ブラック企業への報復
働いていたときは一週間寝ないなんてこともあった。ただつらかったが、今は違う。集中力が無限に続く感覚。キーボードを走らせる手が止まらない。世界中の取引所を使う。取引所は定時に閉まるが時差を考えれば二十四時間ずっと投資し続けられる。短期間で伸びる株を選び売り抜ける。
そうして寝ずに俺はココネの部屋で一週間、ずっとパソコンの前でキーボードを叩き続けた。
「終わった……。」
コンテスト終了のメッセージ。取引は強制的に中断され現在時点での資産が集計され最終的なランキングが告示される。
緊張の糸が切れたのか、二人は同時に倒れた。もうとっくに二人の睡魔は限界だった。小さなワンルームのアパートで、毛布もかけず、ただ俺たちは死力を尽くして眠りについた。
パソコンの画面にはランキングボードが映っている。そこには俺たちのチーム名が、八位でランクインしていた。
「いやーアッハッハ、まさか二人して部屋で爆睡とはまいったな。」
気がつくと翌日の夜中になっていた。二人して丸々一日眠っていたようで頭が少し痛い。パソコンに映っているネットバンクの残高を確認する。
「いつつ……お、おぉ……夢じゃない……いちじゅうひゃく……二億!しかし無茶をするなぁ。もしも俺が有り金を溶かしてたからどうしてたんだ?」
二億円という大金を得たことに感極まりながら、欠伸をしているココネにふとした疑問を問いかけた。
「ん?あぁその時は私は風俗にでも落ちるしかないかな。でもその前にキミを滅多刺しにしていたろうね。」
笑いながら物騒な物言いをする彼女に少し鳥肌が立つ。
「おい冗談だ、真に受けるなよ?言っただろ?一目惚れだって、負けた時はその時さ。もっとも私はキミが負けることを想像すらしなかったけどね。」
「そ、そりゃどうも……それよりも二億円……これで美咲さんとか言う人を助けるんだろ?早くその人のところに行こうじゃないか。」
元々、ココネの望みは恩師である美咲を救うことだった。だが俺の言葉に彼女は身をよじらせてもじもじとする。
「トイレ行きたいの?」
「違うわ!い、いやぁ……改めて再会することを考えると……その……照れくさくてだな……。すまない!私の代わりに姉さんを助けてくれないか!」
マジか。
頬を赤らめて両手を合わせてお願いをする彼女の姿に嘘偽りはない。姉さんというのは美咲のことなのだろうが、俺はその人と話をしたことが無いのにどうしろというのだ。
鈴木美咲───。普通の会社に勤めてる会社員。年齢は二十二歳。ココネの憧れの人らしい。ある日、会社から損害を与えたから弁償しろと言われ借金を背負うことになり、それから飼い殺しのような日々を送っている。その額はおそらく数千万円。
「他人事とは思えん……。」
ココネから貰った資料を読みながら俺は呟いた。そもそも会社が損害を被ったからってその社員が責を負うこと自体、稀なケースだ。ココネの話だとそんな人ではないという一点張り。つまり俺のように嵌められたんだろう。
問題は彼女が返済を少しずつではあるがしているということ。この時点で金銭契約が成立してしまっている。お互い同意の上というやつだ。今更、この契約はなかったことにするなんていうのは通らないのだ。
憂鬱な気分で歩道橋の階段を登る。ココネの話だとここが彼女の通勤路らしい。ふとスーツを着たOL風の女性が目に入った。渡された写真と見比べる。彼女が鈴木美咲だ。彼女は歩道橋の真ん中で足を止めて道路を眺めていた。通勤中だろうに何をしているのだろうかと思っていたその時だった。彼女は歩道橋の手すりを乗り越えようと、身を乗り出す。俺は慌てて彼女に駆け寄り引っ張り上げた。暴れる彼女を掴んで、無理やり引っ張る。
間一髪のところで自殺は阻止することができ、お互いに歩道橋で息を切らしながら転がる。
「どうして死なせてくれないんですか……もう疲れたんです……死なせて下さい……うっ……うぅ……。」
彼女は愚痴をこぼして泣き出す。しょうがないので俺は彼女の愚痴に付き合うことになった。
短大を卒業し、就職したものの就職先が所謂ブラック企業であることと、大人しい性格のせいか同僚からの当たりが強くもう精神的に限界のようだった。それでも親を心配させないようにと一生懸命に働いていたのだが、上司に性的嫌がらせを示唆するようなことまで言われるようになり、ついに心が折れたという。
今も歩道橋を歩くと目眩がし、朝に一回、更に通勤途中……つい先程一回気分の悪さに嘔吐して、もう無理だと悟ったのだ。もうどうでも良くなって、死んでしまったら良いと思ったという。
「えっと……その……とりあえず休みましょう。会社に連絡はできそうですか?」
彼女は無言で首を横に振った。それならば俺が代わりに連絡をすると伝え彼女のスマホを半ば強引に奪い取り連絡をとる。
休暇はとれた。だが無断欠勤扱いになるらしい。罰金を後で徴収するとか何とか。
「凄い会社だな……まぁとりあえず休みは取れたようなので、家に帰って休んだらどうですか?」
「やす……み……?休みってとれるものなの?で、でも私、何も出来ない……。あぁどうしよう……何かしないと、何かしないと……!」
