Vtuberと誹謗中傷
そんなことを考えていた時、ふと気がつくと机の隅にティッシュペーパーが置かれていた。そしてその上には茶色くて丸い物体がのっている。ゴミか何かだろうか?少し気になったが視線を戻してノートに手をつける。
「……。」
気がつくと先程のゴミが増えていた。一つしかなかった茶色い玉が二つになり、心なしか距離が近づいてきているようにも思える。風で飛ばされたのだろうか?視線をそらしシャーペンを走らせる。
「…………!」
今度は見えた。ティッシュペーパーの上に茶色い玉を乗せて、俺の傍にと動かしている彼女の姿を。目と目が合う。すごく気まずかった。見覚えがある女生徒だった。窓口にいる図書委員の女生徒。名前も知らないが、ここにいつもいるため顔は互いに知ってるという奇妙な関係だ。
俺の手の届くところに茶色い玉がのったティッシュペーパーを動かすと彼女は立ち去っていった。どういう意図か分からない。茶色い玉をよく見てみると、チョコレートのようだった。既製品で見覚えがある。
恐る恐る口にすると甘みが広がる。まったく説明がなかったので意味が分からなかったが、どうやら彼女にチョコをプレゼントされたようだった。
しかしそれはそれで意味が分からない。プレゼントをもらう理由がなかったからだ。
意味不明にも程があったので、直接問いただそうと窓口に向かおうとしたが、窓口にいつも座っている彼女がいない。どこに行ったのか……。
「あ、あの……?」
「なに!!?」
突然後ろから声をかけられて思わず叫び飛び上がる。振り向くとそこには図書委員の彼女がいた。目が一瞬だけ合うが視線を逸らされる。俯いたような姿勢で少し怯えているように見えた。
「あ、あぁ!えっと……チョコありがとうございます?でもどうしてこんなことを?」
「た、助けて欲しいんです!き、聞いています……あの奉条司が抱えていた借金を解決させたって……わ、私も似たような悩みが……!」
「借金?福富みたいな奴に無理やり覚えのない金銭を要求されているってこと?」
彼女は首を横に振る。借金ではないが、深刻な問題を抱えていて、俺の話を聞いて解決できると踏んだようだった。一体どんな問題なのか、問いかけると彼女はゆっくりと口を開いた。
「大勢の人に暴言を言われるの……日常的に毎日、死ねとかビッチだとか……。」
誹謗中傷。心無い罵詈雑言は当然のことながら人の尊厳を傷つけるものだ。到底許されるものではない。しかし意外だった。そういう誹謗中傷を受ける人というのは、やはり何というか……目立つ人が多いのだ。良い意味でも、悪い意味でも。
失礼な話かもしれないが、俺は彼女にそんな印象をまったく抱いていない。となると……何か知らない原因があるのだろうか?正直言って彼女に対する情報はまるで皆無だった。何せ逆行する前の学生生活では話すどころか顔もろくに覚えていないほどに面識が無いのだから。
「とりあえず詳しい話を教えてください。あ、俺の名前は蒼月天理。こうして話すのは初対面ですよね?天理で良いですよ。」
「知ってます……私目当てに毎日来てますよね。知っているんだろうけど一応名乗っておくわ、霧崎音月。二年生……先輩なんだから敬いなさいよ。」
「先輩だったのか……。」
目当て?俺は霧崎先輩をまじまじと見る。この学校では学年ごとに靴の色が違う。また男性はネクタイが、女性はリボンの色も違っている。言われてみると確かに二年生の色だった。背が低いのと普段、そもそもまるで意識していないから同級生だと思っていたが、言われてみると俺の記憶だといつのまにか図書館から消えていた。単に卒業したからだと思うと納得だ。
そんな俺の視線に気がついたのか、霧崎先輩は両腕で自分を抱きかかえるようにして、前かがみになる。そして上目遣いで俺を睨みつけた。
