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モラトリアムと、花火の香り。

 私はいま、最低なことをしている。


 自覚しながら、隣に腰掛ける彼を見やった。


「葛谷君……。鼻、本当に大丈夫?転んだだけなんだよね?」

「大丈夫だよ。このくらい」


 丸めたティッシュを鼻に突っ込みながら、葛谷君は嘘を吐いた。

 舌打ちしてから開かれた眼には、普段の彼ならば絶対に浮かべない憎悪が宿っていた。転んだだけならそこまでアスファルトを憎むことなんてないはずなのに。

 もう何度も問いかけたけれど、やはりその怪我がただ転んでできただけのものには思えなかった。


「本当のこと、言ってくれないかな。それとも、私はそんなに頼りない?」

「……うん。多分、小鳥遊さんにはどうしようもない」


 彼はそう断言した。

 すこし腹が立って、ほんのちょっぴり悔しくて、すごく深く悲しかった。

 でも、彼がその気ならこちらにも言い分がある。


「またそうやって、他人のことを初めから諦めるんだ」


 言うと、彼は目を点にしていた。

 私がこんな強い物言いをしたことが意外だったのだと思う。

 自分自身、よくもまぁこんなに冷たい言い方をしたものだと、内心では酷い自責と後悔が渦巻いて心の中をぐちゃぐちゃにしていた。

 開いた口が塞がらない彼に向けて、続けて言った。


「覚えてるかな。一年前の事」


 ―――


 私にはコンプレックスがある。

 小鳥遊小鳥。

 この名前そのものだ。

 中学の入学初日、私は自己紹介をしたときこの名前を馬鹿にされた。

 ひとつの名前の間に、二度も小鳥という漢字が出てくるからだ。

 子供にとって、他人を馬鹿にする理由なんて何でもいい。成績不振、顔が不細工、運動神経がない、私服がダサい、清潔感がない。何でもいい。

 とにかく子供というのは——いや。これは大人にも言えることだろう——他人を下に見ることで、自分が組織のどの地位をいるのかを認識し、そうして得られるぬるま湯の安心感のなかで生きている。

 そうしないと、生きていけないほど人間と言うのは脆弱だから。

 名前を馬鹿にされて、私は数日学校に行かなかった。

 二週間ほど経った頃だろうか。

 幼稚園以来の幼馴染である春ちゃんから突然連絡があって、その内容は「もう誰もあんたを馬鹿にはしないよ」というものだった。

 何が在ったのかは知らない。

 けれど恐る恐る学校に行って、事の次第を私は理解した。


 葛谷朗河。


 中学生には、その名前が馬鹿らしくて仕方なかったんだろう。

 皆、彼のことを『クズ』『クズ野郎』と呼んでいた。

 直接的に危害を加えることはなくても、遠巻きに嫌がらせをしたり、嫌味を言ったり。

 見ていられなかった。

 だから彼に直接聞いたことがある。どうして止めるように言わないの、と。

 彼がどう答えたのか、私はよく覚えている。


「言っても、ああいう奴等には一生理解できないよ」


 彼は初めから、他人の事を諦めていた。


 ―――



 返す言葉がなかったということは、多分僕は図星だったのだと思う。


 小鳥遊さんの口から語られた一年前のそのことを、僕はすっかり忘れてしまっていた。

 確かにまだ僕のことを『クズ』と呼ぶ人間はいる。けれど、それはもう極少数だし、直接的な危害を加えられたこともないから無視していたのに。

 それを彼女は気にしてくれていたようだった。


「私のことは信じて」

「……でも」

「今ね、黒井さんと男の人を春ちゃんが追いかけてるよ」

「——はじめから知ってたんですか」


 声は思わず低くなった。

 向けられた小鳥遊さんは微かに目を見張ったが、やがて小さく頷いた。罪悪感と後悔が後ろ髪を引く、暗い表情を彼女はしていた。


「黒井さんが他の男の人と歩いてるのを偶然見てね。そしたら葛谷君が鼻血を流しながらコンビニから出てくるのが見えて。……だから本当のことは知らない。でも、何かあったんだよね」


