その顔に惚れて。
もう四杯目になるコーヒーを口に運びながら、再び外を眺める。
この二時間で大通りの人影も随分と減った。
一組の客が会計を済ませて店を出る。
これもいい加減見飽きてきた。
ピロン
待ちに待った着信音にスマホを手に取る。
ロック画面にはLINEの通知とその内容が表示されていた。
[今日行けなくなった]
手から力が抜けてスマホが鈍い音を立てる。
暫くそのままの体勢でいたが、どれほど待ってもそれ以上の連絡は来ないようだった。
冷めきって味が落ちたコーヒーを一気に飲み干す。
途端口の中に広がった苦味に顔を顰めてしまう。
やはり、何事も無理をしすぎるとダメなのだ。
特に恋愛に関しては、無理の先には何も無いことが殆どなのだから。
そろそろこの恋も潮時なのかもしれない。
ただ一言、
[別れたい]
送信すると、無意識に溜め息がこぼれた。
席を立ちレジに向かうと、幾度となくコーヒーを運んできてくれた店員が担当らしく、「やっとか」という心の声が聞こえた気がした。
苦笑を漏らしつつ、速やかに会計を済ませる。
店を出ると、冷たい夜風が体を芯から冷やしてくれた。
どうせなら心まで冷ましてほしい。
そうすれば、まだ熱いこの気持ちを忘れられるのに。
高校に入学したその初日。
俺こと時任燐は生まれて初めて一目惚れというものを体験した。
美澄理絃。
アニメのキャラのような名前の彼はまさに王子様然とした風貌をしていた。
といっても金髪碧眼などではなく、日本人らしい黒髪と黒い瞳だ。
でもどこまでも透けるような白い肌や遠目からでも分かるほどの派手な顔立ちは、とても同じ生物だとは思えなかった。
そんな彼は当然学年を超えた学校中の人気者で、女子からもモテまくっていた。
俺たちの間に接点はなかった。
取り敢えず美澄の尊顔を一方的に眺められたらそれで良かったから、俺自身も積極的に関わろうとは思わなかった。
入学してから一ヶ月経つ頃にはクラス内のカーストも出来上がった。
天下をとったのは藤堂絢という男だった。
偶然にも俺と名前が似ている彼とは席が前後で、入学当初から何かと話す仲だった。
美澄とは対照的に、藤堂はいかにも王様という表現が似合う男だった。
彼は華がある顔立ちをしている上、圧倒的なオーラとカリスマ性を持っていた。
しかし不思議と絢に対して心が動くことはなかった。
「燐、今日の放課後佐伯たちとカラオケ行くけど、お前も来る?」
佐伯たちとはつまり一軍メンバーを指している。
俺は絢と話すだけで、彼らとの交流はほぼない。
寧ろ絢から構われるこのポジションは彼らからすれば面白いものでないらしく、偶に遠くから圧をかけられていたりする。
そのことを絢は知らない。
藤堂絢という男は誰に対しても平等だ。
それが彼の美点であるから、佐伯たちも俺を睨むだけに留めているのだろう。
とはいえ、無駄に荒波を立てる趣味は無い。
「いや遠慮しとく。この後用事あるから」
「そっか。じゃあまた誘うわ」
一瞬見えた寂しそうな顔は見なかったことにした。
放課後、学校からバイト先のコンビニまで直行する。
週三で平日のみのバイトはそこそこ財布を潤してくれる。
俺は俗にいう二次元オタだ。
オタクにはいつだって推しという存在がいて、彼ら彼女らに貢ぐ使命がある。
俺もその例に漏れず、ここ最近は来月発売されるアイドルコンテンツのライブの円盤を買うためにお金を貯めている。
まだ観ぬ円盤に思いを馳せながらレジの前に立って自然な笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ」
「あれ、時任?」
「み、みすみっ」
驚きのあまり、我ながらマヌケな返しになってしまった。
でも普段ひっそりと拝んでいる国宝級の顔が半径一メートル以内にいたら誰だって心臓止まりそうになると思う。
しかも完全な不意打ちだったし。
「ここでバイトしてたんだ」
「う、うん」
今更感はあるが、どうにか動揺を隠しながら商品をレジに通す。
正直美澄には俺の心の安寧のためにも早く帰ってほしい。
さっきから動悸がうるさいのだ。
「前から聞きたかったんだけど、…時任ってよく俺のこと見てるよな?」
「え、いや、ちが……くはないけど」
本日二度目の不意打ちに、商品を袋に入れる手が止まる。
まずい。
どうにか弁解しないと。
「誓って言うけど、別に変な意味とかはなくて。ただ、美澄ってすごく綺麗な顔してるからそれに見惚れてるだけっていうか。そこに美があるから本能的に崇め奉らずにはいられないというか。……ごめん、気持ち悪かったよな。これからはもうしない、ように努力するから」
捲し立てるように言って下を向く。
