崩れ去る幻影
誹謗中傷について概要は分かったが、全てではない。その全貌を知るためにはやはり彼女がどういう活動をしているか知る必要があった。
聞いてみるとMyTubeの他にSNSを利用しており、そこで配信の告知や視聴者との関係性を深めているという。当然そちらにも誹謗中傷の数々がされている。軽く見せてもらったが確かにまぁヒドイ内容で、単純な暴言だけではなく脅迫、セクハラになるものなど多種多様、まるで罵詈雑言の蠱毒のようだった。一体どういう配信をしていたらこんなにヘイトを買うのか心底疑問だった。
そんな中、一つ気になるメッセージがあった。
「これ……配信の予告ですか?今夜?」
「ああ、それ?うん、配信ってね、基本毎日するものなの。でないとオタクどもは他のVtuberに浮気するからね~。大体いつもここで配信のネタを考えながら予告投稿してるってわけ。この図書館は人来ないから集中できて助かるわ~。」
堂々と図書委員の仕事をサボっていることを告白する先輩の態度はなぜだか誇らしげで、もうそこには完全に文学少女という幻影は崩れ去っていた。
ノック音がした。準備室の外で誰かが待っているのだ。気だるげに先輩は返事をしてドアの鍵を開ける。そこには女生徒がいた。手には本を持っている。
「あの……この本を借りたいんですけど……あれ?霧崎さん以外にもここでの仕事を希望する図書委員っていたんだ。」
俺の存在に気がついたのか軽く会釈をした。確かにこの状況下では図書委員に見えても仕方がない。
「あ、あの……か、貸出ですよね……す、すいません。い、今はんこを押すので……。ふ、ふひひ……ありがとうございました。」
誰だこいつは。
霧崎先輩はおどおどとした態度で、滑舌の悪い言い回し、ぎこちない仕草で貸出カードを受けていた。女生徒はそんな彼女を無視して俺をじっと見つめている。
「……ねぇ次から君がしてくれない?そのタイからして一年でしょ?この子、いつもこうなの鈍臭いっていうか……あぁもうそんな持ち方したら本が傷つくじゃない。やめてよ、もう私がするから。」
女生徒は霧崎先輩から貸出本を奪い取りテキパキと事務処理を進めて最後に貸出カードだけを差し出して指を差す。ここにハンコを押せということだろう。貸出カードには烏丸紫苑と書かれていて、たくさんの本の名前が書かれている。頻繁に利用していることが分かった。先輩は慌てた様子で慣れない愛想笑いを浮かべながらニヘラニヘラとした態度で図書カードにハンコを押した。
「はぁ……風邪で休んでなかったら私が図書委員のはずだったのに。どうしてこんなのが……。」
ぶつくさと不満を漏らして烏丸紫苑は立ち去っていった。
本物の文学少女だった。言い方こそはキツイが、いかに文学を愛しているかその一端が見えた。手を振って彼女が立ち去るのを見送る。
「死ねブス死ねブス死ねブス死ねブス死ねブス死ねブス死ねブス……。」
先輩はそんな様子を見ながらずっと親指を噛みながら呟いていた。流石に俺もぎょっとする。
「あの先輩……それは誹謗中傷……。」
「烏丸……!何が鈍臭いよ……私は登録者数1万人の大物配信者なのよ……?あのブスとはステージが違うっていうか、ほんと嫌よねああいう本ばかり読んでる根暗女って。嫌味ったらしいというか。次から君がしてくれ?わたしだってあんたみたいなブスと関わりたくないっていうのに……ッ!」
確信した。霧崎先輩はかなり性格が悪い。誹謗中傷も多分、この性格が招いたものだろう。
「あの今夜の配信ってやっぱり自宅でやるんですか?」
「……そう配信!早く配信の準備をしなくちゃ。そういうわけだから、アンチどもを黙らせる、頼んだわよ。」
「それなんだけど、俺も同席できないかな。詳しく実情を知りたいんだ。」
「同席……?コラボ配信ってこと……?」
「いや、後ろで見てるだけだよ。どういう風に配信してるのかも知らないで、誹謗中傷の整理なんてできないから、一度だけ見せてほしいんだ。」
「ふぅん……言っておくけど両親いるから変なこと期待しても無駄だからね?」
まったく期待していないので問題ない。
スマホの着信音が鳴り響く。俺はスマホを手に取った。ココネからだ。
「トイレかい?帰ってきたら誰もいないんだが?奉条さんもいないのだが言い訳を聞こうか。」
「司は親に用事を頼まれて帰ったよ。今、俺はちょっと用事で準備室にいる。受付窓口の裏にある部屋、分かるか?」
