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ブラック企業からの脱出

 翌日───。

 鈴木美咲はいつもどおりの時間に起きて通勤の準備を始める。ただいつもとは違う。昨日書いた辞表を鞄に入れた。見慣れた通勤路。ただいつもと違うのは憂鬱な、空っぽな気持ちで歩いているわけではない。たくさんの考えが頭の中を駆け巡るのだ。

 心臓がドキドキする。天理くんは病休をとったと言っていたがあの会社が素直に承諾してもらえるとは思えない。本当は怖くて仕方ない。ついてきてほしかった。

 ただ彼に甘えるのは負けた気がするので丁重にお断りした。大人の意地だ。辞表を手に私は会社へと向かう。

 見慣れた光景だった。始業前だと言うのに上司の怒鳴り声が響いていて、事務所の目立つ場所では営業目標が達成できなかった人が「私は無能です」という看板を首に掲げて、両手には水の入ったバケツを持っている。

 そんな様子を笑いながらスマホで写真の撮影をしているのは原田。私の先輩に相当する。私の存在に気がついたのかスマホをしまってこちらにやってきた。


 「美咲ちゃん、久しぶりじゃない。なに?病気だって聞いたけど生理か何かだったの?ていうかまた住所変えたの?せっかくお見舞いに行ったのに。ねぇ新しい住所教えてよ、今晩行くからさ。」


 原田はしつこく私につきまとってくる。過去数回警察沙汰にもなっているのだが、警察は民事不介入だのなんだので中々動いてはくれない。そして今も性懲りもなく私にじめっとした視線を送りながら話しかけてくるのだ。


 「あら鈴木さん。懐かしい顔だこと。彼氏との休みは楽しかったかしら?」


 嫌味っぽく声をかけてきたのは係長。私の直属の上司でもある。


 「か、彼氏……?何の話ですか?」

 「とぼけないで頂戴。電話してきたのは若々しい声をした男の声だったじゃない。あなたに兄弟はいないはずだし、父親にしては若すぎる。彼氏以外何があるの?大方、休みの間、発情でもして抱き合ったのでしょう?」

 「み、美咲ちゃんに恋人!?聞いてないなぁそれ、どうして話してくれなかったの。別れなよ。」


 見当違いな推察を係長はして、それに原田は気持ち悪く乗っかる。相変わらずだった。


 「鈴木、久しぶりだな。突然休むなんて社会人としての責務に欠けているんじゃないのか。」


 最後に奥からやってきたのは部長である。部長の登場に係長と原田は背を正す。

 部長は私に書類を渡した。書類には反省文と請求書と書いてある。


 「今日中に病休の反省文を提出すること。それと朝礼で挨拶もしてもらうぞ。社内規則は読んでいるだろ?病休を使用したときは『私は無責任にも病気を理由に休み、皆さまにご迷惑をおかけしました』と朝礼でいかに反省したかスピーチをすること。あと請求書は休みをとったことによる我が社が受けた損害だ。給与から差し引くからそのつもりで。ああそれと……。」


 一呼吸置いて部長は私の肩に手をおいて耳元で囁く。


 「特別営業の件は話を進めておいたよ。先方も君を気に入ったみたいでね。あとでホテルを案内するから君はそこで一晩過ごすだけでいい。女は楽でいいもんだ。横になっているだけで営業成績がつくんだからね。」


 目まいがした。予想どおりとはいえ現実にこう起きると感覚がまるで違う。

 私は天理くんに休み明けに会社でどんな扱いを受けるか予想を説明したところ、彼はそのことについて一つずつ説明を返してくれた。法律やら判例やらを見せてくれて、私がいかに不当な目にあっているか教えてくれた。彼の言葉だけが私の支えだった。


