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出会いと別れ

 「い、いやいや!だって写真!お父さんとお母さんが入院して……。」

 「あれ一言も美咲さんのご両親とは言ってないですよ?ネットで拾った画像です。」

 「じ、事故の記事は!?」

 「警察関係者に知り合いがいるんです。リークしてもらったんですよ。不良警官ですよねぇ。」


 大嘘である。未来の知識を使ったハッタリ。半分事実なので完全に騙されていたようだ。

 彼女は肩を震わせていた。正直いって二、三発は殴られることを覚悟はしている。それだけのことはしたと思ってる。だがしかし、彼女はその拳に込められた力を解いてただ一つ尋ねた。


 「どうして……こんなことをしたの……?」

 「……美咲さんのファンの方は貴方を助けて欲しいと願っています。美咲さんは勘違いだって言ってたけど、俺は、俺から見ても美咲さんの立場は酷いものだと思いました。だから……。」

 「分かった……分かったよ。」


 俺の言葉を彼女は遮る。その言葉に怒りが籠もっているのか分からない。


 「天理くん……そのファンの人とどういう関係なの?遺言の実行を赤の他人に任せるなんてしないと思うけど。」

 「……短い間でしたけど大切な相棒でした。半ば無理やり誘われて、とんでもないことに巻き込んで、それでも俺のことを信じ続けてくれて……目標を見失っていた俺に活路を切り拓いてくれた人です。」

 「そう……なんだ……。そんな大切な人の遺言なら……意地でも守りたくなるかもね。」

 「それだけじゃないですよ。」


 天理は少し目を伏せながら、深いため息をついた。それだけではない。心の内に複雑な感情が渦巻く。かつての思い出が蘇るたび、喪失感と後悔の念が入り混じり、胸を締め付けるようだった。


 「俺は、貴方を助けたかった。他人事だとは思えなかった。今でも本当に今までの自分の人生が正しいものだと思っているんですか?後悔のない人生を歩んでいると思ってたんですか?」


 それは紛れもない本心だった。あの日、あの時、理不尽に押しつぶされそうになっていた彼女と、自分が重なった。それだけは伝えたかった。決して助けたいという気持ちに嘘はなかったと。

 彼女は俺の言葉に耳を傾け、予想外の答えだったのか言葉を失っていた。周囲は静かで、穏やかな風がカーテンを揺らし、外のざわめきが僅かに溢れ響く。そんな中で、二人の思いが交錯しているようだった。


 「ようやく、本当のことを話してくれた。」


 ドキリとした。嘘が全部バレていた?どこから?そんな気配はまるでしなかった。しかし彼女は嘘をつかれたことによる不快感を示しているのではなく、自然に零れ落ちたような笑みを浮かべていた。


 「どうしてかな、年下の男の子に人生観を語られてもおかしなだけなのに……今の貴方は今までの君よりももっともらしく感じる。」


 頬を汗が伝うのが分かる。恐るべき分析力、というより観察力。事実として中身は美咲さんより俺は年上だ。

 俺の心配をよそに、彼女は何もかもに開放されたかのように、深いため息をついて両腕をゆっくりと伸ばす。


 「うん、ならいいの。そうだよね、天理くんの言うことは間違いじゃないと思うし、そこに悪意なんてないんだから。ありがとう天理くん。」


 そう言って微笑む。彼女の瞳は真っ直ぐと俺を見据え、そこにはもう後ろ向きな思いはなかった。


 ───トラックにダンボールや家財が積まれていく。美咲さんは引っ越しの準備をしていた。別に必要はなかったのだが、心機一転というつもりだ。俺はその引っ越しの手伝いを何故かさせられている。ココネの指示である。もっとも俺も乗りかかった船だし、こうなれば最後まで付き合うことにした。


 「今日でお別れかい、早いもんだねぇ。」

 「あ、大家さん、どうも……。」


 引っ越し様子を見物に来たのか。大家は天理の隣に立ってそう呟く。


 「いいのいいの。……あたしはねあの子が心配だったのよ。若いのにほとんど毎日夜遅くに帰ってきて、たまに休みかと思ったらずっと部屋に籠りっぱなし。初めてあの子と話したときはね、希望に満ち溢れていたような目で、元気も良かったんだよ。人はあんな簡単に変わるものなのかねって信じられなかったよ。」


 閉じたコミュニティ、逃げ場のない居場所。環境は容易に人を変える。いいや、変えるように作り出すのが所謂ブラック企業のやり方なのだ。全ては都合のいい人材、奴隷を確保するためのもの。何も知らぬ無垢な人々を身勝手な理由で追い詰める。その人間性を変容させる。それが洗脳の常套手段。

 狡猾なのはそんな人権侵害がまかり通るように、違法性のない立ち振舞をしているブラック企業が多いということ。弁護士の入れ知恵により、そのように立ち回っているところも少なくはない。

 法に正義はない。悪しきことと違法性は別なのだ。


 「人は簡単に変わるのではなく、変えられてしまうんです。だから誰かが支えなくてはならない。くさいセリフですけども誰が言ったか『人は一人では生きていけない』なんてのはまさに真理をついています。」


 法曹に生きるものは踏み外してはならない。仁徳、公共の福祉を。法はあくまで規律であり、哲学ではない。その一線だけは越えまいと、天理は胸に刻んでいた。

 大家も察しはついていた。彼女がどんな職場環境に身を置いているか。だがそれだけだった。仕事を辞めたところで生きるためには働かなくてはならない。無責任につらいなら辞めたら良いなどとは言えなかった。

 だから、引っ越しの日取りが決まった際に、仕事も辞めたと聞いて、内心どれだけ安心したことか。


 「ありがとうね。年寄りの、老い先短い人生で、気がかりなことが一つ、抜け落ちた気分だよ。」


 このアパートに美咲が引っ越してきたことを大家は思い出していた。

 明るく元気で笑顔の似合う女性だった。何かスポーツをしていたのか身体も引き締まっていて、第一印象は、今どき珍しい好青年だった。

 しかし、彼女は日を重ねるたびに変わっていく。その顔からは笑顔は消えて、幽鬼のようにアパートと勤務先を往復する毎日。見ていられなかった。だがどうすれば良いかも分からなかった。ただただ、理不尽な社会に押しつぶされそうな彼女を見守ることしかできなくて、そんな無力な自分に苛立ちを感じていた。

 あの時とは逆だが、同じようにトラックとアパートをダンボールを持った作業員が往復している。

 彼女は引っ越し業者の手伝いをしていた。笑顔を浮かべダンボールを運び、作業員に話しかけている姿は、初めてこのアパートに来た時とまったく同じとは言い難いが、それでもその表情には憂いはなく、輝いて見えた。


 天理と大家が話をしているのに気がついたのか、軽く汗を拭いて慌てた様子で、彼女はかけつける。そして何度も大家に頭を下げるのを見て、大家は笑いながら優しく別れの言葉を交わしていた。


 引っ越しの荷物運びは終わり、手配していたタクシーに乗り込む。これでお別れだ。最後にもう一度、大家との別れの挨拶を済ませて、タクシーのドアを締める。

 大家は「今度こそは幸せになるんだよ」と、少し涙ぐんだ顔で、タクシーに乗って新居に向かっていく二人を、見えなくなるまで手を振り続けた。

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