 もう嘘は吐けない。

 そう思って、本当のことを話した。


 男に殴られた僕はしばらく気を失っていたこと。

 気がついた時にはコンビニの裏にある狭い路地に運ばれていた。傍らには手書きで、黒子さんからのメッセージが残されていた。


『無職で困ってる私にお金をくれるみたいだからこの人たちと今日はいることにします。怪我させちゃってごめん。すこしはかっこよかったよ。嬉しかった。ありがとう。今日はもう帰って休んで』

 続く『追伸』の文字。

『めちゃくちゃ稼げる仕事も教えてもらえそうだから、これから忙しくなるかも!もう会えなくなるね。さようなら』


 事実だけを伝えた。

 小鳥遊さんは黙り込んでしまっている。震えた声で僕のことを励まそうと声を掛けてくれるけれど、お世辞にも頼りになる声音ではなかった。けれど、その気持ちだけは嬉しかった。

 代わりに、ひとつ、足音が眼前から響いた。

 いつか見たのと同じシャツを着た眼鏡のよく似合う男——鷹鷲だった。


「その話、十中八九嘘でしょ。大方、AVにでも出して金を毟り取る算段だと思うよ」

「……どうすれば止められますか」

「花火が終わるまでは会場から出ないだろうから。それまでに黒井さんを連れ戻すしかないと思うよ。場所は春ちゃんが把握してるから大丈夫だけど、尾行がバレれば彼女の身が危ない」