「ん……?あぁそこか。入るよ。」
準備室のドアが開かれる。ココネだ。霧崎先輩は突然の出来事に驚いた様子を見せて口をパクパクとしていた。ココネは無遠慮に室内に入り周囲を見渡す。
「へぇー準備室ってこんな風になっているのか。あまり興味はないから新鮮だね。しかしこんなところで何をしていたんだい?その人は受付の……霧崎先輩か。」
ココネは全校生徒の名前を既に把握していると言っていた。その素性も既に頭の中に入れているらしく、それが彼女の学校での立場をより強固なものとしていた。既に上級生からは愛想がよく、それでいて話をしていてとても楽しくできた後輩という目で見られている。
「ほら、俺のことが司の件で有名になっただろ?それで誹謗中傷を受けてるから何とかして欲しいって相談を受けてたんだ。」
「そうなのか。まぁ霧崎先輩、諦めるんだな。私のフィアンセは安い男じゃないんだ。こうみえてがめつい男でね、まぁ私のような美人で出来た女のためでないと動かないのさ。フィアンセの私が言うんだ、分かるだろう?」
「そ、そうなの……?ふ、フヒヒ……やっぱりそうなんじゃない天理……。」
得意げに胸を張るココネだったが、思っていた反応と違っていたようで「ん?」と少し首を傾げた。恐らく彼女は俺が美人相手でないと動かないという印象を与えることで俺自身の動きも牽制するつもりだったのだろう。そう言われてしまうと、動こうにも下心があるように見えて動けないからだ。俺の性格を考慮しての彼女なりの牽制だ。
だが、それは今回の場合、逆効果だった。
「……まさか天理、誹謗中傷とやらを何とかすると答えたのかな。」
「……あぁ。いやその、別に霧崎先輩が美人だからとかじゃないぞ?その、ちょっと気になることがあって。」
ココネは無言で霧崎先輩をじっと見る。ビクッとした様子を見せて霧崎先輩は怯えだした。
「まぁ天理の好みはともかくとして、気になることって何かな。私も気になるので教えてくれないか。」
青薔薇の男と関係するから。とは言えない。ココネが知るはずもないことだからだ。
「その……うまく言えないんだけど霧崎先輩は俺が探している人物と関係があるかもしれないんだ。そしてこのままだと先輩は大変な目に遭う。それは許せないんだ。」
「そういえば、天理と初めて会った時、よく分からないことを言っていたな……分かったよ。そういうことなら仕方ない。それでどうするんだい?」
「あぁ、これから先輩の自宅にお邪魔することにする。」
俺の言葉にココネはひくついた笑みを浮かべた。そして視線を外し霧崎先輩を露骨に睨みつける。先輩はまるで小動物のようにビクリと跳ね上がった。
「はぁ……あのね天理、女の子の部屋にあがるのはね……特別な意味があるんだよ?それを平然と……それに先輩も先輩だ。私と天理の関係は知っているだろ?上級生にもフィアンセだとは伝わっているはずだが?」
「あ、あ、い、あ、……や、それはその……しら、知らなくて……。」
しどろもどろになる霧崎先輩を見てココネは深い溜息をつく。
「天理、私は一足先に帰るよ。まったく……細かい話はまた後で教えてくれ。」
ココネはやれやれといった様子を見せて机に置いていたカバンを肩にかける。
「え?良いのか?一緒に行くって言い出すかと思ったけど。」
「本音を言うなら、そりゃあ行きたいけどね……私が一緒にいたら邪魔になるだろ。そのくらい察しなよ。先輩、完全に萎縮してるじゃないか。天理にも大事な目的があるんだろ?それを邪魔するのはフィアンセとしては不本意さ。まぁそれに……天理がその女に浮気する筈ないと信じてるからね。」
そう言って手を振って図書館を後にした。確かに先輩の態度はココネが現れてから明らかに違っていた。俺としても先輩と青薔薇の男の関係性を知りたいのに、こんな態度では話にならない。
「ふっ……勝った……。陽キャ女め……彼氏を寝取られて涙目……。」
俺とココネの心境などまるで意に介さず、霧崎先輩はニヘラ顔を浮かべながら、ココネが立ち去っていく姿を見ていた。
「そういえば先輩、聞きたいことがあったの忘れてました。」
「なにかなぁ?ふふふ、今の私は凄く気分が良いから何でも答えちゃう。」
「先輩って違法ドラッグとかやってます?」
「喧嘩売ってんのかてめぇはぉ!!」
まぁそうだろうな。未来でどうして薬物中毒者になってるのかは、しばらく周囲を調べないといけないのかもしれない……。





