製作委員会
「ま、枕美さん!?そこにいるのは……二隅芸能プロダクションの人たちですか!?な、なにを……。」
酒見さんは驚いた表情を浮かべながら、情けない声をあげる。
「彼らにリークしてるのさ。そうだろ?」
「てめぇ……勝手に枕営業の話を持ちかけたのもそうのか枕美!!」
ココネと喜庭が枕美に厳しい言葉をかけるが、枕美は涼しい顔を浮かべていた。
「ええ、そう。だけどそれの何が問題なの?だってアリードはあたしのおかげで今まで維持できてたものじゃない。えっと……誰だっけそこの二人?うちのタレント?あたしのおこぼれを今まで受けてただけの偽物、芸能人ごっこをしているだけの素人のくせに、何一人前に意見してんの?」
俺たちの言葉に枕美は言い訳をするどころか開き直りを見せた。その態度が喜庭の怒りの限界を超えた。
「てめぇぶっ殺すッ!!」
「や、やめろ喜庭!手を出したら終わりだ!」
枕美に掴みかかろうとした喜庭を俺は羽交い締めにした。暴れまわるが流石に俺も同世代の女性相手に力負けするほど弱くはない。過去二回も負けたけどそれはそれで。「離しやがれ!」と叫ぶ喜庭を何とか取り押さえ大人しくさせる。
「いやねぇ、売れない女って下品で下劣で。蒼月くんも大変ね。足手まといのブスが周りにいると。だからいったでしょ?後悔するって。」
喜庭を冷たい目で枕美は見下しながら、コーヒーを口にする。
「枕美、お前の目的はなんだ。アリードになんの恨みがあるんだ。これから盛り上げないといけないのに、どうして邪魔をしようとするんだ。」
「蒼月くん、それは違うよ?前も言ったでしょ?あたしは本気だって。全部蒼月くんのためにもなるんだよ?アリードにはあたしと蒼月くんだけいれば良い。他の連中は皆、あたしたちを引き立てるための駒でしかないの。蒼月くんが悪いんだよ?そこの女みたいに、無能な連中に仕事を与えようとするから。結果として無能連中にも仕事は来たね。うん、こんな能無しのエセ芸能人にも仕事が来るようにしたその手腕は素直に凄いと思う。でもさぁ、それって蒼月くんが凄いだけで、こいつらのおかげじゃないよね。今までこいつらは何してたの?ろくに仕事もせず、ただいるだけ。寄生虫だよ寄生虫。そんな役にも立たないゴミにも蒼月くんは優しいから目を向けたいんだろうけどね……。」
今までの不満を吐き出すように枕美は喜庭たちを心底見下した目を向けて、語り続ける。事実ではある。ココネの言うとおり、アリードは枕美がいないと成立していない。とっくに潰れている。それは経理を見れば一目瞭然なのだ。
「そんなんじゃあ勝てないよ。愛華には。」
愛華……枕美が敵視しているこの国のトップアイドルだ。その名前を出した途端、枕美は酷く憎悪にも近いような表情を浮かべる。
「蒼月くんの手腕を見て確信したの。あなたの手腕とあたしの実力。それが合わされば、あの愛華も潰せるって!だから考え直しなさい、その有象無象はあたしたちを引き立てる贄なの!そいつら全部を犠牲にすれば、絶対に愛華にも勝てる!そうに決まってる!」
先ほど、喜庭に見せた視線とは対照的に枕美は俺に向けて親愛の視線を送る。それは紛れもない本心なのだろう。嘘偽りない、彼女が考え抜いた愛華を倒す手段。
「負け犬の遠吠えだね。そんなだから二番手なんだよ。」
俺の言葉を待っていた枕美に、ココネは割り込むように答えた。枕美はココネを睨みつける。
「芸能界を知らない素人は黙ってくれない?少し顔が良いからって所詮あなたは素人止まり。ステージが違うのよ。」
「芸能界かどうかなんて関係ないさ。人の婚約者を口説きたくて仕方ないみたいだけどね、結局それは天理を利用したいだけだろう。何が"あたしたち"だよ。自分じゃ何もできないから、天理に依存したくて仕方ないだけじゃないか。重い女。」
吐き捨てるようにココネは冷たい視線を枕美に送りながら言葉を続けた。
「愛華がどんなのか知らないけどね、アイドルってのは夢を与える商売だろ?私にもかつていたよ、理想を与えてくれた、輝かしい人が。お前のように、他者を利用することでしか輝けない人間は、どれだけ研鑽を重ねても決して本物の輝きには届かないよ。夜空の一等星は自ら強く輝いてこそ、人を惹きつけるものなんだから。お前はただの屑星だよ。宇宙に輝く星々の輝きの引き立て役。」
かつてココネは美咲さんに救われたと言っていた。その詳細は聞いていないが、きっと思うところがあるのだろう。ココネにとって理想のアイドル像のようなものがあるのだろう。だからきっと許せなかったのだ。自分の理想とかけ離れた、枕美のしていることが。
「こ、この女……!よりにもよってあたしが引き立て役……?良いの?そんな態度で、アリードはどうするの?教えてあげようか、ここの人たちはドラマ製作委員会の方々でもあるの!あたしの言葉でキャスティングも決まる!夢だったんでしょう?テレビドラマの出演、何もかもパーになって良いのかしら?」