「追いかけましょう」


 言って、ベンチから立ち上がる。

 ぐい、と。背後から何かに引っ張られる感覚があった。振り向くと、小鳥遊さんが僕の手を握っている。

 震えた手は彼女も意図したものではなかったのだろう。

 自身の行動に驚愕しながらも、その正体を理解した彼女は胸中に留めていた想いをダムが決壊してしまったかのように告げた。


「こんなことを言われても迷惑かもしれないけど、行かないでほしいです。……葛谷君が危ない目に遭うのを私は見たくないから。……だから、このことは警察に任せて——」

「でも、黒子さんが待ってる。黒子さんはあの男のことを嫌ってた。僕が行かなきゃ」


 言うと彼女は理解しようと、必死に言葉を反芻して反芻して、何度も何度も腑に落ちないはずの想いを理解しようと苦しんでいた。

 だが、それも意味を成さなかったらしい。

 再び持ち上げられた顔は真っ赤に染まって、目は今にも泣きだしそうなほど潤んでいた。


「私は——」


 言いさして、胸中の葛藤を表情に浮かべて。

 けれど、込み上げてきた想いは、彼女の理性を容易く飛び越えてしまったようだった。


「——私は、葛谷君のことが好きだから……!」


 ……。

 返答しないまま、彼女の前を去ろうとした。

 鷹鷲は既にここまで乗ってきた車に乗り込んでいて、僕が乗り込むのを待っている。


 ヒュゥゥ、と。

 不意に曲導の笛の音が耳に届いた。花火が打ち上がり始めたのだ。


 猶予はない。

 迷っている暇など、微塵も。


 車に向けて歩いていた踵を返し、小鳥遊さんの前に立つ。

 感情の手綱を握れず、こんな状況で告白してしまった自分を責めているのだろう。ベンチに蹲って、肩を上下させている。

 その肩に手を添えて、下を向いたままの彼女の顔を覗き込んだ。


「ごめん。それでも行くよ。それと、ありが——」


 彼女の唇が重なった。


 彼方の夜空では、赤い花火が炸裂している。


「……小鳥遊さん?」


 ほんの微かなの逢瀬の後。

 彼女が、僕の目を見てくれることはなくて。


「それ以上言われたら、どんな顔をしていいか分からなくなっちゃうから。……葛谷君は黒井さんのことが好きなんだもんね。……気を付けて」

「ごめん」


 それだけ言葉を交わして、僕は彼女の前から去った。

 車に乗り込むと、鷹鷲がエンジンをかけながら言う。


「妹を泣かせたんだ。責任は取ってもらうからね」


 その言葉は背負うにはあまりに重たいものに思えたが、僕は無言のまま小さく頷いた。


 ―――


 花火大会の会場に到着するや否や、こちらに走ってくる東雲さんの姿が視界に飛び込んだ。

 下駄のまま長い距離を走ってきたのだろう、見れば鼻緒に擦れた指の隙間には血が滲んでいた。が、こちらが怪我の度合いを問う暇もなく、彼女は矢継ぎ早に状況を説明した。


「お兄さん!黒井さん、今ちょうど移動し始めちゃって!繁華街の方に行ってました!あんなところ花火なんて見えないのになんで……!」

「わかった。すぐに行こうか。それより、春ちゃんはその足じゃ歩けないでしょ。車に乗って」

「いや私は——痛ッ……」


 怪我をしている認識そのものがなかったようで、東雲さんは自分の足を見やるとその場にしゃがみこんでしまう。

 それを鷹鷲は呆れ加減な溜め息と共に、ひょい、と両腕で抱え上げて車の後部座席に彼女を乗せていた。東雲さんは顔を真っ赤にしながら、小動物みたいに無抵抗に乗せられていた。あそこまで大人しい彼女を僕は見たことがなかった。


