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あの日刻まれた呪い

 司の顔を見つめる。頬を染めていながらも、まっすぐ俺の目を見ていた。俺の答えを待っている。しかし、俺の答えは一つだ。ココネと同じ。妻を裏切ることなんて……できない。


 「……前に話したことがあると思うけど、俺は大切な人を、一生大事にしたいと思っていた人と、死別したんだ。でも俺は今も彼女のことを愛している。裏切れないんだ。だからその……。」


 意味の分からない答えだとは思う。ただ司は真剣に俺のことを見ていて、答えを待っている。適当な嘘をつくことはできなかった。


 「……そっか。その人が羨ましいな。きっと幸せだったと思うよ。だって好きな人に、そんな風に愛されて、嫌な女の子なんていないもの。」

 「そう……だよな……。今となっては分からないけど……きっとそうだったって思いたい。」


 妻の最後の言葉すら聞けなかった俺には、いつも仕事でほとんど話せなかった妻の心の内が分からない。それでも彼女は俺のことを愛してくれていたのなら、それは申し訳無さと、そして感謝の気持ちで満たされる。


 「ねぇだったらさ天理くん。もっとその元カノさんのことを教えてほしいな。つらい思い出かもしれないけど……天理くんは今もその元カノさんが大好きなんでしょう?だったら、そんなつらそうな表情を浮かべちゃ駄目だよ。死別したのは悲しいけど、幸せだったころの思い出まで悲しいものにしたら、それこそ元カノさんがかわいそうだもの。」


 妻との思い出───初めて出会って、一緒に旅行とかにも行ったりして、お互い惹かれ合っていって、初めて告白をして、プロポーズをして、式をあげて……そうだ。全部全部大切な思い出だ。悲劇と憎悪、それだけが彼女との思い出ではないという、そんな単純なことを。俺は妻が殺されたという事実で頭が一杯で、もっと大切なことを忘れていた。


 「…………俺は……どうして……あぁ……なんで……ごめん……あの時、傍にいてやれなくて……。」


 気がつけば涙が止まらなかった。両手で顔を覆い俺は妻に対して謝罪の言葉を吐き出していた。堰が切れたかのように、感情の波が押し寄せてくる。人目など気にせず、ただ今の虚しさがどうしようもなく、幸せだった頃の記憶が次々と溢れ返る。

 俺は、謝ってすらいなかった。あの日、あの夜、ずっと待ってくれていた彼女に、俺のために食事を用意して、自分の誕生日だというのにケーキを作り俺を労おうとした彼女の気持ちに、何一つ応えることができなかったのに。今更になって、司に言われて初めて謝罪の言葉すら言っていなかったことに気がついた。それがあまりにも不甲斐なくて、情けなくて、後悔の念で一杯で、本当にどうしようもない男だと、そんな気持ちが交錯し、ただ涙を流し、謝ることしかできなかった。

 頭を撫でられる。柔らかな手だった。温かくて春の風のように優しかった。


 「大丈夫だよ天理くん、私にはよく分からないけど……それでもきっと、元カノさんは天理くんのこと恨んでないよ。」


 それは根拠のない言葉。何も知らない彼女の言葉。それでも俺はすがりたかった。調子の良いことだとは分かっているけれど、そうでないと俺の心は張り裂けてしまいそうだから。

 零れ落ちる涙を拭い、顔をあげて司を見る。情けない俺の姿に何一つ戸惑いを見せず、ただ優しく微笑んでいた。嘲笑ではない。ただ醜態を晒している俺を受け入れる。そんな理解の笑みであった。


 「司、俺は……。」


 俺が口を開きかけたのと同じタイミングで電話の呼び出し音が鳴り響いた。俺のスマホからではない。今、俺たちは二人きり。ならこの着信は司だろう。「電話、出たほうが良いんじゃないのか?」という俺の指摘に司は「う、うん……そうだね」と慌てた様子でポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。


 「お母さん?どうしたの、いつもはそんなに連絡してこないのに……うん……うん……分かった……仕方ないか……ううん何でもない。それじゃあ切るね。」


 ピロンッと音を立てて通話を終えた司は深いため息をついた。


 「この間、大勢の人を泊めたじゃない?それでお醤油とか調味料の在庫が少ないから夕飯までに帰りに買ってほしいだって……。はぁ……夕飯だなんて、もうそんな時間ないじゃない、どうしてそんな大事なことこんな時に突然言うのかな。」


 彼女にしては珍しく苛立った様子を見せていた。両親とは仲睦まじい関係性なのは今までの付き合いから分かっている。確かに突然お願いをされてスケジュールの変更を余儀なくされるのは苛立ちを感じさせるものだが……今の彼女が見せた態度は結構な不快感を見せた気がした。


 「まぁそんなに怒らなくても……悪気があったわけじゃないんだし、何なら俺も……っとそれは駄目か。ココネを置いてけぼりにしてしまう。」

 「あ、い、いや!良いよ良いよ!ごめん何か天理くんに愚痴を言ったみたいで!じゃあその……残念だけど私、帰るね。今の話、続きはまた今度だね。それじゃあまたね天理くん!」


 満面の笑みを浮かべて司は図書館を後にした。続きというのは妻との思い出のことだろう。思えばそんな話を他人にしたことはあまりなかった。ノロケ話は正直苦手だし、聞く側は面白くないだろうからだ。ココネなんて「そんなのどうでもいいよ」と一蹴するのが目に見えて思わず失笑する。

 妻と初めて出会ったのは大学生の頃だった。確か大学の飲み会で、お互い飲酒が苦手で周りのノリについていけず二人して酔っ払いの介抱をしていたのがきっかけだった。今もこの同じ空の下、高校生の彼女はなんてこと無い幸福な日常を送っているのだろう。そう思うと、今すぐにでも元気な彼女を抱きしめたい気持ちに駆られるが、彼女は俺のことを知らない。それに青薔薇の男がなぜ俺たちを殺しに来たのかも分からない。だからそれまで俺は彼女に関わるわけにはいかないのだ。

 バタフライエフェクトという言葉がある。蝶の羽ばたきが竜巻を引き起こすのか?という命題に対して付けられた寓意ぐうい的表現。この表現の本質は、僅かな変化が大きな変化に繋がりうるという話だ。

 もしも俺が焦り妻との出会いの時期を早めた結果……青薔薇の男はどういう行動に出るのかまるで予想がつかない。それが一番怖かった。彼女をまた失うことが、俺にとっては一番の恐怖だからだ。


 「バタフライエフェクトといえば……猛もか。」


 武颯は俺の知る武颯とはまるで違っていた。空手の金メダリストが学校の不良に絡まれる……想像もつかないことだ。

 俺がしたことは僅かな変化どころではない。思い返せば投資による市場介入、ココネという影響力の強い人物が学校へ転入、逆に福富は転校、美咲さんという存在しなかった教師の介入、司の未来そのものを変えたこと。それらが巡り巡って、武颯の生活に何か不都合が起きたのだとすれば……それは俺の責任だ。原因を解明して、彼を救い出さなくてはならない。

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