穢れたその手に残るものは
彼らは柳生の挑発に表情一つ変えない。ただ事務的に返答を始める。
「神道政策連合には"龍"がいます。私たちはPrometheusの"龍"。柳生氏。あなたも実力の差くらい分かるものでしょう。賢明に生きることを選ぶべきです。」
神道政策連合の神宮寺鬼龍は表社会、裏社会ともにその絶大な力により恐れられていた。圧倒的な"暴力"はあらゆる秩序を無視する。いくら人間社会が法により定められた秩序があろうとも、個が持つ暴力は時にその秩序を打ち破る。
言うならば秩序とは力あってこそなのだ。
柳生丿貫は決して弱くはない。だが此度、目の前にいる戦力、その全てがあまりにも規格外。
「……柳生さん。俺たちのことは気にしないでください。みんなで奴らに挑めば多少は……。」
俺は知っている。目の前の規格外の敵の正体を。
Prometheusはその機能の一つとして、時間逆行者の電脳化時に特定のニューラルネットワークを追加することで、その思想をコントロールすることができる。
それは思想だけに限らない。戦闘技能も情報としてインストールすることが可能。
即ち、目の前にいる者たちの正体は、未来のPrometheusにより思想と戦闘技術を植え付けられた戦闘マシーンのようなものである。
神道政策連合の『神宮寺鬼龍』が絶対的存在として君臨しているように、Prometheusの『神宮寺鬼龍』が彼らなのだ。ただし、神道政策連合とは異なりPrometheusの『神宮寺鬼龍』は目の前に無数にいる。彼らこそがPrometheusの尖兵なのだ。
「は、要するに一人一人が鬼龍級だから諦めろ……と言いたいのか?」
しかし柳生はその事実を知ってなお不敵に笑う。
「天理くん、言っただろう?君のためならばこの老体を如何なる苦難にも捧げよう……と!」
それは、ブラトヴォルノストとの協定のときに柳生が俺に伝えた言葉。
駄目だ。その誓いを持ち出すなら、なおさら俺はここを離れるわけにはいかない。
「柳生さん!聞いて下さい!!俺は……」
「言うなッ!!」
司の恋人ではない。偽りの関係。そう言おうとした瞬間、柳生の叱責のような怒鳴り声が響き渡る。
「男が男のために命を張りたいと言うのだ。理由はそれだけで十分。」
「そうじゃなくて!俺は……」
「あまり儂を舐めるなよ、天理くん。」
誤解を解こうと必死な俺に、柳生は静かに、だが力強く答える。
「"どんな理由"があろうと……君がしたことに偽りはない。例え始まりは偽りだったとしても……偽りから始まる"真実"というのもあるものだ。」
その言葉には、決して諦め、絶望などといった感情はない。ただ前を見て不敵に笑う。
「あの日、儂の目に映った君の姿は、確かに"本物"であった。詐欺師などではない。そこに希望を見たのだ。侮るなよ、儂が今ここに立つのは蒼月天理!君個人のためにここに立つというのだ!」
背中越しに、柳生はそう答えた。他の何者でもない。蒼月天理という個のために、今ここに立っていると。
───気づいて、いたのか。
俺は馬鹿だった。柳生のことを勘違いしていた。彼は全てを知った上で俺に接していて、こうしてこの場に立っている。
ならば……俺は何も言えなかった。引き止めることは彼の覚悟と矜持を侮辱することになるからだ。
「……お願いします!!」
俺たちは駆け出す。柳生を一人置いて、目的の場所まで。
───天理たちが去っていく様子を、柳生をじっと見ていた。
柳生はとうに見抜いていた。奉条司と蒼月天理の偽りの関係に。
そのうえで黙っていたのは、ほかならぬ奉条司自身がそれを望んでいたことを知っていたからだ。
故にこの場に立つ理由は、奉条司の恋人を守るためだからではない。柳生自身が、天理が命を賭して守るに値する男だと認めたからに過ぎない。
神道政策連合の裏稼業は血に塗れている。時には汚い仕事もやらざるをえなかった。
そんな中、転換期が訪れたのだ。蒼月天理という架け橋が、ロシアンマフィアとの和平を作り出した。これはきっかけに過ぎないだろう。やがて此度の和平は他所にも波及していき、血で血を洗う争いなどなくなるのかもしれない。
柳生は武闘派だが戦闘狂ではない。特級神職者に相応しく、平和と平穏を愛する男である。
大きな借りを返すだけではない。蒼月天理をここで殺すにはあまりにも惜しい。故に柳生はたとえ不利な状況下であろうとも、生かす道を選んだ。
「…………。」
Prometheusの尖兵たちは感情のこもっていない目で銃口を柳生へと向ける。言うまでもなく彼らの射撃能力は超一流。的確に狙い定めた位置に射撃することが可能だろう。
「舐められたものよのぉ?たかが銃火器、素手で制圧出来ずして何が神政連か。」
対する柳生は表情一つ変えず構える。その先に見据えるのは死地か、あるいは───。
どのくらい経っただろうか。長い通路を駆け抜けることしばらくが経った。道中もいくつか部屋があるが見向きもしない。目的地は分かっている。一直線だ。
そして見えた。目的の場所へと繋がるエレベーター。俺は迷わずスイッチを押す。
「この先に……お兄ちゃんが待っているんだな。」
ココネはエレベーターがやってくるのを息を呑んで待っていた。
オケアヌス・ヴェルデにて藤原理段は待っている。それは当然、ココネの耳にも入った。
藤原不人の殺害。その犯人が兄であることをココネは知っている。いや、厳密には兄の肉体を乗っ取った"ナニカ"であると思っている。
だから迷いは微塵もなかった。藤原理段はココネにとって、父の仇であると同時に、兄の仇でもあるのだから。
エレベーター扉が開かれる。俺は合図した。その合図を受けて猛はココネをエレベーターの中へと突き飛ばす。
「なっ!?」
隙をつかれたココネはエレベーターの中に転がる。
このエレベーターは外部から操作できる。本来は貨物運搬用だからだ。
すかさず俺はエレベーターの行き先を押して、エレベーターのドアを閉じた。
「どういうつもりだ天理!」
抗議の声をあげるココネだったが既に遅い。不意をつかれたせいかココネは立ち上がるのに遅れた。扉は完全に閉まり、エレベーターは動き出す。ドアを蹴破るには一手遅かった。
「その先は地上。理段はいない。ごめんな。」
ドアに取り付けられた透明のアクリルパネル越しに、ココネに向けて俺は伝える。ココネは悲痛な表情を浮かべていた。
「天理!!」
俺の名前を呼ぶ悲鳴のような叫び声とともにエレベーターは上昇する。
理段の中身が既にココネの兄ではない別の存在に成れ果ててるのは俺も知ってる。だが姿形はココネの兄に変わりない。今は良くても、きっと兄を殺すという事実は呪いとなる。
最初からそのつもりだった。ココネは何を言ってもついてくる。ならタイミングを見計らって安全な場所へと送りつける。
今頃、地上では騒ぎになっているだろう。Prometheusの尖兵が出てきたことから、既に俺たちがここにいることは知られている。
ということは、エレベーターが地上に出た瞬間、ココネは地上の職員たちに捕まることになる。
それで良い。ここオケアヌス・ヴェルデは全てが理段の息がかかっているわけではない。ココネは不法侵入をした見学者として厳重注意され、ここ地下に向かうことができなくなる程度に収まるはずだ。
「行こう猛。本当の目的地はこの先だ。」
前から話していたことだった。理段はココネ抜きで会いに行くと。俺たちは更に奥へと駆け出した。