痙攣を起こしたかのように瞳を揺らし頭を抱える。相当な重症のようだった。
「……ならちょっと俺と話をしませんか?落ち着けるカフェを知っているんです。」
俺の言葉になすがままに彼女は頷いた。
未来で常連になっていたカフェを探すと、少し新しいげだが見慣れたカフェがあった。カランコロンと気持ちの良いベルの音と共に扉が開かれる。個人経営のカフェだが居心地がよく、マスターの腕も悪くない。若々しいマスターを見て少し微笑ましく感じながら席についた。
「結構細部に違いがあるな……おっあの変な置物この時からあったのか。」
周囲を見渡し、間違い探しのように楽しむ俺とは対照的に彼女はひたすら俯いていた。
「よく見たら学生じゃん……わたし……年下の男の子に慰められてたの……?死にたい……。」
「つらい心情を打ち明ける相手に、別に年齢なんて関係ないでしょ。それよりもほら一杯飲んで落ち着いて。」
席にはティーポットとティーコゼー、それに砂時計が置かれている。砂時計の時が満ちたときが紅茶の一番の飲み時というわけだ。ポットを手に取り、カップに紅茶を注ぐ。茶葉の匂いが広がり安らかな気持ちになる。彼女は黙ってカップに口をつけた。
「ふぅ……うぅ……落ち着くと恥ずかしくなる……君、学生だよね?学校はどうしたの……?ううん……私が……サボらせたんだよね……。お礼はあとでちゃんとした形でします……。」
罪悪感に蝕まれたように、彼女はため息をつく。自分の無様な醜態を見られた上に未来ある若者の足を引っ張ったことが、彼女にとっては一番つらいことのようだった。
「気にしないで下さい。実は俺、ある人に頼まれて美咲さんに会いに来たんです。」
「ある人……?」
結論から言うと今回、手に入れた資金で彼女の弁済義務を果たす。というのだが、見ず知らずの他人にいきなりそんなことをされても意味がわからない。台本が必要だった。
「身寄りのないお年寄りの方なんですけど……この度亡くなったんです。それで遺言には今、美咲さんが苦難に立たされていることを知って、遺産を全て彼女のために使って欲しいということらしいです。」
ココネから渡された台本のとおりに喋る。物凄く曖昧な言い方だし、そもそもなんで見ず知らずの人がそこまでしてくれるのか、肝心の理由が不明瞭。本当に大丈夫なのか不安になる。
「え……そのお年寄りって……名前は分からないの?」
「すいません、匿名希望だそうで。でも確か遺言にはこう書いてあったみたいです。『あなたのファンです。』だとか。」
正直なんのことか分からない。だがその言葉を聞いて彼女は目を丸くした。そして涙を零し始めた。
「ど、どうかしたんですか?すいません、俺は詳しいこと何も知らなくて。失礼なことを?」
「ううん、違うの。ただ、ただ申し訳なくて。その人に情けない姿を知られていたのが、私はただ情けないの。」
わけがわからないが納得してもらえたようだった。その後は細かい話を続けた。要するに今、会社から請求されている金額は全て肩代わりするということだ。彼女は遺産の額に驚いていたが、それが遺言だったのなら……と申し訳無さそうにはしていたが、受け入れてくれた。
彼女が請求されていた金額は三千万円。支払うことは可能だ。加えてココネの希望で百万円をキャッシュで渡したいという。退職後しばらくの生活費のためだ。
「以上で説明は終わりです。何か質問はありますか?」
「う、ううん。今日はありがとう。天理くん……でいいのかな?過ぎたお金だけど大切に使うね。あ……でも……。」
彼女の表情が陰る。何か心配事があるようだった。「どうかしたんですか?」と俺は尋ねると、おずおずとした表情を浮かべ静かに答えた。
「この百万円は……すぐになくなるかもしれないです。だって……罰金で取られちゃうから……。」
「罰金?違法駐車でもしたんですか?」
「ち、違います!会社から!風紀を乱したら罰金なの!無断欠席……あぁ……今からでも間に合うかな。」
何を言っているんだこの人は。
当然だがそんな罰金は違法行為である。いやまぁ当人同士が納得の上なら問題ないのだが。彼女が普通の精神状態でないのは明白だった。よくやる手口、いわゆる洗脳。経営者の都合のいいように労働者の常識をすり替える手段だ。別に大層な話ではない。例えば事あるごとに叱責して思考力を落とすとか……やり方はたくさんある。
怒りを感じた。他ならぬ俺自身が当事者だったからだ。福富の下で馬車馬のように働かされていた。思い出すと腹の底が煮えたぎってくる。
「美咲さん、実はですね遺言には続きがあるんです。」
だから俺は、台本にないアレンジを付け加えた。彼女は不思議そうな表情を浮かべる。
「そして可能ならば彼女を不当な境遇から救い出してくれとね。」
何もかも嘘をでっちあげて彼女を地獄の底から救い出す。これは復讐の前哨戦だ。俺と同じ、理不尽の果てに不条理な現実。全部叩き潰してやる。
笑みが溢れる。悪巧みを思いついた笑みだった。
まずは彼女の意思を変える。この短時間で推察できる彼女の性格を考慮して、デタラメをでっち上げるのだ。俺にしかできない方法で。