没落令嬢
───青薔薇の男の正体は闇に包まれている。探し出すには人脈と資金が必要だがどちらもない。俺は頭を抱えていた。復讐を誓ったのは良いが取っ掛かりがつかない閉塞感に。未来の知識があろうともただの高校生である俺は無力なのだ。
一枚の紙切れが机の上に置かれる。顔を上げると特に親しくないクラスメイトだった。
「福富の奴が誕生日パーティーやるんだってよ。だりぃけど来ないやつは酷い目あわせるらしいから行った方がいいぜ。まぁ美味い飯は出るみたいだけどよ?」
気だるそうに彼はそのことだけ伝えて、他のクラスメイトにも同じように招待状をまわしている。
一人いた。人脈も資金も持っている男が一人だけ。福富白禄。俺の同級生にして将来の雇用主にして……俺を罠に嵌めて裏切った男。気乗りはしないが頼れるのは奴だけ。良い思い出はない相手だが、青薔薇の男を探す手がかりにはなりうる……そう考えると自然と会場へと足が動いた。
パーティー会場は屋外。福富家の庭で開催される。記憶のとおりのものだった。同じ料理、同じ参加者たち……福富の誕生日パーティーは以前も参加していた。あの時は食事目当てで来たのだが、派手な演出に驚かされ、印象に残っている。
「まずは一人用ヘリに乗って上空から登場。その際にレーザープロジェクターで彩りをつける……。」
記憶を辿るように過去のパーティーを思い出す。同じ演出だ。空から福富が派手に現れてきた。
「その後は俺たちの紹介……軽く済ませて壇上で福富グループの沿革を語り、途中一度くしゃみ、自分が更なる発展を……だったかな。」
まるでビデオを再生するかのように記憶どおりの展開。手の届かない世界を福富は俺たちに見せつけてクラスを支配する。今日のパーティーで一部クラスメイトの態度が変わるのだ。改めて過去に戻ったことを実感する。
「……そして乾杯。配られたグラスには福富グループが展開するブランド新商品であるノンアルコールシャンパン。どこ産だったかな。」
「おそらく南アフリカだね。この品種は独特な風味があるから。」
隣にいた女性に声をかけられた。振り返ると、俺は彼女の美しさに息をのんだ。彼女は黒髪の長髪をふわりと揺らしながら、俺に微笑んだ。その姿はまるで夜空に浮かぶ月のように、俺の視線を一瞬で奪った。彼女の瞳は深い緋色で、何もかも見通しているような鋭さと冷静さを併せ持っていた。
ドレスを着こなしていたが、それは決して派手なものではない。淡いピンク色のシルクでできたドレスは、彼女のスラリとした体型を上品に引き立てていた。アクセサリーは宝石の輝く指輪のみだったが、それが逆に彼女の魅力を引き立てているように見える。気品を感じさせる女性だったが、同時にどこか近寄りがたい雰囲気も漂わせていた。
「悪いね、別に盗み聞きをするつもりではなかったのだけど。シロクと同じ学生服、どういう関係なのかな?」
「あ、あぁ……ただの同級生だよ。面識もそんなにないのは奴の態度から分かるだろう。」
息を呑みながらも答える。天理は緊張感で満たされていたが、同時に何故か彼女の目を見ると、質問に答えなくてはならないという、不思議な感覚に囚われていた。
「知らないのかい、こういう集まりはお互いの見栄のためにガチガチに決まった台本があるんだ。トップシークレットさ。ただの同級生が知れる情報ではない。」
彼女の年頃は同じくらいだが学生服ではなくドレスを着ている。クラスメイトではなく福富グループ関係の人間だということが容易に想像できた。彼女は疑いをかけているのだろうか。機密が漏洩したと見て、俺を探っているのだ。面倒なことはごめんだ。
「……ごめん、ちょっと場所を移動していいかな。」
「おや逃げるのかな?」
いいや違うと言って俺は彼女の腕を掴み引っ張り、日除けの下に移動する。その次の瞬間、突然の豪雨が降り注いだ。会場はパニックになり福富は慌てた様子で傘を持ってくるよう指示している。
「傘はいらない、これはすぐに止む。にわか雨だ。」
「何を言って……。」
彼女が口を開いた瞬間、雨は弱まりやがて止んだ。印象的な出来事なのでよく覚えている。
「実は予知能力があるんだ。今のはその余興、楽しめたかな。」
彼女は吹き出した。ごまかすならもっと良い嘘があるだろうにと。
「なら私も予知能力がある。慌てた様子で男がやってきて、私にタオルを渡すんだ。ほらね。」
執事たちが来客に慌ててタオルを配っている。当然彼女にも一つ手渡された。
「簡単な未来の出来事ならある程度の予想はできる。キミは気象予報士にでもなりたいのかな?いいや、それなら予知能力だなんて言い方はしないかな。」
黙り込む。まさか未来で死んで過去の自分に転生したなんて話は信じないだろうし、ここは彼女の想像に任せるのが一番良いと思った。それでいてあらぬ疑いも避ける。福富グループの人間に疑義をかけられて良いことなんて一つもないからだ。
「その大層な予知能力で一つ教えてくれないかな。」
「こんなパーティーに参加するほどのお嬢様でも知りたい未来があるのか?」
「そうだとも、だからこの場で恩を売るのは悪い選択肢ではないと思うよ?知りたいのは姉さ……鈴木美咲という女性の未来なんだが。」