その言葉に時雨は敏感に反応した。そうだ、彼女たちにとっては夢の一歩。テレビドラマ出演というのは、あまりにも大きなチャンスだった。だが違和感があった。いくら枕美が芸能界でそれなりの地位にいるからといって、ここまで言いなりになるものだろうか。
「酒見さん、テレビドラマ出演の契約書ってあります?」
「え?あ、はい!原本はありませんが写しをスキャンしたものをタブレットに保管しています。」
そう言って酒見さんは鞄からタブレットを取り出した。流石だ。用意周到で隙がない。彼がこの事務所にいてくれて本当に良かった。
渡されたタブレットを使い契約内容を読み込む。この国の芸能界ではタレントと製作委員会がまず出演契約を締結する。芸能事務所はその契約を代理で行うのだ。何故そのような回りくどいやり方をするのかというと、タレントと芸能事務所の関係は、その多くが正規雇用関係ではないからだ。個人事業主であるタレントと専属契約を結んでいるところがほとんどであり、アリードもまた例外ではない。そしてこの出演契約には契約約款と呼ばれるものがあり、その契約内容について事細かに定めがあるのだ。
「あった。契約約款第16条、これによると甲と乙……要するに製作委員会と時雨はいかなる理由があろうとも一方的に契約を解除することはできない。ただし特段の事情がある場合は別とする。とある。だが特段の事情というのは死傷、病気や暴力団との繋がりが確認できた場合などだ。これは明白な契約違反ですし、時雨を使わないというのならば、違約金を請求しますが、その辺りは理解していますか?」
「は?な、なに言ってんの?そんなの……あるのよねほら。」
枕美は後ろで座っていた男たちに助けを求めるように視線を向ける。彼女は契約約款について何も知らなかったようだ。
「ふーっ……蒼月社長でしたっけ……?あぁ私は三木村と言います。彼は部下の日比野です。いやぁしかしお利口さんですね。契約約款の条項読み上げて反論してくる人を久々に見ました。その辺りは問題ありません。時雨さんは病気なので解約することになりました。これで満足ですか?」
「病気?何を言ってるんですか?うちの時雨は見てのとおり元気じゃないですか。」
三木村と日比野は目を合わせて笑い出した。心底おかしいようで腹を抱えて笑う。
「あーすいません。蒼月さんって最近、この業界に入ったんですね。物を知らないって羨ましい。いいですか?この業界では委員会の意向が絶対なんです。病気といったら病気なんですよ。お医者さんを紹介しましょうか?あぁ、時雨さんだけじゃないですよ?あなたの頭の?」
大げさに自分の頭を指さしてまた男たちは笑う。なるほど、これが芸能界の実態。法律なんて殆ど機能しない。見てくれだけだ。実態は反社に近いところがある。
「分からないので違約金の請求をしたいと思います。応じない場合は弊社は訴訟も視野にいれますので、よろしくおねがいします。」
淡々と事実を告げる俺の言葉に三木村から笑みが消えた。そしてスマホを取り出してどこかへ連絡を始める。連絡を終えると三木村は俺と時雨を交互に見て、突然今まで紳士的だった態度を崩して、机に足を乗せてタバコを吹かし始めた。
「あのねぇ、下手に出てるうちに態度改めた方が良いよ?こっちは監督が時雨ちゃん気に入ってるからあんたらみたいな弱小事務所に声をかけてやったわけ。芸能人なんて偉い人に媚び売ってなんぼでしょ。なに清楚ぶってんの。大体、そんな顔してんだから、何人も今まで男に抱かれてんでしょ?今更減るもんじゃないし、良いでしょ。ったくこれだから何も知らない素人は……。」
時雨はただ震えていた。怖いからではない。彼女もまた怒りを感じていたのだ。ただその怒りを表現する方法が分からなくて、目に涙を貯めて、ただひたすら三木村の言葉を聞くことしかできなかった。
「おい蒼月、頼むからその手を離してくれ。」
羽交い締めにしている喜庭が、静かに、だが怒りに満ち溢れた声で、俺に話しかける。
「駄目だ。離したら手を出すだろ。それは駄目だ。そうなったら喜庭はおしまいだよ。時雨も悲しむ。」
「バカかお前はよ。時雨は今、悲しんでるだろうが。あの害虫の口を閉じさせろ。時雨の心にあの害虫の囀りを響かせたくない。警察のことなら全部あたしが勝手にやったって言って構わねぇよ。なぁ頼むよ。今、時雨は悲しんでるんだ。」
駄目なものは駄目だ。約款にもある。犯罪行為に関わった場合も解約の理由となる。時雨が直接、犯罪を犯さなくとも同じ事務所の友人が暴力を振るったとなれば、それを理由に解約するのは十分理由として成立する。