俺の心は荒れていた。
入学以来、美澄の顔を崇めるために学校に行っていたようなものだったのに、それを禁じられてしまうと思うとこの先が不安になる。
しかもクラスメイトとして顔を合わせる機会も多いだろうに、意識せずにいられる自信もない。
「つまり、俺のことが好きなの?」
美澄の静かな声を聞いた途端、騒がしかった心がゆっくりと落ち着いていくのを感じた。
呆然と美澄の完璧な顔に目を奪われる。
美澄も平然とした様子で見つめ返してくるから、必然的に見つめあっているような構図になってしまった。
「どうなの?」
少し急かすようにこちらを覗き込んできた美澄の瞳の輝きに、無意識に息を飲んでしまう。
「す、好き、かも」
「それってつまり俺に抱かれたいとか、逆に抱きたいとか思ってるってこと?」
「…そうなる、のかな」
「ふーん」
少し後になって思えば、この時の俺は気が動転していて頭が回らなくなっていたのだと思う。
「じゃあ、付き合ってみるか」
一瞬、美澄が発した言葉の意味が理解できなかった。
でも、
「ふ、不束者ですがよろしくお願いします!」
食い気味な俺をみて美澄が小さく笑った。
この時、俺はこちらを面白そうに見つめる美澄の瞳に少しの期待を抱いてしまったのだった。
「そもそもさ、付き合う時点からおかしかったんだよ」
「わかったから、もうそろそろ飲むのやめような」
「薄々気づいてはいたよ?俺遊ばれてるんだろうなーって。でも、でも俺はあの顔を信じたかった…」
「ほんと燐って美澄の顔好きだよなー」
心底あいつが羨ましいよ、と言って酒を煽ったのは高校時代のキング・藤堂だ。
意外にも高校を卒業してから、藤堂とよく会うようになった。
というか、よく遊びのお誘いが来るようになった。
お互いが20歳になってからは特に一緒に飲みに行くことが増え、仲はさらに深まっている。
「燐、着信来てる」
「いい、無視してるんだよ」
美澄と表示されている画面を見てスマホの電源を切る。
「ほんと美澄の気が知れないな。燐からこんなに好かれてるのにぞんざいに扱うなんて」
「ご、語弊がある。俺が好きなのはあいつの顔だけだから。顔以外だったら藤堂の方が断然かっこいい」
「そ、そうか?」
藤堂はたまに変なところで照れる。
かっこいいなんて言葉、女子から飽きるほど言われてきただろうに、今も妙に恥ずかしがっている。
「燐、もしお前が良ければ俺と」
「見つけた」
背後から覚えのある声がして全身が強ばった。
「帰るぞ、燐」
「………」
「燐」
「ほ、放っておいてくれ」
小さな舌打ちが聞こえた次の瞬間、美澄が俺の手を引いた。
「ちょっ、おいっ、」
抵抗もむなしく引きづられながら慌てて後ろを振り返る。
「ちゃんと話つけてくる!」
「あぁ、頑張って」
藤堂に笑顔で送り出されて、俺はその店を後にした。
「で、なに?お前俺と別れたいの?」
「あぁ、別れたい」
俺の言葉を聞くと、美澄は手の平で顔をおおって上を向いた。
「なんで?」
「なんでって」
「俺がお前のために今までどれだけ我慢してきたと思う?お前を束縛しないようにずっと耐えて耐えて、なのになんで」
そう言う美澄の顔はまるで本当に傷ついているようだった。
「やっぱり藤堂がいいのか。お前、俺の顔にしか興味ないもんな。流石に見飽きたか」
「いや、藤堂は関係ないし、」
俺が美澄の顔を見飽きることなんて一生こないと思う。
今だって初めて見る彼の傷心的な表情に鼓動が早くなっている。
「み、美澄の方が俺のことどうでもよくなってるんだろ」
「はぁ?」
「だってここ最近全くデートとかしてないし、…なんかお前俺に触らなくなったじゃん」
「だって大学に入学したばかりでデートできる余裕なかったし、お前抱く度に意識失うみたいに寝るからちょっと自重しようと」
「なっ、」
なんだ、美澄がだんだんできる彼氏に見えてきた。
「俺が燐のことどうでもよくなるなんてありえない。こんなに可愛い恋人、もう見つけられない」
「ちょ、ちょっと黙ってほしい」
恥ずかしいから、というと美澄は楽しげに自慢の顔を近づけてくる。
「燐、愛してる」
至近距離で彼の美しい瞳がなにかを期待して輝いている。
そして俺はこいつの顔面に弱いので、求められるとどうしても応えたくなるのだ。
「お、おれも」
チュッ
気がつけば超がつくほど近い距離に美澄の顔があった。
そして俺はこいつの顔に弱いので、こういうことにもすぐに流されてしまうのだ。
後で藤堂に誠心誠意謝らないとな、と考えながら俺は静かに目を閉じた。
完
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