「あ、ちょっと待ってくれ。それは無理だよ。」
俺は美咲なんて女性を知らない。知らない女性の未来なんて分かるはずがないのだ。だがどうして?と尋ねる彼女の疑問に答えなくてはならない。
「個人の未来は個人の判断で決まるからだ。自然現象や組織だった動きは決まったものだけど、その日の気分で変わるような出来事は予測なんて不可能だよ。」
「なるほど、言われてみたらそのとおりだね。なら宝くじの一等の番号ならどうだい?」
急に庶民的かつ即物的な欲求になったなこのお嬢様……。内心呆れながらも俺はそんな知識があるなら真っ先に宝くじ売り場に向かっていた。宝くじの一等の番号なんて一々覚えているか?無理だ。
「悪いけど教えられないね。裕福なお嬢様が庶民の楽しみを奪うような真似はしないでくれよ。」
「私は裕福でも何でもないよ。没落お嬢様さ。」
「その格好で?その高そうなドレスに指輪、無理がある。」
「このドレスはレンタル品、指輪は父の形見さ。」
彼女は元々古くから続く名家の出身だったようなのだが、父が事業に大きく失敗。その責任を感じて自殺し残された資産は全て売り払い、父が自分にプレゼントしてくれた指輪だけが残されたというのだ。彼女は指輪を見つめるとき、少しだけ悲しげな表情を見せた。それは決して演技、作り話の類には見えなかった。
今となってはその指輪だけが彼女の父と、そして名家としての血筋を繋ぐ唯一のものだという。
そんな彼女が此度のパーティーに誘われたのは昔からの間柄だから。お情けである。
「私が女なのは幸いしたよ。名家だったころの名残、コネを使ってこういうパーティーに参加し金持ちに気に入られ愛人なり嫁になれば家は立て直せる。資産は残されていないが身体は残っているということだね。見てのとおり私は美人で器量もいい、没落したとはいえ旧名家のブランド入りだ。成金連中の箔付けにお買い得だろ?」
同情を買ってもらいたいのか自慢をしたいのか意味の分からない話。彼女はその長い髪をかき上げて胸に手を当てて、得意げな表情を浮かべた。そして一呼吸置いて話を続けた。
「そんな美人で性格も良い私なのだが金が無い。先程話をした鈴木美咲という女性は私の恩師なんだ。彼女は今、苦境に立たされている。どうにかして救いたいんだ。早めにね。頼むよ、私が金持ちではない、金が必要だという事情は分かったろう?」
手を握られ上目遣いで懇願される。こうされると弱い。だが彼女の期待には応えられない。
「悪い……適当なことを言った。宝くじの番号なんてわからない。知りようがないんだ。」
「それはまた個人の都合で番号が変わるから……か?おのれ宝くじ協会め。」
「い、いや違う!信じてもらえないかもしれないけど……。」
俺は彼女に全てを話すことにした。未来から意識だけが過去に戻って、人生やり直しの最中だということを。そうでないとこの場を解放してもらえそうにないからだ。
「……ふざけてるのかな?」
当然一ミリも信じてもらえない。怒りを通り越して呆れた目で彼女は俺を見つめる。
「まぁ本当のことかともかく、要するに君もお金が欲しいということだね。なら簡単さ、手を組むんだ。私たちで大金を生み出そうじゃないか。キミを見て思いついた。投資を始めるんだ!」
投資、確かに未来の知識があるなら必勝の勝負。だがしかし、そこには大きな問題がある。
「信用がない。今の俺を信用してくれる人なんて誰もいないよ。」
思い出す。昔の自分の扱いを。誰も俺を信じようとはしない。正しいことを言っても嘲笑われる。投資とは信用勝負。俺が未来の知識があっても、宝の持ち腐れだった。
「ん?何を言っているんだ?ここにいるだろ。私は人を見る目には自信があるんだよ?まぁともかく、そんな私たちにぴったりのステージがあるんだ。」
彼女がスマホの画面を見せるとそれは投資コンテストの案内だった。年齢制限無し、一週間開催される投資勝負。他のコンテストと違うのは本当に現金を使用することだ。初期費用限度額は五千万円。
「これがどうしたって言うんだ?いや……これって……。」
「ふふ、気がついたようだね。そう、これはコンテスト。つまり口座は運営側が用意してくれる。そして年齢制限無し。未成年でも参加できるのさ!」
「いや、しかし俺は……。」
「ということで申し込みは済んだぞ。チーム名はココ天だ!」
スマホを操作していたかと思うと満面の笑みを浮かべてスマホ画面を見せつけてくる。そこには俺の名前と藤原心音という名前が記されていた。
「いや、何勝手なことしてくれてるのぉ!?俺、まだ返事してないじゃん!ていうか未成年は親の同意がいるだろ!?」
「そんなの捏造すれば良いだけだろ?親の同意なんてクソ喰らえさ。まぁ私の親は自殺したけどね!ハハハ!」
突っ込みづらい自虐ネタを披露する彼女に思わず俺は口ごもる。
「おっと、そういえば、自己紹介がまだだった、私の名前は藤原心音。名字は嫌いなのでココネと呼べ。まさか断らないよな、"天理"クン?」
彼女はそう言って、会場から立ち去っていった。他の参加者を見向きもせず。その優雅な佇まいを見せながら。俺はただポツンと残され、渡された連絡先を唖然と眺めていた。