 「断ります。何でそんなことをしないといけないのか、頭がおかしいんじゃないですか?違法行為ではないですか?」


 周囲が鎮まる。予想だにしていない出来事に言葉を失っている様子だった。


 「ちょ、ちょっと美咲ちゃんどうしたの?なに?彼氏と喧嘩でもしたの?駄目だよ八つ当たりは。」


 原田が馴れ馴れしく肩に手をかけようとしたところを手で払う。


 「本当に気持ち悪いんでやめてもらえないですか。次、触ろうとしたら警察呼びます。」


 睨む私に原田は物怖じした様子を見せる。

 警察という物騒な響きに、皆がざわめきだした。すかさず私は鞄に収めていた辞表を取り出して机に叩きつける。


 「こんな違法行為を平然としている会社、本日限りで辞めさせてもらいます。」


 昨日からずっと頭の中でずっと練習していた。物怖じせず、淡々と冷静に私はこの会社を辞めることを宣言した。


 「駄目だな。」


 だがそんな私の決意を嘲笑うかのように、部長はただ一言答えた。


 「話はそれだけか?反省文の提出を忘れるなよ。請求書の額の確認は済んだか?朝礼での挨拶は業務命令だ。きちんと謝罪の言葉を考えておけ。ああ、先程の無礼な態度も含めてな。」


 足元が歪んだ。なんで?私は退職願いを出した。辞めると言ったのに。


 「な、何で……。」

 「君の大好きな法律の話をしようか。民法第627条第一項、雇用解約の申し入れについてだが、雇用解約は通常、退職意思を示してから二週間後に解約するとされている。」

 「な、なら……。」

 「これは通常の場合だ。当事者……今回で言うならば鈴木、お前が雇用期間を定めていない場合とある。我が社は期間によって報酬を設けており、基本的に三年間契約としている。即ち退職を希望する場合、労働契約期間完了後の次期以降となる。鈴木、お前はまだ三年間たっていない。よってその退職願いは無効だ。」


 部長は呆然とする私の前に置かれた退職願いを手に取り……ビリビリと破る。そして破れた退職願いを私の頭の上にのせた。パラパラと千切れた紙片が落ちる。


 「それでも今すぐ辞めたいというのなら、我が社も顧問弁護士に相談し君に対して契約違反による民事訴訟を起こす所存だ。」


 訴訟───。その言葉に私は身体がこわばり震えた。


 「それと大層な態度で我が社の就業規則を批判していたが、我が社の就業規則は労働基準監督署に受理されている。つまりだ、法的効力が存在する。」


 更に部長は追い打ちをかけるかのように言葉を続ける。


 「浅知恵でも入れられたのか知らないが、所詮は付け焼き刃。お前のような低能は身体でも使わないと社会で役に立たないのを自覚しろ。驕るな。特別営業の準備はしておけよ。以上。」


 立ちすくむ私を嘲笑する声が聴こえる。クスクスと。

 世界がぐらぐらに揺れて、変な汗が出始めて、ただただ何も言えなかった。

 ───とんでもないことをしてしまった。舞い上がっていた。年下の男の子に乗せられて、不相応なことを……。


 部長は思い出したかのように席に戻る前に振り向いて私を見る。


 「───返事はどうした?わかったのなら答えろ!!」


 今まで淡々と冷静に話していた部長が、ここぞとばかりに大声で叫ぶ。

 私はビクンと跳ねるように反応し、か細い声で、震える唇を何とか動かそうとした。返事をしなくちゃ。返事をしなくちゃ駄目だ。そんな強迫的な観念にとらわれた。


 「すいませーん、何か取り込み中悪いんですけど、応対してもらえないですか?」


 来客の声だった。張り詰めたような空気は一瞬にして緩み、部長自ら窓口に向かった。


 「これはこれは、四葉商事さん。突然どうしましたか?こんな小汚いところにいらっしゃらなくても連絡して貰えれば料亭の一つでもとりましたのに。」


 先程の態度とは打って変わって部長は営業モードでごまをすったような態度で応対を始めた。四葉商事とはこの会社の大口取引先だ。


 「あぁ、いえいえ。今日はちょっと挨拶をしに来ただけですので……鈴木様はこちらにいらっしゃるのでしょう?」

 「は、鈴木……ですか?申し訳ありません、鈴木だけですとどうも、我が社も小さいながらもそれなりに社員はいますので……いえいえ四葉様を責めるつもりでは!ただこちらとしても確実に誠実な回答をしたく……。」

 「あーすみません。確かに鈴木って名字はありふれていますよね。鈴木美咲様です。」


 四葉商事の男の言葉に部長は一瞬だけ固まった。なぜあの鈴木が?という反応だった。

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