夏祭り
蒼月天理はPrometheusの騒動が終わり理段殺害という罪の自首をした。オケアノス・ヴェルデは公海上に位置する国際機関であるため、その司法判断は国際機関に委ねられる。
結果として、天理の自首は棄却された。
棄却された理由は単純で、理段が不正に国際機関の役員を取り込み作らせたPrometheusの研究所は公にできるものではないからだ。事件を公にするわけにはいかない彼らは、天理の罪をなかったことにした。
大国ロシアが関わっていること、天理の背後関係が不明で下手に刺激をしたくないということ、理段が死亡したことが都合のいい者がいること……様々な思惑もあったことから、驚くほどに天理の自首は何一つ認められなかったのだ。
釈然としない天理だったが、誰も彼の自首を望んでいない以上、受け入れるしかなかった。奇妙な話だが、天理の殺人は倫理的には認められたものではないが、彼を裁くものはどこにも存在しなかったのだ。
理段に関係する事件はこうして闇に葬られ、話すことすらタブーとなり、誰もそのことについて深く関わらないのが暗黙の了解となった。
そうして、しばらく経ってのことだった。神道政策連合本部地下。蒼月天理は呼び出されていた。
「以上が藤原理段の残した痕跡の数々だ。悪いな蒼月くん。だが事情を知っているのが俺と君しかいないんだ。」
神宮寺鬼龍。彼は今、理段がこの世界に残した爪痕を調査していた。
理段は天理を陥れるために世界中にあらゆる"種"を蒔いていた。七反島での出来事はその一端にすぎない。
天理と神宮寺はPrometheusという時間逆行装置による未来知識を知っている数少ない存在。故にその"種"を未然に摘むことができる数少ない存在である。
「いえ、気にしないでください。これは自分の責任でもありますし。」
天理はそんな仕事の協力について快く承諾した。神宮寺も同じようにPrometheusによる時間逆行をした身ではあるが、不完全な形である。故に完全適性者である自分が手伝うのが責務だと感じたのだ。
「それよりも神宮寺さんも少し余暇をとったらどうですか?愛華が寂しそうにしてましたよ。」
騒動以来、愛華は神宮寺にやたらと絡むようになった。元々曖昧だった記憶を思い出したのだから当然ではあるのだが、周囲からはスキャンダルにならないかとハラハラさせられている。
「それだ。寂しそうって一昨日会ったばかりだぞ?一緒に昔の親睦を深めるためにな。だというのに現地でミカと一緒に待ってたら不機嫌そうな態度でやってきたんだ。」
神宮寺は仕事が落ち着き余裕ができたので愛華を騒動が終わってから初めて誘った。ぎくしゃくしていた関係だったが、神宮寺からの申し出に愛華は喜び、当日に向けて気合を入れたコーデでやってきた。
初めてのデート。まるで付き合ったばかりの初めての恋人のように、胸を高鳴らせながら、ドキドキとした思いを胸に、その日は一睡もできなかった。
だが、当日そこにいたのは神宮寺だけでなくミカも一緒だった。
神宮寺からすれば当たり前のことだったのだが、二人きりのデートだと思っていた愛華の失望と怒りは想像以上のものだろう。
「そうかと思いきや一緒にいるにつれて機嫌は治る……まだPrometheusの部分転送による後遺症に悩まされているのか?情緒が不安定すぎる。」
ただそれでも愛華からすればやはりずっと待ち望んでいた時間であったこともあり、ただ傍にいるというだけで機嫌は直るもの。今日は駄目だったが、まだ次の機会がある。同じ空の下で、同じ時間を生きている。
彼女にとっては、それだけでも奇跡のようで嬉しいことだったのだ。
「いや……?それどころか演技指導の人からは『最近の愛華さんは更に磨きがかかっている』とか枕美さんに至っては『今が全盛期だわ……』なんて感じで、調子は良いみたいですけど。」
ただ漠然としたものではない。今の自分を見てほしい。もっと自分を知ってほしい。そんな愛華の想いは自然とアイドルとしての演技にも影響した。そんな想いを伝えたい相手は明白なのだが───
「蒼月くん、それは考えが甘い……あいつは昔からタフだからな。肉体面だけでなく精神面でも。だからきっと俺たちには話せない深刻な悩みを抱えているのかもしれない。きちんとフォローしないと駄目だ。」
「なるほど……流石、昔なじみなだけあって理解が深い……!」
神宮寺の言葉に天理は思わず感嘆の声を漏らす。
「ともかく俺のことは気にしなくて良い。それよりも天理くん、そろそろ時間だ。委員会に入っているのだろ?」
時計を見る。ここは地下であるためか時間の感覚が分かりづらいところがあるが、もう午後5時になろうとしていた。
「もうこんな時間に……すいません神宮寺さん!今日はこれで!」
天理は荷物をまとめて駆け出す。
「……本当につらいのは蒼月くんだろうに。」
神宮寺は、そんな彼の後ろ姿を見てそう呟いた。