「いやらしい目で見ないでくれない……?言っておくけど対価とか、身体を要求しようなんてことしないでしょうね!?そ、そんな下衆だったの……??」
「いや、そういう目で見ていないんで。とりあえず話を続けて下さい。」
「白々しい……!こんな図書館に毎日露骨に通ってきているのは私目当て以外に何があるというの!?ふん……憧れの私に頼られて幸福で絶頂しそうなのは分かるけど勘違いしないでよ?私はあなたを利用したいだけなの。勝手に勘違いしないことね。」
なるほど。確かに言われてみればこんなほとんど利用者がいないところに、わざわざ毎日通っていたら何か別の考えがあるのではないかと考えるのは無理もない。誤解なのだが、無理に否定するとそれはそれで話がこじれそうな気がした。
「どんな話かは分からないけど、このチョコは対価のつもりなんでしょう?ならこれで十分です。」
残ったチョコを口の中に入れてそう答えると、彼女は満足そうに微笑んだ。
「まず日常的に受けてる暴言の数々だけれども……誰に言われてるかは分かるんです?クラスメイトとか?それとも近所の知り合い?」
「え……?ああ、そういうのじゃないの。」
「ん?そういうの……?他にどんなのがあるかな……。」
「天理くん、Vtuberというのは知ってる?」
「ぶいちゅーばー……?」
聞き慣れない単語だった。
VtuberとはVirtual My Tuberの略称である。動画配信サイト「My Tube」で動画配信をしている配信者の一種なのだが、Vtuberの場合は、顔出しをしないで別の3Dモデルやイラストモデルを使用して、配信を行っている。要するに実在しないキャラクターに声を当てて配信しているようなものだ。
彼女、霧崎音月は趣味でVtuberをしていて、それなりに視聴者もいるという。配信者としての名前は「ルナルナ」というそうだ。
「ルナルナ……!?」
その言葉に何か引っかかるものを感じた。どこかで聞いたことがある名前だった。
「え……知ってるの?ひょ、ひょっとしてリスナーだったり?」
「い、いや……多分見たこと無い……と思うけど。」
記憶を辿る……どこかで……聞いたことあるのだが思い出せない。だが個性的なその名前は確かにどこかで聞いたことがあるはずだ。ただ今は先輩の話を聞くことが先決だと思い、話を聞いた。
彼女の配信は順調だったのだが、人気が出始めたころから謂れのない暴言や脅迫ともとれる発言、嫌がらせ……そういったものが目立つようになってきて気が滅入っている。というのが話の主旨だった。
「それでさぁ、あいつら本当にひどいの!死ねだの配信やめろだの中身はオッサンだのブスだの言いたい放題!セクハラも酷くてこの間なんて見てよこれ、男の局部写真送り付けてきてんの。本当にきもすぎて無理すぎ。注意しても全然言うこと聞かないしさぁ、ちょっと聞いてるぅ!?まだ話半分なんだけどぉ!?」
俺の胸ぐらを掴んで彼女は食い気味に不平不満を次々と話す。それはいつのまにかMy Tubeの運営批判まで繋がり、後半はもう完全に愚痴に近いものとなっていた。
「そういうわけだから、あいつらを分からせてやりたいって思ってるの。どうにかしてよ。」
「まぁ……動画配信サイトでの出来事なら記録に残っているんで、法的措置自体は簡単だと思いますよ。ただどんな内容か見てみたいです。」
「それならアーカイブがあるから……ちょっとここだとまずいからこっちに来て。」
そう言われ彼女に案内されたのは準備室。貸出用の図書カードや事務用品が管理されている。奥にはモニターもあって図書館内の監視カメラも閲覧できるようになっていた。彼女がいつも座っている受付の後ろからも入れるようになっていて、図書委員はこの部屋に荷物を置くようになっているそうだ。
彼女は受付窓口に作業中というプラ製の表示板を立てて、準備室のドアを閉めて鍵をかけた。





