ~ん、どうよこれ?」
ぴょんぴょんと跳ねながらポーズをとるおタマちゃんの姿に、一同は、あんぐりと口を開けて、その凛々しい姿を見上げたのだった。
「こりゃあおったまがったあ(上州弁)……。おタマだけに」
卒倒する一同は、吹くはずの無い『からっ風』(寒風)にあおられるのであった。恐るべし長野信濃守為業の実力……。
つづく
本話も最後までお読みいただきありがとうございます、『カクヨム』との二重投稿にはなりますが、何かご助言など戴けたら幸いです。だんだん書き続けるのがつらくなってみた。頑張ろう。