「葛谷君、君は会場から追って。僕は春ちゃんの案内に従って先回りしておくから」

「ありがとうございます。また後で」


 それだけ交わして、僕は会場の人混みの中に飛び込んだ。

 立ち止まって次々に打ち上がる花火を見上がる人々の間を掻き分けて進む。

 花火の音は、刻一刻と激しさを増していく。

 焦燥を煽るように、夜空は無限の色彩に満たされる。

 鼓動を狂わせるように、弾ける花火の音は重なる。

 人混みを抜けて、ひたすら走った。

 野外ステージの裏に周り込み、繁華街に続く路地を走る。

 狭い路地を抜け、大通りに出る。

 花火はまだ、鳴り止まない。

 辺りに視線を巡らせて、黒子さんの姿を探す。

 皆一様に足を止め夜天に咲く大輪を仰ぐ通りのなかに。


 人混みを割きながら移動する人影が見えた。


 艶やかな黒髪に、忘れもしない赤い口紅を引いた女性。そしてその手を引いて歩く一人の男。


「黒子さん!」


 思わず、叫んでいた。

 喉が張り裂けてしまいそうな叫声。

 辺りの視線が一挙に僕に向けられる。だが、構わない。むしろ男の注意を引けるのなら好都合だとさえ思った。

 もう一度、肺いっぱいに空気を取り込んだ。


「黒子さんッ!」


 叫ぶと、対岸の人混みの視線までもが僕に向けられた。

 男もつられてこちらを向く。

 一瞬目を見開いた男は、焦りと憤慨を顔面に張り付けるとやがて黒子さんの手を引いて走り出した。

 男の逃亡としか形容できない行動に、困惑して黒子さんは伏せていた顔を上げて、こちらを見た。

 彼女と視線が合う。

 途端に双眸を濡らした彼女は、きっと僕に聞こえていないと思ったのだろう。

 唇を微かに動かして、


 たすけて。


 そう言っていた。


 気が付くと、僕は歩道の柵を飛び越えて、道路を突っ切って対岸の歩道に飛び込んでいた。

 逃げる男の後を追う。

 背後から警官が僕を追ってくるような気配がしたけれど、それを無視して男の後を追い掛けた。

 花火の音はいつの間にか聞こえなくなっている。

 耳に響くのは、自分の荒い呼吸と煩い心臓の音だたそれだけだった。


「くそっ……!しつこいんだよ!このガキが……!」


 追跡の果て。

 繁華街をすり抜けた人気のない河川敷にまで辿り着いていた。

 繁華街の建造物が邪魔をして、花火が見えないこの場所にはまるで人気がない。

 道路を突っ切った僕のことを追っていた警官の姿もいつの間にか背後からは感じなくなっていた。

 腕を掴まれたまま肩を上下させる黒子さんを縛るように腕を絡め、男が叫ぶ。


「お前はこいつのなんなんだよ!まさか、こんなビッチの事が好き……だったりしないよな!」

「……なんでもいい」

「図星なのか!?なぁ!やっぱりお前は最低だよな黒井!あのガキ、勘違いしてるぞ!お前が距離感の詰め方をちゃんと勉強しなかったから、俺みたいに勘違いしてるぞ!」


 かちん、と。

 何かが脳裏で切れる音がした。


「……、だよ」

「あ?んだ?聞こえねえよ」


 ぽつり、と呟くと男が首を傾げた。

 言ってやる。

 言ってやる。

 あいつとは違う。

 僕は勘違いなんかしない。

 僕は……、


「友達だよ。僕は、黒子さんの友達だよ」


 告げると、男は返答に臆したようだった。

 何か返さなければ、と言葉を練り上げようとしているが思考が上手くまとまらないらしい。口をぱくぱくしている姿は滑稽で、やがて、子供のように言い放った。


「嘘だ!お前はこの女の事が好きなんだ!認めろよ!」

「……」

「なんとか言えよ……!じゃなきゃ、じゃなきゃ俺がおかしいみたいになっちまうだろうが!好きなんだろ!こいつの事が!お前も迫られて、好きになったんだろ!?」


 男の声は、僕の鼓膜をくすぐるだけで大した意味を成していなかった。

 聞き流しながら男を睨む。

 彼女を返すように、手を差し伸べる。

 だが、男はその手に向かって、履いていた革靴を脱いで投げつけてきた。

 鼻水を流しながら。ぐずりながら。

 我が儘な子供のように、男は泣いていた。


「嫌だ!この人だけが僕のことを愛してくれたんだ!僕のことを受け入れてくれたんだ!僕は——」

「ごめん」


 謝罪を口にしたのは黒子さんだった。

 男は不意に黙り込んでしまう。

 呆然としたその顔に向き直って、黒子さんが言った。


「君が真っ当な家庭に生まれてこなかったことを、可哀そうだって思った私が間違いだったんだよね。あの時、君のことを可哀そうな人だなんて思わなければきっとこんなことにはなってなかった。……斎藤君。多分、君を壊してしまったのは私にも責任があるんだ。だから、本当にごめん」

「なんで……、ちがう、ちがうよ黒井——」


 不意に、黒子さんが男の腕を掴み上げた。

 その腕には、深い引っ搔き傷がある。それも、無数に。新しいものと古いものが無秩序に刻まれている。


「私が君の前から姿を消したのはね、君と付き合ってた女の子が行方不明になったって聞いたから。その子、家に返してあげて」

「うっ……」


 込み上げてくる嗚咽を一度は堪えたが、やがて感情は制御を失って男は大声で泣き始めた。

 同時に、背後から靴音が近づいてくる。

 警官かと警戒したが、そこにいたのは鷹鷲とその背中に背負われた東雲さん。そして、二人に誘導されてきたらしい警官数名。視線が合うと内数人は僕のことを「坊主」呼ばわりしていたが、事態が事態なだけに見逃してくれるようだった。


 その日、僕は黒子さんと二人で帰路に着いた。


 ―――


「……」

「……」


 気まずい。

 何を話せばいいのか分からないまま、暗い夜道の中を歩いていた。

 もう辺りに人気はない。

 花火大会も終わってしまって閑散とした通りを歩いているのは、正真正銘僕たちだけだった。


「花火、結局見られなかったね」

「……はい」


 警察から事情聴取をされている間、すれ違った子供たちが口々に最後の一発が大きかったと言っていたが、僕にはそれが分からなかった。あの時は、無我夢中で黒子さんのことを追いかけていたから。