黒曜アカネはしばらく病院で経過観察の末、退院となった。記憶障害を引き起こしているが、日常生活に支障はなく両親、友人関係のことも記憶しているため問題ないと判断された。
もっとも天理と神宮寺は知っている。彼女が蜃郷病という病に罹っているということに。トリガーさえ引けばまた再発しかねない、そんな状況であることを理解している。
つまるところ、理段が天理とアカネを引き合わせたのは、意図的に蜃郷病を発症させようとしていたということだ。時に強い想いは毒となり、苦しめる。アカネの天理への想いが、失われるはずの記憶まで呼び起こし、病さえも再発させる。
故に、天理は彼女と距離を置くこととした。自分との出会いがまた病を引き起こしかねないからだ。オケアヌス・ヴェルデで自害を選択しようとしていた一番の理由でもあった。
それからアカネの顛末を天理は聞いていない。
「すいませーん!こっちゴミ袋が足りてないです!」
天理は夏祭りの設営準備をしていた。
年に一度行われる豊奉神社での夏祭り。奉条司とその祭りの準備を手伝うことを約束していたため、夏休みでありながら天理は大忙しだった。
市内中心部に位置する豊奉神社は、その祭りの規模も極めて大きく、運営委員会も大規模なものである。人手はいくらあっても足りず、ひたすら境内を駆け回っていた。
「お疲れ様、天理くん。疲れたでしょう?冷えたお茶を用意してるから休も?」
司は奉条家の娘として巫女服を着て祭事を執り行っていた。既に辺りは薄暗くなってきていて、日が沈もうとしている。
それでも人の気配は途絶えそうになく、祭りの喧騒はいつまでも続きそうだった。
「いや、まだ大丈夫……」
「駄目だよ!気づいてないの?凄い汗。熱中症になったらそれこそ大変なんだからきちんと休まないと。」
強がりを見せる天理だったが、司はそれを軽くあしらう。真夏の炎天下。日が沈もうとしているとはいえ、その暑さは相当なもの。
それでも意地になる天理だったが、有無を言わさず司は休憩室へと天理を連れて行った。
「うっ……寒い……。」
休憩室に入った途端、エアコンの風が当たる。汗で濡れた衣服が身体を急速に冷やし寒気を起こす。
「ほらー、働き過ぎだよ天理くん。嬉しいけど倒れたらおしまいなんだから。中までびしょびしょだよ、着替えは……お父さんの下着を貸すからそれで我慢してね。」
タオルと男性用の下着を渡される。汗で濡れた下着をいつまでも着ていると夏風邪にもなりかねないし、何より気持ちが悪い。天理はその好意に甘えて着替えることとした。
「やれやれ、タダ働きだというのに頑張りすぎやしないか天理?ボランティアなんてのは適当に節度を持ってやれば良いのさ。」
そんな様子を畳の上であぐらをかいて見守る巫女服の女性がいた。藤原ココネである。彼女もまた天理と同じく夏祭りのボランティアに志願し、こうして神社の事務を手伝っているのだ。
「藤原さんは不真面目すぎ!あーもうこんなにたくさん食べ物置いて……露店を回ったの?」
休憩室のテーブルにはたくさんの食べ物が包まれて置かれていた。たこ焼き、イカ焼き、りんご飴……どれも祭りで定番の食事だ。
「いや見回りをしてたらくれたんだ。こんな時、美人は得するよね。」
「むっ、得するって……お仕事は?」
少し司が眉をひそめる。サボりをしたココネを咎めようとしているのだ。
「あ、ココネさんさっきはありがとうございました。ホントあの酔っ払いしつこくて……。」
「おぅ藤原の嬢ちゃん!あんたの言うとおりに人の誘導方法変えたら一気に楽になったよ!」
「在庫管理表、君が作ったのか?完璧じゃないか……この短時間でよく整理できたな?」
司がココネを説教しようとした時、背後から今回の祭りで雇った人たちが続々とやってきた。皆、ココネに感謝の言葉を述べていた。
一見遊び回っていたように見えたココネだがその実、境内全体を見て回り、事務作業の効率化や現状の報告及び整理、ついでに道中出会った面倒なクレーマーの対応をしていた。
その働きは一人分を遥かに超えていて、卓越した管理能力から為せる技である。
「むっ、むむむ……!」
司も長い間、豊奉神社の祭りを手伝っていたことから分かる。ココネの働きぶりが。故に何も言えない。ここの誰よりも働いている彼女に文句など言えるはずがないのだ。
「と、いうわけで天理を借りてくよ奉条さん。大丈夫、天理の仕事も私が全部済ませといたから!」
着替えを終えた天理を見るやいなやココネはその腕を天理の腕と絡める。思わず司は「あ!」と声をあげた。
突然のことに天理も戸惑いを隠せない。
「休憩は大事さ。でも身体だけじゃない、精神的にも……だもんね奉条さん?」
ココネは有無を言わさず天理を引っ張り祭りへと向かう。司はあっという間の出来事に反論もできなかった。というよりも今のココネの言い分は、まさに今、自分が天理に言おうとしたことなのだから。
一手遅れた。司の致命的なミスである。だが───
「ま、待ってよ!それなら私も行く!!」
そこで折れるわけでもなく、急ぎ天理とココネを追いかける。