 一人思考を巡らせながら歩いていると、黒子さんが細く呟いた。


「ごめんね。私のせいで。今日、全然楽しくなかったよね」

「……あの、それやめてもらっていいですか」

「へ?」


 言うと黒子さんは目を丸くしていた。

 僕の言葉の差すところに合点がいっていないようで、俯きっぱなしだった顔を上げて首を傾げていた。


「黒子さんのそんな暗い顔、僕は見たくないです。謝らないでください」

「……でも」

「いいから」

「わかった。……気を付けます」


 珍しく小さくなった黒子さんは曖昧な返事をして、幼子のように唇を尖らせる。……今日はやけに大人子供の相手をさせられているな。なんて思ったことは、口が裂けても言えなかった。


「ねぇ、ロウガ君」


 彼女が車を停めているゲームセンターに向かう道中。

 コンビニの前を通りかかった時だった。

 彼女のほんのすこし先を歩いていた僕が振り返ると、黒子さんは足を止めてコンビニの方を眺めていた。

 何事かと思い、小首を傾げる。

 すると黒子さんは柔和に微笑んで、僕の手を握ってきた。


「花火大会、もう一回しよっか」

「は?」


 今日起きたトラブルのせいでついに思考回路が欠損してしまったのだろうか。

 そんな懸念を僕が浮かべていると、黒子さんは僕の手を引いてコンビニの中に入っていった。

 抵抗はしなかった。

 彼女が、これまで見せたことのないほどの屈託のない笑顔を浮かべていたから。


 ゲームセンターの駐車場に到着すると、さっそく黒子さんがコンビニに売れ残っていた手持ち花火の袋を開封した。

 線香花火だけが梱包された簡素な袋。二人合わせて二回分しか遊べないが、それもまた風情があっていいだろうと言っていたが、僕はそれが良く理解できなかった。


「よし、一人二回!先に落ちた方が負けの真剣勝負だからね!当然小細工とかはなしだよ」

「これはこっちの台詞ですよ。肩ぶつけたりしてこないでくださいね」

「相変わらず生意気だね。ま、別にいいんだけどさ」


 差し出された線香花火を受け取る。

 車の傍に腰を下ろした彼女の隣に並んで、差し出されたライターの火に花火を近づけると、ぱちぱちと静かに燃焼し始めた。

 小さく震える火球のつぼみから、やがて牡丹の花が開いて、松葉と成り、緩やかに衰えた散り菊は音もなく落ちる。

 僕と黒子さんの花火は、寸分違わず同時に落ちた。


「次、いこうか」


 黒子さんから花火を手渡される。

 受け取って、また、火を灯した。

 ぱちぱちと音を立てる線香花火を見つめながら。

 黒子さんが、静かに言った。


「ロウガ君はさ。私といて、楽しい?」

「今は……」

「お願い。教えて。私が知りたいんだ」

「……」


 花火が、小さく揺れている。

 眺めているうちにだんだん火球は小さくなっていく。

 見つめているうちに、ずきり、と胸の奥が痛む音がした。

 未だ落ちないでくれ。

 それは彼女との勝負に勝ちたいからではなく、純粋に彼女ともっと一緒に居たいと思っていたからで。

 内にある感情の正体に気づいて、僕は彼女からの質問に答えた。


「楽しいですよ。黒子さんと居るのは。……僕は、好きです。黒子さんとゲームするのも、こうやって花火をするのも」

「そっか……」


 ぽと……。

 落ちたのは、黒子さんの花火だった。

 間髪入れず続けて、僕の花火も落下した。

 静寂が訪れる。

 勝負に勝ったはずなのに、何故か素直に喜べない。


「黒子さん……、あの、こんなこと言ったら迷惑かもしれないんですけど」

「うん。いいよ。言って」


 訊ねると、黒子さんは僕の方を見ないまま頷いた。

 落ちてしまった花火を見やって。

 過ぎってしまった時間を知って。

 まだ、彼女と居たい。そう思ってしまった。


「まだ、今日は帰りたくないです。……もうすこしだ——」

「だめだよ。もう帰らないと。……遅いし、送っていくよ。後ろでよかったら乗って」


 言われて、彼女の車の後部座席に乗り込んだ。

 そのまま自宅まで車は走って、黒子さんは僕を車から降ろすとすぐに走り去っていった。




 しばらくして黒子さんは、ゲームセンターに来なくなった。

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